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「じゃあね、たけちゃん」
「あぁ」
廊下で芹と別れて、健は自分のクラスの教室に入った。
朝の教室には生徒たちの喧騒に満ちている。登校してきたクラスメート達が教室のあちこちで、友人たちと歓談している。
健は友人の男子たちと立ち話を軽くしてから、自分の席に座った。
「…………」
そして、また彼女のことを思い出してしまう。
触手少女の外世観憂が御千髪菊華に連れていかれてから、すでに週が変わっていた。あの日から、観憂の姿を一度も見ていない。どこにいるのかも知らない。
観憂のその後を、健は少なからず気にしていた。退触師の菊華に訊けば教えてもらえそうだが、部外者がおいそれと尋ねてしまっていいものか、判然としない。
(もしかしたら、もう里に帰ったのかもしれない)
外の世界――とりわけ、人間のことを知りたいと言っていた少女。
下心など露ほども無く、健は彼女の願いを純粋に応援してあげたいと思うようになっていた。それは同じ悩みを持つ者に抱く共感に似ていた。知らないものを知りたいという、健の現在進行形の望みだ。
チャイムの音に、健は気持ちを切り替えた。
会話に興じていたクラスメート達がぞろぞろと自分の席につき、やがてクラス担任の教師が入ってくる。
朝のホームルームはつつがなく進んだ。
一通り話をし終えた担任は、最後にひとつ付け加えた。
「それから、今日はこのクラスに転校生が来るぞ」
途端に、生徒たちがざわつき始める。
声には出さなかったが、健も訝しんでいた。新年度が始まって一ヶ月が経とうとしているこの時期に、いきなり転校生だ。あまりに不自然すぎる。
「ほらほら、静かにしろよー」
担任の教師は生徒たちを落ち着かせた。
それから、教壇横のドアに向かって声をかける。
「入ってきていいぞ」
担任の合図があり、しばらくしてドアが開けられた。
クラス中の視線が向けられる中、教室へ入ってきたのは長い髪をサイドポニーにした女子生徒だった。
男子たちが歓喜の雄叫びを上げる。
その騒がしさに紛れて、健は思わず「あっ」と声を漏らしてしまう。
転校生として現れたのは、紛れもなく外世観憂だった。この学校の女子制服に身を包んでいた。彼女は担任の傍に立ち、好奇の目を向けてくる生徒たちへ視線を送る。
「気持ちはわかるが、お前ら落ち着け」
担任は再び生徒たちに注意して、観憂へ片手の指を全て向けた。
「今日からこのクラスに入る外世観憂さんだ。少し季節外れの転校生だけど、みんな仲良くしてやってくれ。それじゃあ、外世さん、自己紹介のほう――」
「健!」
観憂はなんの脈絡もなく言った。生徒たちの間をさまよっていた彼女の視線が、健に向けて固定されていた。
担任のお膳立てもぶった切り。
教壇を駆け下りて、一直線に健のもとへ歩いてくる。
「本当にこのクラスだったのね!」
「観憂、どうしてここに? 里へ帰ったんじゃなかったのか?」
「一度は帰ったわ。でも、里の人たちに触者が見つかったっていうのを話したら、しばらくこの街にいてもいいってお許しが出たの!」
弾む声で、観憂はそう教えてくれた。
すぐそばに立った触手少女の笑顔につられて、健の頬も緩む。
「そうか……そうか、それは良かったな」
「ええ! これで、いつも一緒にいられるわね!」
椅子に座ったままの頭を、観憂が突然、胸に抱き締める。周囲のクラスメート達があげる歓声や悲鳴が、健の耳にくぐもって聞こえてくる。
健はやり場のない手を、なにげなく観憂の背中に置いた。すると手の平におかしな感触がした。観憂の制服の下には、ほんのわずかだが、縄のような隆起が存在していた。そして、それはゆっくりと蠢いていた。
人知れず触手を伸ばしながら、観憂が嬉しそうに宣言する。
「誰かが引き離そうとしても、もう巻き付いて離れないわ、健」
二本目に続く




