12 小姓は見直しました。
「失礼いたします。エルです」
僕が扉を叩くと、中で移動する物音もなくかちゃりとただ鍵が開く音だけがする。
「開けたよ。入れば?」
中に足を踏み入れれば、奥の執務机で書類とにらめっこしているご主人様の姿が見えた。
その前にずんずん歩いていって顔も上げないままの尊敬すべき我がご主人様に声をかける。
「グレン様。よくも僕に生死の境を彷徨わせてくださいましたね。謹んでお礼申し上げます」
「いい口の利き方。どうやらゆっくり休めたみたいだね」
「えぇおかげさまで。いつものお仕事がなかった分休養できましたとも」
「それはこれからこき使われたいという意思表示だとみるよ?」
「構いませんよ」
僕の言葉に、ようやくグレン様は視線を上げて机の前に立つ僕を見た。
「お仕事、手伝わせてください。迫る殿下の婚約発表の夜会のためにマグワイア家のことを調査されているんでしょう?僕もやります」
「お前にこれらを読み解く力があるかどうか不安なとこだけど?」
「足りないところは今から身に付けます」
「いやにやる気があるね。気味悪い」
「どうとでも仰ってください。僕、姉様の幸せのためになら頑張れますから。それにせっかく『小姓』を手にしたんでしょう?手駒を使わないのはもったいないですよ。目的のために何でも利用していくグレン様らしくありませんし」
僕の挑戦的な言葉にグレン様の目が怪しく光った。
「……へぇ。お前を命の危険に晒したのは僕なのに、それでもそう言うんだ?」
「これまでの三月でどれだけ死ぬかと思ったときがあったと思うんですか。あんなのそのうちの一つにすぎませんよ。…それに、今回の分の代償はもういただきました」
「何のこと?」
僕はグレン様のルビー色の瞳としっかり目を合わせてから大きく頭を下げる。
「チコのこと、助けてくださってありがとうございました。殺されそうになっていたとヨンサムに聞きました」
「チコ?……あぁ、その魔獣のことか」
「グレン様、動物お嫌いでしょう?なんで助けてくださったんです?」
「さぁね。」
「僕とこの子が仲良いことをご存知だったからですよね?」
「自惚れるのも大概にしときなよ?顔の形変えるよ?」
「もうふねってるひゃないへふは!いはいいはいいはい!」
「はは、涙目。いい気味」
立ちあがって僕の前に来たグレン様に容赦なく抓られたほっぺたがじんじんする。
「大体なぁに調子に乗ってんの?お前なんてまだまだ全然使えない。その辺りの布きれレベルだからね」
「布きれでも汚れをふき取ることくらいはできます」
「……本気で言ってる?」
「はい。冗談なんかじゃありません。僕を使って汚れをふき取ってください、ご主人様」
どれだけ否定されようとめげない僕を見ていたグレン様は、ふいに机の上の書類の一部を無造作に取り上げるとそれを僕に押し付ける。
「マグワイア家は侯爵家として国王陛下に仕えている身にも関わらず、国民の血税である金を横領している。それからその甘い汁を吸おうとする有象無象から賄賂も受け取っている。そのあたりの証拠はもう既に押さえてあるし、それから商業関係についての根回しなんかも予定より早く進めた。これでフレディの要望通り半月でも潰せると思ってたんだ。…だけど想定外の事態が起こって予定が狂った」
「想定外の事態?」
「腐敗しきっていると思ったマグワイアの中にも腐ってない部分があった。どういう意味か分かる?」
「……国王陛下のためにこの事実を密告しようとしている忠義のある者がマグワイア家の中にいる、ということですか?」
「魔力総量が上がって脳の容量も上がったんだね。僥倖僥倖」
「どうしてそう憎まれ口をたたかれるんですか」
「僕の趣味。それはそうとして、お前の言った通りだよ。マグワイア家の中でも、現当主の一番下の弟はまともでね。何度も国王陛下に直訴しようとしていたらしい」
「していた?」
「失敗したんだ。当主に嗅ぎつけられてね。今はマグワイアの領地のどこかに幽閉されてる。近いうちに殺されるんじゃない?婚約発表までにばれたらまずいから早く口封じしようと目論んでいるかもね。」
「そんな!」
「それが困るから、今場所を探ってるんだよ。今のところ王家の持つ魔道具のおかげで生存は確認できているけれど、場所が掴めない」
「探知の魔法は使われて、るんですよね?」
「お前、僕のことなんだと思ってる?使ってないはずないでしょ?でもあれは、対象が魔封じの魔道具をつけられていると効果を発揮しない。魔道具の必修授業でやってるはずだけど?」
「……あれ、そうでしたっけ?」
「お前さぁ、真面目に授業聞きなよ」
「すみません、動物関係以外の授業って眠くて……特にどっかの誰かがこの三月、無茶な仕事ふったり、魔法の特訓させたり、剣の稽古させたりしたせいでへとへとになっていたんで」
「そうかそうか。これからもっと増やしてあげるからね」
なんでこんな時に幸せそうな顔するんですか、そこで。すごく真面目な話してたじゃないですか。
「まぁ今のところ分かっているのはそいつが捕まっているのはマグワイア領の北のあたり、ということだけ。くっそ。古狸め、どこまで隠れた穴ぐらを持っていやがるのか……。そいつの捜索はイアンが担当してて虱潰しに探しているけどまだ見つかってない。場所さえつかめれば一発だけど、こちらも表立って探せないから少々てこずっているんだ。見つからないと潰せないし……お前、なに呆けた顔してるの?」
「……グレン様が他人のことを思いやってる姿なんて初めて見ました……!」
「別に同情なんかしてないよ。下手を打ったやつなんて自業自得なんだからどうでもいい。僕個人にとってはね」
ニヒルに笑ったグレン様は静かに続けた。
「……だけど、王家にとっては違う。そいつが王家に何か訴えようとしていたことは結構大勢の宮廷関係者に見られていてね。……馬鹿が。面倒なこと増やしやがって」
「途中毒づかれると話についていけません」
「お粗末な脳みそだね。――まぁつまり、そいつを見捨てることは、王家への忠義の厚い者への裏切りになるんだよ。後からマグワイア家の不正を暴露するときに、王家への信頼が落ちる危険がある。そして信頼は一度崩すとなかなか戻せないから」
「常日頃他人の信頼を裏切りまくっているお方のお言葉には含蓄がありますね」
心から感心したのに、僕の頭には強烈なデコピンが食らわされた。痛い。
「お前最近調子乗ってるよね、これは一度僕のお楽しみにお付き合いいただこうか?」
「謹んで遠慮申し上げます。先をどうぞ」
「ふん、面白くないの。まぁいいや。弟を保護した後でどうするか、そこは国王陛下に進言する僕の領域だから後で考えるとして、問題は、このままだとそのお荷物のせいで婚約発表の日までにマグワイアの爵位を奪うことができないってこと。間に合わないだろうってことさ。そうなると、ハリエット嬢個人の粗を理由に交渉で断らなきゃいけないけどこれはおそらく無理だ」
「僕が聞いた話ではハリエット様はえーと、マイペースで、それからえー、お育ちが高貴で、えー芯が強くて……あー、り、リーダーシップをとられる方だと」
「ワガママで選民思想が高くて強情で唯我独尊なメス豚ってはっきり言えば?」
「最後は言ってません!」
「そうなんだ。それが問題なんだよ」
「聞いてくださいよ!」
「まぁ、そもそも交渉の余地自体設けてくれなかったしね、やつらは。例え婚約発表があった後に不正を暴露しても婚約破棄にまで持っていけるか分からない。できたらできたで、発表前に解消できなかったフレディや僕の無能が謳われるだけだろうよ。全く自分が関わらないからって好き放題言いやがって」
「途中途中で文句を混ぜないでくださいって。ハリエット嬢個人を理由に解消ということはできないんですか?」
「無理だろうね。条件にないし、それにハリエット嬢は見てて反吐が出るような女だけど、ある意味他の上位貴族令嬢とあまり変わらないから」
「もう少し他に言いようないんですか?それにしても、上位貴族のご令嬢ってまともな方はいないんでしょうか」
そんなに腐った国で大丈夫なのか、ここ。
「だから最初に言っただろ、ろくな女性がいないと。つまんないよね、もう少し賢い人がいないと国としても悪影響をうけるはずなのに」
それはこの国のシステムにも問題があると思う。
女性が宮廷職に就けないなど、この国にはいろんな形で男女差別がある。特に貴族では顕著だ。男尊女卑が徹底されているがゆえに、貴族の女性はただ単に貴族の男性に嫁いで子供を産む道具とみなされているところがある。
これには宗教上の背景がある。
この国に昔から根強く残る国教の思想の根本は、この世の万人は平等、だ。これだけ聞けば特に問題もなさそうなものだが、ここには条件がつく。
例えば、「ただし、神に愛された者たちは特別なのだ」というものだ。
神に愛されたかどうかを図る基準、それが魔力とされている。
持つ者と持たざる者がはっきり分かれ、何か解き明かされない原理によって莫大な力を作るものは神格化されやすいからだ。
これのせいで、魔力を持つ貴族は持たない平民より上の地位に立ち、平民は貴族に仕えるべきとされる。その代り貴族は平民を愛し、守るべきとはされるが、ここはきちんと果たされているとは言い難い。
そして、男女の扱いの区別についてもこの原理による。
どういうことかと言えば、男性の魔力保有量は総じて女性よりも多いのだ。これが「神は男性を女性より愛している」という解釈につながり、女性蔑視の風潮ができた、という次第。
――と、国教の授業ではなく、父様が昔教えてくれた。国教の授業は「国教すんばらしい!ばんざーい!」とする授業なので、聞いていても無駄だから寝ている。
話を戻そう。
貴族の女性たちが結婚相手として選ばれる決め手は魔力と器量。
魔力の方は変えられないわけだから、世のご令嬢方が美貌を追及することに躍起になるのも分からないではない。学問や教養を深めても意味はないのだから、それをしないのも道理だ。
それに加えて、貴族のご令嬢は平民と接することもあまりよしとされない。
だから、平民たちがどういう生活をしているのか、何が国として大事なのか、なぜ国民のほとんどを占める平民を大事にしなければいけないのかについて思い至らせることもない。
自然、ハリエット嬢のような立ち居振る舞いが当たり前になる。
「そういえば、お前の姉君のマーガレット殿はその辺の令嬢たちとは全く違う方だよね。」
「どういう意味ですか?」
「お前の家が貧乏だってこともあるんだろうけど、殿下と出歩いたときに平民に会釈をして微笑んでいたんだと。それから、話は全部筆談だったそうだが、教養も素晴らしいって言ってたよ。深い考察力と教養。そして楚々としたふるまい。……なんでお前は微塵も受け継いでいないんだろうね?本当に血の繋がった姉妹なんだよね?」
「それは僕に鬼畜の所業を強いているご自分の胸に手をあててよーくお考え下さい!」
この方がご主人で楚々となんてしてたら何度命を落としていることか。
生き残ってもお仕置きの嵐できっと一日で精神崩壊する。
「ま、だからフレディがお前の姉君に心惹かれた理由は分からないでもないよ」
そうか、殿下は姉様の容姿に一目惚れしただけじゃなかったんだ。
殿下が面食いであることはどう見ても否定できないけど。
「あ、今更姉に手を出そうとしてもダメですよ!?」
「まさか。フレディのものになんて手を出したりしないよ。今までだって一度もしていないし、これからだってそうだ」
「そうなんですか?」
「うん。僕はフレディだけは絶対に裏切らない。冗談でもなんでもないよ」
冗談めかすこともなくはっきりとそう答えるグレン様。
その真剣な眼差しがもうとっくの昔に暗くなった外の闇に向けられる。
「フレディは王太子殿下と協力して国のシステムの根本を変えようとしてる。もちろん現国王陛下も努力なさったが、古参の貴族どもが巣くう教会に足止めされているところは多くてね。それらの駆逐と忌まわしき風習の根絶を、王太子殿下とフレディは自分たちの代でなしとげようとしているんだ。僕はそのために尽力するつもりでフレディの傍にいる」
「……グレン様、お会いして以来初めてまともなこと言ってますね」
「おかしいな、僕は会ったときからまともなことしか言ってないと思うけど」
「いって!ならなんで小突かれるんですか?!せっかくさっき僕ができそうなことを思いついたのに、頭の中から消えちゃいます!」
「お前が?」
「はい」
僕は、ご主人を真似てにっと笑って見せた。
「僕にしか思いつかないことだと思いますよ」