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 帰りのホームルームが終わり、放課後になった。

 健は荷物をまとめて、教室を出た。

 廊下に出たところには、芹が壁に背を預けて立っていた。彼女も鞄を手に提げている。

「たけちゃん」

 健を見るなり、駆け足で寄ってくる。

「これから帰るとこ?」

「あぁ。今日は部活も無いし、タイムセールが駅前のスーパーであるからね。芹は?」

「……わたし、図書委員の仕事があるから」

 芹は図書委員で、放課後はほぼ毎日、図書室にいなければいけない。

(なんで、芹はいつも僕が教室から出てくるのを待ってるんだろ……図書委員の仕事があるなら、すぐに行ったほうがいいのに……?)

 健は内心で首を傾げた。

 歩き始めると、芹も歩調を合わせてきた。

「タイムセールってなにが安いの?」

「卵。お一人様ワンパックだけど、一人暮らしの僕にはそれだけで充分だよ」

「たけちゃんって料理もするんだよね……家のこと全部やらなくちゃいけないのに。大変じゃない?」

 芹が何か期待するような瞳を向けてきた。

「うーん……そうだね。最初は大変だったよ。でも、今はもう慣れたよ。料理もなんとかできるようになったから」

「――そっか」

 芹が肩を落としたことに、健は気づかなかった。

 そのまま、図書室と下駄箱との分かれ道に差しかかった。

「委員会の仕事、頑張って」

「うん……またね」

 芹と別れると、健は下駄箱へ向かった。

 運動部が部活にいそしむのを横目に、校門を出る。

(さっさと買い物をして、あのゲームの続きをやらないとな)

 スーパーを目指して、最短ルートを歩いていく。そのために、大通りではなく、ひとけのない道に入った。

 夕方の街中でも、人影のない道。

 健が雑居ビルに挟まれた狭い道の入口に、差しかかったときだった。その暗い隘路から突如、一本の触手が伸びてきて、健の胴に巻き付いてきた。

 赤い触手だ。

「なっ――!?」

 触手は健の体を拘束するや、もの凄い力でビルとビルとの隙間に引きずり込む。健には抵抗する隙も与えられなかった。

 西日をさえぎられ、一足先に夜になったかのようなビルの合間で、健を引っ張る力は無くなった。だが、触手は胴に巻き付いたまま。健の体を地面から数メートルだけ浮かせている。

「これは……」

 触手はよく見れば、ところどころに血管のようなすじが浮き出ていた。健は自分の胴に巻き付いた赤い触手に触れた。まるで一つの生物のように、脈を打ってるのが手の平で感じられた。

 アスファルトを踏みしめる音が聞こえた。

 健は足音のしたほうを見た。

 暗闇から、一人の少女が歩み出てくる。彼女は昨夜、工事現場で菊華を襲っていた少女だった。

 健を吊り下げている赤い触手の根本を辿っていくと、彼女の背中へと続いていた。

「こんにちは」

 弾むような声で、触手少女が挨拶してくる。

「わたしのこと、覚えてる?」

「昨日、御千髪先輩といたね」

「ミチガミ……? あぁ、あの口うるさい退触師……でも、間違ってないよ。覚えててくれたんだ。嬉しい」

 触手少女はニコッと笑った。邪気のない笑顔だ。背中から飛び出している触手さえなければ、美少女と言われてもおかしくはない少女だ。

 健はこの状況でも、恐れもなにも感じなかった。ただ淡々と、触手の生えた子が目の前にいる、という程度で受け止めている。

「きみは何者だ? 人間……じゃないよね」

「観憂」

 健の目の前に立ち、触手少女が言った。

「わたし、外世観憂(そとよみゆ)。あなたは?」

「あ……僕は、北川健」

「健、ね。よろしく!」

 観憂は立ったまま、健に向かって右手を差し出してきた。握手を求められていると気づき、健も片手を出す。宙にぶらぶら吊られているため、観憂を見下ろしながらの握手となった。

 観憂の手の平は、普通の人間のものと変わらない温度と柔らかさを持っていた。

「それで、話は戻るけど……きみは誰だ? どうして触手が生えてるんだ?」

 ふっふーん、と観憂は胸を張った。わりとサイズの大きい胸がちょっと強調された。

「わたし、触人種(しょくじんしゅ)なの」

「……人を食べるのか?」

「それは食人種。漢字が違うわ。触る人の種、と書いて、触人種。見てのとおり、触手と人間のハーフよ」

 触人種――。

 聞いたことがない言葉を、健はひとまず受け入れることにした。ありえないと言ったところで、目の前にこうして触手の生えた少女がいるのは事実だからだ。

「世の中は広いな。知らないことばかりだ」

 触手に吊るされたまま、健は淡々と言った。

 ぽんと触手に手を置く。

「ところで、そろそろ離してくれないかな」

「逃げたりしない?」

「しないよ。逃げたってすぐに捕まりそうだし、ちゃんと会話はできるみたいだから」

 観憂は目を丸くした。

「あなたって落ち着いてるのね。昨日の退触師(たいしょくし)なんて、触手を見ただけで大騒ぎしてたのに」

 言いながら、観憂の触手はそっと健を地面に下ろした。そして、健が地面に立つのを確認してから、体から離れていった。

「あ、鞄……」

 ここへ引っ張り込まれるまで持っていた鞄が手元にないことに、健は気づいた。

 しかしすぐ、目の前に鞄が運ばれてきた。

 ――触手によって。

「鞄って、これだよね。落ちてたから拾っておいたよ」

 取っ手に観憂の触手が通され、鞄が目の前にぶらさげらる。

「あぁ、ありがとう」

 触手から、健は鞄を受け取った。

 全ての触手たちが、観憂の背中に収められる。

(触手さえ無ければ、普通の女の子にしか見えないな)

 健は軽く腰を捻ってストレッチをした。

「御千髪先輩――昨日、きみが襲ってた女の人は、退触師っていうのか?」

「そう。人間と触人種との仲立ちをして、両者の共存を代々支えている人たちのこと。わたしたち触人種は人間の街に出るときには、退職者たちの許可をもらわないといけないの」

 観憂の説明に、健は納得してしまった。

(御千髪先輩……名家のお嬢様っていうのは、その退触師の一族っていうことだったのか)

 それならそれで、観憂と接触していたのも頷ける。

「……でも、僕はその退触師っていうやつじゃないよ。なのに、どうしてきみは僕を捕まえたんだ?」

 健の純粋な質問に、観憂はわずかに頬を赤らめた。

 なにか変なことを訊いただろうか……?

 健が不思議に思っていると、観憂がもったいぶったように言った。

「それはね、あなたが触者(しょくしゃ)だから」

「しょく、しゃ……?」

 またも聞き慣れない単語に、健が戸惑った。

 わずかな沈黙が流れる。

 その静けさを、短い電子音が破った。鞄の中の携帯電話が、メールの着信を知らせたのだ。

「ちょっと待って」

 健は鞄の中から、携帯電話を取り出した。メールボックスを開き、新着メッセージを確認する。芹からだった。そのメールには一文だけが書かれていた。

『タイムセールの卵は買えた?』

 ああっ、と健は思わず声をあげてしまった。

 タイムセールの卵。

 すっかり忘れていた。

 健は観憂に言った。

「すまない、用事があったのを思い出した。話はまた今度でもいいかな?」

「えーっ、せっかく会えたのにー」

 観憂は唇を尖らせた。

「今度じゃイヤ。明日のこの時間、ここで待ち合わせしようよ。それなら許してあげる」

「明日――あぁ、わかった。約束だ」

 健は通りへと走り出そうとした。が、ふと観憂を振り返った。

「今度から、出会い頭に触手で引っ張るのはやめて欲しい。もっと普通に会ってくれると嬉しいんだけど……」

「普通? それってどんなの?」

「どんなのって……そうだな」

 健はいい例えを探した。

「ドンッと衝撃がくるものじゃなくて、もっと柔らかい感じで――そう、とりあえず、触手さえ使われなければなんでもいいよ」

「ふむふむ……触手はNG……ね。わかった! きっとバッチリよ!」

 観憂は満面の笑みでブイサインを浮かべた。

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