17 主と契約
「グレン、エルを本当の意味での『小姓』にするつもりはあるのか?」
ある日、フレディに核心をつかれた。
「いや?世間的な意味での小姓でいいかなって僕は思ってるけど。従者よりちょっと上にしようかなって」
「でもお前、あの子のためにもそれはまずいだろう?お前の周りには政敵が多い。いつも命を狙われている。お前の傍にいたらあの子も同じ扱いだ。危害を加えてきた相手に『侯爵家』に喧嘩を売ったのだと示す必要はあるだろう?」
「だったら小姓契約まで結ばなくても小姓っぽい印さえつけておけばいいでしょ。誰も小姓契約の本当のやり方なんて知らないんだから」
「でも便利じゃないか。小姓契約は互いにメリットが大きい」
「フレディ、トチ狂ったの?リスクも大きいことくらい知ってるでしょ。それに、僕の『小姓』になったらあれを僕の闇に引きずり込むことになる。僕にその気はない」
「だがそれじゃあ意味がなかろう!お前が……!!」
「……なにムキになってるの。なにかあった?」
僕が問えば、フレディは怒りを隠そうともせずに僕を睨んだ。
「……この前、メグの声を、あわよくば魔力を使えるようになる方法はないかと老師に連絡を取った。そうしたら言われた。『実際に診てみんことには分からんが、それは本来の器を越えた魔力を抱えることによって起こる障害の一種じゃと思われる。それを無理に解き放つことは体の防衛本能を壊すこと。魔力が使えるようになる代わりに永くは生きられなくなるのじゃぞ。グレンのように。』とな。…お前はこのことを知っていたのか?」
あぁ、老師。余計なことを。
「――まぁ、自分のことだからね」
「なぜ言わなかった!!」
「なぜって言われても。そういう反応するからだよ。それに、それを知ったら僕をあんたの計画から弾くでしょ?」
「当たり前だ!」
「させないよ。仲間に引き入れたのはあんたたちだ。僕に抜ける気はない。大体、僕が抜けてこれからやっていけると思う?そんなに僕の役割は小さくなかったと思うけどな」
僕だって譲れない。
襟元を掴み上げられたまま睨み返せば、フレディは重いため息をついた。俯いていて顔は見えないが、僕の襟元を放す手がわずかに震えている。
「防衛本能が壊れてから何年経ってる?お前の残りの命、それほど永くないんじゃないか……?」
「あぁ、分かってるよ。別に長生きしたいなんてさらさら思っちゃいないさ。平民と貴族の娘の駆け落ちの結果だよ?一人で町一個あっという間に荒れ野原にする人間兵器だよ?こんなもん世に残したって意味はないでしょ。やりたいことをやり遂げるまで生きられれば十分」
「そういうことを言うな!私が困るんだ!」
「……あぁ、僕はあんたのブレーンだからね。でもフレディも言うほど馬鹿じゃないじゃん。十分色々考えてる。この国を変えた後、僕がいなくなってもいいくらいには」
「そんなわけなかろう!!」
フレディは怒鳴ったかと思うと小さく震える声で付け加えた。
「お前は友達なんだ……お前がいなくなったら……」
「そんな泣きそうな顔をしないでよ。仮にも王子様でしょ?エルあたりなら『憎まれっ子世に憚る。グレン様なら殺しても死にませんよ。』とか言ってくるよきっと」
「…なぁ、グレン。どうしてもエルと小姓契約をするつもりはないのか?」
「なんでそれがそこで出て来るの?」
「知らないとは言わせんぞ。小姓契約は、本来、他人の魔力を受け付けない体の免疫機能を壊して、少ない方の魔力総量を上げたうえで、主と小姓の双方の魔力を自分の魔力として再構成させるようお互いを作り変える契約だ。お前は自分を破壊する分の魔力をあの子にいれることで死なずに済む。老師にも確認した。お前が唯一助かる方法だと」
「それって要は僕と同じ枷をあいつに負わせて、あいつの寿命も縮めるってことでしょ。お優しいオウジサマがそんなこと言っちゃっていいの?」
「構わん。総量が上がるのだから、お前だけが今負っている死の期限よりは圧倒的に長い寿命期間にしかならん。それに契約で小姓側が得るメリットは他にも多くある。特に魔力量が多くなることで今までできなかった範囲の治療までできるようになると獣医師に聞いた。あれだけ獣医師を熱望しているあの子にとっても悪い話ではない。あの子にとってのデメリットは、最初の拒絶反応での死のリスクと、お前に自由と命を握られることくらいだ。お前だって拘束するのは好きだろうが」
「あのねぇ。さすがにあれに対しては命握るまではしようとは思わないよ。それに、僕に自由と命を握られるのこそが最悪だって喚きそうじゃん。きゃんきゃん喚かれたらうるさいんだよ?小さい獣ほどよく吠えるってよく言う――」
「グレン」
フレディは真剣な声音で僕を遮った。
「お前が拒むなら、私は王子として、エルに、誰か別の者と小姓契約を結ぶことを命じようと思っている」
「……どうして?」
「あの子のもつ体質だ。対獣の回復魔法がずば抜けているというだけでもあれだが、魔獣や獣にあれほど好かれることがいかに希少で重要なことかあの子は分かっていない。特に魔獣は本来的には人間のことを忌避する生き物なんだぞ。それがあの子だけには特別だ。お前レベルならともかく、高位の魔獣は普通の魔術師が数十人集まった状態と匹敵することくらい分かっているはずだ。あの子が高位の魔獣に町を破壊することを命じてみろ、あっという間に戦に突入する。軍事的に利用されたらあの子は兵器になりうるということだ。あの子の価値が露見し、他国や国内の一部の貴族に利用されることを、この国の王子としては防がねばならん」
「あれは獣に命じるのを嫌っているからしないと思うよ」
「自我を奪われたらどうする?その可能性はあるんだぞ。動物たちはエルの『お願い事』を聞いているだけだ。それの是非など考えてはおらん」
「僕が暴走して同じことをするかもよ?」
「しない。お前はあの子がいなくても暴走しようと思えば一人で暴走して国に甚大な被害を与えられる。今更そんな回りくどいことはしないだろう?」
「ふぅ。信用されているのやらされていないのやら、だね」
緊迫した空気をほぐそうと冗談交じりで言ったのに、フレディは乗って来ないまま続ける。
「グレン。私は正直、お前とエルの組み合わせがベストだろうと思っている。確かに小姓という意味ではあの子は不出来だが、あの子はお前との相性が抜群にいい。…だが友のよしみで命令はせん。お前の返事を待とう。お前が断るなら他の者を用意する」
「他の奴の小姓……それはダメ」
「なぜだ?」
「なぜって言われても――」
あれ、本当になんでだよ。僕、他人にまとわりつかれるのって嫌いじゃんか。
他の大したことないやつと契約すれば、エルはきっと永くは生きられないだろう。けれどそれに僕が同情する必要なんてない。あいつの人生だ。好きにすればいい。
……いい、のにな。
いなくなれば清々するはずなのに、なんで僕は傍に置いてるんだ?
「なんとなく、かな。僕が知りたいくらいだ」
「……お前は気づいていないんだな」
「何に?」
「お前はあの子を手放したくないんだよ。自分の下に置いておきたいんだろう」
「分からないのはその理由だよ!」
「そんなことは簡単だ」
呆れたように僕を見ていたフレディはこともなげに言ってきた。
「あの子があの子だからだろう」
「答えになってないぞそれ」
「あの子は最初から最後までお前をお前としか見ていないということだ」
はぁ?それも意味分からないぞ。
そう言おうと思ったのに、その答えですとん、と腑に落ちてしまった。
エルは僕のことを「侯爵家の息子」として見ない。エルは僕のことを「顔が綺麗だから」媚びを売ることもなければ、「魔力が大きい」から怯えることもない。
エルはあくまで僕という個人に怒り、喧嘩を売り、からかい、反発し、たまに敬意を見せ、それでいて単に友達にするように心配し、同情じゃない優しさを見せる。敬語を使うわりに、同じ目線で話をしようとする。フレディやイアンと同じように、僕のことをただの「グレン」という人間だと見ているのだ。
いや、立場上、友であるフレディやイアンだって、僕の能力や利害関係を見ざるを得ない。
そんな中、ただ唯一、なんの利害関係なしに僕を見てくれている人間、それがエルだ。
そんなあいつといる時間は、利害関係と損得を無意識に計算して動かなきゃいけない世界にいる僕にとって、とても楽で、安らげる時間で。
だからこんなにも手放したくないと、そう思ったのか。
「それで、どうするんだ?」
「…………他のやつに渡すくらいなら僕が主人になる」
「いやに早い決断だな。先ほどまであれほど拒否していたのに。本当はもう答えは出てたんじゃないのか」
「うるさいな。気が進まないのは変わらないよ。…そうだ。その要求を呑む代わりにお願いしたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「僕が責任もってあいつの手綱を握るから、この契約内容について詳しく言わないでほしいんだ。特に僕の命のことはね。それから、今回のことは僕が提案したことにしてほしい。あんたが人間兵器になりうるあいつをこの国に拘束したがったことは内緒にしておいて」
僕のお願いに、フレディは不思議そうな顔をする。
「構わんが……。なぜだ?メグがいる以上、お前の状況を説明すればより応じてくれやすくなるだろう?」
「同情されるのは真っ平ごめんなだけ。それに、それを言うってことは、マーガレット嬢の声を取り戻すことがかなり難しいと教えることになるでしょ。姉上大好き人間に突きつけるには酷いんじゃない?」
「……だがそれだとお前はただの悪者になるぞ?これ以上嫌われていいのか?契約を強制したのは私なのに」
「別に?嫌われるのには慣れっこだ。フレディ、あんたはこの国の王子で、純粋なやつらの光だ。為政者がお綺麗なだけではやっていけないことは、知る人だけが知ればいい。汚れ仕事は僕たちに押し付ければいいんだよ。僕はもうこれ以上汚れようがないくらいどろどろに汚れているからね」
「グレン……」
顔を僕から背けたフレディは、それから苦し気に笑った。
「……私はお前に嫌なことばかり押し付けているのだろうな」
「これまでのところは僕が進んでやっているだけだし、これが僕の居場所だから、気にしてない。むしろ居場所がない方がいたたまれない」
「居場所……私はお前がどんなになっても傍にありたい、と思っている」
「傍にいる、とは言い切れない正直な所があんたの好きなとこだよ」
政治の世界は魑魅魍魎が跋扈する。愚かなものや使えなくなったものを傍に置けるほど、フレディの周りは楽な相手ばかりじゃない。
こいつは頭は回るが、仲間に本音を隠し切れない正直で素直なところがあるからこんなところでも嘘がつけない。気づいてしまう僕も僕だけど。
「……そうだな。そういう意味で私は、あの子がお前にとっての光になればいいと思っている」
「光、ね。そんなものなくても僕はやっていけるけど」
「お前はお前が思うほど強くはないだろう?イアンも心配しているぞ。お前が生き急いでいるように見えると」
イアンは野生の勘が鋭すぎる。
本能的に危機を避け、物事の本質を感覚だけで正確に掴み取るタイプだからある意味一番難しく、そして羨ましい相手。僕にはどうしたってそれはできないから。
僕の小姓も同じタイプなんだよなぁ。
「あー心配性はやなこった。早く禿げちゃうよ。イアンが禿げたら世の中の女性のどれだけが泣くだろうな。それは見たいかも。さ、そうと決まればあいつを明日の朝に連れて来るよ。よろしく頼むね」
そうだけ残して僕はフレディの部屋を後にした。
せいぜいあいつの光を僕のせいでくすませないようにはしてやらないとね。
そう思いながら。
契約の時にグレンが呟いた「死すらも共に」の意味ですね。