3 小姓の仕事は命懸けです。
グレン様が朝の着替えをするのを手伝った後――と言っても上位貴族にありがちなように着せてもらおうとすることはないので、着る服を用意しておくだけだが――寝室を出た僕がやることは「その場で待機して今日のお仕事が言いつけられるのを待つ」というもの。
まぁ、僕の待機時間の中で最も暇な時間であり、唯一心安らぐ時間だ。
その間に僕が鬼畜の所業を強いられるようになった暗黒デーを思い返す。
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あれは今から三月前だった。
父様から下されたミッションインポッシブルを、その名の通り見事に残念な結末に終わらせ、「認可されていない魔獣を勝手に治療する」という国の禁忌を犯していることが発覚した僕は罪人としてしょっぴかれることになった。
罪人引き渡しの前に、なんとおかしなことか、罪人の姉を見たいとおっしゃった殿下のため、我が領地アッシュリートンまでお連れしたところ、殿下が我が姉様に一目惚れしたそうな。
僕の罪自体は殿下の愛馬であるアインの命を助けたことで帳消しにされたのだけど、僕の秘密である、「女性であることを詐称して学園に貴族男子として通っていること、そしてゆくゆくは貴族男子しかなれない宮廷獣医師になろうとしていること」があの鬼畜悪魔…いやグレン様に見つかってしまった。
そしてそれを知ったグレン様がこのことを秘密のままにしておく代わりに要求したのが「僕が小姓になること」だった。
「あのーグレン様。確認しておきたいのですが」
「なに?言ってみなよ、僕の可愛い下僕」
下僕は断ったはずなんだけどな、僕。
「下僕ではありません、小姓です。…その小姓なんですが、なれば僕の秘密は守ってくれるということを確約してくださるのでしょうか?」
ここで「考えとくってだけだからばらしちゃった」とか言われた日には僕はどんな手を使っても末代までこの方を恨み続けるぞ。
「あぁ守るよ。だってここで守らなかったらお前が開き直ってどっか行っちゃうでしょ?せっかく手に入れた貴重な小姓を逃すのは惜しいから」
今はっきりおもちゃって言ったよこの人。
「殿下方は僕が女だということをご存知なのですか?」
「いや?僕が言ってないから知らない。恐らく男だと信じ込んでいるんじゃないかな」
それは一安心だ。
バレた相手がこの人であった時点で人生が終わったことを知らなかった僕はそこで安堵の息を吐いた。
「グレン様。あまりよく分かっていないのですが、小姓…とは、グレン様の身の回りの雑用をする者という意味ですよね?」
「……どういう意味?」
小姓といえば、従者と執事を兼ねるお仕事だったと思う。僕の記憶が正しければ。が。
「あの―――。たまーにすごく嫌な噂を聞くのですが、小姓というのは、その、主人の夜のお供をしなければならない、というのは本当なのでしょうか?」
そう訊くと、グレン様は一瞬ぽかん、と口を開いた。
あっははー間抜け面してやんの。
「……なんで、選び放題、相手が土下座して縋って頼み込んでくるのをあしらわなきゃいけないくらい相手に困らない僕がお前を相手にしなきゃいけないの?僕をぬいぐるみ相手にでも盛っている犬扱いしないでくれるかな?」
「あぁよかった。あ、でも!ぬいぐるみって可愛いですよね!?抱きしめるとモフモフしますし!てことはやっぱり……!」
僕が難しい顔をして悩むと、グレン様はまるで腐った食べ物を鼻の前に置かれたかのようにその美しい顔を顰めた。
「お前のためにバカでも分かるように言い方を変えてあげる。お前に欲情するのはその辺りのミミズに欲情するくらい難しい」
「せめて人で例えてください!」
ミミズと同類扱いされたことに憤りつつもほっとする。
あぁよかった。僕の貞操の無事が確保された!
「と、いうことは、僕はグレン様の従者兼執事としてグレン様のご要望に従う、ただし夜のお世話は除く。ということでよろしいでしょうか?」
「まぁ大体その通りだよ」
なぁんだ、それだけか!なんとかなりそうじゃないか。
これで詐称のことを黙っていてくれるなら安いもんだ!
そう思ったときもありましたね、はい。
残念ながら時を逆に戻す魔法はこの世に存在しないが、もし可能なら、「その認識を改めよ。遅くない、早く学園を辞めるかどうか真剣に悩め。三日三晩寝食忘れて考えろ」と自分を叱り飛ばす。この三月はそれくらい大変な毎日だった。
朝はこの通り寝汚いご主人様を起こすために毎朝一刻くらいは無駄に早起きした上にストレスを抱えなきゃいけないし、「小姓になるわけだからある程度ご主人様のお役に立てなきゃいけないよね?」と笑顔のグレン様に毎日魔法の特訓をさせられたし、イアン様には「お前がグレンの小姓になるのか。それならばその軟弱な剣では務まらないぞ。鍛えてやろう」とかで授業後に叩きのめされる。
これだけなら「そうだよね、上位貴族、それも当代随一と呼ばれる魔術師になろうお方の従者も兼ねているんだ。やらなきゃいけないよね」と夕日を見て明日への希望を持って気力を萎えさせないでいられると思う。
だがしかし。言いつけられる用事が僕の精神さえも削っていった。
「苺牛乳を作れ。ただし苺はヨクルー森 (猛獣の住みか)の奥にある木苺しか受け付けない。苺と牛乳の比率は4:6、練乳を大匙1いれること」
とか
「新聞を買ってこい。王都 (ここから馬で8日はかかる)にしか売っていない経済専門紙ね」
などという、注文内容はその辺のイジメっ子並みなのに難易度は超ハイパー級のものを課してくる。
正直、学園の宿題と比べるなら片や「目を瞑って1本足で立て」というものなのに対して、片や「炎の中を一切ヤケドせずに目を瞑って逆立ちで通り抜けろ」というようなものだ。どっちがどっちかはご想像にお任せする。
いや、それでもいい。所詮、僕程度、従者とは名ばかりの小間使い。気まぐれなご主人様のご要望に従って多少のわがままくらいは聞いてあげなければ。なにせ退学ものの秘密を抱え、ゆくゆくは王家詐称すらしてしまうのだから。よし、頑張って達成して、ご主人様が褒めてくれたことに達成感を得ていこうじゃないか……!と、飼い犬レベルの発想で何とかしてこの生活に幸せを見出そうとしたこともあった。
でもこの鬼畜なご主人様の下でそんなことがあるわけもなく、
「まっず。今の時期の木苺って旬じゃなかったのかー。クンルー森 (魔獣の住みか)の奥にしか自生してない大苺で作り直して。条件は同じだから」
とか
「これ八日前のでしょ?新聞を買う意味分かってる?最新のやつ渡して」
などと無理難題を押し付けてきやがった。
はっきり言って姑の嫁いびりより悪質な、むしろこれはなんの復讐だろうか、僕にそんなに恨みがあるんだろうか。と考え込んでしまうような仕事ばかりだった。
何度「死ね!死んで地獄に落ちて二度と戻ってくるな!」と思ったことか。
あぁ思い返せば涙が浮かぶ。
それでも僕は耐えた。途中で諦めたらそれまでの僕の苦労と苦痛と涙と汗が無駄になるからだ。
誰か褒めて。
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「なに朝から泣いてるの?情緒不安定?あ、そっかあれかー。女の子って可哀想だねー気分がころころ変わるんだから」
寝室から戻ってきた開口一番それですか。
その場の気分でころころ仕事内容変えてきたのはどっちだ鬼畜。
「いいえ違います。ご心配おかけしまして申し訳ございません、グレン様。僕もこの三月で精神的に成長して情緒豊かになっただけですよ。朝日を見るだけで今日も生きているなって実感して感動するだけです」
「そうなんだ。それにしては朝っぱらから親の仇を見る目で僕のこと見るね、気のせい?」
その通りだとも。分かったらとっとと、その不治の病であるド変態S性癖を反省してさっさと学園から出ていってくれ。
「気のせいですよそんなー」
「エル、お前はとても顔と声に本音が出やすいよね。心読みなんか使わなくても十分だ」
「僕って素直に育てられたので。褒めていただきありがとうございます」
「全く、僕にそんな皮肉を言えるなんて尊敬するよ」
「僕こそ、我がご主人様は若手随一の魔術師様だなぁと日々尊敬してやみませんよ」
「そう?褒めてくれてありがとう。ご褒美に今日も生きてるって実感を今すぐ与えてあげる。まずはそこから突き落としてあげようかな」
「まずって……うわああああ!?」
僕が何かを述べる前に、僕は見えない力によってグレン様の三階の部屋から叩き落とされた。
慌てて浮遊魔法と防御魔法を編み、ギリギリのところで頭を地面に打ち付けることを防ぐ。
うわ、逆さまになってる髪が地面にくっついてる!本当にギリギリだったよこれ!
三階から地面って滞空時間短いから頭から落ちたら普通死ぬから!
ある意味十階から落ちるよりも死ぬ可能性高いから!
この人、実は僕を殺したいんじゃないかなって最近思うんだよね。真剣に。
2016/9/25 改行等改稿作業済