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健の家のリビングへ入った芹に、最初に声をかけたのは観憂だった。
「あ、芹。図書委員の仕事、お疲れ様」
「ありがとう、観憂さん」
観憂はソファに座っていた。その隣には、こじろの姿。
「たけちゃんは?」
「健なら自分の部屋にこもっておるぞ。最近、遊んでくれないからつまらぬ!」
こじろが不満そうに口にした。
(また、あのエッチなゲームやってるのかな……)
考えたら気が重くなった。
「芹様」
部屋の隅に佇んでいたマナが歩いてきた。
「マナさん、さっそく準備しましょうか」
「はい。今日はどんなメニューにいたしましょう」
「そうですね……」
鞄を椅子に置いて、芹はマナとキッチンへ入る。こうしてこのメイドロボットに料理を教えるのも、日課となっている。
ソファの方からは、観憂とこじろの話し声が聞こえてくる。
「観憂、続きをはよ聞かせてくれ」
「オッケー!」
ごほんっ
観憂は咳払いをすると、情感たっぷりに話し始めた。
隙を突いて、聖騎士の両腕に触手が絡みついた。
「しまった……!」
脱出しようにも、もう遅い。エレナの腕の自由を奪った触手は、そのまま、中空に吊り下げる。両腕をピンと上に向けさせられたままでは、抵抗することもできない。
(あと一歩だと言うのに!)
悔しさにエレナが歯がみする。
「形勢逆転ですわね」
魔女、サリーが不敵に笑う。切り裂かれた腹部は、すでに彼女の魔力で閉じつつあった。
サリーが指を振れば、少年を捕らえている触手もそれに呼応して揺れる。
「卑怯者! 子どもを楯に取って、恥ずかしくはないのか!」
「さすがは聖騎士様。逐一、言うことごもっともですわ。でも、少しは言葉遣いに気をつかったほうがよろしいですわよ?」
地面を割って現れた新たな触手たちが、エレナの体の上を舐めるように這う。直視することさえはばかられる淫猥な触手の形状に、エレナは嫌悪感を抱いた。
「これからあなたにとって、わたくしはご主人様になるのですから。そう、いやらしい肉奴隷の、ね」
「ちょ、ちょっとーっ!」
思わず、芹はリビングに声を響かせていた。
ソファの観憂のもとへ大股で歩み寄る。
観憂の手には、一冊の本があった。表紙にイラストが描かれている。ライトノベルのようにも見えるが、それにしては表紙が卑猥すぎる。触手に絡まれ、苦悶の表情を浮かべている美少女の姿が描かれているのだ。
「観憂さん、なにを読み聞かせてるの!?」
「なにって……小説?」
「小説は小説でも、これは官能小説! こじろちゃんには見せちゃダメだよ!」
芹の注意に、観憂とこじろは「えーっ」と不満を声に出す。
「こんなもの、どこから持ってきたの?」
「サブカル研の部室」
「えっ、あの部活の……?」
観憂は頷いた。
「あたし、今日入部してきたのよ。それで、好きな本を借りていって言いって植松っていう人が言うから」
「――そう、なんだ」
自分の知らないところで、観憂はまた健との接点を作った。
芹は少しショックだった。
「ところで、芹ならわかるかしら?」
「……なに?」
「読めない漢字があったの。ずいぶん難しくって、飛ばして読んでたんだけど……」
観憂が官能小説のページを繰る。
「あ、これこれ」
目的のページを開き、文章のある部分を指さして見せてくる。観憂の人さし指の先には『臀部』の文字があった。
「ああ、これは『でんぶ』だよ。お尻っていうこと」
「へぇ、そうなの? 初めて知ったわ」
感心したように観憂が言う。
「こんな単語知ってるなんて、すごいわね、芹」
「それは――」
自分もよく官能小説を読んで目にしているから。
と、言いかけて、ハッと固まった。カミングアウトの一歩手前でなんとか踏みとどまる。SMものの官能小説を読んでいることは、誰にも秘密なのだ。
「――とっ、図書委員なんだから、これぐらい常識だよ!」
ぎこちない笑い方をしてしまう。
「図書委員って、やっぱり語彙が豊富なのね」
観憂は疑う様子もなく、素直に頷く。
騙しているような気がしてしまい、芹の小さな胸はチクチク痛んだ。




