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「お兄様!」
自分を呼ぶ声に、健は目覚めた。
閉じた瞼の向こうが明るい。
目を開くと、天井の蛍光灯の白色が瞳に突き刺さる。
「ん……マナ……?」
ベッド脇から、触手メイドが覗き込んでくる。表情はいつもと同じく皆無だが、今はどこか物憂げに感じられる。
「大丈夫ですか、お兄様?」
マナに肩を抱き上げられる。
頭に鈍い痛みが走った。
「っ、なにが」
「お兄様の首に、アレが刺さっていたんです」
マナが視線を向けた先では、壁に釘付けになった細長い生き物がのたうっていた。蛍光灯の白色光のもとでは、その姿がハッキリと観察できる。それは木の枝に酷似していた。
健は首筋に違和感があることに気づいた。手で触れてみるとぬめりを感じられる。指先に血が少量、付着していた。
「血を吸われていたのか、僕は」
「そのようです」
マナは窓際に駆け寄った。
木の枝のような生き物は窓の隙間から伸びていた。
「庭の梅の木が本体のようです」
健はマナの隣に立ち、窓の外を見た。マナの言うとおりだ。吸血生物は庭の梅の木から生えているようだった。
「処分して参ります」
マナはそう言って、駆け足に部屋を出て行った。そのあとを、健が追う。
二人で庭に降りる。
草木も眠る丑三つ時。周囲の家々からは人の起きている気配がしない。隣家の芹の家にも、明かりは一つもついていない。
マナは左右の腕から触手を伸ばした。いつもの作業用のものではない。
先端から青白い炎を噴出させているガスバーナーのような触手、ドリルや丸い電動ノコギリを回転させている触手たち……。
とんでもなく物騒なラインナップだった。
「お兄様、この梅の木の伐採を許可してください」
触手を梅の木に向けて、マナが言った。
やれと一言命ずれば、すぐにこの木を木っ端微塵にする勢いだ。
健はマナの前に立ちふさがった。
「待ってくれ、切り倒すのは短慮だ」
「なぜです? その木は、お兄様から血を吸っていたのですよ。お兄様の命を脅かすものは排除しなければ」
「今はなにもしてこないじゃないか。本当に危険なら、あの木の枝みたいな触手で抵抗してくるはずだ」
マナを制止したものの、健はその発言に自信などほとんど無かった。この梅の木は守らなければいけない。なぜか、そう感じた。
「ですが……」
マナは言いかけて、唇を止めた。視線は健の背後に向けられているようだった。
健も振り返って確認する。
着物姿の幼女が、いた。梅の木の幹に体を隠して、不安げな顔でこちらをじっと見ている。
「きみは」
健は幼女のほうへ一歩近づく。
「こじろ――こじろ、か?」
着物に身を包んだ幼女が、おずおずと梅の木の陰から出てくる。
その姿に、健は懐かしさを覚えた。
こじろ――幼稚園時代、健と芹の二人に加わって遊んでいた幼女。あの頃とまったく変わらない姿で、目の前に立っているのだ。
「健……久しぶり、じゃな」
こじろが上目遣いに言った。子どもらしからぬ口調も、昔と同じだ。
「こじろ、どうして今ここにいるんだ? それに、姿も変わってないなんて」
「……すまぬ、健」
こじろは一言断わると、申し訳なさそうに言った。
「わしは……この梅の木に宿っている存在なのじゃ。今までずっと、この場所から健を見ておった」
「お兄様から血を吸っていたのは、あなたですね?」
マナが尋ねた。いつもの抑揚のない喋り方が、健には妙に刺々しく感じられた。物々しい触手たちを収める気配も無い。
こじろは気圧されたように、一歩後ずさった。
「……健と芹とで、折り紙で遊んでいるときに、健が指を切ったことがあったな」
声を震わせながら俯いてしまう。
「あのとき、わしは初めて健の血を口にした。――こんなに美味いものがあるのかと、わしは震えた。できれば、お腹いっぱいに飲んでしまいたいと思った」
だから、とこじろは続ける。
「わしは、もう健には会わないと決めて、この梅の木の中に閉じこもった。……だが、どうしても我慢ができなくなるときがあった。ダメだとはわかっておった。でも、わしは……」
ぷるぷるとこじろが震える。
着物の幼女が自分の行いを自白している。
健は何かいけないことをしている気分がした。
「時々、寝ている健の血を吸わせてもらうときがあった。こんなことはダメだとわかっていたのだが、どうしても」
「だから時々、寝起きで貧血気味になっていたのか」
「本当にすまない、健……」
こじろが頭を深々と下げる。
マナの触手が威嚇するように、ギギッと音を立てた。
「ご自分のしたことがよく理解できているようですね。わたしは機械です。機械は人間に危害を加えません。こじろ様も例外ではございません。……しかし、その梅の木だけは別です。残しておくわけにはいきません」
「マナ、そう言うなよ」
健は手をかざして、臨戦体勢のマナを制する。
「こうやって謝ってるんだから、もういいじゃないか」
「お兄様!」
マナにしては珍しく、非難するような言い方だった。
触手メイドを無視して、健はこじろに歩み寄る。
「もっと早く出てきてくれれば良かったのに」
「でも……わしは、健に……」
「黙って血を吸われてたのは、たしかに困ったよ。だから、今度からはちゃんと、あらかじめ断わってから吸うようにしてくれ」
こじろが顔を上げた。目を丸く見開いていた。
「い、いいのか?」
「貧血になるほど吸われるのは嫌だよ」
「許してくれるのか?」
健は両膝を地面につけた。そうすれば、目線の高さがこじろと同じになった。
「当たり前だ。こじろは僕と芹の大切な友達だからな」
パァッとこじろが笑顔を浮かべた。
首のあたりに、こじろが飛びついてくる。
「大好きじゃ、健!」




