15 主と友人
僕がアルコット家の者であるということを認め、祖父に連れられて王城の廊下を歩いていた時、僕はそいつに出会った。
「アルコット侯」
「これはこれは。フレデリック殿下。お久しぶりでございます」
「久しいな。そこの者は?私と同じくらいの若さと見たが」
「あぁ、私の孫でしてな。グレンと申します。殿下と同じ年でございますよ。グレン、この方はフレデリック様、この国の第二王子であらせられる。ご挨拶を」
前を見るのも嫌で俯いていたが、それでも命令に逆らえない僕は、顔を上げてそいつを見た。
黄金色の美しい髪に、形のいい翡翠色の目。
人の下に這いつくばって、地獄の中でもがくことなんて想像もしないだろう高貴な顔。
こいつが、貴族たちのトップ。腹立たしい。
「……初めまして、殿下。グレン………アルコットと申します」
「申し訳ございません。愚孫は長いこと賊に攫われておりましてな。言葉遣いがなっておりません。厳しく指導いたしますので、このたびのことはお目こぼし下さいますよう」
頭を強く押しつぶされる。目の前の王子とやらそれほど偉いのか。
こいつに取り入れば、この隣の男よりも上に行き、見下せるのか。
「――アルコット候。頼みがあるのだが」
「なんでございましょう?」
「その者を私にくれんか?」
「……は?」
きっとその時ばかりはあの男と僕の意見は一致しただろう。僕しか声は発しなかったが。
少年はいたずらの成功した子供のように、にっこりと微笑んでいる。
「フレデリック殿下。大変申し訳ございませんが、この者はまだまだ教育の行き届いていない愚か者でして、殿下のお傍近くに置くにはいささか力不足かと」
「構わん。なに、単にイアン以外にも同じ年の遊び相手が欲しいだけだ。貴殿のところの者なら家柄も釣り合うだろう?代わりにその者の教育などはこちらで責任を持って行わせてもらう」
「イアン――あぁ、ジェフィールド侯爵家の者ですね…殿下のお傍近くに常におられる――」
「あぁ。あの者は私の一の腹心にしたいと思っているのだ」
そいつはそこでたっぷり間を取って、それから困ったような笑顔を浮かべた。
「でも一人では心もとなかろう?遊び相手としても少し飽きてきたところなのだ。先ほど聞いた話では、貴殿の孫殿は魔力保有量がずば抜けているとか。見込みがあれば将来的に是非私の傍に置きたいのだ。どうだろう?私に預けてくれないか?」
「……えぇ、もちろんでございますとも。グレン、よくお仕えするのだぞ」
あの男は当然のように僕の意見など聞かずに僕を地に這いつくばらせてから、肩で風を切って歩いていった。
後から思えば、あの男は同じ侯爵家のジェフィールド家だけが王家と親しくすることを恐れ、この機会に王家とのパイプが欲しかったのだろうし、殿下はそれをよく分かっていたのだろう。
地面を向いたままの僕にこつこつ、と歩み寄る音が聞こえ、頭上から声が降ってきた。
「兄上の手法を真似てみたのだが、上手くいってよかった。候はああ言わんと動かんだろう?ああいう言い方に気分を害したら許してほしい」
「……あなたは僕程度の許しを請う必要などない方でしょう?」
こいつは王家、一番上に立つ者。他人の感情を気にする必要などないはずだ。そういう教育を受けているはずだ。
そのはずなのにそいつは心底不思議そうな声を出した。
「なぜだ?人の気分を悪くしたら謝るのが当たり前だろう?兄上にはそう教わったぞ。まぁ父上にはむやみやたらに頭を下げるなとも言われたが。でも使い分けを見誤らなければいいと母上には言われた。今のは間違っていないと思うが、どうだ?」
それはあまりにも貴族らしからぬ発想だった。
なんだこれ。王家はどんな教育をしているんだ?
「王家の方は…貴族の頂点であって一番高いところに立つ方々です。誰よりも偉いのではないのですか?誰かに物を請う立場にはないのではないですか?」
「何を言う?一番上に立てるのは下の者があってこそだろう?その者たちに敬意を払うのは当然のことだと父上は言っていたぞ。私は兄上と比べてまだまだ勉強不足だから、物事の是非を正してくれる真の友人が欲しいのだ。だからグレン、これからよろしく頼む」
そう言って這いつくばった僕に手を差し伸べて来る。
意味が分からない。少なくとも僕がこれまで生きてきた知識だけじゃ理解できない。
少し観察してみてもいいかもしれない。
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「私のことはフレディと呼んでほしい」
「ご命令とあらば」
「命令じゃなくて友としてなのだが」
「僕は殿下の家臣ですから」
「全く。私の周りにはいろんな意味で頑固なやつばかりだ」
僕が目も合わせずに言えば、王子は困ったように笑った。
それから僕は王家で然るべき教育を与えられた。
貴族男子として必要な諸々のマナー、ダンスを初め、武術と剣術、そして魔法を教えられた。
向こうの想定する以上のものを示せばこれからも僕がアルコット家に戻らなくて済むことは分かっていた。
今まで欠片も使えなかった魔法は、皮肉なことに僕に一番性が合ったらしく、乾いた土が水を吸い込むようにどんどん知識と技術を吸収していった。いつまで偽善者の仮面を被れるか見極めてやろうと思って、王子とは適度な距離を保って様子を観察した。
王子には幼馴染で腰巾着の騎士のイアンという少年がいたが、これがまたガチガチ頭で、僕が一向に王子に打ち解けない態度を示していたことに腹が立っているらしく、どうにもそりが合わなかった。
僕が王城に預けられて、一年経った頃だろうか。
僕は個室に呼ばれ、王子とイアンと三人にさせられた。
「グレン」
「はい」
「お前は何を目的に今生きている?」
「なに、とは。殿下にお仕えするため、じゃないでしょうか」
「グレン、お前、殿下がいいと仰っているからって言い方にも限度があるぞ!」
「いいんだ、イアン。…グレン、お前はアルコット候に復讐するために生きているように私には見えるのだが」
「……さぁ?ないとは言えませんね」
「それは、もったいないとは思わんか?」
「……は?」
「たった一人の老齢の男を追い落とすためだけに、たった一つの侯爵家に復讐するだけに、お前の若く優秀な才能を費やそうとすることは、無駄だと思わんか、と言ったのだ」
「どういう意味です?」
王子は、僕がようやく目を合わせたのを見てにやり、と王子らしくない含みのある笑みを見せた。
「私はこの国を変えたいのだ」
「……は?」
「ここはおかしい。正確には、おかしくなったのだ。この厳格な身分制度も、この男性が優位で女性は物のように扱われる世の中も、昔はよかったかもしれんがこれからの時代には合わん。他の二国が大きく国政の手法を変え、それによって国力を順調に上げているのに、わが国だけは古いままだ。こんな体制ではいずれこの国は亡びよう。お前もそう思わないか?いや、言い方を変えよう。『裏を見てきた』お前なら、そういう発想に共感してくれないか?」
「僕のことをご存知なのですか?」
「あぁ。調べさせてもらった。事故の経緯を調べる過程でな。…幸いにして兄上も父上も私と思想は同じ……逆か。私が父上や兄上と同じ思想なのだが、邪魔が多く、父上の代では抜本的改革をやり遂げることは難しい。兄上が将来的にその意思を継がれようとされているから、私はそれの手伝いをしたいのだ。そのためにも私は協力者が欲しい。有能で、本気でこの国を改革できる者が」
王子の目は真剣だ。
王子の言っていることは、きっと正しい。裏にいた人間が一番よく分かっている。底辺の生活に耐えきれなくなった貧民層が他国に亡命を試みているのも知っている。
暴動を起こそうとしていたのも何度も見た。お粗末な者たちの計画だったから結局途中で露見して潰されていたが、あれがまたいつ計画されて、いつ実行されてもおかしくない。
「……今仰ったことは正しいでしょう。でも、あなたに一体何が分かっているんです?ぬくぬくしたところでしか生きてきていない、常に守られているあなたに」
「そうなのだ、そう言われてしまうのだ。だからだな、お前に語ってほしいのだよ、お前の過去を」
翡翠色の目がじっと僕を見る。面白がっている風でもなければ、好奇心だけで訊いているわけでもない。しかし人の過去、それも色や暴力と言った世の闇の中で生きてきて、事故とはいえ大量の人を殺した僕に過去を語らせるということに、申し訳ない、という趣旨の言葉は一言も言わない。謝ることではないと思っているのか。
「――あなたのご想像よりはるかに衝撃的だと思いますよ」
「構わん。話してほしい」
いいだろう、生ぬるい湯に浸かっている王子に現実を見せてやろう。
同情されたら。可哀想だと言われたら。
僕はこいつを見切る。
そう決意して全てを語った後、王子は表情を変えずに呟いた。
「……そうか。礼を言う」
意表を突かれた。
「礼?」
「あぁ。お前は私が知りえない本当の事情を生のままに語ってくれたからな。お前がいなければ、私は机上の空論を並べ立てて終わるところだった。実際に他国を見てきた兄上に甘いと言われる理由が分かった気がする」
「俺は、お前に謝罪し、そして感謝する」
もう一人の堅物はそう言って僕に頭を下げた。
「俺はお前が気に食わなかった。なぜ殿下の傍にいてそれほど不敬でいられるのかと。でも俺の価値観はどうやら王家絶対主義の貴族思考に染められていたらしい。俺は個人の意思でフレディのために働きたいと思っているのであって、貴族だからじゃない。だから人に強要するのも間違っているのにな……。そのことに気付かせてくれたお前には、感謝する」
なんなんだ、こいつら。
「さて、それを聞いた今一度、お前に協力を求めたい。私はお前に助けてほしいのだ。私の目標のために、私に力を貸してくれないか?頼む」
上の貴族のくせに、簡単に僕に頭を下げるのかよ。
「俺も頼む。俺はフレディのために力になりたいと思っている。お前が優秀なことくらい、もう分かっている。お前がどんなに気に食わなくても根性のあるやつだということも。俺も、お前にいてほしい」
お前、僕のこと嫌いだろ。
なんで命じられてもいないのに自分から僕に頭を下げるんだよ。
わけがわからない。こいつらは僕の知っている貴族じゃない。
――あぁ、そうか。こいつら僕の嫌いな貴族じゃないんだ。
じゃあ別にいいじゃん、仲間になってやっても。
それに、あの男が自分の価値観を全部ひっくり返された時の絶望した顔を見るのはさぞかし面白いだろうな。それくらいになればアルコット家を壊すのなんか、すぐにやってやれるだろうし。
世の中は弱肉強食。まずは僕が力をつけなきゃあんな男にも、僕をこんな目に遭わせた社会にもぎゃふんと言わせられない。こいつの傍にいれば、流されるままだった僕の人生に希望の光が灯るのかもしれない。
「いいよ、協力する」
僕の返事に二人はぱぁっと笑った。
難しいことを語っていた為政者の子供の顔はどこに行った。
「……なんでそんな顔するんだよ?僕、自分の目的のために協力するって言ったんだけど?」
「それでいい!私に協力する、よりもその方がいい。イアンはその辺まだまだ十分じゃないからな」
「それはそれでいいでしょう?そういうのもあっていいはずです」
「敬語禁止!昔と同じように話してくれと私が何度言ったと思っている!」
「…………いいだろう?」
「よくできたなっイアン!」
「頭撫でるなっ!!フレディ、お前興奮してるだろ!?」
「あぁしてるさ!!だってグレンが了承してくれるとは思わなかったんだ!これほど嬉しいことはないだろう?この一年、私がどれだけこの日を待ち望んでいたか……!」
「頼むから落ち着いてくれ。俺に抱きつくな!」
まくしたてる王子とその騎士のやり取りが馬鹿馬鹿しい。
さっきまでの様子と子供っぽさのギャップについ噴き出してしまった。
「グ、グレンが笑ったぞ!見たか!?見たか、イアン!」
「そんなにアホ面しないでくれる?僕だって笑うから」
「お前、その口調の方がくだけてていいと思ったが……畏まらないとかなり口が悪いな。やっぱり丁寧語の方がよかったんじゃないのか?」
「ガチガチの堅物よりは頭も口も柔らかいからね」
「お前っ!!」
「気に食わないやつだけど、お前なら退屈しないからいいよ。かかって来な、イアン」
「言ったな!!切るっ!」
「二言目にはすぐそれだぁ。脳筋ってこれだから嫌だね。あ、フレディにも僕、遠慮せず言うから」
「あぁ!何でも言ってくれ!」
ただの主従で、ただの同僚だと思っていたあいつらとの関係はその時に変わった。
あいつらが、生まれて初めて出来た「友」なのだと、僕は後から知った。