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図書室の閉館時間を過ぎれば、受付の当番も終わりだ。しかし今日は司書の先生に頼まれて、図書の整理もしなければいけなかった。おかげで、帰る時間はいつもよりも遅くなった。
芹は家路につき、まっすぐ我が家へと向かう。
空が暗くなり始めていた。街灯にも明かりがついていた。
芹は自宅の前まで帰ってきた。しかし、すぐに家に入らない。
「…………」
隣家のほうをチラッと見る。
塀を越えた先に、健の家がある。リビングのガラスドアからは、明かりが漏れ出ている。芹のいる場所からでは、中の様子までうかがい知ることはできない。
自宅ではなく、芹は幼馴染みの家へと歩を進めていた。玄関の前まで来たところで、はたと立ち止まる。
(どうすればいいんだろう……?)
家に帰る前に、健と話したい。
そう思ったけれども、芹には上手な方便が思いつかなかった。
とつぜん目的も無く訪れたら、健は疑問に思うだろう。
今日は一体どうしたの?
そう尋ねられたときのための、適当な答えが見つからない。「お喋りしたいの!」とストレートにぶつかっていく勇気も、芹には無い。
こんなふうに、帰り健のもとへ寄り道したくなった理由くらい、自分でもわかっている。
――外世観憂。
あの転校生が現れたからだ。
彼女はなぜか、学校にいるときはいつも、健にくっついている。その二人の間に、芹は割って入っていくこともできない。いつもそばから、健と観憂が親しげに言葉を交わすのを見ているだけ。それで日に日に、健を取られるような気分が募り、焦っているのだ。
外世観憂のいない今なら、何も邪魔されることはない。
でも、どうすればいいのだろう?
いつもなら、母の多く作ったおかずと称して、自分の手製の料理を持っていく。今から作ろうとしても、今日は時間が遅すぎる。出来上がる頃には、健の夕食は済んでいるかもしれない。
健の家の合い鍵を見つめたまま、芹は考え込んだ。
(おかず……晩ご飯……? そうだ!)
おかずを一品だけ持って行くのではなく、夕食を健の家で作ってあげるのはどうだろうか?
妙案をひらめいた、と思った。
しかしすぐに、この作戦の穴に自分で気づいてしまう。
(もしも、もう夕食の準備を始めていたら? そうじゃなくても、いつもの調子で断わられたら……わたしは退かずにいられる?)
だんだんと自信が無くなってくる。ダメだったときの想像ばかり膨らませてしまう。今までなら、ここで回れ右をしていた。
だが今日の霜田芹は違う。
パシッと自分の両頬を打って、自分を奮い立たせた。
(ここでポイント稼いでおかなくちゃ……!)
鍵を差し込み、ドアを開ける。
「お邪魔します……ん?」
家の中に入って、靴を脱ごうとしたときだった。芹は異変に気づいた。脱いで置かれている何足かの靴に、女子生徒の履くようなローファーが混じっている。
電流が走ったみたいに、芹の頭の中が一瞬、真っ白になった。しばし、口を開けたまま立ちすくんでしまう。
「だ、誰か来てるのかな……?」
人がいるのなら、さっき明かりの点いているリビングだ。
芹はなぜか忍び足になってしまった。
リビングのドアは閉ざされていた。そのドアの向こうから、かすかに話し声が聞こえてくる。
「ほら……触ってみて。あ、優しくね」
女の声だ。しかも、これは間違いない。外世観憂の声だった。
(観憂さん……!?)
再度、芹の思考がスパーク。今度は電流ではなく、雷の直撃を受けたような衝撃だった。
顔の筋肉が引きつるのが自分でもわかる。
リビングで交わされる会話を聞き取ろうと、そっとドアに耳を当てた。
「どう?」
「意外と柔らかいんだな。それに、熱い」
冷静な返答は、健によるものだ。
「どくんっどくんって脈打ってるのがわかるでしょ? ね、次はこっちも」
蠱惑的な観憂の誘いに、健が「あぁ」と頷くのがわかった。
(こ、これは……まさか二人で……!?)
芹の顔は一気に熱を帯び、赤くなってしまう。全身の血液が沸騰しているようだった。
気づけば、芹は勢いよくリビングのドアを開いていた。
「たけちゃん、なにやってるのっ!」
直後、時間が止まる。
「芹?」
「芹ちゃん?」
健と観憂はソファの上で、突然の乱入者に驚いていた。
乱入した芹本人も、目を丸くしていた。
想像していたものとはまったく違う光景が、そこにはあった。
「えっ?」
健と観憂はソファの上にいた。二人は抱き合っているわけでも、どちらかが相手の上にのしかかっているわけでもない。ただソファに並んで座っていた。
観憂だけが上はキャミソール一枚になっているが、そんなことは些細なこと。
問題は、観憂の背中から伸びているものだった。
赤い触手。それも五、六本が同時に中空で揺れていた。
「な、な」
うねうね、うねうね……
「なにその触手――!」
町内に響くのではないかというぐらいの叫びが、芹の口から発せられた。
理解の範疇を超えた状況だった。
本能的に、これは逃げなければ、と思った。
芹は急いで踵を返す。
「芹!」
健の声が呼び止めてきたが、それにも振り返ることができない。錯乱した芹は玄関に向かって走り出そうとして――思い切り転んだ。
片方の足首が何かに引っ張られていた。
見ると、赤い触手が巻き付いていた。
「ひぃっ!」
触手はやはり、観憂の背中から出ている。
こちらへ駆け寄ってくる健の姿があった。芹のそばへ来るなり、健は片膝をついた。そしてゆっくり芹の体を起こしながら、ゆっくりと言った。
「芹、僕の話を聞いてくれ」
「たけ……ちゃん?」




