11 小姓は乙女心が分かりません。
「ふあー。すっきりしたぁ。ナタリア様、風呂を貸してくださってありがとうございます」
「幼馴染なんだから当たり前じゃない。それよりさっきからなぁに?その丁寧語やめてよね。他人行儀でやーよ」
「はは、一応男爵位も年も上だからね、ナタリアの方が」
「もう、女性に年齢の話はタブーよ?それにしても、エル。あなた見るたびに凛々しくなっていくわね。こないだまでは儚げで華奢な美少年って感じだったのに。今は儚さと大人になりかけの色っぽさが備わってて素敵。きっと公の場に出たら女の子にとてもモテるわ?」
僕の腕や肩をぽんぽんと叩きながら楽しそうに語るナタリア。
グレン様、ミミズでも女の子にはモテるらしいですよ?
「僕程度は美とは評されないよ。美しいっていうのは姉様のような方のことを指して言うんだ」
「メグ姉様は別格よ。あれは天使の美しさ。比べる方が間違ってるわ」
「うーん、日頃そのレベルの人たちに囲まれて過ごしているから褒められても実感わかないなぁ。女子としてはどう?」
「残念だけど、日々遠ざかってるわね」
歯に衣着せないナタリアが笑顔できっぱりと答えてくれた。
わーい、やっぱりね!――こうなったら将来はお嫁をもらうことを真剣に考えてやろうか。
「そうだ、メグ姉様と言えば。最近外に出る機会がおありになったの?」
「え……うーん、まぁ。あったといえばあったと思うけど。」
「ほんと!?メグ姉様にはまだ縁談は来ていないわよね?」
「え、うん、まぁ」
あの様子では時間の問題だけど。というのを僕が心の中で付け加える間にも、ナタリアは「やっぱりね……ふふふ……」と、急に生き生きと目を輝かせる。
「なんで?」
「ほら、私、ユージーンが年下でしょ?そのせいなのか、メグ姉様からのお便りで自分が相手の男性よりも年上であることをどう思っているか、って訊かれたのよ!!こんなの今まではなかったわ!これってきっと、恋愛相手としての男性ってことでしょ?いえ、それ以外にないじゃない!」
「あぁ…って、えぇ!?それ本当!?」
「なになになに!?もしかしてお相手に心当たりでもあるのっ?」
「い…いや、そうじゃなくてっ、その…ほら、僕がいない間に姉様に悪い虫がついたらまずいなぁって。そうでなくともアルコット侯爵様主催の夜会のご招待を辞退しちゃったでしょ?姉様の幸せのためにはやっぱりいい人とって、ね?」
「そうねぇ。あのグレン様の夜会にお呼ばれになったのに…残念よね」
いやいや、それは最大の幸運だったと思うよ。あの鬼畜悪魔の妻とか考えるだけで恐ろしい。
もし状況が違っても、僕がありとあらゆる手を使って姉様が夜会に行くことを防止するつもりだったし。
まぁドS鬼畜の代わりにある意味とんでもない虫がついちゃったんだけど。
「そ、それで?ナタリアはなんて答えたの?」
「関係ないって答えたわ」
「関係ない?」
「えぇ。私たち貴族の女性の人生は、誰に嫁ぐかでほぼ決まるわ。それも大体は政略結婚だもの、こちらの意思なんて何にも関係ない。恋も愛も知らない間に結婚が決まって、知らないまま人生を終える人がほとんど。そんな中で好きな相手と恋愛できるってとても幸せなことだと思わない?そんな時に年上だ年下だなんて関係ないわ」
ナタリアとユージーンは親同士が決めた婚約者同士ではあるけれど、実は恋愛で結ばれている。物心つくころから三人で駆け回って遊んでいたはずなのに、いつの日かナタリアがユージーンのことを男子として、ユージーンがナタリアのことを女子として見ていたと知った時はびっくりした。
二人の婚約を父様に聞いて、二人をからかったことが原因で初めて「実は」話として打ち明けられたのだ。ずっと一緒にいたのにそんなことには露ほども気づかず、なぜか仲間外れになった気がしてしょげてしまったのは懐かしい思い出になっている。
卒業義務のあるはずの学園に入学することを妹の僕に押し付けて(ウィンウィンだからいいけどさ。)各地を回っている不肖の兄・ユージーンのことを想い、そっと頬を染めるナタリアの今の顔は恋する女の子の顔だ。
可愛い。とても可愛い。
「あ、まぁそりゃあ、メグ姉様が貴族である以上、恋のお相手かもしれない方と結ばれるかは分からないわ。でもあのお義父様ならもしかしたら、メグ姉様のお気持ちを考慮してくださるかもしれないじゃない?」
どうだろう。もう一人の娘にはミッションインポッシブルを押し付ける人だ。いや、一方で僕の無理なお願いのために力を貸してくれてもいるんだよね。娘の幸せを祈っているのか祈っていないのかよく分からないのがうちの父様だから、期待はしない。
いずれにせよ、殿下からその申し出があればうちが断ることは国外逃亡でもしない限り不可能だ。姉様と殿下のご結婚は障害がなければ、ほぼ確定事項ということになる。
……待てよ?
もろもろの障害事項は殿下や我が鬼畜ご主人様方によっておそらくは消されるだろうけれど、姉様はそのことは知らないから、ご自分が殿下と結婚するとは思っていないはずだ。
それなのにどうして殿下がご自分より二歳年下であることを気にしているのだろう?
「ねぇナタリア。まだ縁談がないのに、そういうことを訊くのはどうして?」
「もう、エルはそういうところほんっとに鈍いんだから」
ナタリアはくすりと笑って答えてくれた。
「そのお相手の方に自分がどう想われているかが気になるからよ」
それから世間話をし、さりげなくハリエット様の周辺事情を聞いてから、僕はナタリアの部屋を出た。
森を通ってやってくる動物たちの相手をしながら先ほどの話を考える。
僕にとって、四歳離れた姉様は、僕と兄様を産んだことが原因で体を壊され、僕たちが三つの時に亡くなった母様代わりだった。
貧乏男爵家のうちには使用人もほとんどおらず――正確には乳母と料理人一人と執事のお爺ちゃんの三人しかいなかった――父様は仕事があったから、僕たちのしつけは必然的に姉様の仕事となった。
生まれたときから口が利けず、魔法も使えない姉様が、やんちゃばかりしていた僕と兄様のお世話をするのは苦労のいることだったと思う。
でも姉様はその表情と口の動き、それから全身を使って、やってはいけないこと、やっていいこと、そして何が大切なのかを教えてくれた。
悲しいことがあったときは静かに抱きしめて背中を撫でてくれる。嬉しいことがあったときは可愛らしいえくぼを作って微笑んで一緒になって喜んでくれる。何かを達成したときにはよくやったわね、と言うように優しく頭を撫でてくれる。熱が出たときには、つききりで看病してくれた。魔法の使い方を学んでいないのにそれで遊ぼうとして怪我をした僕たちを怒るときには、声が出ない代わりに手を上げることもあったが、その後にぶった頬を押さえて姉様が一番辛そうに涙を流した。
姉様は自分のやりたいことを全部犠牲にして僕と兄様を育ててくれた。
あれだけの美貌を持ちながら、外に出ることもほとんどなく、恋をすることもなく、読書や刺繍をしながら、僕たちを見守り青春時代を使ってくださった姉様には感謝してもしきれない。
だからこそ、僕と兄様には姉様の幸せを一番に考えよう、という共通の目的がある。
そして、僕としては、願わくば姉様が殿下と恋に落ちますように、と思っている。
この国は一夫多妻制は採っていないが、貴族の男子ともなれば外に「遊び相手」を作ることなんてざらにある。それで妻が傷つこうがなんだろうが気にしないような輩も多い。
それに引き換え、殿下は生真面目で誠実なご性格をしている。そして、殿下の王位継承権は今は二番目だけど、王太子殿下にお子様が生まれれば優先権が移るわけだから、殿下ご自身が絶対にお子様を作らなければいけないわけではない。
それらを考えるに、殿下はご結婚されたらきっとお妃様を大事にされる。好きになった相手ならば猶更、全力で守ろうとされるだろう。
あの方に大事にされれば、きっと姉様は幸せに生きていける。
そして僕は、姉様の幸せのためならなんだってやれる。あの父様の命を受けて虎の穴に行けたくらいなんだから恐れるものはない。
「……よし。今から行くか、虎の穴!」
誰に言うでもなく夜闇に小さく響かせた言葉に、ポケットに入っていたチコが「きゅう!」と返事をしてくれた。