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 購買に行こうと、健が席を立ったときだった。

「健も購買いくんでしょ?」

 観憂がすぐに駆け寄ってきた。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、学校はすでに昼休みに入っていた。教室では生徒たちが友人同士で、食事のグループを形成する。

 健も観憂も、昼食は購買で調達するようにしていた。買ってきた物は、教室でお互い別々に、同性のクラスメートと食べるのだが。

「一緒に行きましょ、購買」

「他の子たちは?」

「みんな、今日はお弁当もってきてるらしいの」

 健は視線を感じた。観憂といつも昼食をとっているクラスの女子たちが、ニヤニヤ笑いながら、少し離れた場所から健たちを見ていた。

「なるほど」

 健は観憂に頷いて見せた。それから、毎日昼食をともにする男子たちに一言、断りを入れる。

「じゃあ、ちょっと購買に行ってくるよ」

 男子たちは「ハイよ」と返事をしたかと思ったら、からかうような調子で「ごゆっくり~」など言ってきた。彼らはみな、観憂の友人と同じようなニヤニヤした笑い方をしていた。

「早く行きましょうよ。売り切れちゃうわ」

「ん? あぁ、そうだね」

 クラスのあちこちから視線を浴びながら、健は観憂とともに教室を出た。

 最近、自分を見るクラスメートの目が変わったことに、健は気づいていた。そのきっかけとなったのが、観憂ということにも。

 観憂が転校してきたその日から、クラスの男子たちからは質問責めに遭った。そのほとんどが、観憂との関係を問うものばかり。

 健が観憂に抱き付かれたことで、彼らは二人の仲を勘違いをしているようだった。

 興奮気味に尋ねてくるクラスの男子たちに、健はあくまでも冷静に答えた。

『引っ越してきてすぐの彼女と、たまたま街で知り合っただけだよ。それ以外には何も無かった』

 嘘ではなかった。街で知り合ったのは本当だ。もっとも、その出会い方が普通ではなかったことと、観憂が触人種であることなどは伏せた。

「ここでの生活にはもう慣れた?」

 購買へ歩きながら、健は観憂に尋ねてみた。

「えぇ、かなり。でも毎日が新鮮で……里にいただけじゃ、見えないものばかりだわ。それに、学校も楽しいの」

「友達ももうできたんだよな」

「授業がわからないことだらけっていうのは、けっこうキツいけど」

 観憂は苦笑いを浮かべた。

「観憂の里って、学校はあるのか?」

「いちおうね。里には一つだけ学校があって、そこで小さい子とかと一緒に勉強してたの。でも、あんまりちゃんとした勉強じゃなかったから、なおさらこの高校の授業にはついて行けないわ」

「たぶん、義務教育の小中学校レベルの勉強はしたんだよね。だったら、少し頑張ればすぐに追いつくよ」

 そうかなぁ、と観憂が首を傾げる。

「今朝の話になるけど、僕も協力するからさ」

 観憂の表情が明るくなる。

 健はさらに一言付け加えた。

「御千髪先輩からも頼まれてるからね」

「……ちぇっ、菊華か」

 観憂は頬を膨らませた。

 その反応に、健は疑問を抱いてしまう。

(まだ御千髪先輩とは仲が悪いのかな……?)

 この街での観憂の住まいは、菊華の家だった。退触師のもとに居候していることになる。それが触人種の観憂を監視しやすくするための計らいであることに、健は気づいていた。

 しかし、観憂が転校してきた日のことだ。

 健は一人、菊華に呼び出された。

「北川くんに、観憂の教育係をお願いしたい」

 ひとけのない校舎裏に連れて行かれ、そこで健は菊華に言われた。

「観憂は人間の街で暮らした経験がない。世間一般の常識もあるに限らない。そこで、観憂に様々なことを学習させるために、きみの手を借りたいのだ」

「僕、ですか」

「承伏してもらえないか?」

 健は菊華に首を左右に振った。

「そういうわけではありませんが……僕よりも、御千髪先輩のほうが適任じゃないんですか? 僕は退触師じゃありませんから、専門的なことがわかりません」

「もっともだ。本当だったら、観憂の世話はこちらでするべきだろう。きみを巻き込むのは、少しばかり心苦しい」

 菊華はわずかに声のトーンを落として言った。

「だが、わたしは生徒会で忙しく、退触師としても見習いの身だ。お父様もお母様も、それぞれの仕事に忙しい。わたしたちだけでは、手が回らないのだ。それに――」

 苦い顔をして、菊華は続けた。

「観憂はわたしよりも、北川くんの言葉のほうが素直に聞くだろうからな」

「触者――」

「そうだ。わたしも完全に信じたわけではないが、きみが触者である可能性はある。そうでなくても、彼女は北川くんを好いている。きみの方が教育係にはうってつけだろう」

 その後、菊華から聞かされた話だが、観憂が健のクラスに転校してきたのは偶然ではなかった。学校を通して、菊華の家が仕組んだことらしい。

 最初から断わるつもりの無かった健は、その話を聞いてなおさら受け入れようと思った。

「わかりました。彼女のことは、僕もお手伝いします」

「助かる。ありがとう、北川くん」

 そんな菊華とのやり取りもあって、観憂が一日でも早く人間の生活に慣れるよう、健はできる限りの手助けをしてきた。学校にいる間はもとより、放課後に学生が立ち寄りそうな店に連れて行ったり。

 だから、クラスメートたちはまったく誤解している。健が観憂と一緒にいるのは、決して恋人同士だからというわけではない。

「今日もすごい人ね……」

 購買の前に群がる生徒たちを見て、観憂が辟易していた。昼休みになってすぐの時間では、混んでいても仕方がない。商品の並ぶ棚まで辿り着くには、かなり人ごみを掻き分けていかなければならない。

「触手を伸ばしちゃえば、すぐに好きな物を取れそう」

「ダメだよ、人前で触手を出しちゃ」

「うっ……わ、わかってるわよ。ちょっと冗談を言っただけじゃない。人間の手は二つしかない。うん、これ常識よね」

 観憂は笑って誤魔化した。

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