9
「遊ぶのじゃ、健!」
「うーん……少し待っててくれないかな」
「いーやーじゃ! このところ、健は全然遊んでくれぬではないか! 一人で遊ぶのは飽きたのじゃ!」
リビングの方では、こじろが珍しく駄々をこねていた。よっぽど健と遊びたいらしい。しかし、その健は今、テーブル席で観憂に勉強を教えている真っ最中。遊び相手になってくれと言われても、手が放せない状況だ。
(だ、大丈夫かな……?)
マナと夕食の仕度をしている芹はハラハラしながら、リビングから聞こえてくるやり取りを背中で聞く。
「たーけーるー」
「ぐっ……」
健の小さな呻きが漏れた。
振り返ると、健の首にこじろがぶらさがっていた。しかも背後から手を回されているせいで、気管やら血管やらが締められている。
「こ、こじろちゃんっ」
芹が注意しようとした。
が、同時に観憂が苦笑いしながら口を開いた。
「こじろちゃん、それは健が苦しそうよ」
「むぅ、だって……」
渋々といった感じで、こじろが健の首から手を離す。
「あと少しで終わるから、いい子で待っててくれないか?」
「むむ……」
健に頭を撫でられても、こじろは承伏しない。
どうしたものかと健が悩んでいるのが、芹にはわかった。
「芹様」
マナが手を止めて芹を見ていた。
「さきほど必要と言われたコンソメですが、見当たりません」
「えっ、切らしてるんですか?」
「どうやら、最初からストックされていなかったようです。どうしますか?」
芹はキッチンを見渡した。まな板の上には、すでに切られたニンジンやタマネギ……。冷蔵庫に残っていた食材だけを見て、調理を始めたのがアダとなった。
「別のメニューにするしかないかな……」
「芹様。これは提案なのですが、お兄様とこじろ様に買いに行って頂くのはどうでしょう? そうすれば、こじろ様も満足するのではないでしょうか?」
マナの提案に、こじろが真っ先に反応した。
「わしは賛成じゃ! 行くのじゃ、健!」
「いや、でも……今は観憂の勉強を見てるんだから」
こじろにぐいぐいと腕を引っ張られながら、健は眉を寄せた。しかし、対面に座る観憂はほほ笑んでいた。
「いいじゃないの、こじろちゃんと買い出しに行ってくれば。健が帰ってくるまでは、あたしは芹に勉強教えてもらってるから」
「えっ、わたし……?」
「ダメかしら?」
芹は観憂に首を振った。
「全然! そんなこと、ないけど……」
「ほら。これでなにも問題無いわ」
観憂が健に向かって言った。
「いいのか、芹?」
「う、うん。たけちゃんほど、上手に教えられる自信は無いけど……」
健は数秒だけ宙を仰いだ。
そして何事かを決めたように頷き、シャープペンをノートの上に置いた。
「コンソメの素でいいんだよね?」
「はい、他は大丈夫だと思います」
「わかった」
椅子を引いて、健が立ち上がる。
「それじゃあ、行こうか」
「わぁい!」
さっきまでの駄々はどこへやら。こじろは一転して上機嫌になり、健の手をぐいぐい引っ張ってリビングを出て行った。
健に代わって、芹はエプロンをつけたままで椅子に座る。
「ちょっと意外……」
「? なにが?」
「たけちゃんと勉強してたのを邪魔されたのに、観憂さんって嫌な顔しないんだね。それが不思議で」
わたしだったら、きっと平然ではいられないのに。
口には出さず、芹は言外にそう付け加えた。
だが、観憂はやはり笑顔だ。
「あたしだけの健じゃないもの。独占しちゃったら悪いわ」
「……それは、部活でも一緒だから、余裕ってこと?」
「なんだか棘のある言い方ね」
芹はハッとした。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
「いいのよ」
観憂がなだめるように言った。
「芹も入ったら? サブカル研。菊華も入部したわよ」
「菊華先輩が……?」
厳しい生徒会長と、漫画やゲームばかりのあの同好会……とても結びつかない。
「菊華先輩も、サブカルチャーに興味があるのかな?」
「――どうでしょうね」
観憂は菊華の入部理由を詳しくは知らないらしい。少なくとも、芹にはそう見えた。
「めんどうよね、人間って」
ぽつりと観憂が言う。
「好きなものを好きって言わなかったり、好きでいることの理由を探そうとしたり……もっと、気持ちの赴くように生きられたらいいのに。芹もそうでしょ?」
「……なんの話?」
「健のことよ。芹も、健が好きなんでしょ?」
芹は顔から血の気が引いた。かと思えば、すぐに顔が厚くなる。
「ど、どうして、そんな」
「見てれば誰にでもわかるわ。でも、芹の気持ちに気づかないなんて、健もそうとうのニブチンよねー。理屈っぽいからかしら?」
「観憂さんっ!」
芹は顔が真っ赤になっていた。
「観憂さんは、わたしのこと知ってて……なんとも思わないんですか? 恋敵、とか……」
「? 別に、気にしてないわよ。たまたま同じ人を好きになっただけでしょ。それに、あたし、芹のことも好きだもの。敵っていうより、仲間っていうふうに思ってるけど」
あっけらかんと観憂は言う。
「それに、あたしには触手があるもの。もしも健と芹とあたしでっていうことになっても、ちゃんと対応できるわ」
「対応? 触手……?」
「あ、3P的な意味よ」
サラッと言われた下ネタに、芹はさらに顔が赤くなる。
六本目に続く




