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そしてまた新しい一日が始まる。
自宅で朝食を手早く済ませるや、芹は健の家に向かう。
健の家に入ったら、まずはリビングへ。
「おはようございます、マナさん!」
「芹様――おはようございます」
キッチンにいた触手メイドが深々とお辞儀した。
「今日は元気ですね」
「そうですか?」
「はい。ハツラツとしているように見えます」
マナの指摘はあながち間違いではなかった。
本当に、芹は昨日までと比べて活力に満ちていた。表に出そうとしているわけではない。おのずと内側から滲み出てくるもののためだ。
昨夜、幼馴染みに振り向いてもらうために頑張ることを決心した。張り切らずにはいられない。
朝食の準備をするマナの手伝い。
それが終わると次は、寝ている健を起こしにいく。
階段をあがり、健の部屋へと入る。
寝室のベッドで眠っている健。その横には、同衾しているこじろの寝顔。
一瞬、後ろへ倒れそうになるくらいの羨望をこじろに抱いた。だが、すぐにその気持ちを押し殺した。
頬をパンッと叩き、気持ちを切り替える。
芹は笑顔を作ってから、健を覆っている掛け布団を剥がした。
「おはよー、たけちゃん!」
ややあってから、健の眉が動いた。次いで、眠たげに瞼が開かれる。寝ぼけまなこで、健が見上げてくる。
「芹……? あぁ、おは」
言葉の最後のほうを、健はあくびで掻き消してしまう。
健が体を起こしたことで、こじろも気がついたようだった。目をこすりながら、大きな瞳を半開きにする。
「なんじゃ……もう朝か」
「こじろちゃん」
「おお、芹。今朝も元気じゃな……」
くはぁっと、こじろもあくびをする。
こじろの頭に、健は手をそっと添えた。
「こじろは着替えないと」
「うーむ、面倒くさいのう。健が着替えさせてくれぬか」
「いいよ」
穏やかに笑いながら、健は了承した。
だが、芹が了承できるわけがなかった。
「こじろちゃんの着替えなら、わたしがやっておくから。たけちゃんは先にご飯食べてきてよ。もう準備できてるから」
「いいのか?」
「うん、任せて!」
無い胸をポンと叩いてみせる。
「悪いな……じゃあ、頼む。こじろの着替えはそこのクローゼットの中に畳んであるから」
健が部屋を出て行く。
ドアが閉められると、芹はほぅっと息を吐き出した。
「じゃあ、こじろちゃん。お着替えしよっか」
「うむ!」
こじろはなにも嫌な顔はしていなかった。
先日のショッピングモールで買った子供服にこじろを着替えさせる。それを手伝いながら、芹はつくづく安堵していた。
(ロリっ子に目覚められたら大変だもんね……)
ただでさえ、健は幼女の出てくるゲームをプレイしているのだ。こじろという現実の幼女に魅力を覚えるようになったら、なにかと厄介だった。
「……どうしたのじゃ、芹?」
「え?」
「なにか表情が暗いが」
ティーシャツの袖に腕を通しながら、こじろが眉を寄せていた。
「そ、そう? 光の加減じゃないかな? ほら、朝日って眩しいから!」
「――心配事なら、わしが聞くぞ」
大きな瞳が、上目遣で向けられる。
悟られまい。
「大丈夫、ホントになんでもないから。さ、下に行きましょう」
こじろの手を取って、芹は健の寝室をあとにした。
健の身支度が終われば、いよいよ登校だ。
「行ってらっしゃいませ」
「早く帰ってくるのだぞ!」
マナとこじろに見送られて、家を出る。やがて観憂とも合流することになるのだが、それまでは健と二人きりでいられる。貴重な時間だ。
一歩いっぽを踏みしめながら、芹は歩いていく。
健が短くあくびをした。
「たけちゃん、眠いの?」
「……少しね」
「昨日は遅かったの?」
健が曖昧に頷いた。
「こじろを寝かせてから、またゲームを進めてたんだ。それでちょっと、な」
ゲームとは、幼女の出てくるあのエッチなゲームに決まっていた。聞くまでもない。健がヘッドフォンをして、幼女を絶賛攻略中なのはすでに目の当たりにしている。
そのことを、芹は知らないふりをしなければいけない。
「ふ、ふーん……そーなんだ。そのゲームってさ、そんなに面白いの? 寝る間を惜しんでまでプレイなんて……」
「いや、そうでもないよ」
意外な返事に、芹は少し驚いた。
「植松部長から借りてるゲームだから、早くクリアして、レポートと一緒に返却しなくちゃって思ってさ。それで無理やりにでも進めてるんだ」
「そう、なんだ……」
先輩からの借り物にケチは付けられないのだろう。健は言外で、あのゲームはつまらない、と言っていた。
芹はその場で小躍りしたい衝動に駆られた。当然、歩道のど真ん中でそんな奇行はしないが、それぐらいに嬉しかったのだ。
幼女の出てくるあのゲームが苦手ということは、ロリコンとして目覚めてはいないということだった。これで、不安要素が一つ減った。
「あっ、健! 芹!」
前の方から声がした。
見ると、観憂が走ってくるところだった。
健と二人きりの時間は終わりだ。
しかし、芹は余裕の笑顔を浮かべることができた。
「おはよう、観憂さん」
「……? 芹、今日はなにかいいことあった?」
さっきのこじろとは真逆のことを訊かれた。
「ううん、なにもないよ」
「そう? ……ま、いいわ」
観憂は健の隣に来るや、他愛のない話を二人で始めた。
それでも芹はニコニコ笑っていられる。観憂もすでに敵ではない。以前、健は言っていた。
『触手を好きになるなんて、考えたこともなかった』
触手は最初から、健のフェチの候補に入っていなかったのだ。
(この闘い……勝てる! 勝てるよ、たけちゃん!)
声には出さず、芹は勝利宣言した。




