19 小姓は行間を読みたくはありません。
グレン様が倒れてからはもう、大変だった。
まずはグレン様を寝台に運ぶところから始めた。
一瞬布かなにかに乗せて物の運搬と同じようにして引きずっていこうかと思ったけど、そのことが後でばれたらお仕置きされそうだと思ってやめた。
僕程度の実力だったら魔法で運ぶよりも肩に抱えて引きずった方が確実だから、と思って肉体労働をしたのだけど、可愛い系美少年のグレン様もあと一年で成人になる男性だった。
重い。
まぁそりゃね?この人だっていつも魔法を使っているようで、貴族男子たるため剣術や武術訓練をしているのは知っているし、イアン様も「グレンはやる気がないから伸ばそうとしていないが、センスはあるしそれなりの腕だぞ。お前はその小姓になるのだろう?小姓が主人よりできなくてどうする!」と言って僕を叱咤していたからきっとそれなりに出来るのだろう。筋肉って重い。
イアン様に武術の特訓をされていなかったらこれだけでへばっていたという確信がある。
寝台に乗せる時だって丁寧に横たえた。わざわざお姫様抱っこをして。
ぺいっ!と放置したことが後でばれたらお仕置きされそうで以下略、というのもあったけれど、さすがにおそらく魔力枯渇で昏倒している人を投げ捨てるのには僕の良心が痛んだのだ。
僕のお育ちの良さ――はないも等しいので、人の良さが出てしまったわけだよ、うん。僕にS性癖がなくてよかったね、グレン様。
それにしても人生初のお姫様抱っこをされるのではなく、する方になる、それも男性に対して、というのは予想外だった。筋肉ムキムキのマッチョなおじさんにするよりはましかも…いやグレン様だったらその辺の令嬢にするより絵になるかもしれないと本気で考えてしまった。
もちろん、考える間も、窮屈だからと言っていつも素っぱだ――こほん、生まれたままのお姿でお休みになるご主人様のために、軽くシャツの首元のボタンを外してあげて熱くならないようにして差し上げ、そこにふわっふわの高級掛布団をふんわりと乗せて、万が一目が覚めたときのためにレモン入りのお水を枕元に用意して、それに冷却状態を維持する魔法をかけておくのも忘れない。
小姓の鑑ですよ、えぇ。
それが終わったら殿下へグレン様が昏倒したことのご報告。
「グレンが……!?そうか、私が無理を言ってしまったからだな……」
「いえ、グレン様って単純にかなりの負けず嫌いだと思いますから、意地になったのもあると思います。今は寝台でお休みになられてますので、あまりお気を落とされませんよう。僕は言いつけられた仕事をこなすためにグレン様のお部屋におりますので、何かご用事あればお呼びつけください」
殿下はグレン様が倒れたことに酷く自責の念を感じられているようだったので、フォローしておく。これもグレン様の小姓として当然のことだ。
やるなら徹底的に、が僕の信条だからね。
僕の言葉に、殿下は美しい切れ長の翡翠色の目を丸くして、それから柔らかく微笑まれた。
「そうか。あいつがお前に仕事を…。お前を小姓にしたのはやはり正解だったのかもしれんな」
「そうですか。それは光栄です」
でしょう?嬉しくないけど!命握られてますからね!
「それで、お前はどうするのだ?」
「僕ですか?ですので、お仕事を――」
「いや、そうではないが。いや、いい。無理に回復させてその後今度は過労で倒れられたらシャレにならん。呼び止めて悪かったな、仕事に戻ってくれ」
「無理に回復?魔力枯渇で倒れたら休むしかありませんよね?」
「……グレンはお前に何も話していないのだな。全くあいつは。何のために小姓契約を結んだのだか分からんな」
「何かあるんですか?」
「あるにはあるが……しかしな……」
「もし僕に出来ることがあるのなら教えてください」
小姓の鑑であろうとする僕を見て、殿下は悩んだ様子を見せてから重い口を開いてくださった。
「魔力の回復は基本的には体が勝手に魔力を生産するまで待つしかない、これが普通だ。魔力を回復させたり増幅させたりする魔法薬も魔道具もないからな。これは分かっているな?」
「はい、それは基礎課の一年目で習う常識ですから、さすがに僕も分かっています」
「うむ。だが唯一小姓契約を結んでいるものたちには特別な方法があってな……。エル、お前は小姓契約を結んだ後にグレンが何をしたか覚えているか?」
「後?確か、包帯を巻いてもらって…それから死ぬかもしれない宣告をされました」
「お前、都合よく記憶を抹消しているな」
「他に何かありましたでしょうか?」
「……額に、何をされた?」
「額……?あぁああああああ!くっそう、キスされましたねあの野郎!」
「…記憶を思い返すか、グレンを罵るかどっちかにしろ。あれは何も嫌がらせだけでやったのではない。グレンがお前の痛みを和らげるためにやったのだ」
だけって嫌がらせもあったことは否定できないんですね、殿下。
それより今は先を訊かなければ。
「痛みを和らげる……?」
「小姓契約はお互いの血を混ぜる。普通、血など魔力を含んだものは、魔力のある他人…それも同性の他人にとっては毒にしかならん。お前が寝込んだのだって拒絶反応だったろう?だがそれを乗り越えれば、主と小姓の間の魔力はお互いにとって万能の薬になるのだ」
「じゃ、じゃあ、僕がグレン様に魔力を分けてあげれば回復するってことですか?」
「そうだ」
「分かりました!やってきます!」
「待て!話は最後まで聞かないか!せっかちなやつは失敗するぞ」
部屋の扉に向かいかけた僕を殿下が困ったお顔で止められる。
「そのやり方が問題なのだ…。お前は今、肉体の傷を回復させる回復魔法をイメージしているだろう?」
「はい。違うんですか?」
人体にも動物たちに対してもそうだが、治療の際には主に手から魔力を出して癒す。
手でなくてもいいのだけど、力を出すイメージは末端の方がやりやすいからね。
「違うんだ。あー。その、だな。得たやり方と同じなのだ。つまり、魔力を纏う物――まぁ有り体に言えば体液を直接摂取させる」
「……は?」
その時の僕の顔ほど間抜けなものはなかっただろう。
信じられずに訊き返した僕に、殿下が丁寧に説明してくださった。
「別にいかがわしい意味ではないぞ。主に血でやり取りされることが多い。なにせ最も与えやすいからな。ただそれに限られん、ということだ。グレンがやったように唾液でも構わん。涙や汗はダメだ。あれは魔力を纏わんからな」
「でででででもっ、僕がされたのは額ですよ!口にされたわけではありません!」
「本来は皮膚からは吸収されないのだが、あの時は契約直後でお前の魔力結界が揺らいでいたからな。分かりやすく言うなら、いろんな魔力が入りやすい状態になっていたのだ。本来は、まぁ、物を摂取しうる部位からでないと受け付けない。あー…小姓と主人が愛人関係だとか、夜のお供だとかいろんな噂が絶えんのはそういうわけなのだ。ほら、恋人に対してやるのと似ているだろう?」
「恋人は血は飲みませんがね……」
「ものの例えだ。辻褄はあっただろう。小姓契約を結ぶことの戦闘におけるメリットには、主からの魔力を補給しつつ小姓が死ぬまで最前線で戦い続けられるということもあげられるのだが……。まぁとにかく、私は今、男のお前に無理にあいつにそういう行為をしろとは言わん。だから言わなかっただけだ。聞かなかったこととして忘れておけ」
「忘れておけ、と仰るのなら教えて下さらないでほしかったです!」
「お前が教えろと言ったのだろう?」
「そうでした!ごめんなさい!では記憶を消していただけませんか?」
「私はグレンほど魔法を器用には使えん。自分が誰か分からなくなるくらいきれいさっぱり記憶喪失にすることならば可能だが――」
「やっぱり撤回させていただきます!」
「だろうな。まぁ、無理にとは言わん。だがこのままだとグレンは私の婚約発表の時にも昏倒したままかもしれぬと私もとても危機感を覚えていてな……」
「…どういう意味でしょうか?その笑顔はなんですか、殿下?」
「この状況をなんとかできるのはお前しかいないと思っていたところにちょうどよくお前が目の前にいて驚いたときの顔だよ」
驚いたら人間、笑顔は出ませんよ!普通は口を大きく開けたり目を見開いたりして間抜け顔になるんですよ。
それからまさに今来たかのように仰いますが、グレン様が倒れたのをお伝えしたのはほかならぬ僕で、その僕はさっきから一歩も動いていないだけです!
「……あのー……。はっきりご命じにならない理由は?」
「私は人の意思に反して命じるのはあまり好かんのでな。権力を笠に着たくはない。だからこれは私の心の内の願望がつい漏れ出ただけのことだ。気にしないでくれ。もう夜も遅い。子供は早く寝なさい。大きくなれんぞ」
殿下は、わざわざそう仰ってから僕を送り出した。
そうですかそうですか。
あぁ、グレン様の主も本当にいい性格をしてらっしゃる!
それで僕が動くと思ったら大間違いなんですからね!