18 主とペット
小姓契約を結んで初期の拒絶反応を起こしたエルを寮まで送り届けた次の日だった。
半月後のフレディの婚約発表までにマグワイア家を潰すためにはたくさんの根回しと布石が必要だったから、その工作に追われ、睡眠はおろか、食事すらとれないような生活をしているときに、学習塔で伯爵クラスの学生たちの立ち話がすれ違いざまに聞こえた。
「下位貴族の男子寮に魔獣が出たらしいな」
「先生方が走っていかれたのはそれだったのか」
「なんでも白いふかふかのイタチみたいなやつらしいぞ。暴れているって。魔獣は凶暴で嫌になるな。」
「それは本当?」
「ぐ、グレン・アルコット様!!」
「はいっ、本当です!なんでもようやく捕まえたから処分しなきゃいけないとかで先生方が魔封じの檻を持っていかれたので……」
「ちっ。間に合うか……?」
「グレン様!?どうされたのですか!?」
嫌な予感がして速度の強化をして廊下を走り、着いた先で見たのは、予想通りエルと遊んでいたあの白ネズミが処分されかかっているところだった。間一髪だった。
檻ごと抱えてなんとか部屋まで戻ろうとするにも体が重い。
まずいな、かなり限界が来てる。僕がもつのもあと少しかな…。
無理に重い体を動かしていると、突然後ろ首をがっしりと掴まれた。
僕に気配を読ませないようなやつなんてこの学園内じゃ限られている。
「……イアン、僕は猫ではないはずなんだけど?そこを持って引きずるのはやめてくれない?」
「こっちに来い!」
「なんで?」
「いいから!お前、ここのところ、なにも食っていないだろう?!自分がどれだけ酷い顔をしているか分かっているか!?」
「さぁ?鏡の前で自分に見惚れなくてもそれなりに利用できる顔をしていることくらいは知ってるからわざわざは見ないかな」
「全くお前は……!フレディが心配しているぞ!!」
「フレディ、フレディ。お前って二言目にはフレディだよね。もうフレディと結婚しちゃえ」
「なっ!?おっ、俺にその性癖は断じてない!これは主を一番に考えるのなら当然のことだ!だっ大体っ、フレディはマーガレット嬢が……」
動揺しまくりで少し僕を引っ張る力が弱まった。
これだから堅物は。僕から見ればイアンの方がフレディよりもよっぽどコントロールしやすい。いい意味でも悪い意味でも単純だからね、こいつ。
「ねぇ、これは新手のプレイか何か?」
イアンの部屋で強制的に食卓の前に座らされ、なぜか腰元と足首にベルトまで装着されて椅子に固定された僕の前には食事がずらり。
「お前と一緒にするな。とりあえず飯を食え」
「時間ないんだけどなぁ」
「俺もない。そろそろ出なきゃいけないからな。でもお前が食べ終わるのを見るまでは行かないぞ。困るならさっさと食え」
「はいはい、分かったよ。イアンはたまにやることがぶっ飛んでるから困っちゃうよ。…お前も出てきて食えば?エルがお前は食べるのが好きって言ってた気がするけど?」
イアンに出された食事を口に運びつつ、檻の鍵を壊してネズミが外に出て来られるようにする。
しかしネズミは警戒心丸出しで僕のことを睨んでおり、一向に出てこようとしない。
「可愛くないなぁ。僕が助けてやらなきゃ死んでたんだよ?お前。感謝してほしいくらいなのに」
「きゅっ!」
「それ、魔獣か?」
「そう、エルのね。あいつ今寝込んでいるから」
「主従共に何をやっているんだか」
放置してしばらく食べ続けていると、ネズミはそろーっと檻から出てきて皿の端っこのパンに小さな前肢を伸ばしている。
ちぎってやろうと手を伸ばしたら引っかかれた。
「うわぁ、可愛くねぇ!本当にあいつにそっくり」
「動物は人の本性が見えるっていうからな。お前は真っ黒すぎて怖いんだろう」
ネズミはかっさらったパンを全部食べて、それが旨かったのかさっきよりもう少し僕に近づいた。
「なに、まだ欲しいわけ?噂通り食い意地張ってるな、ほら。食えば?」
「……お前、エルだったら『あげない』と言うところなのに、ネズミにはやるんだな」
「あぁ、あいつにはあの方が楽しいじゃないか。恨み深そうな顔するとことか最高でしょ」
ネズミはパンの次にチーズを食べ、それから魚のメインディッシュまで食べた後に、僕の目の前まで来た。腹いっぱい食べたせいで白いお腹はぱんぱんに膨れている。
魚のソースでべとべとの口元を拭け、という意思を籠めて布巾を放ると、ネズミは丁寧にそこに顔とひげを擦りつけてソースを落とした。
それから「お詫びくらいはしてあげてもいいんだからね。」というようにふさふさの尻尾で先ほど僕を引っかいたところを撫でた。
「そうやって素直にしてると可愛くなくもないんだけど。ほら来いよ。これ着けるから」
「お前、動物嫌いじゃなかったか?」
「んー嫌いだよ?」
「じゃあなんでリボンなんかしてやってるんだ?しかも家紋入りのやつか?ご丁寧なことだな」
僕が首元に結んだリボンの匂いをすんすん、と嗅いでから、それに自分の臭いをなじませるように食卓の上でごろごろと転がるネズミ。
前に机に毛を落とすな、とエルに言われたことを覚えているのか、僕が放った布巾を口で広げてその上でだけ器用にごろごろしているんだから、なかなか知能が高い。エルより上かも。
ネズミが転がって手足をばたつかせる姿は無駄なことばかりしてじたばたする僕のペットに被ってつい口元に笑みが浮かぶ。
「もう一回事故があったら僕のペットがきゃんきゃんうるさいから。あれは僕に一向に懐かないからね。うるさいったらないんだ」
「単に懐かれるようなことをしてないからだろう。もう少し優しくしてやれば懐くんじゃないか?」
「なんで僕が下手に出なきゃいけないの。それなら苛めている方が楽しい」
「全く。お前も不器用さにかけては俺のことを言えないんじゃないか?」
「恋愛経験一切なし、童貞そのもののあんたと一緒にしないでくれる?」
「どっ!?」
「違うなら反論をどうぞ?」
「くそっ……いや、この点に関しては同レベルだぞ。お前のエルへの態度はまるで好きな相手に意地悪をする小さな子供みたいだからな」
好きな相手?
「……勘弁してよ。僕に男色はない。大体、死ぬから」
「あぁ、男はやめとけ。…エルが女だったらよかったのにな。そうしたらお前も恋とやらで翻弄されて少しはそのねじ曲がった性格も治されるかもしれなかったのに。惜しいな」
「はぁ?イアン、あんた、あそこの妙な空気を吸って頭壊れたんじゃないの?」
「恋愛をバカにしたら痛い目に遭うぞ。あのフレディを見てるだろう?」
「僕とフレディを比べないでよ。じゃ、僕はお腹いっぱい食べたから失礼するよ。ネズミ、お前もあいつのところに行けば?もう捕まっても助けないからそのでっぷりした腹で逃げる速度が落ちないようにすることだね」
「きゅうっ!」
ネズミは余計なお世話だ、というように僕の手を尻尾で叩いてから窓の外に出ていった。
全く、懐かないやつだ。可愛くない。本当に飼い主にそっくりだな、あれ。
エルは女だ。
でもだからなんだ。男だろうが女だろうが関係ない。
……でもまぁ、あいつが男だったら、抓ったほっぺとかあんなにぷにぷにしてないのかもな。あれは触っていて柔らかくて楽しい。まん丸の青い瞳に痛みと悔しさでぷっくりと透明な涙が浮かぶのも、なかなか愛らしいと言えなくもない。
そういう意味でなら、女でよかったのかもな。
どうせ短い人生だ。冗談じゃなくて、もらってやってもいいかも。死ぬまで退屈しなくてすみそうだ。
思い返した時、自分が笑っていることに気付いた。夢の中なのに、笑っている。
気分が軽くなって、それから自然に目を開けてみようとしたら不思議と簡単に目が開いて、カーテンの隙間から漏れだした朝日に目を細める。
起きたの、か。
それを少しだけ残念に感じた。生まれて初めて目が覚めたことを残念に思った。
身を起こし、少し首元がはだけているとはいえ、自分がシャツを着ていることに気付く。服を着ているということは自分で寝に入ったんじゃないな。
あぁ、えっと。僕は魔力枯渇になったんだっけ。
枕元には水がある。だけどこれ、何日前のだろうか。飲んだらきっと今日は不浄場に籠りっぱなしに……
「グレン様?お目覚めになりましたか?」
声にはっとして顔を上げると、寝室の入り口のところに灰色の頭がぴょこん、と出ていた。
「……なんでお前がここにいるの?」
「酷いですね。一晩看病した可愛い小姓にねぎらいの言葉一つないんですか?」
「一晩?今日はあれから何日経った?」
「何日も何も。まだ朝四刻くらいですよ。グレン様がお休みになったのはせいぜい五刻分くらいじゃないですか?もう少し寝た方がいいと思ったのでお起こししないで行くつもりだったんです」
僕の魔力枯渇でたったの五刻分?まさか。
男爵レベルでも一日半は昏倒する。僕くらいになると四分の一月以上起きられなくても不思議じゃない。
「だからこれも新鮮なお水ですよ。僕が冷却維持魔法をかけておいたので冷えてます。昨日いきなり倒れたから、喉が渇いたのではありませんか?どうぞ。」
僕の枕元にやってきたエルがコップに水を注いで僕に渡してきた。
冷たい水が喉を通り抜ければ、自分が喉が渇いていたことに気付いた。そしてふいに、エルの唇が切れていることにも気が付いた。
「……エル、その唇、どうかした?」
「えっ!?い、いやっ!!ななななにもありません!きっ、昨日命じられた図鑑を読んでいて、あのっ、うたた寝してっ、角で重力任せに打った時に切れちゃったんですっ!す、すみませんっ、見苦しいので退散しますっ!!」
「エル。こっちにおいで。ねぎらってあげるから」
エルは僕に声をかけられて一瞬で寝室のドア付近まで走っていった体をギギギギギと無理にこちらに向けた。本能では去っていきたい気持ちをこれに逆らってはいけないとする理性が止めて強制的に体を動かしている様子だ。
この声音で話しかけた僕に逆らえばこの後どうなるか分かっているからだ。教育的効果は素晴らしい。
「おいで。何度も言わせないでくれる?」
「うぅ――……」
笑顔を浮かべれば、とても不本意そうに、泣きそうな顔でこちらにびくびくと近寄る僕の小姓。
魔力枯渇がこれほど早く回復したこと、夢の中の緑色の光、それからエルの唇が切れていること、エルのこの挙動不審さから大体何があったのかは読めた。
くそ、フレディめ、余計なことを吹き込んだな。あとでぶん殴ってやる。
目の前に来たエルの、「ばれたばれたばれたばれた…一瞬でばれた……!」と言っているのが丸わかりの青い目をじっと見る。
でもまぁ、何があったか分かっても不思議と悪い気はしない。
他人に触れられるのは大っ嫌いだけど、こいつだったらいい。かもしれない。
「エル、目をつぶれ?」
「うわあああああああごめんなさいいいい!目は潰さないでくださいっ!僕が亡き母から唯一受け継いだ部分なんですっ!!!」
「早くしてくれない?」
「お慈悲をぉおおおお!」
そう言いながら目を固くつぶったエルの体を抱き寄せる。
あぁ、こいつ、やっぱり男じゃないんだなぁ。と、男ほど骨ばっていないその体を抱き締めながら思う。
はっとして身を固くしたエルの唇に軽く口を当て、何が起こったのか分からず硬直したままのエルの耳元で、小さく一度だけ言っておく。
「ありがとう。お前のおかげで助かった。感謝してる」
エルが大きく息を吸い込んだのが分かった。
これでグレン視点はおしまいです。グレンの人柄が少しでも伝わっていればいいですね。次からエルに視点が戻りますが、時間は13時点に遡ります。