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 植松は今日も窓際の席でなにかを読んでいた。サブカル研の部室に入ってきた健と観憂に気づくや、口もとを歪める。

「やあ、北川。それに外世くん。今日も部活見学かな?」

「いえ、今日は違います」

 健は答えただけで、隣の観憂に目配せした。

「あたし、この部活に入ることに決めました」

「ほう……」

 植松が意外そうな顔をする。

 今朝、観憂から入部を希望すると聞かされたときには、健も同じような反応をした。クラスの女子たちに部活動を案内してもらったものの、観憂は最終的には健の所属する日本サブカルチャー研究会に決めたらしい。

『またどうして?』

 あのとき、健は思わず聞き返していた。観憂なら運動部のほうが性に合っていそうな気がしたからだ。

 観憂は笑いながら答えた。

『なんだか自由な感じだったから』

 それはある意味では間違いではなかった。サブカル研は他の部活のように、なにかをしなければいけない場所ではない。それに、どんな趣味の人間でも受け入れてくれる懐の深さがある。

 健はそのことを知っていた。

 そういうわけで、放課後になった今、観憂を部室へと連れてきたのだ。

「それは嬉しい。部員が増えるのは良いことだ」

 植松は席を立った。部室の棚をあさり、紙を一枚、机に置いた。入部届の用紙だった。

「では、これに名前を書いてくれ」

「はーい」

 観憂が入部届に、自分のクラスと名前を書き込んだ。

 植松はそれを確認する。

 ふむ、と頷いた。

「これできみはここの一員だ。ようこそ、外世くん」

 入部が受理された瞬間だった。

「ここの活動については、もう説明したな」

「ええ、聞きました。自分の好きな作品に、自由に触れればいい。――こんなイメージですけど」

「間違ってはいない。厳密には、一ヶ月に一本、レポートを提出してもらうことになっているが……外世くんは、なにかフェチはあるかな?」

 探るような植松の目が、観憂に向けられる。

 観憂は首を振った。

「フェチ……っていうものは、あまり考えたことがありません。萌えのようなものですよね」

「そう捉えてもらって間違いではない。ふむ。では、きみも北川と同じ地点に立っているわけだな」

 一瞬、植松の目が健に向けられた。

 同じ地点とは、つまり、自分のフェチをまだ知らない状態ということだ。

「よろしい。では、この本の中から、気になるものに手を出すといい」

 壁一面を埋め尽くす本の背表紙を、植松は視線で示した。

 相変わらず、驚くほどの量の蔵書だ。

「自分の好みがわかっていれば、今後の活動も楽になるだろう」

「自由に読んでいいんですね?」

「もちろん。きみは部員なのだから」

 観憂は本棚の前に立った。そこに敷き詰められている本の背表紙に、視線を走らせる。

「前に見学に来たときにも思いましたけど、たくさんありますね」

「似ている内容の漫画や小説は多々あるが、完全に一致しているものはどれ一つとして無い。それが面白いところなんだ」

 植松が活き活きとし始めたことに、健は気づいた。

「たとえば、俺の好きな『幼馴染み』というフェチ……一口に幼馴染みといっても、その扱い方は何通りもある。幼馴染みの子が主人公に好意を抱いているのか否か。料理は上手か下手か――そんなお決まりの設定から、物語への関与の仕方まで、細分化しようとすれば気が遠くなってしまう。だから、同じ『幼馴染み』を取り扱った作品でも、まったく違う切り口のものになるんだ」

 フェチについて語る植松は、やはり輝いて見える。

 それはやはり、植松自身がフェチというものを愛しているからだろう。

 健はそう思っていた。

「植松先輩は幼馴染みが好きなんですか?」

「ああ、そうだな。特に主人公とラブラブしている幼馴染みが大好きだ。もっとも、最初のうちはラブラブでも、あとで別の男キャラに寝取られる展開のものは激しく遠慮する」

「ね、とられ……?」

 聞き慣れない単語に、観憂が首を傾げる。

「恋人が他の男のものになる、という意味の言葉だ。最近ではNTRとも言うな」

「えぬてぃあーる……へぇ、そうなんですか」

 ふいに、観憂は健を振り返った。

「たけちゃんも、幼馴染みいるよね?」

「ん? 芹のこと?」

「そうそう。たけちゃんは幼馴染みに萌えたりしないの?」

 健は少し考えてから、観憂に答えた。

「今まで、植松先輩から貸してもらったゲームには幼馴染みのヒロインが必ず一人はいたよ。でも、どのキャラクタにも萌えることはできなかった」

「……そうなんだ」

 観憂が目を伏せた。

 どこか残念がっているような仕草だった。

 その余韻を、植松の盛大なため息が掻き消した。

「もったいない。俺だったら、フラグを立てまくるというのに。まったくもって、北川は宝の持ち腐れだ」

「部長からすれば、そうでしょうけど」

 健は苦笑いした。霜田芹という幼馴染みがいることを羨ましがられるのは、今に始まったことではなかった。

「これ、借りていってもいいですか?」

 再び本棚に向き直っていた観憂が、一冊の本を取り出した。それは通常の文庫本よりも、高さのある独特な形をした小説だった。

 表紙のイラストでは、学生服を着た美少女が緑色のグロテスクな触手に絡みつかれている。

 官能小説だった。

「ほう、触手ものか。なかなかコアなチョイスをする」

「面白そうなので、ちょっと読んでみようかなぁと思いまして」

「もちろん構わないぞ。持って帰るといい」

 観憂はお礼を言いながら、触手エロ小説を鞄の中にそっと入れる。


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