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 有害図書の宝庫に、菊華は挨拶も無しに踏み入れた。

 窓際に置かれたパイプ椅子では、菊華と同学年の植松俊矢が、力の限り腰を捻っていた。その手には漫画の単行本。

(なんて珍妙な本の読み方だ!)

 菊華はただでさえ険しかった顔を、さらにしかめた。

「む? これは珍しい……生徒会長殿ではないか」

 植松は体の向きを正した。

「会長殿がこの同好会になんの用かな? きみも入部希望?」

「そんなわけないだろう」

 キッパリと言い切る。

 菊華のねめつける視線を受け止めて、植松は不敵に口もとを歪めている。

「部長、実は――」

 菊華の背後にいた健が口を開いた。もちろん、観憂もその隣にいる。二人は菊華に連行される形で、サブカル研の部室まで来ていた。

 事情を説明しようとする健の言葉が、本が机に勢いよく置かれる音に遮られる。

「この本に見覚えがあるな?」

 菊華は本の表紙から手を離す。その本は今朝の持ち物検査で、菊華が観憂から取り上げたものだった。

 植松は有害図書を一瞥する。

「見覚えもなにも、我が同好会の所有物だな」

「今朝、そこにいる外世観憂の鞄に入っていた」

 菊華は植松に詰め寄る。

「おおまかな事情は二人から聞いている。植松くん、この部活は生徒になにを流布しているんだ? きな臭い集団だとは前々から思っていたが」

「きな臭いとは心外だな。この部室には全年齢対象のものしか置いてない。会長殿がやり玉にあげたその本も、中学生が問題なく買えるものだ」

「詭弁だ!」

 菊華は机に両手を着いて、植松にずいっと迫る。

「たとえ成人向けでないにしても、こんなものを学校に持ってきていいわけがない」

「それはなぜだ?」

「風紀が乱れるからに決まっている。生徒の間でこんなもののやり取りが横行したら、学校全体の規律も危うくなる。これ以上の理由は要らないはずだ」

 植松は頬杖をついた。相変わらず、不敵な笑みを浮かべている。

「外世くんは大っぴらにその本を読んでいたのかな?」

「……それは知らない。持ち物検査のときに、所持しているのがわかったんだ」

「ふむ。――外世くん、きみはこの本をなぜ学校に持ってきていた? 誰かに貸すためか?」

 植松が菊華の陰から顔を出し、観憂に直接話しかけた。

 答える観憂は堂々としていた。

「いいえ。読み終えてしまったので、この部室の本棚に戻すために鞄に入れて来ました」

 言いながら、観憂は菊華を細目で見た。

 挑発的な視線に、菊華はむっとした。

「聞いての通りだ、会長殿。外世くんは部外者にこの本を見せるつもりは無かった。本の貸し借りはあくまでも、この同好会の中だけの話だ。学校全体の風紀を乱す心配は無かったのではないかな?」

 植松の言葉で、さらに苛立ちがつのる。

 青筋を額に浮かべながら、菊華は言った。

「ここは日本サブカルチャー研究会だと言ったな。文化を研究するのが目的らしいが、こんなことをして、本当に同好会の目的は達成できるのか? もしも学校……いや、生徒に悪影響しか及ぼさないのであれば、今すぐにでも解散させるぞ」

 凄んでみせる。

 同好会の解散をちらつかせれば、余裕に満ちた植松も焦るに違いない。

 菊華はそう踏んでいた。

 ところが、植松の表情は崩れなかった。

「会長殿は日本の文化がいまだに能や歌舞伎、ワビとサビだけだと思っておられるのかな?」

「なに……?」

「今や、中高生向けの漫画やアニメ、小説は日本を代表するカルチャーだよ。サブカルチャーと言われるものの一部だな。もっとも、俺から言わせれば、もはやサブではないが……まぁ、それはいい」

 植松は椅子から立ち上がった。

 この狭い部室があたかも舞台であるかのように、芝居がかった大げさな言い方をする。

「この同好会は、そういったサブカルチャーに誰もが自由に触れられる場所だ。自分の好きな分野にのめりこむのも良し、今まで素通りしてきた作品をちょっと読んでみるのも良し。――そうすることでサブカルというものを頭だけでなく、心で理解し、また楽しむのだ」

 壁一面を多う本棚に、植松は背中を預けた。

「もしも、我々の活動を悪だと断じるのであれば、それは知的好奇心への冒涜にあたるだろうな」

「……植松くん、あなたがそんなに口達者だとは知らなかった」

「好きなものについて語るときは、誰だって饒舌になるものさ」

 菊華は忌々しげに、本棚を見た。

(よくもまぁ、これだけの量を集めたものだ)

 怒りも通り越し、半ば呆れかけてしまう。

 その菊華の目がぎょっと見開かれた。

「そ、そこにあるのは……」

 数多くの本が並べられた棚。その中でも、ひときわ大きなサイズの書籍があった。ムックだ。厚めの背表紙には、『魔法少女ハナ 設定資料集』とある。

『魔法少女ハナ』――超が付くほど菊華がハマっている子ども向けアニメ『魔法少女ヒトミ』の前年に放送されていた、シリーズ四作目のアニメ。

 その設定資料集が、そこにある。

 震えながら、菊華は本棚からムックを取り出す。

「それは前年度で卒業した先輩の私物だ。ずいぶん貴重なものだが、同志のために、と部室に置いていかれた」

「ふぉっ、ふぉおお……!」

 植松の説明も耳を素通り。

 菊華は『魔法少女ハナ』の資料集に目を奪われていた。

 この資料集が発売されたのは前年だ。街の書店で見かけたものの、菊華はすぐに購入するのは控えた。それが仇となった。次に書店に赴いたときには資料集は売り切れ。発行部数がもともと少なく、版を重ねることもなかった。そのため、ファンの間では幻の一冊として扱われていた。

 あのとき買っておけば良かったと、菊華は何度悔やんだことだろう。

「会長殿、その本がどうかしたのか?」

「……植松くん、ここに置いてある本は自由に借りていってもいいんだよな?」

「ああ、部員なら誰でも」

 菊華はそっとムックを閉じた。

 目を輝かせて、植松に宣言した。

「わたしもこの部活に入ろう」

「ほう」

 植松が意外そうに漏らした。健と観憂も、声には出さなかったが、虚を突かれたような顔をしていた。

「どういうつもりかな?」

「……この同好会の存続は認める。だが、学校の風紀を乱すおそれが無いと決まったわけではない。そこで、わたしが監視役として入ることを条件に、活動を続けさせてもいいと考えたんだが……ど、どうだ?」

「どうと言われてもな……」

 植松はすぐにはウンとは頷かない。

 加速度的に、焦りが膨らんでくる。

「な、なにもあなたたちの活動を今すぐ邪魔するというわけではない。あくまでも行き過ぎたことをしないか、見ているだけだ。……なっ、なんなら、わたしはいないものと思ってくれてもいいから!」

「む……そこまで言うのなら。いいだろう。会長殿、きみの入部を歓迎しよう」

 菊華はぐっと手元の、アニメの資料集を握りしめた。

「じゃあ、さっそくだが、この本を借りていってもいいか?」

「構わないが……なかなか通な選択だな。もしや会長殿は、魔法少女アニメに興味が?」

「ちっ、ちが――!」

 慌てて否定にかかる。

「これは、わたしが読みたいわけじゃなくてだな……家族……そ、そう! いとこの女の子が、ずいぶん読みたがっていてだな!」

「いとこ……?」

 疑問を挟んだのは観憂だった。

「なに言ってるのよ、菊華。あんた、毎週そういう」

 アニメ観てるじゃない。

 ――そう口にしかける観憂を、菊華は眼力だけで制止した。観憂は思わず口ごもった様子だった。その隙に、菊華は話の中心人物を自分自身から、架空のいとこにすり替える。

「そう、今はいとこが毎週、電話で『ヒトミ』のことを話してくるんだ。それぐらい彼女はこのシリーズが好きなんだな。だから、これを持って行ってあげたら喜ぶと思う」

「……なるほど、そういうことか」

 植松は納得してくれたようだった。

「汚したりしなければいい」

「わかった。気をつけるよう、いとこにも言っておく。――今日のところは、これで失礼する」

 菊華はそう言って、『魔法少女ハナ』の資料集を小脇に抱えて部屋を出る。ドアのところに立っていた観憂が呆れたような顔をしていたが、それも今は気にならなかった。

 ドアを後ろ手に閉め、廊下に人影がないことを確認する。

(や、やった……! 念願の資料集だぁ!)

 菊華は飛び跳ねたくなる衝動を抑え、徒会室へ帰って行く。溢れ出てくる喜びに、歩調はスキップになっていた。


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