28 小姓は伝書を頼みます。
グレン様の部屋を出た僕は数日学園を空ける前に風呂に入ろうとナタリアのところを尋ねた。
学生街で買った駄菓子のお土産持参だったので、ナタリアは大層喜んでくれた。あ、もちろんお土産の代金は殿下に払ってもらいました。奢ってもらえる日だからね!
風呂から出た僕を見たナタリアは、僕の首の赤い首輪に気付いたようだった。
「あら、エル。そのチョーカーどうしたの?素敵!」
素敵?僕がご主人様に飼われているという証だけど?
この赤い首輪、呼吸が苦しくないのが唯一救いの代物だ。
忌々しいことに魔法で留められたらしく一度たりとも外れない。授業中は外しておこうと思って留め具を探したのに、「留め具など存在しない」ことに気付いたときは本当に焦った。学生服で隠せない位置にあるのもわざとだとしか思えない。これのせいで僕の近しい友人たちや先生方には僕が「小姓」であることはもうバレてしまった。
まるでグレン様という蜘蛛に絡めとられた蝶みたいだな、と自分で思って例えが当てはまりすぎて震えた。
「エルがオシャレで買った、とは考え難いんだけど、もらったの?」
「あー……うん。オシャレじゃないよ。……実は僕ね、グレン様の小姓になったんだ。」
「なんですって!?小姓!?」
ナタリアが飛び上がらんばかりに驚いてこっちに駆け寄ってきた。
「なななななんで!?侯爵家の、今最も注目されている貴公子様のっ!小姓!?一男爵家、それも貧乏で地味で孤立したアッシュリートン家のエルが!?」
「ナタリア……。他人事だと思って言いたい放題言ってくれるね……」
「あら。私はそこに嫁ぐことになっているのよ?それに私はアッシュリートン家のみんなが大好きだわ?」
確かにぼろくそ言ってくれたけれど、ナタリアはそこに嫁ぐことになるわけで。しかも嫌味なくあっさりと言ってくるものだから単に客観的評価を言われたんだろうことは分かる。
我が家を客観的に表すなら、「貧乏で地味で孤立している。」という表現で間違いない。
「どういう経緯でそんな御大層なものになったの?」
「御大層なモノなんだ?」
「そりゃあそうよ。小姓って言ったら、主にとって特別の意味を持つ地位だってことくらい貴族なら常識だもの。だからとても優秀な人がなるって言うのが一般的だけど……」
「それはどういう意味か詳しく訊きたいなあ?」
「エル、自分がびっくりするほど武術の出来る護衛派の人間だとか、ものすごく頭の回る参謀型の人間だと思う?」
「ううん、全然」
それは殿下の騎士や、僕のご主人様であって、僕自身ではない。
僕は平和を愛する純然たる非戦闘員だ。
「でしょ?だからびっくりしているのよ。ほら、経緯を話して?」
僕がこのあとマグワイア領に行ってしまったら帰ってくるのは、王都の夜会の後だから、姉様がその間何か僕に連絡を取りたくてもいないことになってしまう。
ナタリアは僕の男装事情も知っているし、ユージーンや僕と同じく、姉様の幸せを一番に考えてくれる一人だ。
差し障りのない――この局面ではほとんど差し障りのあることではあるのだけど――ある程度話しておいた方が、姉様に何かあったときに協力を仰げる。
そう考えた僕は、グレン様の小姓になった経緯と、姉様と殿下の今の関係について、ギリギリ必要な範囲だけを厳選して話した。グレン様がドS鬼畜であるという一番伝えたい点は、この局面では不要な情報であるので泣く泣くカットした。
話を聞き終わったナタリアは、少し茫然としてから「やったじゃない!」と言って僕に跳びついてきた。
「うわぁ!?ナタリア、落ち着いて!なんで?!」
「だって、あのメグ姉様が恋、よ?落ち着いてなんていられるもんですか!」
「え?相手が王子様で略奪愛だから興奮してるんじゃないんだ?」
「そりゃあお相手が第二王子殿下だから夢物語みたいなものだけど、相手のハリエット様と殿下の間には全然恋愛なんてないじゃない。あれは戦争の犠牲でしょ?略奪愛とは言えないわ。…それより、あの奥ゆかしくて自分のことは二の次にするメグ姉様が、初めてご自分の恋に向き合って真剣に悩まれているってことが嬉しいの!」
ナタリアが僕から離れてほうっと息をついた。
「メグ姉様には、本当にお幸せになってもらいたいわ。あの陰険なハリエット様になんか負けちゃダメよ!…エル。もちろんこのことは誰にも言わないし、私は姉様の絶対的な味方よ。メグ姉様に私が何でも協力するって今すぐ伝達魔法を飛ばしておこうかしら」
「待って。それはダメ」
「どうして?」
「伝達魔法は途中で盗み見られたり改ざんされる危険があるから。僕、明日から仕事でここを離れるんだ。だからもし姉様が何かしたくなったらナタリアに頼れるといいなって思って話したんだけど、それくらい応援してくれるなら言って正解だった」
「あったりまえじゃない。もう、疑ってたの?怒るわよ?」
「ごめんごめん。一応国家秘密だしね」
「そうね…。安易に漏らしていいものでもないし、私もただの婚約者の妹に話を聞いても何かあったら言っているかもしれないわ。これは私とメグ姉様の関係だからこれほど強く想うことだもの……。でもじゃあどうやって伝えればいいかしら」
「ちょっと待ってて。僕に考えがあるんだ」
僕はナタリアの部屋の窓を開けると、ぴーっと軽く指笛を吹いた。
そうすると、バサバサと羽ばたかせて何羽かのフクロウくんがやってくる。
「うわぁ!予想以上にいっぱい来てくれたぁ!ごめん、ナタリア、ちょっと部屋汚しちゃうかも!」
「大丈夫よ。エルといたらそんなの慣れっこよ。それにしても相変わらず動物たちに大人気なのね」
「大人気というかなんというかだけど、まぁ仲良くさせてもらってるよ…わひゃあ!くすぐったい!姿隠れリスさんもどさくさ紛れてほっぺた舐めないで!チコもなんでそこでヤキモチ妬いてるの!?お前とは最近いつも一緒じゃないか!」
「ふふ、そういうのを大人気って言うのよ」
「ありがたいことだけどねー。な、ナタリア、笑うよりもメグ姉様に手紙を書いて?自筆の手紙なら改ざんできないし、これだけ来てくれたらきっと運んでくれている子に何かあったら他の子が僕のところに異常を伝えてくれるはずだから」
僕が学生街で買ってきたお菓子の一部をフクロウくんたちにあげながら言うと、ナタリアはさっそく女の子らしい可愛い便箋と羽ペンを出し、猛烈な勢いで文字を書き綴り始めた。
そして書きなぐった手紙を僕に渡してくる。
「紙を直接つけると、濡れちゃったり引っかかったりしたときに破けちゃうから、こういう筒にいれるといいんだ。なるべく上側につけてあげてね」
持ってきていた、撥水性のある薬剤を塗って作った若竹の小筒に手紙を入れて、フクロウくんの脚に筒の皮紐の部分を結ぶ。フクロウくんは見事に片脚だけで立ち、もう一方の脚を上げて固定してくれているから着けやすい。
姉様の方はいつもこのやり方で僕に手紙を送ってくるから説明しなくても大丈夫なのだが、なまじ伝達魔法を使える人たちの方がこういう原始的なことを知らない。
この小筒が竹でできていることは結構大事なポイントだ。
手紙を傷や水から守る、という意味でいえば、鉄や石など固いもので作った方がいいんじゃないかとも思われるかもしれない。
だけど、鳥さんたちだって簡単に飛んでいるわけではない。
彼らは「飛ぶ」ために特化した体を持っていて、内臓や筋肉、呼吸器官などで他の動物たちと全く違う構造を持っている。自分の体重すらギリギリまで落として飛翔による体への負担を軽減している彼らに、重いものをぶら下げるのは酷でしかない。だから伝書を頼む場合、着けるものはなるべく軽くしてあげないといけない。
その点、若竹は鉄やら石やらよりよっぽど軽いので鳥さんたちへの負担が少ないのだ。
「あ、お菓子とか用意しておいてくれるときっと喜んでやってくれるよ」
「そうよね、ただ働きなんて嫌だものね。……フクロウさん。これからしばらくよろしくお願いしたいの。美味しいクッキーを用意しておくからやってもらえる?」
「くるっくー!」
フクロウくんたちは元気よく返事をし、手紙を結び付けられるとすぐさま暗闇の中に飛び立っていった。