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「芹の裸を見て、コーフンした?」
健に送ってもらう帰り道。その途中で、観憂はからかい半分で健に言った。
きっとまた「そんなことはない」って否定するんだろうな。
彼からの返事は、おおかた予想できた。ところが、隣を歩く観憂の触者は歯切れが悪かった。
「うーん……どうなんだろうな」
「あら、意外。健のことだから、てっきり、また聖人君子みたいに心穏やかなんだと思ってたけれど……違った?」
「僕は聖人じゃないよ」
はぐらかされてしまった。
芹の裸に、少なからず感じるものがあったらしい。
観憂の勘はそう告げていた。
夜もとっぷり暮れて、道は暗い。街灯と街の家々の明かりしか頼りになるものがない。
途中、観憂は通りかかった公園へと足を向けた。
「観憂?」
「せっかく二人きりなんだから、ちょっと寄り道しましょうよ」
「遅くなるよ」
健の忠告を無視して、観憂は公園へと入った。健は本気で制止をかけようとはしてこなかった。すぐ隣を歩き、寄り道に付き合ってくれる。
公園は広く、整地された散歩道の両側に木々が立ち並ぶ。街灯がぽつりぽつりとしかないせいで、公道よりもあたりが暗い。
「学校はもう慣れたみたいだね」
「ええ。クラスの子たちがみんな良くしてくれるわ。ちょっと前までは、健とのことをよく質問されたけど、今はそんなことも無くなったわ」
転校初日に思わず健に抱き付いてしまったため、二人の仲を知りたがる女子生徒は多くいた。
「触者のこととか話した?」
「まさか! 最初の頃に芹に言ったように、街でたまたま知り合ったっていうふうに説明しておいたわ。あたしだって、ちゃんとそのあたりは気を配っているのよ?」
自分は触人種であり、健は触者。このことはこれ以上、他の人に知られるわけにはいかない。それは菊華が口を酸っぱくして言っていることだ。
「それよりも、健はまだ触手のことを好きになってくれないの?」
「そう言われてもね」
「触者は、触人種を――触手を愛してくれる者にしかなれない。健はあたしの触者なんだから、嫌いなはずがないわ」
自信たっぷりに言った。
「観憂は、やっぱりそう思う?」
「ええ、もちろん」
頷いてみせる。
すると健は、木々に囲まれた散歩道の途中で、足を止めた。
「なら、協力して欲しいことがあるんだ」
「なにかしら? あたしにできることなら、なんでもするわよ」
わずかな間があって、健は木々の作る暗闇を指さした。
「それなら、あっちで頼む。ここだと人目につくかもしれない」
周りを見るが、人の姿はない。それなのにわざわざ暗闇へ連れ込もうということは、健にこれから頼まれることが、よっぽど人目に触れてはマズいものだということだ。
観憂は不安など感じなかった。どころか、すぐに彼の誘いに乗った。
「いいわよ、ナニナニ?」
散歩道を外れ、木々の間へと場所を移す。
手が届くほど近くにいなければ、お互いの体の輪郭さえ見えなくなってしまいそう。そんな暗闇に二人きりになるや、健は遠慮がちに口を開いた。
「観憂、きみたち触人種っていうのは、触者の命令には逆らわないんだったな?」
「ええ。最初に健と会ったときに、それは実感しているわ」
「そうか……」
健は俯いた。
そのまま、沈黙がしばらく続いた。
一向に本題を切り出さない健に、観憂は先を促す。
「それで、協力して欲しいことって、なに?」
「少し、頼みづらいことなんだけど……」
「言ってみて」
胸が高鳴っていた。健からどんな頼み事が飛び出してくるのか、ドキドキしていた。それも、場所が場所だ。夜の、ひとけの無い公園、それも木々の合間の暗闇。サブカル研で借りて読んだ官能小説の物語の中では、今とほとんど同じシチュエーションで、心ときめくシーンが展開されていた。
「じゃあ、頼む……いや、命令口調にしたほうがいいのかな」
健は深く息を吸った。そして、至極冷静に言い放つ。
「触手で、自分の体を拘束しろ」
「……!」
観憂は自分の背中から、触手が何本か生えてくる感触を覚えた。自分の意思によるものではない。触手は勝手に、服の下で観憂の全身を這い回り始めた。やがて上着の裾や襟、袖からも頭を出した。
赤い触手は蛇のように四肢を締め上げ、観憂の自由を奪い始める。
体のバランスを失い、観憂はその場に倒れ込んだ。
「た、健……?」
恐怖は無い。
ただ、観憂は驚いていた。
彼の真意がまったく読めない。
「木の枝から宙づりになれ、観憂」
さらなる命令に、新たに一本の触手が呼応する。上着の襟から出たその一本は直上へと伸び、太い樹の枝に巻き付く。その触手が自分で巻き上がれば、観憂の体は完全に宙に浮いた。
「んっ」
ひときわ強く、触手が観憂の腕に絡まった。予期しなかった鈍い痛みに、思わず、体をよじった。ぷらぷら、風鈴のように体が揺れる。
「口……口にも、触手を入れるんだ」
健の声は珍しく上擦っていた。
見れば、向けられている健の目には、これまでにないほどの熱が籠もっていた。両手を握りしめ、瞬きもせず、宙づりになって触手に責められている少女を見ている。
興奮しているの?
そう感じた観憂の唇に、太い触手が押しつけられる。随所に筋が浮き出ている赤い触手は、そのまま、観憂の唇をこじ開け、口腔内へと押し入ってくる。
「んぉ、ぐ!」
まさか自分の触手を、自分で口に含むときが来るとは思わなかった。
ちょっと、苦しい、かも。
触手は観憂本人のことなどお構いなしに、観憂の口の奥へと入ろうとする。口は大きく開かされたまま。透明な液体が、唇の端から触手へと伝っていった。
口の奥を刺激され、観憂は目頭が熱くなるのを感じた。反射反応による涙だった。そうして溜まりきった涙が、観憂の頬の上を滑り落ちていったときだ。
健の雰囲気が変わった。
「もうやめてくれ、観憂!」
慌てたように健が言った。
彼の言を受けて、触手はその動きを止めた。
自分で制御できるようになると、観憂は四肢を縛っていた触手たちを背中へと片付けた。地面に立ったとき、わずかに咳き込んでしまう。
「ごめん……止めるのが、遅くなって」
「少し、びっくりした。急に触手を使わせるなんて」
目元の涙を服の袖で拭った。
「健って、意外と嗜虐的なところがあるのね」
「そんなことは……いや、無いとは言い切れない、かな。でも、それにしてもやりすぎだった。謝るよ」
「健の頼みは、もう果たせたかしら?」
笑いながら尋ねる。
健は静かに頷いた。
「もうこれで、ほとんど判断材料は手に入ったよ」
「それなら良かったわ。それで、健はなにがしたかったの?」
「――今は、まだ言えない」
「えーっ、協力してあげたのにー」
健がわずかにたじろいだ。
「ご、ごめん。でも、まだ推測の域を出ないことだから、まだ言えないんだ。観憂を、ぬか喜びさせるわけにもいかないから」
「……ふーん、あたしが喜びそうなことなんだ」
健はなにを思って、あんな命令をしてきたのか?
気になってしまうが、今日の所は我慢しよう。
暗闇から、散歩道へと二人で戻る。
「教えてくれないなら、それでもいいわ。でも、ハッキリ判ったら、教えてちょうだいね」
「もちろん。答えが出たら、必ず」
健の言った「答え」というものは、もうすぐ聞けるんじゃないか。
なぜか、観憂はそう思えた。