16 主と出会い
14の繰り返しですが前半R15、残酷描写です。あと2話ほどグレン視点が続きます。
ただ言葉遣いを変え、話をし、共に過ごすだけで、僕の中に重くのしかかって僕を潰そうとしていたものが少しずつ溶けていった。あの二人がいなければ、今の僕はここにいないだろう。
自分の目的であり、あいつらの目標にむけて、僕が尽力することに何のためらいもない。
無気力だったところから、急に大きな目標と生きがいを得た僕は、ここでの自分の役割は何か探した。
一人は王子、一人は清廉潔白な騎士。でも掃除システムが整っていない国では、それだけじゃ掃除をやりきれないときもある。
ならば簡単だ。
僕は裏を担当しよう。汚くて薄暗い仕事は僕がやればいい。
今まで散々やってきたし、その道にかけては僕が一番優れている。
元来の思考力、自分が裏町で会得して来た技術と経験、王家での教育で手に入れた真っ当な知識と力、そして自分にとって枷であり、檻でしかない侯爵家嫡男という身分ですらも、彼らのために使うのなら、このために与えられた境遇だったのかもしれないとすら思えた。
時には令嬢方を誘惑して家の不祥事の証拠を握るために。時は家の名前をかけて弱小悪徳貴族を潰すために。時にはフレディや僕に仕掛けられた暗殺者を、ある者は手打ちにし、ある者は捕えて拷問した。
後悔はしていない。していないはずだ。なぜならそれが一番の近道だったのだから。
現にこの六年、未だ暴動も反乱も起こらないまま、この国は表面上の平和を保っている。
それなのに、夜ごとに魘される。
父の絶叫、母の悲鳴、真っ赤な視界。
女たちの嬌声、ふるわれる暴力、死に行く貧民たち。
断末魔の悲鳴を上げた男、僕が殺してしまったたくさんの人たち。
擦り切れもせず、飽きもせず、過去は僕に同じ体験をさせる。
夢だ。夢だ、これは夢だ。
何十回も、何百回も、何千回も、繰り返し見たから分かっている。
それでも覚めない悪夢に苛まれる。
早く、早く起きて現実に戻ればいい。
どうして今日は起きられない?
いつもなら夢だと自覚して覚醒を強く目指せば起きられるのに。
過去に囚われるから苦しいんだ。過去に囚われるのは弱いからだ。
そう思ってこれだけ力をつけたのに。
これだけ「正しくないもの」を粛正してきたのに。
若手最強と言われるほどの魔術師になったのに。
夢の中で目を固くつぶり、耳を覆い、しゃがみこむ僕は、いつまで経っても無力な十歳の子供だった。
あれは全部仕方なかった。ああしないといけなかったんだ。
もう許してくれ。
それともなにか、許しを請うことすら僕には許されないのか。
許しを請う間にまた手を汚す僕は救われないでいろと、そういうことなのか。
現状を現状のままに放置する、神様なんてものがいるなら、僕なんかよりよっぽどサディスティックだよな。
自嘲めいた時、ふいに緑色の柔らかい光が僕を包んだ。
柔らかく、優しい光が、むごたらしく血を流す僕の傷を癒していく。
返り血を浴びて汚れた僕の体を清めていく。
いつの間にか聴きたくもない声は止み、あいつの周りにいてよくさえずっている鳥どもの声と葉っぱが風で擦れるようなさわさわ、という音が流れている。
小さく目を開けると、こっちこっち、というように僕を包んでいた光の一部が僕を招く。
この弱いくせに温かくて、包み込むような魔力の主が誰か、直ぐに分かる。
お仕置きだと脅すと慌てて逃げ惑うくせに、常に挑戦的な青い目で僕に突っかかってきて、稀に、にぱっと無邪気に笑う小姓の顔が、僕の頭に浮かんだ。
あの灰色の小さい毛玉はある日突然僕の目の前に落ちてきた。
堅物イアンが内心興味津々なのを隠せないでいるのを見るのが面白くて振った話の最中に、何かが木陰に潜んでいることには気づいていた。最初は動物かと思って放置していたが、それがどうやら人らしいということに気付けたのは大分後になってからだった。
僕としたことが、とんだ大失態だった。
こんなこと今まで一度だってなかった。なんでこんな大したことないやつに僕は気づけなかった?
若手魔術師最強、という自尊心が傷つけられて大荒れである僕の内心に全く気づかずに、そいつはただもう一人の不審者を庇い始める。そしてしまいには禁忌を犯していたことを白状した。
なんだか無性に腹が立つ。
姉の縁談相手である僕を知るため、なんていうくだらない理由でそんな危険な賭けをしてたって?
なんでなにも持たない脆弱なお前が他人を庇おうとする?
どうして自分のために自分の身を守ろうとしない?今回だってこんな無謀なことをしなくてもよかったわけなのに。
苛々すると同時に面白いとも思う。
僕にためらいなく生意気な口を利き、フレディにもあまりへつらわない。言葉ではそれほどでもないが、たまに不敬そのものの眼差しで見ている。
この国の宗教をばかばかしいと思っている言動が節々に出ている。
お仕えする主を愚弄されたと思ったくそ真面目なイアンが何度も本気で切りかかろうと思っていたのに、その殺意にも気づいていない。鈍いにもほどがある。
中性的というよりはやや女顔の、言うほど悪くはない顔立ちで、男にしては骨格のしっかりしていない小柄なそいつは予想通り男ではなかった。
でも僕にとっては男だろうが女だろうが関係ない。周りと違うだけの使えない子供になんとなく興味を惹かれたから傍に置いてみた。ただそれだけだった。
そのわりにはあいつはよく耐えた。
僕があいつに意地悪するのは単純に反応が面白いから、というのもあったが、その根性や精神力、体力、魔力、機転を総合的に見るためもあった。僕がいなくなって得する人間は多いから、僕が従者程度を失ってもなんとも思わないのを分かっていない阿呆たちのせいで、僕の部下個人も命を狙われることがある。実際それで命を落とした者も少なくはない。
僕の近くに置くのが無理だったら解放してやろうと思って機会を窺っていたのに、逆に感心させられた。男でもなかなかやるな、と思うのだから、女なら猶更だ。肝の太さが尋常じゃない。
じゃあできるやつなのかと言うとそうでもなくて、とんでもないミスやら失敗やらもやらかしてくる。お仕置きを用意したら慌てて逃げ惑い、逃げられるわけもなく悲鳴を上げながらそれでも次こそは!という意欲を燃やす。
からかえば怒ってきたりつっかかってきたりする。ドS鬼畜野郎!と心の中で何度罵っているか数えたこともあった。皮肉を返してくる辺りなんて内心笑いが止まらなかった。
それでもなんとなく手放せなくなっていたに過ぎなかった。
そう思っていた。
フレディが老師に手紙を送る、その日までは。