23 小姓は翻訳いたします。
学生街。
それは学園から最も近い場所にあり、王家の直轄地区として指定された街だ。
学生とその親族、店舗を開く身元の確認された平民、そして身元調査を受けて発行される立ち入り許可証を得た者だけに入ることが許されている。
かなり閉鎖的ではあるが、商売をするにあたり税金がかからないこと、身元の確認がされた商売人だけしか入れないこと、警備の人員が巡回していること、などの理由から他の街に比べれば安全性が高い。
そのため、元学生の貴族たちや、豪商、家で教育をされている良家の子女などお金を持った人が集まりやすく、当然落としていくお金もそれなりの額になる。
客層が高く、かつ税金もかからないわけだから儲けが出やすく、かつ他の町で支店を作るときのステータスとなることから、当然のように出店希望店は多く、出店できる店舗は国の定めた商議会によって選別されている。そんなわけで、出店にあたってはかなりの魅力ある商品が要求され、必然的に集められる物の価値も上がるという仕組みになっている。
要は、物もわりと質高なものが多く、客もバンバンお金を使うそんな街、というわけだ。
そんな学生街は、娯楽となるような屋台や店が軒並み並べられている市場街、学生たちが利用するような店舗が集められている店舗街、そして店舗街の近くに上位貴族がそれぞれ別館を建てたことからできた別館街、の大きく三地区に分かれており、今向かっているのはその別館街である。
アルコット家の別館に着くと、グレン様からの連絡が行っていたのかスムーズに通された。
「エルドレッド様。お待ちしておりました」
玄関前できっちり30度に腰を折り、優雅に礼をする執事さんに迎えられる。
殿下の姿は既に幻術で変えられているので、恐ろしいことに「グレン様の小姓」である僕が一番厚遇を受けることになってしまう。
実体はただの子供のお使い(ただし労働条件は貧民の労働者並に酷い)だと思っている僕には、こういう扱いはどうにもいたたまれない。
「あ、はぁ。お世話になります……。あの、姉はもう着いておりますでしょうか?」
「はい、マーガレット様には客間にいらしていただいております。ご案内いたします。ご友人方もどうぞ」
ひょえええ!この方はこの国の王子です!僕はただの貧乏貴族の息子……じゃなかった娘です!礼する相手を間違えてますよ執事さん!
と言うわけにもいかず、執事の方に連れられて客間に入れば、
「姉様!お久しぶりです!」
立ち上がってこちらににこりと微笑む姉様の姿があった。
今日も相変わらずお美しい。まばゆい。
姉様は僕に近寄ると頭を撫でて、それから後ろのヨンサムに目を移し、小さく微笑んで礼をした。
「ヨンサム、この方は僕の姉様のマーガレット・アッシュリートン。姉様は生まれつき口が利けないんだけど、僕のことをいつもありがとうって言ってるよ」
「あ、あぁ……!ご、ご挨拶遅れまして申し訳ありません。俺……じゃなかった私はヨンサム・セネットと申しまして、えーっと、エル…エルドレッドくんとは同室で、な、仲良くさせていただいておりますっ!」
予想通りというかなんというか、ヨンサムは姉様の美しさに圧倒されてぽけーと恍惚の表情を浮かべていた。騎士志望らしからぬ間抜け面になるのもやむを得ない。だって姉様は美の化身のようにお美しいのだから。
そんなヨンサムは突如として後ろから発せられた冷気に意識を回復させて直立不動を取った。
もちろん、自分も姉様と初めて会ったときには同じ表情をしていたことを完全に棚上げして臣下であり後輩でもある少年に嫉妬する狭量な王子様がその発生源だ。
姉様はその様子に気づいて、あら。というように目を丸くした後に、そっと頬を染めた。
……頬を染めた?
「姉様?」
僕が訝し気に自分より少し背の低い姉様をを見れば、姉様は慌てたように自分の頬を押さえている。
「姉様、この方は、僕の先輩で……」
僕が前に使った偽名をもう一度言う前に、姉様は辺りを確認して僕とヨンサムと殿下しかいない(もちろん騎士様は部屋の外で待機していたり、見えないところに護衛の方がいるのだろうが)ことを確認してから、殿下の前で臣下の礼を取った。
「……あなたは、私が誰か分かるのか?」
殿下が驚いたように姉様を見、姉様ははにかんで小さく微笑むと声の出ない可愛らしい口をぱくぱくと動かした。
「えー弟の僕が僭越ながら翻訳させていただきますと……。……立ち居振る舞いも、雰囲気もオーラも一度お会いした殿下と同じでいらっしゃいますから」
「あなたは、私がこの姿でも気付く、とそのような可愛らしいことを言ってくださるのか?」
「えぇ。見かけなど関係ございませんわ、殿下。いつも素敵なお手紙をいただき、ありがとうございます。……あ、ヨンサムさんがいらっしゃったのに……!すみません、このようなことをお話ししてしまって。どうしてもきちんとお会いしてお礼を申し上げたくてつい」
「い、いえっ。俺ももう、どういう状況かくらいは察しました。そうじゃないと命がないとエルから先ほど脅されておりますし、それが冗談じゃないと分かる程度には知能もあります。もちろん、今後の身の振り方も理解しております。このことは決して他言いたしません。主の幸せを願う騎士課学生として、セネットの名に懸けて、お誓いいたします。……どちらかというと俺はエルが女言葉で全部話をしているのが薄気味悪いと言うか奇妙と言うか……いてぇ!!」
「仕方ないだろ!!筆談でもいいけれど、それじゃあこの場では困るんだから!……うわっ分かってますって殿下!話を続けてください!翻訳しないエルドレッドなどゴミくずだ、みたいな目で見ないでくださいお願いします!」
僕がヨンサムに突っかかっている間に殿下が恐ろしい目をしてこちらを睨むので、なんとか翻訳家の仕事に戻る。
「手紙は、迷惑ではなかったか?」
「いえ、私めなどにあれほど丁寧なお手紙をいただけて嬉しゅうございました。厚かましいことを申し上げれば、いつも心待ちにしておりましたの。領地で私がなせることなどそれほど多くはないですし、私は自由に外に出歩くこともございませんから、殿下が教えてくださることはとても新鮮なことばかりでしたわ」
姉様は外に出て交渉したりすることの多い父様の仕事を手伝って、代わりに城で書類仕事をしているから、実質女領主としての仕事もしている。
それに、貧乏男爵家のうちでは姉様が外に出るときの護衛もつけられないから、姉様は自然、城に籠ることになってしまっている。
「いつか必ず、手紙に書いた光景を見せに連れ出してさしあげよう。そしてあなたに私の隣に立ってもらって共にいろんなものを見聞きできるようにしよう。その時まで、待っていただけるか?」
って殿下、それ告白!それプロポーズですよ!!
まかり間違ってもこんな臣下の別館の客間で、幻術で姿を変えているときに、後輩の臣下二人の前でやることではないはずです!
「殿下。それはいけませんわ。殿下は一国の王子であらせられます。こうして友人としてお手紙を下さるだけで、私には身に余る光栄でございますの。殿下がご結婚された後は、私と文通することはできませんわ。それまでこうしてやり取りさせていただければ十分で――」
「何を言う!」
殿下が首を横に振る姉様の手をぎゅっと握った。
「今そうしないで済むよう、どれだけ私が動いているか!私の友人が頑張ってくれているか!何より……あなたの弟君が働いてくれているか!」
「エル……」
姉様が申し訳なさげに僕を見る。
翻訳とはいえ、自分で自分の名前を呟くことほど空しいものはない。
ヨンサムが残念なものを見る目で僕を見ているのが分かるので、後で必ず食べ物を奢らせようと決めた。
「それほどまでにして、私はあなたのことを……!」
「殿下……」
「どうか、私の気持ちを切らないでほしい。私にはあなたが必要なのだ」
殿下の熱い視線を避けるように、姉様は口を閉じて俯いた。
「……考えさせていただくことは、許されますでしょうか?」
「あぁ、あなたの気持ちなしに無理矢理私の隣に置くことはしたくない。あなたが私のことを考えて下さる間に、私は後顧の憂いが残らないように自分のなすべきことをやろう。……だから今日は、ただのエルの先輩として、あなたと一緒に過ごせる時間を楽しみたい。いいか?」
「……はい」
その答えに、殿下が、恐らく他の誰にも見せたことがないであろう蕩けるように優しい表情で姉様を見、姉様が目元と頬を赤く染めながら、華がほころぶように笑う。
こちらが身もだえしたくなるくらい甘い空気が広がり、恋人のいないヨンサムが地味に精神的ダメージを受けていることはこの際置いておこう。
ただ聞いているだけのヨンサムなどより、他人の口説きとその返答を翻訳させられる僕の方がダメージは大きいのだから。
姉様のためだから我慢するけどさ。
殿下、後で僕にお菓子を奢ってくださいね。