29 小姓はお役に立てません。
「エル!起きろ。馬上でうたた寝したら落ちて死ぬぞ」
「はっ、寝かけていました!すみませんイアン様!」
「あまり寝てきていないのか?」
「はぁ、出発した日の前々日はグレン様が体調を崩されて一晩看病していたので徹夜しておりまして、前日は礼服を買いに行ったりして一日出歩いていたのです。それも学生街に姉が来てくれた関係で殿下も……」
「あぁ。それについては俺もフレディから聞いた。なるほど。それは精神的にも疲れるだろう」
「はい……眠いです」
「お前は騎士志望でもないからな。体力がないのもやむを得ないか。しかし普通は馬の調整があるから寝たりできないのだがな」
「馬さんをとても信頼しているんです。さっきから落ちそうになったら軽く合図してくれてますし。ね?」
「ブルルルルッ!」
「お前は本当に能天気なやつだな。グレンとは正反対だ」
「グレン様と反対ってことは、僕はイアン様寄りということですね」
「……不本意だがなぜだか反論できないな」
なんだかんだ不敬とは怒らない、懐の広い黒髪の騎士様が僕と併走して呆れたような視線を送ってくる。
侯爵家ご嫡男と貧乏末端男爵家の見かけ上の長男。
普通はこんな軽口をたたけるような身分ではないので、イアン様の供として、僕とイアン様の会話を傍で聞いている騎士様方には子供だからなぁ、という顔をしている方もいれば、窘めるような顔で僕を見て来る方もいる。
とはいえ、グレン様や殿下にあれだけの口を利いている僕が、イアン様にだけ畏まることも出来ず、こうしてお目こぼしをいただいている状態だ。
今、僕は馬をマグワイア領に向けて走らせて丸二日ほど。
速度強化の魔法をかけているのと、馬を適度に休ませ、疲れをためないような騎士部隊特有の走らせ方をしているので、実質二倍の距離を走っている。そろそろマグワイアの領に着くころだ。
「それでお話のことなのですが、ゴミ捨て場の調査はあまりうまく行っていないのですか?」
「いや、お前の助言でそのようにやり方を変えたからこそ、より狭い範囲での特定はできた。だが、そこから進んでいないのだ。我々も昼夜問わず回っているのだが」
「動物さんたちの協力を得るために既に何かされたんでしょう?」
「あぁ、普通は獣が求めると言ったら食べ物だろう?それぞれ食い物になりそうなものを用意したんだが、見向きもしない。それがお前のいないせいなのか、それとも要望が違うのかそれを図りかねているところだ」
「うーん、初対面の子たちですから、僕がいるかどうかは関係ないと思うんです。多分要望が違うんだと思うんですけど……。話してみないことにはわかりませんね」
「あぁ。もう残り四分の一月ほどしかない。実質王城に着く時間も考えればここにいられるのは三日がいいところだろう。早く蹴りをつけなければな」
主を想う騎士は途中から僕ではなく自分に言い聞かせるようにして呟いた。
その日の夕方、僕たちはマグワイア領の弟一派が幽閉されていると考えられるマグワイア領の北西側に着いた。現地で働いている騎士様と見られる私服の男性が、滞在している宿屋から出てきて、到着したイアン様に報告し始めた。
「イアン様。ご無事の到着、何よりでございます」
「お前たちこそご苦労だった。それで進展のほどは?」
「ここから10キロ圏内の者たちが最終的にここにゴミを運んでいるということまでは把握できているのですが、わざわざ運んできて捨てた場合まで考えると、最大で15キロ圏内にまで広がります」
「15キロか……建物だけでもそれなりの数があるな……。それに確かここには密林や森など建物を隠せる箇所が多いのだったな?」
「はい、そのせいで余計に混迷を極めております」
マグワイア領は学園のあるところよりもずっと南に位置している。学園から離れたところで学生服を着るのは不自然なので、今日の僕の恰好は長袖のシャツにズボン。気温が高く虫が多いのが特徴の場所でもあるから薄めのものだと刺されてしまう。
僕はイアン様方が話をしている間に男物のシャツとズボンを捲り、毒虫や蚊が来ないように薬草で作った虫除けを塗っておく。草むらに入るときの基本だ。
「エル、着いて早々悪いが一刻の猶予もない。早速確認してもらえるか?」
「はい」
森の中に足を踏み入れると、学園よりも鬱蒼と茂った草が歩くのを邪魔する。もわっとした熱い空気が行く手を阻むかのようにじわじわと体を熱していき、知らず汗が額から流れ落ちる。
自然の豊かな場所だ。
当然住んでいる動物たちの種類も違うから、普段聞かないようなぴぃぴぃ、ぎゃあぎゃあ、という様々な種類の声が聞こえる。
暫く歩いて少しだけ開けたところに出たので、そこにイアン様たちが用意してくれた食べ物類を置いて、少し離れる。
立ち止まった場所で辺りを見回しながら、誰とは特定せずに話しかける。
こんにちは。僕はエルといいます。いきなり押しかけてすみません。あなた方にお願いしたいことがあって来たのですが、顔を見せてもらえませんか?
心の中で呟いて、暫く待つ。じぃっと待つ。
どうだろう、来てくれるだろうか。僕の声が、届くだろうか。
会ったことのない子たちにこうして呼びかける時はいつも緊張する。学園に入学して学園の森の子たちに話しかけたときも同じ気持ちだったな、と懐かしく思い返す。
「……静かだな」
「本当に獣たちは来ているのか?」
「きゅっ!」
長いこと僕が立ちっぱなしだったことに焦れた騎士様方を黙らせるように、僕の頭の上に乗ったチコが鋭く鳴いた。
「申し訳ございませんが、静かにしていただけると助かります」
「エル?」
イアン様が棒立ちしている僕の様子を訝しんでいるので手短に状態を説明する。
「動物さんたちは来ています。周りで様子を窺ってるんです。まだ目の前に来てくれるほどは心を開いてくれてはいませんが、集まって来てくれてはいます」
急に森が静かになったのはこちらに注目しているからだ。
動物たちは自分たちの生活領域に土足で踏み入れられることを酷く嫌う。
ここまで勝手に踏み入ったことだってあまり好意的には受け取られていないだろう。
だから向こうが出てきてくれるまでじっと静かに待つ。
動物たちが過ごす時間は、僕たち人間とは違う。感覚が違うからこそ、どんなに日にちを待っても出てきてくれないときは出てきてくれない。彼らには彼らの時間がある。
でも、今回ばかりはゆっくりしていられない。
どうか、どうか出てきてください。
祈るような想いで僕がつっ立っていると、のそのそと一つの影がその辺りの木から出てきてこちらをじぃっと見た。
カメレオンだ。
「こんにちは。お話、させてもらえませんか?」
僕の言葉を聞くかのようにその大きな目玉でじっと僕と目を合わせるカメレオン。
話をしていい、という了承の意ととらえて続きを話す。
「実は、僕たちはある人間を探しています。その人をある日にちまでに見つけなければいけません。この食べ物をあなた方にお渡しする代わりに、どうか手伝っていただけませんか?」
僕が言った途端、カメレオンはのそのそと歩いて枝から地面に降りると、騎士様方が用意した果物や甘い草、虫などの食べ物の前に降り立った。
いけた。説得できた。
そう思った。
しかし違った。
カメレオンは用意してあった果物をぺんっとその舌を使って跳ね飛ばして僕にぶつけると、そのままのそのそと森の中に帰っていってしまい、あたりから一斉に動物たちの気配が消えていく。
ざわざわと、森にざわめきが戻りはじめるのに、僕の頭の中は痺れたように止まっている。
「…エル?一体どういうことだ?」
「すみません、イアン様」
初めての体験に、少し声が震える。
「拒絶されてしまいまいました」
その日の残りを僕はマグワイアの弟君を探す人員の一人として加わったけれど、移動後夜中まで一日中駆けまわる体力もなければ、精神的ショックで気力さえ萎えさせていた僕が使い物になるわけがなかった。
建物周辺を歩いて痕跡を探したり草の中に入ってそれらしき手がかりを探すこともできず、結局早々に宿屋に返された。
「気にしなくていい。もとより多分な期待だったんだ。お前が自分を責めることはない」
イアン様はそう慰めてくれたけれど、騎士様方やイアン様の期待を裏切ってしまったことで意地になった僕は、次の日も、その次の日も、動物たちに話しかけるために森に入った。
食べ物だからいけなかったのか。それとも食べ物の種類が間違っていたのか。
それすらも分からないから、まずは何がいけないのか、何が不満なのかを尋ねようとした。
訊き方がいけなかったのでしょうか、それとも欲しい物が違ったのでしょうか。
なぜ怒っているのですか?
何度も何度も問いかけた。
しかし、動物たちは僕の姿を見るだけでどこかに走っていってしまい、目を合わせることも出来ない。
一度として答えは返ってこなかった。
そうして僕は無為に日を過ごし、時間がないという焼け付くような焦燥感で苦しい時間を過ごすこととなった。