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健がちょうど夕食を終えたあたりで、芹は戻ってきた。ついでに着替えてきたようで、制服から私服に変わっていた。
言っていたとおり、健は芹と一緒に食卓で勉強を始めた。
「じゃあ、まずは芹のほうから片付けようか。どこを見ればいいんだ?」
「えっとね……今日、初めて習ったところなんだけど……」
食卓から離れて、テレビの前のソファには観憂とこじろがテレビゲームに興じていた。遊んでいる二人を横目に、健は芹の開いた教科書のページを覗き込んだ。
「ああ、これは――」
しばらくの間、芹の勉強を見る。芹が持ち出してきたのは、彼女の苦手な数学だった。健には得意教科なので、教えることに苦労はしない。
しかし、健にも苦手な教科はあった。
「ありがと、たけちゃん! なんだかわかったような気がするよ! 次はたけちゃんの番だね」
「ああ、僕のほうは国語で――」
話しながら、古典の教科書を芹の前に広げる。健とは正反対で、芹は国語の成績だけは上回っていた。
芹に教えを請う形で、学校で習ったばかりのページと向き合う。
「たけちゃんって、活用形とか単語の暗記は得意なのに、どうしてわからないんだろ?」
「それは僕にもわからない……」
二人で首を傾げつつも勉強を進めていく。
それもやがては、つつがなく終わった。
「ありがとう、芹。助かった」
「ううん、お互い様だよ」
健は教科書を閉じ、ふぅと息を吐き出す。
「たけちゃん、また、勉強教えてくれる?」
「いいよ。僕も芹には国語とか教えて欲しいから」
「うっ、うん! わたしで良かったら!」
芹がホッとしたように笑う。
リビングから廊下へと通じるドアが開けられた。
マナがリビングへ入ってくる。
「お兄様、お風呂が沸きました」
浴室から戻ってきたマナが報告してくれる。
ちょうどいいタイミングだった。
「勉強も終わったことだし……こじろ、どうする?」
テレビゲームに夢中なこじろに声をかけた。
ゲームを一時停止して、こじろが振り返る。
「そうじゃな……今日は健と入ろうかのぅ」
「えっ!」
芹がなぜか声をあげた。
こじろの隣にいる観憂はのんびりとしていた。
「健とはいつも一緒にお風呂入ってるの?」
「うむ。ときどき、マナとも入るが」
「いいなぁー、あたしも健とバスタイムしたーい」
机が音を立てて揺れた。
芹が両手を机に置いて、席から立ち上がっていた。
「たっ、たけちゃんとお風呂なんて、ダメだよ!」
芹の顔は風呂上がりの直後のように赤色が差していた。
「芹?」
幼馴染みの反応に、健は疑問符を浮かべた。
「んー? 芹、どうしてダメなのー?」
ニヤニヤしながら観憂が言った。
それで芹は視線をサッと手元に落とした。
「あ――ダメって言ったのは、その、変な理由じゃなくって……こじろちゃんが……」
「わしがどうしたのじゃ?」
「こじろちゃん――幼女……じゃなくって!」
何事かを呟いたかと思えば、芹はぶんぶんと頭を振る。
「あっ! こじろちゃんとお風呂に入りたいのは、わたしもなの! だから、今日はたけちゃんとは入っちゃダメっていう意味で……!」
芹がまくし立てるように早口で説明した。
なるほど、それでさっきの発言に繋がったわけだ。
健は納得がいき、うんと頷いた。
「そういうことらしいけど、こじろはどうだ?」
「そうじゃな……芹との入浴は一度もなかったな。うむ、わしは賛成じゃ!」
「だって、芹」
幼馴染みに視線を移した。
芹はなぜか立ち上がったままで固まっていたが、ワンテンポ遅れて、唇を動かした。
「ヤッター」
ひどい棒読みだった。
なんで急に動きが固くなったのだろう?
「じゃ、じゃあ、わたし……一度、家に戻って、着替え取ってくる……ね!」
広げていた勉強道具を掻き上げるや、芹は開けられたままのリビングのドアを出て行く。すぐそばを駆け抜けていった芹の姿を、マナが視線で追っていた。
玄関のドアが閉まる音がした。
健はソファのほうへ言った。
「こじろ、ゲーム切り上げて、風呂に入る準備をしなよ」
「む……ちょうどいいところだったのじゃが……」
「出てきてからにしたら?」
「それもそうじゃな」
こじろはソファを降りると、リビングを出て行った。健の部屋のタンスに入っている自分の着替えを取りに行ったのだ。
ソファに残された観憂は、ソファの背もたれに頬杖をついていた。なぜかやや眉を寄せている。
「なに?」
「いいえ、別に。ホント、人間って素直に動けないなぁって思っただけ」
「……?」
芹はトートバッグを提げて戻ってきて、そのまま、こじろを連れて浴室へと入っていった。




