26 小姓は疑われておりました。
姉様のせいで赤っ恥をかいた後は、食べ物巡りに戻った。
花冠をした僕を見て噴出した殿下には、「今日一日奢っていただく刑」を課した。そうじゃないと翻訳は二度としないとへそを曲げたせいか、小さな子供を宥めるようにあしらわれたのは腹立たしいが、まぁ食欲優先。せっかくのお出かけだ。奢ってもらえる時は奢ってもらうに限る。現に既に大分食べられてお腹は満足してきている。
「エル、あれ食うか?」
「あれは辛いソースがついてるからいい。傷に沁みる」
「おいおい、まだ引きずってんのかよ。笑って悪かったってば。予想以上に似合ってたから笑っちまったんだって」
傷とは心の傷のことだと思ったらしいヨンサムが弁解して来る。
殿下と同じく爆笑したヨンサムとは先ほどから一回も目を合わせていない。僕だって怒っているんだからな、深く傷ついたんだからな!
「予想以上に似合ってて笑うやつなんざいない」
「男に花冠かぶせて本気で似合うなんて言ったらそれはそれで怒るだろーが」
僕は女だから笑われたら笑われたでダメージは大きいのだけど、そう言うわけにもいかず、むすっとしたまま頷く。
「なんつーの?お前、中身は図太いし豪胆だしで誰より男らしいのに、外面だけ見たら結構女っぽいだろ?顔立ちも可愛い系だし、体つきも華奢だし、声も男にしては高いしさ。それで意外と花冠も似合っちまってちょっと笑えねーなーって思ったところで、すんげぇふてくされた顔を真っ赤にしてたのがツボっただけだって。姉に逆らえない弟まんまって感じだったんだよ。ほら」
いらないと言ったのに、出店で買ってきた辛めのソースを塗ったイカの干物を渡してくる。ご機嫌を取ってくれているのは分かるので、一応その謝意だけは受け取らなければ、とヨンサムとようやく目を合わせた。
「分かったよ。次笑ったら本気で怒るからな」
「もう怒ってるだろ?」
「こんなの本気じゃないから。……あ、傷に染みるっていうのは肉体的な傷があるからだからこれはいらない。」
「なんで回復させてないわけ?どこ?俺、魔法苦手だけど、回復系だけは慣れてるぜ」
「まぁ、騎士課は生傷絶えないもんね。唇んとこ」
「んー?」
ヨンサムが僕の顔を覗き込む。
跳ねた茶髪にいたずらっぽい感じのアップルグリーンの黄緑色の目。こいつも容姿は整っているから、実は淑女課の皆様に人気がある…とナタリアに聞いた。入学したときに同室がヨンサムだと伝えたら大興奮されたのだ。
「傷なんかねーけど?」
「え?ほんとだ………気のせいだったかも。やっぱそれもらう」
言われて唇のところに触れれば、確かに切傷はなくなっていた。かさぶたの痕すらない。
僕が回復魔法をかけた覚えはないから、やったのは一人しかありえない。
あのキスの時に治しておいたんだろう。全く、あの人は一体何を目的にしてああいう行動を取るのか。嫌がらせ、治療、感謝、気を逸らすため。どれもありうるけど、嫌がらせの説が濃厚な気がする。治療だったら手で治せばいいんだし、わざわざキスする必要なんてない。
女性としての魅力は皆無のはずだ。ミミズって言われたし。だから好意は絶対にない。
もらった干物を齧りながらヨンサムに訊いてみた。
「なぁヨンサム。僕って姉様に似てる?」
「いや、全然。全く。これっぽっちも」
「そんなに強調しなくてもいいだろ!」
「だって違うもんは違うだろ。あの方は本気で段違いの美人だからな。俺から見たらレベルが違いすぎて逆に落ち着かないからそういう対象でなんか全く見られねーけど、さっきから辺りの男どもがマーガレット様をチラ見してるぜ?」
「えっ!?どこっ!?目をつぶしてくる!」
「げっ、物騒なこと言うなよ!だいじょーぶだって、殿下が殺気放ってるせいで誰も近寄れなくなってるから」
「確かに」
「俺、初対面だけど、マーガレット様はお人柄もそのご容姿も一級だと思うぜ?殿下が惚れ込まれたのも分かる。殿下が本気だってこともな。…色々大変だろうけど。お前がこのところ忙しくしてた理由も分かって俺としては納得いった、って感じだな」
「でもそれ言ったら――」
「分かってるって。ぜってぇ他言なんかしねーよ。俺も命は惜しいし。それに正直ハリエット・マグワイア様よりもマーガレット様の方がお妃様になってほしいってゆー俺の個人的な応援もあるから他言する必要もねーの」
ヨンサムがメロンとコナトという甘い木の実を絞ったミックスジュースを飲みながら言ってくれた。
ヨンサムがそう言ってくれると、弟、じゃなかった妹として僕も嬉しい。
このままいけば姉様の気持ちは殿下へ動きそうだけど、もし動かなかったら、僕は姉様を亡命させて、それからきっと殿下に殺されるだろうから僕も亡命しなきゃいけない。
亡命先では町の獣医師として働きたいなと思っているけれど、亡命者が定期の収入を得るのはなかなか難しそうだから、なんとか伴侶を見つけて結婚して生計を立てて姉様を助けていかないといけないんだよな…。
僕、そんな相手を見つけられるのかなぁ?
「な、ヨンサム」
「んー?」
「僕ってさ、需要あるのかな?男に」
「ぶっ!!!!」
ヨンサムが盛大に緑の液体を噴いたせいで仕立てのいい男物のシャツを緑に染めたので、仕方なく清めの魔法をかけてやる。
「汚いなぁ。べとべとになってるよ。ほら綺麗にしてやるから」
「お前がとんでもねーこと言うからだろ!恋愛って意味なら女の子に、だろーが!」
「いやまぁね。ただ……実はさ、僕こないだほっぺにキスされたんだよ。男に」
「はぁ!?」
嫌がらせ目的で、かつご主人様にで、それも口にだけど。そのまんま言うわけにもいくまい。
「誰にだよ!?もしかして一年上のマックス先輩か!?それとも二つ上のアリエルン先輩か!?」
「待て待て待て待て。どっからその名前出てきたの!?大体、誰、それ!?」
急き切って尋ねるヨンサムに逆に僕が慌てて問い返すと、ヨンサムはばつの悪そうな顔でぐしゃっと自分の茶色い髪を掴んだ。
「いやー…実はお前、結構需要あるんだよ。ほら、入学したときから幼い可愛い系だったし、身体測定のシャツと下着状態で、華奢で筋肉ついてねーのばれてるから実は女子なんじゃないかって周りに注目されてたんだけど。知らねーの?」
「しししし知らないっ!!」
あぶね―――――!!!
「でもさぁ、お前ぜんっぜんためらいなく服脱ぐし、風呂とか不浄場とかもふっつーに使う姿見られてるし、風呂の中で会ったやつも何人かいるって言ってたし、胸はぺったんこだし…それにもう大丈夫だ。お前が男だという、女には絶対にない動かぬ証拠は既にみなに確認されている」
悪かったな!!ド貧乳でな!!ていうかそんなに観察されてたのか!本当に危なかった!
僕の幻術万歳!風呂で頑張っておいてよかったぁあああ!
ちなみに不浄場は完全個室かつ座用なのでばれる心配はほぼない。
なぜ座用なのかって?そりゃあ、狙いが外れたときの惨事や飛び跳ねでの清掃の手間を省くためですよ。
「証明されるまではかなりのやつがお前のこと、実は女って説で考えてて、証明された時は裏で阿鼻叫喚の地獄絵図だったんだよな。それでもお前も分かっている通り、閉鎖的空間に年ごろの盛りの付いた男どもが集まっちまってるから年下の可愛い系男子に惚れる男っつーのはいるわけ。お前が男でもいいっていうツワモノもいる」
「それ死ぬからね!!毒だからね僕の魔力!!」
「分かってるって。だから襲われてねーんだろ。それがない世界で俺が同室じゃなかったらお前、食われてたぞ」
「想像するだに恐ろしい!」
「んでもって、お前が男だって分かってもそれを信じねぇ!って言ってお前を…脳内妄想に使ってるやつも一定数いるのを俺は知っている」
「うわぁ。僕は男どものオカズにされていたと。すっごい寒気がする」
女としてもそういうことに使われるのは嬉しくないし、男だと思った上で使われているとなれば鳥肌が浮いてしまう。
誰だか知らんが次会ったらただじゃおかないからな……!
「だからお前のことを弟みたいに思ってる俺からすれば心配なわけ。で、その不届き者はどこのどいつだ?」
「何のこと?」
「お前の頬にキスした不届きもんだよ!」
「あぁ!ち、……チコだよ」
「は?」
「あの子男の子だから。それにチコ以外でもさ、リスくんもアヒルくんも、わりと僕、男の子に気にいられるんだよね。もちろん女の子も甘えてくれるけどさ」
「………動物かよー。信じらんねぇ……!でもお前なら同列で扱って話とかしそうだもんなぁ!あぁ俺の早とちりだった!」
ヨンサムが騙されやすくて助かった!
ある意味、ご主人様も凶暴な獣だから間違ってはいまい。うん。
いずれにしてもそういう危ないやつらは結婚相手としては参考にならない。
「じゃあさぁ、ヨンサムは?」
「はぁ?」
「あ、僕じゃなくて。僕によく似た妹がいるとして、結婚相手としてあり?」
「いきなり何言いだしてるわけ?お前、妹なんかいたか?」
「いいからいいから。いたとしてって仮定で答えてよ」
そう言うと、
「うーん、お前とあのマーガレット様の妹だろ……?」
と手を顎に当てて真剣に悩んだ風を見せてから、こっちにびしっと指を突きつけた。
「容姿って意味でもそんなに外れないし、マーガレット様やお前の妹なら性格よさそうだし相性よさそうだし……いや結構どころかかなりストライクかも。な、それ本当に仮定の話?わりと真剣に縁談とか持っていくのはありか?」
「なし」
「一瞬で切ったなお前。本当にいたら恨むぞ」
「ないない」
だってそれ、姉様と跡取りの妹ってことで、まんま僕だから。
ヨンサムと結婚とかない、よね?
隣で「なんだよ。本当にただの仮定の話かよ。」とぶぅぶぅ文句を垂れている友人を改めて客観的に見てみる。
同じ男爵家で、家柄は合う。剣の腕はいいから将来の騎士候補としては有力で、面倒見もよくて、性格もいい。女性にだって優しいし、家族想いだ。おまけに容姿だって悪くない。…おや、こいつはわりと優良物件なのか。そうだよね、そうじゃなきゃあのナタリアがあんなにはしゃいだり、男子寮の秘密の恋愛なんて酔狂なことを言い始めたりはしない。
ヨンサムのことは友達枠でしか見てなかったけど、それは男子としての視点だからであって女子としての視点で見たら……わりといける……のか?
なに、そうなったらこいつが僕に好きとか言って、僕がこいつに好きとか言うの?
兄弟同然だって感覚、どこいった。なんかそれってこっぱずかしい。でも他の人よりは絶対いい、むしろわりと安心して任せられる……あれ?
「結婚なんて面倒だけどお前と親族になれるならありかなって思ったんだけどよ。……ってどうした?お前、なんか顔赤くないか?あ、辛すぎたのか。飲みかけでわりぃけどジュースいるか?結構甘いから効くかも。」
「い、いらないっ!気のせいだよ。こっち見んな!」
柄にもなく動揺してしまって僕はぷいっとヨンサムから顔を背けた。
そのせいで通りすがりの人にぶつかって辛いソース付きの干物をくっつけてしまい、僕はひたすら謝る羽目になった。