27 小姓は幸せを願います。
馬車でアッシュリートン領に帰る姉様を学生街の出口のところまで送ってから寮に帰る。名残惜しい気持ちは分からないでもないけれど、殿下の別れの挨拶が長すぎたせいで当初の予定を軽く半刻分は余計に費やしてしまった。姉様のこととなると周りへの配慮が一切なくなる王子様を誰か止めてほしい。
寮に戻った時には既に日が落ちていたので、殿下に礼をし、食堂でヨンサムと夕食を取った後、僕はグレン様に礼服を買ってもらったことへのお礼を言いに行くことにした。
「僕、ちょっとグレン様にお礼を言いに行ってくるよ。無理してないか様子も見てきたいし」
「おう!気を付けて行ってこいよ」
昼の話を聞いた上で、僕は一体誰に対して気を付けるべきなんだろう。周り全部が敵に見える。
「あ、そうだ。帰るの何時になるか分からないから言っておくんだけど、僕、明日から用事で学園を空けなきゃいけないんだ。代返お願いしておいていい?」
「公務扱いだから休暇とれんだろ?」
学生は学外仕事が禁じられているが、学校受注の仕事のほか、王家が直々に認めた仕事である公務も例外的に認められている。「小姓」も公務にあたるから、その仕事のせいで授業を休んでも欠席扱いにはならない。
ただし試験時にはきっちり成績を修めなきゃいけない。鬼だ。
「ここんところ風邪やらなんやらで休み過ぎてるから取りにくいんだよ。授業全然出られてなくて……歴史とか国教とかあの辺の試験のこと考えると絶望的なんだよね……最近リッツあたりにも付き合い悪いって言われてるしなぁ……」
「そりゃ仕方ねーよ。被ってる授業のノートくらいなら取っといてやるから。忙しいのはあと半月くらいだろ?終わったらリッツたちとパーッと遊びに行こうぜ?」
「うん!とりあえずグレン様にお給金もらわないと遊びにも行けないからちゃんともらってくる!」
ノックをして部屋に入ると、大人しくベッドで横になって書類を捲っているグレン様がいた。
「グレン様が寝巻をお召しになっている……!グレン様自らベッドで裸じゃない状態でいるのを初めて見ました……!」
「来て早々、人を露出狂みたいに言わないでほしいな。あれは見せる相手がいないやつがやるものでしょ。僕には腐るほど希望者がいるから。腐敗臭が半径1キロに広がるくらいだから」
「どんな自慢の仕方してるんですか。あ、礼服の方、買っていただきありがとうございました。僕には絶対手が出せないような高級品をいただいて……」
「あぁ。せいぜい服に着られないようにしてくれればいいよ」
「へへん、僕を誰だと思っているのですか!」
「僕のギリギリ獣並みの知能を持ったペット」
「それは誰ではなく何という質問の答えであって、誰と訊かれた時は人を想定して答えるんです。そして人をペットにはできません」
「ならばお前の質問は答えの出ない究極の難問だ。それで、街は楽しめた?」
分かっているはずなのに訊いてくるあたりがいい性格をしていらっしゃる。
「『殿下は』お楽しみいただけたみたいですよ、姉と久しぶりにお会いになって」
「そのようだね。大興奮した子供みたいにさっき延々と語ってくれたから知ってる」
「じゃあ訊かないでくださいよ!」
「その苦々しい顔が見たかっただけ。それにしてもどうしてあそこまで幼くなれるのか。僕には全然理解できないな」
「恋ってそんなもんなんですよ」
「分かったような口を利くなーと思ったけど、確かにお前は経験豊富だもんね?いろんな種族に」
「先ほどから完全に僕を獣扱いしていますが、僕は人間です。相手も人間であるはずです」
「それは初耳だ」
そう言ってくすりと笑ったグレン様は、僕のチョーカーをぐいっと引っ張りご自分の方に僕を引き寄せた。
「じゃあ人間の僕にも手ほどきをお願いしようかな?」
至近距離で嫣然と微笑むグレン様は壮絶に色っぽい。可愛い顔立ちなのに色気があるって凄まじい。
このギャップでご令嬢方を陥落させていくのか……!
だが残念!僕はそう簡単には行きませんからね!
「ぐねぐねした軟体動物に手ほどきされて楽しいですか?」
「お前今自分で人間から転落したけど分かってる?そしてその答えはその答えでなんだか卑猥な印象を受けるよ」
「あなたが僕にそう仰ったのだし、それで卑猥に感じるのはあなたの脳内変換がおかしいだけです!」
「同じ発想ができたお前も十分毒されていると思うけど。そうだ。はい、これ」
ずしり、と重い袋を手に乗せられた。
中を開けてみれば大量の金貨が詰まっている。
「………これはこの金で僕の体を買うということですか!?」
「それだけの額を出してお前の体を買う人間はよっぽどの変態だと言い切れる」
「おめでとうございます。グレン様は立派に条件を満たしておられます」
「そりゃあめでたい。じゃあ今から早速一戦行こうか」
「いえいえ!病み上がりのご主人様には誰とも戦わずに是非ともゆっくり休養していただきたいと思います!じゃあ一体なんなんですか、この大金!」
「これまでの給金。フレディに言われて思い出した」
「って多すぎですよね、これ!?僕の学費二年分くらいありますよ!?」
「さぁ?僕、相場とか知らないし」
「金銭感覚狂ってますよ!」
「そりゃ狂ってるだろうね。僕は既に王家に勤めているからそっちから給金出てるし、僕個人で依頼を受けて別ルートでの収入も十分にあるし、無駄に頭の回る薄汚い古狐のおかげで資金だけは潤沢にある家は僕を逃さないためか金ばかり寄越してくるからね。………僕が金に執着する人間だといまだに思っているんだろうな。どこまで阿呆なんだか」
吐き捨てるような言葉に、グレン様はアルコット家とうまく行っていないのかな、という印象を受けた。
とはいえ僕が突っ込んでいい話でもない。
「事情はよく分かりませんが、グレン様の金銭感覚が狂っているからって僕が必要以上のお金をもらっていいことにはならないと思います!」
そう言って袋の中から金貨5枚を出して残りをグレン様に突き返す。
この国のお金の価値は、白金、金、銀、半銀、銅、半銅、劣銅の順になっていて、何十年も勤めたその道のプロの執事さんで侯爵家に仕えるレベルの方が月にもらう給金で金貨2枚ほどだ。
命を握られていることと、休日全部返上であることから金貨5枚にしたけど、それでも素人が三月半ほどでもらえる金額としては多いくらいだと思う。
しかしグレン様は不思議そうに首を傾げた。
「あげるって言ってるのに返すわけ?お前、禁欲生活とかしてるの?」
「してません。普通の感覚なだけです」
「それは普通の感覚って言わないと思うよ。金はいくらあっても足りないって言ってくるのが普通でしょ」
「我が家の方針はそうなんです。『分不相応の金は災厄を生む。金は必要なところにこそ流すべき』だって。まぁ相応以上の金なんか滅多に入ってきませんが」
「……だからお前の家はものすごく貧乏なんだろうね」
「その通りですよ。そのせいで日頃僕や姉は苦労しかしていませんが、でもそれを後悔したことはないんです。だってそれなりに幸せですから」
「貧乏なのに幸せ?」
「はい。家族がみんな笑って過ごせてます。あ、家族って父と姉と兄だけじゃないですよ?うちもこれでも男爵家ですから、領民はいます。うちは幸いにして領民が誰も飢え苦しむことなく、やりたいことをして過ごせる程度にお金を回せていますから、みんな『贅沢じゃないけど、ここに住んでてよかった』って言ってくれます。僕たちアッシュリートン家にとっては領民みんなが家族みたいなもんです。家族みんなが毎日幸せに生きている。それがあればいいと思っています」
僕が言うと、グレン様は「ふぅん、幸せ、ね……」と気のない返事をして黙りこんでしまった。
窓の外を向いて暗闇を見つめるそのお顔はどこか寂しそうで、なぜかグレン様がどこかに行ってしまうような気がする。
傲岸不遜で、唯我独尊で、いつもいつも迷惑ばかりかけてくる僕のご主人様。
命を握られたと知った時は何度死ね!と呪ったか、これまで何度ドS鬼畜野郎!と罵ったか覚えていないけれど。
それでも僕はこの人に不幸せになってほしいとは一度も思わなかった。
傷ついているときは癒してあげたいと思う。
元気がなければ元気を出してほしいと思う。
地位も権力も、魔力も知性も、美貌も若さも、何もかも持っているこの人には、お前に言われる筋合いはないって言い返されるかもしれないけれど。
僕は、この人にも幸せになってもらいたいと思っている。
「あのっ、僕、一応これでも小姓ですしっ、グレン様の幸せも願ってますから!だからあの、何か辛いことがあったら、一応聞いてさしあげますよ?」
僕の言葉に「なに上から目線で言ってるの?これはお仕置きが必要なようだね。」といつもなら言ってくるだろうグレン様は空虚な目をこちらに向けて言った。
「じゃあ僕の傍にいてよ」
言われた意味が分からなかった。
「いるじゃないですか、小姓として」
「あぁ、そうだね。じゃあお仕事追加していい?」
「いい?って質問形になってますけど、命令ですよね?早く言ってくださいよ。僕も過去のグレン様に明日からマグワイア領に行かされることになってますし」
「僕から離れないで。僕を一人にしないでよ」
そう言って、無理矢理首輪を引っ張るでもなく、頬を抓るでもなく、僕の服の裾を掴む。
…やっぱり意味が分からない。
どうしたグレン様!?これは本格的に脳みそがやられたか!?
もしかしたら僕が昨日血をあげたりなんかしたからいけなかったのか?あれが毒として働いてグレン様の脳みそを壊したのか?優秀な脳みそはこの人の唯一かつ絶対の取柄だったのに、もしかして僕、国害になるようなことをしてしまったのか!?
そうは思っても、その空っぽな瞳で一心に僕を見つめて来るグレン様に冗談でも「嫌ですよー」とは言えなかった。
「えぇと…。おっしゃられた意味も理由もよく分かりませんが、僕はあなたから離れるつもりはありませんよ?」
よっぽどのことがない限り。だって命握られてますから。あなたから離れたら僕、自動的にいつ死ぬか分からない状態になりそうじゃないですか。
辛うじてそこまでの意図を滲ませて言ってみたのだけど、グレン様は驚いたように目を丸くしてから、
「……そっか」
ほにゃ、と緊張の糸がほぐれたように笑った。
それは幼い子供が迷子になって不安で泣きそうになった時に母親を見つけて安心したときの顔に似ていて、胸の奥がきゅうと絞られるように切ない顔だった。
「あのーグレン様?どうかされたんですか?なんか今日は様子がおかしいと思うんですが、もしかして熱が出ましたか?」
「……いや。別に出てない。でも、ま、ちょっと楽になったかな」
そう言って再度僕を見たグレン様の顔は今度はいつも通りの顔に戻っていて、にたり、と口の端を上げた。
「言質はとったからね」
「……どういう意味ですか!?」
「さぁね?後日のお楽しみー」
黒い笑みを浮かべるご主人様にそれ以上尋ねることも出来ずに、「では、明日から行ってまいります」と無難なことを述べてすたこらと退散した僕は責められないと思う。