1 小姓に任命されました。
短編とほぼ変わりません。変更点は以下の通り↓
グレン、イアン、ハリエットが侯爵家に。
口調・表現の微調整。
ほんの少しだけ表現追加。
誤字脱字直し。
※2016・9・24 改行等改稿済み
突然だが、僕は今、学園の中庭の木の上で、和やかに談笑している三人の男子学生の様子を窺っている。
「なぁエル、こういうのはまずいんじゃねーの?俺たち狙撃衆と間違われて殺されたりしねーの?」
「しっ、黙ってヨンサム。ばれたら殺されるか、よくて監獄行きだから!」
「そんなとこに俺を巻き込んでんじゃねーよ!」
「仕方ないだろ。ヨンサムにも姿隠しの魔法で協力してもらわないと、僕だけじゃ一発でばれてお終いなんだもん」
「おいっ、これ、俺になんのメリットもねぇよな!?な!?」
「第二王子を見に行くって言ったらひょいひょいついてきたじゃんか」
「それは騎士志望だからだよ!将来お仕えする予定のお方を一目近くで見ておきたいと思うのは騎士志望者の性ってやつだろ!?こんな、ばれたら即命すらも奪われそうな覗き見をすることは予定してねーよ!」
「まぁまぁ。死なばもろとも。僕らは友達だろう?」
「お前と俺は死すらも共にするほどの仲ではなかったと思うんだけどなぁ、俺モガっ!」
「うるさいから黙ってとりあえず」
隣でわめく悪友を黙らせつつ、僕は、第二王子殿下――ではなく、その傍に控えている一人の男性を注意深く観察している。
そのお名前はグレン・アルコット。正式なお名前は長いし、ここでは不要なので割愛する。大事なのはアルコット侯爵のご子息だ、ということ。
トパーズ色のさらさらとした髪、ルビーのように燃えんばかりの瞳の美男子で、将来はお父上を継いで侯爵家ご当主になられる。ゆくゆくは筆頭魔術師の地位に就かれるのでは、とも囁かれるほどに魔力が高く、頭脳明晰なお方である。
なぜそんなお方を観察しているか。その理由は三日ほど前に遡る。
「アルコット侯爵のご子息に縁談の申し込みをしたぁ!?父様、なに大それたことしちゃってんの!?」
「いやーメグは美しいだろう?メグの幸せのためにはいい家に嫁がせたいと思ってな?それで出してみたのだよ。出すのは自由だろう?」
そう言って姉様の頭を撫でる父。
いや、自由じゃないよ。男爵程度の家柄のもんが侯爵家にそんなもん出すこと自体大それてるって。ちょっとは世間体ってもんを考えようよ。
「まぁそりゃあ、無視されれば問題はないけどさ……」
「それがだね、絵姿を出したところ、向こう様が興味をもってくださったらしく、夜会に招待されたのだよ!」
なんだってぇ!?
「そりゃあメグはアデラに似てこれだけ美しく、気立てがよく、そして何といっても魔力保有量がずば抜けているからな!」
父様が、あんぐりと口を開けて固まる僕を見て、椅子に腰掛ける姉様の隣でぶわっはっは!と笑っている。
そりゃあ我が姉様、マーガレット姉様――愛称メグ姉様は美人だ。
蜂蜜ブロンドの腰まであるウェーブがかった髪に白い肌。小さなお顔にはコバルトブルーの大きな二重の目とすっと通った小さな鼻とピンク色に色づくぷるぷるの唇。笑うとえくぼができる。亡き母様譲りの誰もが認める美人だ。そんじょそこらの令嬢なんて足元にも及ばない。それに加えて、姉様は男爵家では考えられない莫大な魔力を保有する。
そうそう、この世界には魔法がある。魔力というのは生まれた時にその保有量が決まっていて、かつ遺伝式。貴族である、すなわち男爵以上であるためには一定の魔力量があることが必須要件となっているのだ。
姉様は元伯爵家のご令嬢で、駆け落ちして父の下に嫁いだ母の素質を色濃く受け継いだのか、その保有量が男爵家の平均を大きく上回っており、伯爵家レベルはあると言われている。これだけならば、家格でいえば雲の上の存在にあたる侯爵家に嫁入りする資格があるとも思われる。しかし。
「でも父様。分かってるでしょ?姉様は確かに莫大な魔力を持っているけれど、それを使えないって」
姉様は持つ魔力が莫大すぎて、それを使うことができないという障害を負ったお方だ。この障害が子供に遺伝する可能性がない、とはいえない。そのせいで、姉様は、結婚適齢期の男爵家令嬢でありながら社交界デビューすらせずに領地でひっそりと暮らしている。普通だったら大量に縁談が舞い込みそうな条件にもかかわらず、一つの縁談も申し込まれていなかった。
「分かっているとも。だがそれはあくまで可能性の話だろう?」
「そうだけど。でも侯爵家が相手でそんなことがあったら、嫁いだ後に姉様が無体に扱われる可能性だってあるんだよ?それに最悪、こっちの家が取り潰されかねないから兄様だって困るじゃない。ね、やめとこう?」
男爵家には男爵家にあった家柄がいい、そう勧めたつもりだった。
「ほう?お前は姉の幸せを願わないのか?お相手はあのグレン様だぞ?」
「姉様の幸せを願うからこそ、だよ。そりゃグレン様は見目麗しい貴公子として今婚活中のご令嬢の注目を一身に集めるお方だよ?でもあの方って色々黒いところがありそうじゃない?なんか胡散臭い。大体、将来筆頭魔術師になろうかって方だよ?そういうイメージ操作得意そうじゃん。姉様は嫁ぎたいの?」
僕の質問に、姉様が困ったようにこちらを見た。
残念なことに、姉様は、その莫大な魔力を維持するためなのか、生まれつき口も利けない。
それでも血の繋がった姉妹だ。言いたいことはその表情だけで全て通訳できる。
貴族として父親が命じるところに嫁ぐのは定め、それでも不安は尽きない、というところだろうか。
「その夜会の時に初顔見せになるのだよ。メグはこれまで表舞台に立ってこなかったからな、少し遅いデビューというわけだ。それでだね、お前にはやってほしいことがある」
とてつもなく嫌な予感が背中を駆け抜けた。ねばついた嫌な汗でシャツが背中に貼りついている。
逃げ腰の僕の後ろ襟首をがっちり掴んだ父様は、満面の笑顔で言ってくれた。
「お前にはグレン様がどのような色、物、タイプの女性がお好みなのか、予め探ってきてもらいたい!」
あぁやっぱり。
「と、父様……無茶言っちゃいけませんよ。グレン様は僕とは違う塔にいらっしゃるし、そもそも第二王子殿下の幼馴染として常に一緒にいらっしゃるんだよ!?一番下のクラスで二学年も下の僕がお目通り叶う方じゃないのくらい分かってるでしょ?」
「無茶?お前は誰のおかげであの学園に通えていると思っているんだ?」
「そりゃあ偉大なる父上様のおかげですとも!貴族男子として当然でしょう?学園に通うのは」
「貴族男子。そう言うのか、お前の名前を今ここでちゃんと言ってごらん?」
「エルドレッドです」
「『エレイン』。お前の性別は男だったのかい?」
「確かそのように登録されていると思いますが?」
「そうだね、登録上は。さて、お前の本当の性別は?」
「……女です」
そう、僕は女だ。
「そうだ。そして娘であるお前を『男子』としてあの学園に通わせているのは誰だい?」
「……お父様です。はい」
「そうだ。それがどれだけ大変か、分かるかい?」
大変なのは女子であることをばれないように全力でフォローしてくださっている姉様と、学園の淑女部門に入られている、双子の兄様の婚約者のナタリア様であって、父様は特に何もしていないと思う――という思考を読まれたらしい。
普段ちゃらんぽらんな癖にこういうところは勘が働くのが困ったもんだ。
「どうしてお前が『男子』としてあそこに通っているか、言ってみなさい」
「……僕が『貴族男子しかなれない』宮廷獣医師になりたいと言ったからです。そのために小さい頃から僕を男子として訓練してくださり、ありがとうございます。最近では僕も不浄場と風呂と月のものの時にならないと自分が女子であると忘れているくらいです」
「そうだよなぁ。それだけ苦労をかけているんだ。少し恩返しをしようとは思わないかい?」
「……分かりました」
女子が男子として詐称して学園に通っていることをちらつかされた時点で僕の圧倒的不利。
完全な負け戦だった。
そんなわけで、僕は父様から命じられ、四分の一月後にある侯爵家の夜会に備えるべく、グレン様の情報収集をするために木の上にいるというわけだ。
情報収集のためにそんなところにいる必要ないって?甘い、甘いですよ奥さん。
僕は今年十五歳だが、グレン様は十七歳。学園には十三歳から十九歳の子息が通い、最終学年ともなれば家業の方に精を出されるので、学園に来られるのは半分ほどになるとはいえ、それなりの人数が所属する。当然、学年ごとに教育塔が分けられている。
それに加えて、学園は階級と能力によってクラスが分けられ、授業もクラスごとに行われる。そして、騎士志望のずば抜けた実力のある選ばれた平民と、僕たち男爵位の生徒たちは一番下のクラスに割り当てられている。つまり、僕やヨンサムのような男爵位あたりでは殿下や侯爵家の方々のお傍近くに寄ることさえできない。
そういうわけで、こうやってお忍びで敷地内の辺境伯家以上の方々のいる上位貴族の塔の傍まで来て覗き見しているというわけ。
僕たちが潜む木陰から少しだけ離れたところにいらっしゃるのは、その辺に潜んでいる護衛の騎士を除けば、グレン様の他にお二人。
お一人はフレデリック殿下。言わずと知れた僕たちの国の第二王子であり、御年十七歳。黄金の髪と翡翠色の目が美しいが、婚約者もいらっしゃることだし、令嬢たちからは憧憬のまなざしで見られるにとどまり、表だって色めき立たれることはない。ちなみに王太子殿下は二十四歳であらせられ、既に学園を卒業していらっしゃるので、フレデリック様がこの学園での最高権力者だ。
もうお一人はイアン・ジェフィールド様。こちらは代々王宮付きの筆頭騎士を任ぜられる名門ジェフィールド侯爵家のご嫡男だ。生真面目でつねに冷静沈着だと名高いこの方も黒髪に白皙の美貌で世の令嬢たちの注目を一身に集めている。
しかし、そのお三方が、十七歳健康男子なんだなぁと思われるような猥談を延々してくれたら僕だってそろそろ帰りたくもなる。
「エル、お前さぁ、その、大丈夫なわけ?こういうの聞いても」
「は?何が?」
「……ほら、不浄場に行きたくなったりしないわけ?」
「別に」
「だよなぁ!お前はそうだもんなぁ!」
「そうってなんだよ、失礼な」
うるさいのでつい横を向くと、目があったヨンサムは近くにいるはずの僕を遠い目で見てきた。
「……ま、頑張れよ。お前も貴族のはしくれなんだし。てかさ、そろそろ本格的に治療とかした方がいいんじゃねーの?」
「余計なお世話だよ」
頑張るも何もないよ。だって僕は女なんだから。
五歳の時から宮廷獣医師になりたいと公言していた僕を、父様は男として育ててくれた。男爵家を継ぐことになる双子の兄様と同じ教育を施してくれたのだ。
要は育て方が男子式だったというだけで、自分の性別が女子であることは自覚していたので「心は男、体は女」という苦しみは味わっていない。その代わり、女性としての体格の違いなどは全く考慮してくれなかったから、苦しいことは多々あったけれど。
そうして僕は十三歳で入学した当時から学園に「男子」として登録されており、僕が女だと知っているのは家族を除き、この学園ではナタリア様だけ。
これでこの二年間ばれていないのは、僕がいる寮の部屋が女子寮と近く、協力者であるナタリア様のところに行って風呂やら何やらを貸してもらえるからだ。
そして幸いにして僕の顔は、姉様が母様似であるのに対し、父様似だ。母様の美貌をカケラも受け継げなかったのは僕にとっては悲しさ半分、嬉しさ半分、と言ったところか。
それは顔だけではなく、体型もだ。母様や姉様の何十分の一だろうか、と考え込みたくなる胸はおそらく「さらし」なしでも一瞬だったらばれない程度のド貧乳だし、僕は騎士課ではないから、体格が貧弱でも疑われにくい。女子の服を着ると「女顔の男が女装をしている」と兄様に評されたくらいだ。はは、悔しくないぞ。
まぁ、そういう環境下で育ったので、僕は男社会で生きてきたわけだ。
当然、お年頃の女の子たちが恋愛談義に花咲かせるのと同じように、年頃の男どもが猥談で盛り上がることくらい嫌と言うほど見てきたし聞いてきた。今更何を聞かされようとも動揺なんて全くなければ不快感すらない。とはいえ、興味もないし、反応もしないので、仲間内からは「不能」なんていう不名誉な称号をつけられた。
だから今だって姉様が聞いたら卒倒しそうな話を平然とした顔で聞き流せる。
イアン様はむっつりすけべかぁ、とか、殿下もお世継ぎ候補をこさえなきゃいけないから練習とかあるんだなぁ、とか、その程度。貴族だから仕方ない。
問題なのは、話を振ったグレン様が全くご自分のそういう経緯を話さないことだ。話しぶりからして経験豊富そうなのだけど、一切具体的な好みなどを話されない。これじゃあ情報にもなりゃしない。
「それにしても暇だな」
「殿下、剣の稽古でもなさいますか?」
「イアンは堅い。三人の時はそんなに堅苦しい言葉を使わないでほしいと私は散々言ったはずだが?」
「ですが殿下は第二王子であらせられます。それも、間もなく成人となられる御身です。幼き頃はともなく、この歳にもなれば、私などが軽い口調でお話しすることなど許されないと申し上げているはずですよ。そろそろ改めませんと」
「はぁ……グレン、なんとかこいつを説得しろ。私が何度公私の区別がつけられれば問題ないはずだと言っても聞く耳を持たんのだ」
「フレディ、この程度の石頭を説得できないようじゃ、この後のあんたの未来はないんじゃないかな?」
「グレンは敬意の欠片もなくて助かる。畏まりすぎる城でははほとほと息が詰まるからな、お前のような常に無礼講な存在は貴重だ」
「僕は場を見極めているだけだよ」
グレン様へさらりと嫌味を仰った後、殿下は、にっこり笑顔でイアン様の方を振り返られた。
「イアン、それ以上三人の時に殿下呼びに敬語使ったら、お前のことは今後一切信頼しない。それでもいいなら続けろ。グレンは公的な場で慇懃無礼でなければ許す」
お三方が小さい頃から幼馴染として育っていることもあって、気の置けない友人同士だという話は本当らしい。イアン様は苦虫を噛み潰したような顔をなさってから、渋々言い直された。
「ではで……フレディ、ハリエット様にお手紙でも書いたらどうだ?」
ハリエット・マグワイア侯爵令嬢は殿下の婚約者様のお名前だ。
ようやくまともな女性の話に転んでくれそうでありがたい。あわよくば好みの色とか、贈り物とかそういう話は出てこないかな――と、期待したのだが、殿下はつまらなそうに顔を顰めた。
「ハリエット嬢か……彼女とはあまり話したくない。父上に解消を申し込んでいるところなんだが、うまく行くか……」
あれ……もしかして、これ、第二王子の婚約解消疑惑が浮上してるとか!?
これが世間に知られたら大波乱が起こる。こんな前情報を入手してしまったら、例え狙撃と誤解されなくても殺されるかもしれない。
「お前がそこまで言うのは珍しいな。なぜ嫌いなんだ?」
「会えば香水の匂いがぷんぷんまとわせて必死で媚びを売る。しかし、話題といえば巷で流行っている劇や俗物的な小説のことばかり。女性とは皆そういうものなのかともの悲しくなるのだ」
「全く、そんなことくらいでフレディは。手紙くらい書いてやれば?」
「珍しいな。グレンが女性に優しくすることをほのめかすとは。どういう趣旨替えだ?」
「替えてなんかいないさ。前から僕は言ってるはずだよ?」
グレン様がにっこりと笑って殿下をいなしている。
そうですとも、殿下が女性嫌いになると万が一王太子殿下にお世継ぎが生まれなかった時に困るのだから、しっかりしてもらわないと。この国がなくなったら宮廷獣医師って仕事だってなくなっちゃうかもしれないもんね。
それにしても、グレン様は意外と女性に優しいのかも。
よかったよかった、さて僕たちはばれないうちに撤退しておこうかな。さっき切り札のリスたちも行っちゃったし。
「女なんか適当にその場その場で転がしておけばなんとかなるって」
お?
「アメとムチだよ。マグワイア家はまぁ大したことないけれど、揉め事は起こさないに越したことはないでしょ?これから婚約解消をするなら、今後マグワイア家が謀反を起こすことがないように適当に穏当な布石をうっておいた方がいいんじゃない?」
「グレンは相変わらずだな」
「そりゃね。上手く生きていくに越したことはないよ。それにしても、歴史は女が動かす、ねぇ。はは、笑っちゃうよ。上から下まで、僕が相手しなくなったら地べたに這いつくばって泣きつくような根性なししかいないのに。歴史が間違ってるのかな?それともこの国にろくな女性がいないのかな?イアンはどっちだと思う?」
「グレン、笑顔で言うのはよせ。怖すぎるぞ」
「まぁいいんだけどね。僕としては泣き顔見るのは楽しいし?最近どいつもこいつもあまりに張り合いがなくてつまらないなって思うだけ。ここは新たな扉でも開けてみるかな」
「それはやめとけ」
ちょっと、待て。この男もしや……
「そうだ、グレン。お前のところにもそろそろ令嬢たちからの縁談申し込みが来ているんだろう?誰か選んだのか?」
「この話の流れで訊く?そりゃ、今後一番政情に有利な相手を選ぶよ。ただそういう相手だと苛めると問題がありそうだから、他にも適当に遊び相手を見繕うつもり。どちらにせよ、まだ僕は自分で身を切るつもりはないんだ。結婚なんて墓場を掘るほど僕は簡単には追い詰められないよ。今は追い詰めようとしてきた相手を蹴散らすのが一番楽しい。結婚を迫ってくる位そこそこの令嬢と親を上手くあしらって他の奴と結婚させたときのあいつらの絶望した顔ときたらぞくぞくするからね!」
こいつ!!ただのドS鬼畜野郎じゃないか!
この話によれば姉様が妻として選ばれる可能性は低いけれど、でも、もし遊び相手として選ばれてしまったら……!
この性格の歪み具合からいって、きっと、相手も遊びと割り切っているような女性なんて選ばないはずだ。選ぶなら純情な相手を選んで「君だけを愛している」とか言ってたぶらかし、そして最後には突き落とす。男社会で暮らしたくさんのダメ男を見てきた僕の予想は、こういうときに限ってなかなか外れないから、純粋な姉様が遊び相手として選ばれる可能性は高い。
これはまずい!
「よ、ヨンサム……まずい、まずいよ…このままじゃ姉様が……!」
「あぁ?お前の姉君ってゆーと、深窓のご令嬢マーガレット様だよな?あ、そーだ。お前、こんな危険なことさせてるんだから、マーガレット様の絵姿くらい見せろよ」
「やだよお前なんかに見せたら穢れる」
「俺に協力を申し出てる身でよく言えたなおい!」
「とにかく、そろそろ僕たちも退散――」
「さて。そろそろその辺のネズミにも出てきてもらおうかな。ばれてないと思って有頂天になってるところを叩き落す、これが楽しいんだからさ」
「!」
「うわっ!?」
浮かれた口調に見合わない地獄から響くような声が聞こえた途端、僕とヨンサムは急に見えない手に押しつぶされるような上からの重みを感じて地面にたたきつけられた。
「ってて……ひっ!?」
落ちた途端、隣でキィン!とすさまじい金属音が鳴った。
ヨンサムが剣でイアン様の長剣をギリギリのところで押さえた音だった。
「ほう?貴様、俺の剣を止めるか」
「申し訳ありません。貴方様方に危害を加えるつもりは毛頭ございません。剣を下ろします」
ヨンサムは顔を真っ青にしたまま剣をゆっくりと下ろす。
僕の方はと言えば、特に剣の腕が優れているわけでは全然、決して、全くないので、受け身を取るので精いっぱい。木から落ちた途端に喉元に剣を突きつけられた。
「お前たち。この方がどなたか分かっての狼藉か?!どこの間者か調べてやる!来い!」
「お、お待ちください!僕はエルドレッド・アッシュリートンと申しまして、アッシュリートン男爵家の者です」
本人以外保持することができない術のかかっている学生証を差し出しながら述べる。
「アッシュリートン家?……そういえば僕に縁談の申し込みをした男爵家にそんなところもあったかも」
今絶対、「身の程知らずの」っていう言葉が見えないところに入ってた!言ってないのに感じさせるなんて、なんと恐ろしい。
ここでアッシュリートン家の名前に傷がついてしまうと姉様の今後の縁談は厳しくなるだろうけれど、これでグレン様とのご縁の話もなくなるかもしれないと思った僕は思いきって正直に話してみた。
「はい。我が姉マーガレットがこのたびアルコット侯爵様の夜会に参加させていただくことになった故、グレン様の様子を拝見いたしたくこのような愚かなことをしたまでであり、僕は一切の武器を持っておりません。友人の彼は僕が巻き込んだ被害者です。彼は帯剣しておりますが、彼は騎士志望ゆえ、学園内での帯剣が義務付けられているだけです。殿下に危害を加えるつもりはございません」
「ふぅむ、いつからいた?」
「……さ、最初殿下方がいらっしゃった時からでございます」
僕の言葉にグレン様がぴく、と柳眉を上げた。
「グレン、気付いたのはいつだ?」
「あー……残念だけどついさっき。そっちのやつが騎士志望だとして、なに、お前は宮廷魔術師志望かなにか?」
「いっいえっ!ぼ、僕と彼二人で姿隠しの魔法をかけていただけです」
「それだけ?」
きゅっとグレン様の目がすがめられて心臓が射られたようにどくどく鳴る。
怖い!でもこれは言えない!
「そ、それだけでございます」
「はい嘘決定。僕がお前たちくらいの魔力量の相手に姿隠しをされて気づけないとでも?違うよね、人外のなにか、の協力があるよね?」
あぁ、怖いようぅ!父様、恨むよう!姿隠しリスたちを恨むよう!あの子たちは気紛れだから、お昼ご飯食べたいなぁとか思うとこちらのお願い空しく去ってしまう。今回も先ほどどこかに行ってしまったのだ。
「どうする?殿下、こいつら嘘ついてるよ。刺客かも。殺しとく?」
なんでそんな笑顔なんですかっ怖いですグレン様!お願いします、どうか笑わないでください!
「爵位のある家の者を無断で殺すのはまずいだろう。お前たちの身分証は私の方で預からせてもらう。間者もしくは刺客の疑いが晴れるまでは身柄を拘束する」
ヨンサムが完全に蒼ざめている。
あぁ本当にごめんヨンサム。僕のせいだ。生きて戻れたら君の好きな高級アイスを奢るから許してほしい。
僕たちは殿下の護衛の騎士たちに捕まって移動させられた。
このまま地下に閉じ込められて拷問パターンか!?と焦ったのだけど、地上十階の小部屋に連れていかれた。残念ながらヨンサムとは別れさせられた。
「ヨンサムは僕の被害者です!」を騎士に「それ以上口開いたら舌切るぞ」と宣言される十回目まで訴えておいたし、ヨンサムは男爵の中では上位クラスでかつ裏が黒くない家出身だからすぐに身元確認はされると思う。
問題は僕の方だ。
だって我がアッシュリートン家は、父様は伯爵家から令嬢をかっさって妻にしたうえで今でもちゃらんぽらんをやっており、姉様はもろもろの事情から社交界デビューしておらず、後を継ぐことになっている双子の兄様は「学園なんかで学ぶよりこれからは商業だろう!」と言って学園に行かずに各地を回って商いの勉強をしていて、唯一まともそうな僕は性別を偽っているという、全員が曰くつきの家なのだから、怪しくないわけがない。あぁ父様恨むよこんちくしょう!
「身体検査をする。服を脱げ」
「はい」
騎士に言われて大人しく学生服の上着に手をかけて、すんでのところで理性が働いて手を止めた。
待て待て待て。僕は女だ。どんなに女性らしさに欠けた体だろうと、さすがにすっぽんぽんになればばれてしまう。
身体測定だったら問題はない。幻術をかけて、ない胸を更にまっ平にし、ないモノがあるような錯覚を相手に起こさせ、あとは「華奢な体格だねーもっと食べなさいよー」くらいで終わらせる。しかし、ここにいらっしゃるのは、そんな甘い係員じゃなくて――
「どうしたの?さっさと脱ぎなよ」
にこにこと笑顔を浮かべ、その実全く目が笑っていない次期筆頭魔術師様だ。誤魔化せるはずもない。
「あのー……僕、脱がなきゃだめですか?その、危険物とか一切持っていませんし、ご存知の通り魔力も平均男爵家くらいで、攻撃魔法なんて不得意中の不得意で……」
「脱ぐことに何か問題でも?」
「実は僕の背中には昔魔獣に襲われて出来た醜い傷があって、人に見られるとその時のことを思い出して傷がじくじくするというか……。」
「そりゃあいいね。尋問の手間が省ける」
うわぁいい笑顔!
今尋問じゃなくて、拷問って言ったよこの人!聞き間違いじゃないよ!
「どっどうしてグレン様自ら一学生を尋問されようとされるんですか?」
「そりゃあお前が話してくれないからだよ。魔法で隠れていて気づかなかったなんて僕の沽券に係わるでしょ?さっさとさっき僕が直ぐに気づかなかった理由を教えてくれれば」
「解放してくださるんですか?」
「やはり何かを利用していたんだ?」
「お答えください。解放……僕じゃなくて、ヨンサムでいいので、解放していただけるのですか?」
僕の質問にガタン、と椅子を蹴って立ち上がったグレン様が黒く笑った。
「調子乗るのもいい加減にしないと、その口裂くよ、ガキ」
ぎゃあ!極悪度が二倍くらいになった!
「自白剤使ってもいいんだけど、嫌がる風もなくそのまま吐かせるなんてつまらないでしょ?だから僕が直接、正気の君に尋問しようと思っているだけだよ。ま、隠せば隠すほど、僕は楽しみの時間が増えるからそれはそれでいいけど」
こいつ歪んでる!歪みきってる!
「さ、どこまで逃げきれるかな」
グレン様がそう言った途端、グレン様の傍には火球が五個くらい浮き上がって一斉に僕の方に飛んできた。
や、焼け死ぬ!!!
「ひぃ!」
その火球を慌てて避けると、グレン様が更に笑みを深める。
「逃げなよ。逃げきれなくなったら服が焼け焦げて強制的に裸になるだろうからさ」
「服が焼けるどころか中身も焼けそうですよ!今傍をすり抜けていったやつ、あれおっそろしい温度だったじゃないですか!」
「そういう口を叩けるってことはまだまだ余裕がありそうだね。じゃあどんどん行くよー」
「うわぁあああ!」
さっきの二倍の数になった火球が狭い室内を埋め尽くす。あっという間に簡易サウナの出来上がり。
じゃないよ!
「あっつい!」
僕程度が防御魔法を編んでいたらあっという間に血が沸騰しそうな室温に耐えきれなくなって、僕は唯一開いた小窓に身を乗り出した。
ただその勢いは、僕の想定より少々つきすぎていた。
「うわぁああぁあ!?」
身投げするように僕の体は支えをなくして落ちていく。石を投げたかのように簡単にまっ逆さまに。
えぇと―――こういう時は浮遊魔法がぁ――――
考えている間に地面は近づいてきて。
え、僕、ここで死んじゃうの?せめて姉様にあの人はダメ、絶対!であることを伝えたかった……あとアイスも食べたかった……
と人生終わりの瞬間になんとものんきなことを思ったときに、ガクン、と落下が止まった。
背中になんだかすべすべのような、それでいて敷き心地の良くない感触がする。
「うぇ?……か、カラスくんたち!?」
カーカー!と答えるように鳴くのは大量のカラスたち。
カラスたちが身を寄せ合って僕の体を支えている。
上を見ると、外では絶えずにこにこしており、内心常に他人をどう陥れようか考えてにやついているグレン様が初めて驚愕の表情を浮かべていた。
あっちゃあ。こりゃあばれたよなぁ……。
そのグレン様は驚きの表情を僕に見られた途端に消し、窓から飛び降りた。
そりゃグレン様ほどの魔術師になれば浮遊魔法なんて朝飯前で使えるだろうけどさぁ。そこから飛び降りるなんて、なんと勇気のある方であること。さすがは未来の筆頭魔術師様。
これ以上逃げるのは無駄。と考えた僕は、カラスくんたちがゆっくりと地上に下ろしてくれるのを待ち、浮遊魔法か飛行魔法かによって、先に地に降り立ったグレン様にお縄ちょうだいした。
「あのー……ヨンサムは――」
そうして僕は今、殿下、イアン様、グレン様のお三方の前に再度引き直されている。
「殿下の前だ。静かにしろ」
イアン様の剣が喉元に押し付けられて仕方なく黙ると殿下がこちらを見て教えてくださった。
「彼は身元が由緒正しいセネット家の者だと確認できたから寮に返した。罰則付きだが」
うわあああごめんヨンサム、あとで僕もその罰則手伝うから!寮に戻れればだけど!
「そしてお前の身元の確認も取れた。他国の密偵でも刺客でもないことも分かった」
そうでしょうねぇ。こんなに剣も魔法もできない刺客がいたら僕が就職したい。
「だが、グレンの話ではお前は動物を操っていたと聞く。お前は動物使いなのか?」
動物使いとは、その名の通り、動物の体を支配して命令を聞かせる人たちのことで、暗殺者に多い職業でもある。
「違います。僕はただの学生で、さっきのカラスたちは厚意で僕を助けてくれただけです」
「厚意、だと?」
イアン様が信じられないというように訝しげな視線を送る。
こうなったら全部白状しないとかえって怪しまれてしまう。
「僕は剣も魔法も大してできませんが、唯一他人よりもできるものがあります。それが動物を癒す回復魔法です。僕は将来宮廷獣医師になりたいと思っていて、これまでこの能力を鍛えるために怪我した森の動物たちを治療してきました。動物たちは義理堅い子が多いので、恩を返そうとしてくれる子が多いんです。だからさっきも助けてくれたんだと思います」
「それならなぜさっさとそう白状しなかった?」
だよねぇ、当然訊かれるよね、その質問。
「……僕の魔法は、魔獣にも効きます。これまで、野生の魔獣も野生の動物たちと同じように治療してきました。魔獣は気紛れな子が多いですが、たまに助けてくれることがあるんです。今日は、姿隠しリスが助けてくれただけです。ただ、この行為は学園規則どころか国の法にも反する行為ですから、言ったら処罰されるだろうと……」
魔獣の魔力は、人のそれを簡単に上回る。
だから姿隠しリスのように、危険性がなくて臆病な生き物でも、若手では国一番と言われるグレン様が集中していなければ気配も音も消すことができてしまうのだ。
それに加え、魔獣は人を襲ったり、人をエサにしたりと危険なものが多い。だから魔獣は忌避すべき対象として疎まれていて、国が管理している魔獣以外と接触することは固く禁止され、魔獣を許可なく治療することは禁忌とされているのだ。
「……なるほど」
僕が黙っていた理由に納得した様子の殿下は座った椅子で長い足を組まれた。
「ですからっ、さっきのは本当に申し上げた理由以外ないんです!殿下とハリエット様のご婚約解消のお話や、イアン様がむっつりスケベであることとか、グレン様がドS鬼畜野郎であることなどは他言するつもりはありません。どうか、僕の処罰だけで――」
「殿下、こやつを切り殺していいでしょうか?」
「待てイアン。早まるな」
「そうだよイアン。むっつりスケベって言われたくらいでそんなことするなんて、図星だって言ってるようなもんじゃない。あながち間違ってないけどね」
「グレン、貴様からやらなければならないようだな」
「いいね!イアンと久々に全力でやるのは楽しそうだ」
「待て二人とも。今そんなことをしている場合じゃないだろう。……アッシュリートン、今お前の言ったことは本当か?」
「え、イアン様がむっつりスケベってことでしょうか?」
「切り殺されたいようだな……!」
僕の回答がツボに入ったグレン様が、「あっはっはっは!いいね、僕、意外とお前のことを好きになれそう!」と僕の尋問そっちのけでそっちで笑い転げている。
グレン様が腹筋を痙攣させればさせるほどイアン様の眉間の皺が深くなっているから、僕は全然笑えない。
「違う!お前が獣を癒せるという話だ」
「あ、はい。本当です。実演してお見せすることもできますし、僕がそういう系統に秀でていることは成績などからも明らかだと思います」
「そのようだねぇ。今は実験体もいないし、できたら確かめるっていうのでいいんじゃない?」
笑い転げていたはずのグレン様は、目じりに涙を浮かべつつも僕の成績表と思しき書類をぺらぺらとめくりながら殿下に口添えしてくださっている。
ありがとうグレン様……!今日初めてこの世に貴方様がいてよかったと思えました!
心の中で鬼畜を拝んでいると、殿下がふいに麗しいお顔をこちらを向けられた。
「ふむ。それにしても、お前のやっていたことは犯罪行為だ。お前は牢獄に入れられることを犯したんだ。分かっているか?」
「……はい」
「お前が成りたいと言っていた宮廷獣医師にもなれなくなる」
「はい……」
その通りだ。このことが露見した以上、僕の宮廷獣医師への道は閉ざされたと言っていい。
「そうまでしてグレンのことを調べたかったのか?」
「……あ、姉はもろもろの事情からこれまでほとんどを領地で過ごしてきました。外に出たこともほとんどなく、僕の夢のために応援してきてくださったんです。招待していただいたアルコット家の次の夜会でグレン様に見初められる可能性は捨てきれませんでした。グレン様のご高名は存じ上げていましたが、それでも評判は評判です。弟として、どういうお方なのかを知りたかったのです」
父様に命じられたのはグレン様の好みを知ることだったけれど、僕としてはグレン様がダメ人間だったらそもそも夜会に行くべきではないと説得するつもりだったからこっちが本音だ。
そしてグレン様は予想通りのダメ人間だった。人間失格だった。
「自惚れるね。僕、別にお前の姉君に惚れることはないと思うけどな。お前の容姿から想像するに僕の食指は動かないよ」
くい、と顎を上げられてグレン様のルビー色の瞳が嘲笑するように輝く。
「いえっ、姉は僕とは全く似ておりません!僕は父似なので!ですが姉は、当時美姫と名高かったマーシャル伯爵の令嬢であった母アデラに瓜二つの美貌なのです!そんじょそこらの令嬢方では姉上の足元にも及びません!おしとやかで楚々とした美人です!全くもって僕とは似ていません!」
力いっぱい否定すると、なぜかイアン様に残念なものを見る顔で見られた。
「……そうだったね。アッシュリートン家と言えば、マーシャル家のアデラ令嬢が駆け落ちした相手の家だった。アデラ伯爵令嬢といえば、一時期今の国王陛下が王太子殿下であらせられたときに王太子妃に、と望まれたこともあったとの名高い美姫だったとか」
「ほう?私はそのような美姫は社交界に出ていなかったように記憶しているが間違いか?その者は魔力がないのか?」
「いえ。魔力は十二分に。母上よりも多くありますので、伯爵クラスは軽く持ち合わせております」
「それではどうして表に出てこない?そのような令嬢なら例え男爵家でも放っておかれないだろう?」
グレン様は面白そうに目を光らせているし、殿下ですら興味津々だ。
はっ!僕はなんで姉様の素晴らしさをプレゼンしているんだ!?姉様をグレン様の嫁候補から外したいときに僕はバカか?
「……保有する魔力量が多すぎるため、姉自身は魔法を微塵も使えないのです。また、おそらくその魔力量のせいで口が利けないのでございます。姉はそんな自身を疎み、静かな生活を望んでおりました。今回は父が勝手に行ったことであり、姉自身はそれほど望んではおりませんが、貴族である以上当主の命令には逆らえませんから。せめてどういう方なのか知りたいと僕も姉も思ったのです」
僕が述べると、暫く黙った後、殿下がきらりと目を輝かせた。
「見てみたい」
……はい?
「国の法を犯した以上お前の牢獄行きは決定している。この近くの城の衛兵に引き渡そうと思っていたが、せっかくの美姫をグレンに先に知られるというのもなんとなく悔しいものだ。お前を私たちが連れていくことにして、その際にお前の領地に寄ってその美姫とやらの顔を拝んでいこう」
「いやでも……っ!」
「貴様に否やの余地があると思うか?殿下が望まれた以上、当主にそのまま令嬢を差し出すように申し伝えることも出来るのだぞ。それを令嬢を慮ってお忍びで行くのだ。弁えろ」
イアン様の剣が喉に食い込む。痛い。
姉様を慮って、というより単に殿下が物見遊山したいだけな気もしないでもないんですが。
身分の下の者が逆らえるはずもなく、僕は力なく「かしこまりました」と言うにとどまった。
「……あのーグレン様」
「なに?」
「僕の腕と首に縄が括られていますよね?」
「これが縄に見えないならお前はまず自分が医者のところに行くべきだろうね」
「ではなぜその縄の先をグレン様がお持ちなのでしょうか?」
「そりゃあ、僕がお前の見張りだからだよ」
「グレン様、これから馬に乗られるんですよね?殿下も、イアン様も馬に乗られる、と。そして僕は当然のように、徒歩」
「その通りだね」
「……これは、馬のよる引き回しの刑ということでしょうか……?」
「何バカなこと言ってるの?馬で引きまわす刑なら魔術封じの手かせを嵌めるけど、これはただの縄だよ。お前は魔法を使い放題。引きずられないようにすることくらい小手先でできるじゃないか」
それは貴方様だけです!ここからアッシュリートンの領地が近いとはいえ、どんだけ距離があると思ってるんですか!?
「学園から領地までは馬駆けで二日の距離です!そんなに学園を休んだらまずいのではありませんかっ?!」
「だいじょーぶだいじょーぶ。僕たちはあの学年で学ぶべきことを全部終えているしね。お前に関してはそもそも罪人だから。あの学園の授業なんてもう必要ないんだから休みとか関係ないよね」
罪人、の言葉が重くのしかかる。
そりゃ分かってるさ、魔獣が人を襲ったりする危険な生き物だってことくらい。
でも、魔獣だって獣だって怪我や病気で苦しんでいるときは同じじゃないか。
助けたい、と思ってしまうじゃないか。
「アッシュリートンは確か北の方角です。殿下、私が先導いたします」
「任せた、イアン。さぁ、行くぞ!」
僕が小さな怒りをくすぶらせている間にあっという間に馬は走り出し、僕は慌てて思考を切り替えたのだった。
馬が止まったのは、半日ほど休まず走り続けた後だった。
「……っ、……はぁ、はぁ……」
「お前、意外ともったな」
イアン様が馬の調子を見、馬から降りて休憩されていた殿下に声をかけられたが、言葉は一言も出ない。
「使ってたのはー。体重を軽くする魔法、移動速度を上げる魔法、風を後ろから吹かせる魔法の3つかな。その魔力量で結構もったほうだね。補助魔法は得意なのかな?」
指折り数えていたグレン様が笑顔で尋ねて来る。
もちろん、僕の呼吸が乱れまくって声など出ず、頷くのも億劫なことを見通したうえで、だ。
ばれないようにグレン様を睨みつけると
「あはは、いいね。まだ闘争心あるみたいで。それがぽっきり折れる瞬間を見たいがために僕はこれについてきたようなもんだし。もちろん、あと1日半、頑張るんだよね?あ、お水飲みたい?あげないけどさ」
と黒い笑顔を向けて来る。ばれてるぅ。
くっそ、このドS野郎!
自分で給水するためにふらふらと川に近づき、炎の魔法で煮沸消毒した水を飲んでいると、隣に立って同じく水を飲んでいた殿下の馬の様子がおかしいことに気が付いた。
殿下の馬はある程度早駆けにも慣れているはずだし、管理も徹底されているはずだ。
それなのに、たった半日走り続けただけで僕と同じように呼吸が乱れている。
乗馬の訓練をされている殿下の乗り方は馬に負担をかけにくいものだったはずなのに、どうしてだろう。
ふらつく体で馬に近づき、背、腹、首、と順に手を当てていく。
「貴様。殿下の御馬に何をしている?」
イアン様が音もなく後ろに立って僕に剣を突きつけるのが分かるけれど、集中をとぎらせたら違和感を見失ってしまう。ただでさえ、魔力残量が少ないんだ。
「聞こえているのか!?」
「イアン、ちょっと様子見たいから剣を収めて」
ぐっと軽く押し込まれた剣を止めてくださったのはグレン様だった。
本日二度目の感謝を心の中で述べてから、全身を触診する。目の色を確かめ、呼吸の匂いに異常がないか確認する。
不用意に足に触れると蹴り殺されることがあるので、馬の目を見て触っていいかどうかを心の中で尋ねる。馬の目が穏やかで、僕を蹴り殺すつもりがないことを確認してから慎重に足に触れる。
「で……殿下」
「なんだ?私の馬に何か異常でもあったか?それとも何か仕掛けたか?」
「で、殿下の御馬は……足を痛めております。それも少し前にだと思われます。それを無理して走っているので、内臓にひずみができており、圧迫されております。このまま走らせれば内臓の圧迫で明日にもこの子は走れなくなります」
僕の言葉に殿下が表情を硬くした。
「……確かに、馬丁にもどこかおかしいかもしれないとは言われた。だから今回は乗るのは控えようと思ったのだが、そいつ…アインがどうしても、と訴えてくる気がしたのだ」
「馬は足を怪我したら走れなくなり、そのうち立てなくなります。……立てなくなれば、内臓が体の重みによって腐敗し、やがて死に至ります」
動物の体は人間が思う以上に繊細だ。
そして彼らは、人の心が分かっているかのように、人の思いに寄り沿う。
「この子は……自分が殿下のお役にたてなくなることを見越して、最後の一走りをするつもりだったのだと思われます」
「……そんなに深刻なのか?」
「軽い足の捻挫だった時点で適切な処置を受け、三月ほど安静にしていれば治っていたでしょうが、ここまで来ると自然回復は厳しいかと」
馬の穏やかな目は、殿下を慕っていることがよく分かる目だ。
きっと幼いころから殿下のために走って来たのだろう。動物たちは人間が思っている以上に人間たちのことを愛してくれる。このアインも、きっと、殿下のことを大切に想っていたからこそ、走れなくなるその時まで殿下のために走ろうとしたんじゃないかな。
殿下がアインの首に手をやり、まだあたたかな白く短い堅い毛を撫でられた後、僕に翡翠色の瞳を向けられた。
「……アインは私の相棒だ。なんとかならないか?」
「殿下!信用なさるのですか?」
イアン様の言葉に、殿下が立ちあがって馬に近寄ると首を撫でた。
「私にはアインと会話はできぬが、それでも言いたいことは分かる気がするのだ。アインが苦しんでいるときも、アインが乗れと望むときも。その者の言葉に嘘がないことくらいは分かる」
そう言ってから、殿下は僕の方を見た。
「……エルドレッド。お前にアインの治療ができるか?」
どくん、と心臓が跳ねた。これは、本来の宮廷獣医師の仕事だ。
「……僕には、その資格はありません」
「そうだな。資格はない。でも能力はあるのだろう?」
この魔力量でこの子が助けられるかは、やってみないと分からない。
悩んで黙ると、聞いていたグレン様が殿下に言った。
「フレディ。王族の持つ恩賞制度を使えばいい」
「グレン、何を言い出すんだ?」
「そいつがアインを治せれば、今回の件は不問にする。まぁもちろん、僕たちを覗き見ていたことへの罰則は受けてもらうけれど、刑は免除できる。ただし――」
僕に向いたルビー色の目が眇められる。
「治せなければ、刑は変わらず、牢獄に入ってもらう。エルドレッド、お前の能力次第で自分の身すらも救えるかもしれないという賭けだけど、殿下が望んだ以上、お前に拒否権はない。さ、極限状態で自分の能力を僕たちに見せてみなよ。…禁忌を犯してまで練習してきたんでしょ?」
王族の御前で禁忌を犯している以上、僕がこれから宮廷獣医師になれる可能性は限りなく低い。
とはいえ、刑に問われてしまえば姉様たちにも迷惑をかけてしまう。やる以外の道はない。
「……やります」
僕は覚悟を決め、アインの前に立った。
軽い揺さぶりを感じる。
「う……?」
「起きろ。起きなきゃそのまま川に突き落とすけど、いいよね?」
「うわぁあああ!?」
不吉な宣言が聞こえて僕は慌てて上体を起こした。
「……馬の、上?」
そう、僕は今馬の上にいた。
それもグレン様の馬に二人乗りさせていただいていた。これはどう見ても、気を失っていた僕をグレン様が馬に乗せて駆けて下さっていた、とそういうことになるわけだが。
鬼畜悪魔が情けをかける、だと……!?
「なにそのまぬけ面。あーすっごくイラつく。落としていい?」
「わあああお待ちください、あのっ今どこですかっあ、アインはッつぅ!!」
「馬の上で慌ててしゃべるとか舌噛みたいと言ってるようなもんだね。君には被虐趣味があるんだね。僕が理解に苦しむ人種か」
「違います!」
「今はお前の領地に向かっているところ。それから、アインはあそこ」
グレン様に言われて目線を前に動かすと、
「アイン!」
イアン様とグレン様の間に挟まれて元気に走っている馬のお尻が見えた。走り方もスムーズだ。
「じゃあ僕……!」
「そ。お前は条件をクリアした。お前はアインを治した後に魔力枯渇で昏倒したんだ。罪人じゃなくなったから殿下が引きずるのはよせって仰ってさ。それでこうなってるわけ。僕はそのまま引きずってもいいんじゃない?って言ったんだけどね」
やっぱり鬼畜悪魔は鬼畜悪魔だった。
「エル、お前さ――」
「!?今なんと!?」
「は?お前」
「その前です!」
「エル。あれ、違ったっけ。お前、エルドレッドじゃなかった?」
鬼畜悪魔が愛称で人を呼ぶ、だと…!?あれか、長すぎて面倒。とか、そういう理由か?
「うわーそのアホ面見てたら言う気無くした」
「何をですか?」
「言う気無くしたって言ったよね?二度言わせないで。煩わしいから」
えぇ、呼びかけたのあんたでしょうが!この暴君が!
「それで、そろそろお前の領地に着くよ。お姫様の準備はできてるわけ?」
「そ……そっか!」
あぶねっ!姉様に伝達魔法を送っておかなきゃいけなかったんだ!
急いで青い鳥型の伝令を作る。
「あ、ちなみに訪問するのが殿下や僕だってこと、ばらさないでね」
「そういうことは早く言って……仰ってください!」
作りたての伝達魔法の内容を直したのは、それが飛び立つ直前だった。
「……えー姉様。こちら、え――――選択授業の先輩の方々で……お名前は、え―――――真ん中にいらっしゃる金髪で長髪を束ねている方がで……じゃなくてフレ……じゃなくてフランク様、黒髪の方がイ、イーデン様、それから、端のトパーズ色の髪の方が鬼畜どS……いたっ、じゃなくて、ジェフリー様です。ぼ、僕が日ごろとても、あ―――とてもお世話になっている先輩方で、姉様のお声のことを聞いて会いたいと仰り、今日急きょ帰った次第です」
しどろもどろに紹介すると、姉様の方は動揺もなく淑女の礼を取り、淡く微笑んだ。きっといつも僕のことをありがとうございます、という意味の笑顔だ。
ちなみに僕の背中は今グレン様につねられており大変痛い。顔は笑顔を崩していないんだから仮面でもひっつけてるんじゃないかと疑う。
あ、いて。またつねられた。この人心読んでんじゃないだろうな!?
「すみません、姉はお伝えした通り声が出ませんので――」
と言って振り返ったところで、僕の目は点になった。
「で……あうっじゃなくて、フランク様?」
危うく言い間違えそうになってまたグレン様につねられながら殿下に呼びかけると、固まっていた殿下が姉様の前で優雅に礼をした。
「急な訪問、申し訳ない。私はフレデリックという。すまない、私の出自の関係で弟君には内緒にしてもらえるように頼んだのだ」
僕がさっき作った偽名、あっという間に無駄になった!
同時に僕がグレン様につねられたことも全部意味がなくなりましたよ殿下!
慌てて姉様を見れば、姉様も、もともと丸い目をまん丸にして驚いている。
そりゃあこの国に住んでいれば第二王子の名前くらい知っているからね。同名の可能性も十分あるけど、このいでたち。黄金色の髪の毛に翡翠色の目は、現王妃様と全く同じ色彩だから気づかない方がおかしい。
「フレディ!」
「いいのだ、イアン。私はこの方に嘘をつきたくない。マーガレット嬢」
立ち上がった殿下に呼びかけられた姉様は慌てて臣下の礼を取ったが、殿下が姉様の手を放さず立ち上がるよう促す。
「貴女と少し共に時間を過ごしたいのだが、構わないだろうか?」
姉様は困ったように僕を見る。
通訳を欲しているのは分かるのだが、僕も今イアン様とグレン様に後ろから圧力をかけられていて頷くことはできない。
「大丈夫。貴女の声が出ないことは弟君から聞いている。きっと可愛らしいであろう貴女の声が聞けないのは残念だが、仕方のないことだ。そのうち宮廷魔術師にでも頼んで貴女の声を取り戻してみせよう」
待て待て待て王子殿下。あんた何突っ走ってらっしゃる?姉様が困ってるじゃないか。
「今は共にその辺りを歩くだけでいい。お時間いただけるか?」
第二王子に申し込まれて断れる令嬢はこの国にはいない。
姉様が戸惑いの表情に浮かべながらも頷くと、イアン様が進み出、殿下が鬱陶しそうにイアン様を見やる。
「……ついてくる気か?」
「護衛は必要です。どうあっても」
「その辺に隠れているやつらがいるだろう?」
「頼りになりません。それに殿下であると知れた以上、私がお傍に控えているのはマーガレット嬢も当然とお思いになるはずです。ですね、マーガレット嬢?」
こくこくこく、と一も二もなく頷く姉様。
「仕方ないか。エルドレッド、グレン、お前たちは待っていろ」
「は、はいっ!」
「はーいはい、了解です」
グレン様と客間に取り残されたので、えーと、と呟く。
「今紅茶でもご用意しますね」
「使用人はいないわけ?」
「うちは貧乏男爵家ですよ。栄えた時代がないので没落とも言えませんが、父が母をかっさらった時点で伯爵家からの圧力がかけられてますからね、お察しください。姉様はともかく、僕は大概のことは自分でするよう教育されています。ほぼ平民です」
「ふぅん、じゃあ下僕体質もついているわけだ」
「いやいやそれはついてません。どうしてそういうことになるんですか?」
「ついてなかったら苦労するだけだろうけど。大変だなー同情するよー」
全く同情の籠ってない声で言われても嫌な予感しかしません。
「どういう意味ですか?」
「おそらくこれからお前は殿下に伝書鳩として使われ、マーガレット嬢の好みやらなにやらを調査されて、そして一番に通訳として小間使いされるだろうからね。フレディ殿下は昔から一度コレと思うと止まらない方なんだよね。」
「やはりあの……僕が言うのはおこがましいかと思って口には出さなかったのですが……殿下は、今、世に言う、その――」
「一目惚れってやつじゃない?」
ですよねぇ!なんか姉様見た瞬間にぽーってなってたもんねぇ!
「全くねぇ、元から興味なかったとはいえ、父上に話を通しておかないといけなくなったよ。面倒だなぁ」
「あーえー申し訳ありません?」
「謝るってことは罪の意識があるわけだ?」
「いえ、僕に関係はあれど、僕のせいではないと思います」
「そうかな?君がマーガレット嬢のことをあそこであんなに力説しなければ殿下がマーガレット嬢に興味を持つことはなかったわけだし、こうやって一目惚れしちゃったりなんてこともなかったわけだ。そして僕は美人のお嫁さんを持てる可能性を潰されたわけだよね?」
なんだかとっても理不尽な気がしないでもないけれど、間違ってはいない。
にこにこと笑うこの男に言質を取らせてはいけないのに、僕のその時の認識は甘すぎた。
「そ……そういう言い方も出来るかもしれません」
「だよね。そんな君には責任を取ってもらおうと思うんだよね」
僕の顔がひくつく。この数日で僕の顔の筋肉は筋肉痛になりそうだ。
「どうかな?僕のドレイなんて」
「嫌です!」
「下僕は?」
「却下します!」
「そうかー。残念」
「そうですね、残念ですね。でもどうかその無念を僕にぶつけないで素敵なご令嬢を探してください。僕も、今回のことで宮廷獣医師が無理になったかもしれませんが、町の獣医師くらいにはなれるかもしれないし……」
「ああ、宮廷獣医師で思い出した」
わざとらしく手をグーの形にして、パーの形の手にぽん、と打ち付けたグレン様はこちらをそのルビー色の瞳で見つめた。
「お前さぁ、そもそもなれないよね?」
全身から冷や汗がふきだし、目があちこちを彷徨う。
いや待て、この人の誘導尋問に過ぎない、落ち着け、ぼろを出すな!
「なななななんでですか?一応罪にはならなかったわけですよね?今回のこと…。」
「えー募集要項、見てないの?宮廷獣医師って、『貴族の男子』限定だったと思うんだけどな。僕の記憶が正しければ」
笑ってやがる!こいつやっぱり気づいてんのか!
「ど、どういう――」
「言ってほしい?お前が女だって気づいてるってこと」
言ってますからそれ!
「……いつ気づかれたんですか?」
「僕を誰だと思ってるの?」
そこで笑みを深めるのはおやめください!
「殿下に報告するためにお前のこと調べ上げたときから違和感はあったんだ。末端貴族とはいえ、僕は大体この国の貴族関係は把握しているからね。アッシュリートン家の後継ぎの名前はユージーンだったはずだ。後継ぎは絶対王立学園に入学しなければいけないはずなのに、なぜかユージーンではなくてエルドレッドという名前の者が入っており、他にアッシュリートン家の者の入学歴はない。年齢から言って入学していなければおかしいのにね。そこでおかしいと気づく。そこから結構地道な調査をして、確証を得たのはついさっきお前がのんきに寝こけているときに伝令が来て、かな。小さい頃から男子として育てられたせいかなかなか調査も苦労したんだ。それからあとは、どうしても裸を見せたがらなかったことと――」
言葉を切り、グレン様がにっこりと愛らしくほほ笑んだ。
「さっき馬に乗せたときにあるべきものの感触がなかったことが決め手かな」
「どこ触ってんですかこの野郎!!」
「確証を早期に得るためには手っ取り早いじゃないか。さてさて、それはそれとして、僕にそんな口の利き方をしていいの?」
うわぁ笑顔がどんどん黒くなってる。
絶対に弱みを握られちゃいけない人に握られた今の僕は、きっと風前の灯火、虎に首根っこ押さえられたネズミみたいなもんだよ。
虎はネズミなんか食べてないで鹿とかウサギとか、もっと大きなものを食べるべきだと思うんだ。僕。
「……観念します、宮廷獣医師は諦めますよ……」
「それで済むと思う?だって学園に身分詐称だよ?まぁ法には触れないけど、退学ものだよね、これ。ユージーン殿が進学していない以上、継ぐ資格のあるものはいなくなっちゃうし、困るよね?」
「……ぼ、僕に一体何をしろと……?」
ふふふ、と満面の笑顔でグレン様は笑った。
あ、これ、獲物を前にして爪を立てて牙を見せている瞬間だ。
「そうだなぁ、僕の小姓をやるなら考えてあげてもいいよ?」
「へ?」
「それなりに体力もあるし、大したことないけど補助魔法は得意みたいだし、その獣に好かれやすい体質とか、癒す力とか研究しても面白いしなにより――」
顔が愉悦に歪んだ美形ほど恐ろしいものはないと僕はその時に思った。
「へこたれないタイプのお前なら、苛めがいがありそうで楽しそう」
「すみません遠慮させていただき――」
「姉君の代わりに僕がお前をもらってあげてもいいんだよ?」
上位貴族に圧力をかけられたら僕はあっという間にお嫁にもらわれてしまう。姉様が殿下に見初められて、グレン様の婚約者候補から外れる (だろう)原因が僕にあるとされたらなおさらだ。
「……小姓で勘弁してください」
悔しさと絶望の滲む僕の言葉に、グレン様はこれまでで一番綺麗な笑顔を浮かべてよしよし、と言ってくれた。
「いっぱい可愛がってあげるから」
これだけの美形に迫られて、これだけ絶望した女性はこの世界で僕一人だと思う。
一言言わせてほしい。
ドS鬼畜野郎なんて地獄に落ちろ!!!