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 不審者に注意!

 そう赤字でデカデカと書かれた、道の片隅に立てられた看板を横目に見ながら、北川健(きたがわたける)は家までの道を歩いていた。

 街灯の明かりが眩い。深夜0時を回った今、この道を歩いているのは健だけだ。

 健はコンビニから帰る途中だった。手に提げたビニール袋には、いくつかのスナック菓子やペットボトルの飲み物が入っている。

 テレビゲームの休憩がてら、コンビニに行っていた。

(もう少しで、あのヒロインのルートのエンディングだろう。今夜はそこまでやって切り上げよう)

 風が暖かく感じられる。

 四月も、もう半ばだ。

 不審者に注意しろと看板には書いてあった。暖かくなるとその手の人たちが活発に外に出てくる、という話を健は聞いたことがあった。

(ああいう話は、どこまで本当なのかな?)

 少なくとも、健はこの目で変質者というものを見たことはなかった。

 痴漢や露出狂――人には言えない性癖を持ってしまい、それを発散してしまう者たち。

 彼らのことを、健は少し羨ましいと思った。

(もちろん、犯罪はダメなんだけどな)

 ため息をつく。

 歩いていくと、やがて工事現場に通りかかった。ビルを建て直すらしい、背の高い防音の布で四方を囲まれた土地だ。真夜中の今は、ひとけを感じられない。

 ――なのに、その防音布の向こう側から、かすかに声が聞こえてきた。

 健は足を止め、ついその声に耳を傾ける。

「離せ! ぐっ……こんなことして、どうなるかわかってるんだろうなっ!」

 女の声だった。口調が鋭い。だがそれは、怯えから相手を威嚇するときの声音に似ていた。

「やめ……! そんな汚いもの、こっちに向けるなぁっ!」

 恋人同士が逢瀬を楽しんでいるのとは雰囲気が違う。

(まさか本当に変質者が出たのか!?)

 健はためらうことなく、防音の布の中へと入っていった。

 布の内側は、ずいぶん殺風景なものだった。骨組みさえも立っていない更地だ。その、真っ平らな土地の真ん中に、二人の少女がいた。

 頭上を遮るものはなにもなく、月明かりだけでも視界は充分に確保できる。

 健は目を凝らし、彼女たちを見る。

 二人の少女はどちらも、健の存在には気づいていないようだ。二人とも、お互いのことしか見ていない。周りに気を配れる状況ではないのだ。

「やめろって言ってるんだ! 聞こえないのか!」

 二人のうちの片方――学生服を着た少女が、長い黒髪を振り乱して叫ぶ。彼女は宙に浮かんでいた。見えない力で浮遊しているわけではない。彼女の体には、何本もの筒状のものが絡みつき、それが彼女を地面から数メートルの高さまで持ち上げているのだ。

(ホース……?)

 健はそう思ったものの、すぐに違うと理解した。

 黒髪の少女に巻き付いているものたちは、無機物ではなかった。自らが意思を持つように蠢き、相手の自由を見事に奪っている。その姿は、きわめて動物的だ。

 健は全身に稲妻が落ちたかのような衝撃を受けた。

(あれは触手だ――!)

 赤くて、太い触手。それが十数本、黒髪少女を襲っている。ある一本は腕に巻き付き、またある一本は太ももに巻き付いたままスカートの中へと入り込む。

「気持ち悪い、こんな……離せったら! そんなところ触るなぁっ!」

 黒髪少女の強気な姿勢が崩れ始めていた。

 その姿を間近で見て、ほくそ笑んでいるのがもう一人の少女だった。

「ほらほら、どうしたの? もっと抵抗しなさいよぉ」

 弾むような声は、少女の口から発せられたものだった。

 少女は背中の大きく開いたドレスを着ていた。その、背中の部分からは赤い触手が伸びている。信じられないことに、黒髪少女を襲っている触手は、彼女の体の一部のようだった。

 非現実的な光景が、健の目の前に広がっている。

 触手を伸ばす少女と、その触手に襲われている少女。

 健は息を呑んで、二人の姿を見ていた。頭の中は真っ白だ。だがそれは、恐怖によるものではなかった。

 この光景に感じるもの、それは――。

「……誰?」

 傍観者の存在に気づいたらしい、触手をのばしていた少女が健のほうを見た。それで、健はハッと我にかえる。

「見られちゃったかぁ」

 触手少女が嗜虐的に口の端を歪める。彼女の背中から、新たな赤い触手が生えてきた。

「あなたも仲間に入れてあげよっか?」

「っ! やめなさい! 一般人を巻き込むのは取り決めに反する! そんなこと絶対に、このわたしが――んむぅっ!」

 黒髪少女が声をあげたのもつかの間、一本の触手が彼女の口にねじ込まれた。

「うるさいんだから。ちょっと黙っててよ。――さぁ、どうしよっかなぁ」

 触手少女が楽しそうに笑う。

 何本かの赤い触手が、その先端を健に向ける。

 健はすでに普段の冷静さを取り戻していた。その澄み切った思考で、体の自由を奪われた黒髪少女を助けられないかを検討する。

 結論はすぐに出た。

 不可能、だ。

 手元にはコンビニで買った商品ぐらいしかなく、工事現場の中にも使えそうなものはない。普通の人間にさえ、素手では敵わない可能性が高いのだ。ましてや触手が相手では、力で立ち向かうのは無謀すぎた。

 触手を操っているあの少女は会話ができるようだ。

 となれば現実的な手段は、交渉しかない。

(応じてくれるとは思えないけど……やるしかない)

 健は一歩、前に歩み出た。

「その人を離してあげてくれ」

 ダメもとで、触手少女に話しかける。

 会話の足がかり程度……そんなつもりの言葉だった。

 ところが、触手少女は思わぬ反応を見せた。

「えっ、なに……!?」

 触手少女は戸惑いの声を上げた。

 さらに、中空に浮いていた赤い触手たちは地べたに落ち、根元からゆっくり、触手少女の背中へと埋まっていく。黒髪少女に巻き付いていた触手も、その締め付けを解いた。

 触手が全て、彼女の体の中へと戻る。

「こんなの、初めて……どうして……」

 自分でもなぜ触手を収めたのか、理解できていないのか。触手少女は両頬を手で触れて、独り言をぶつぶつ呟いている。

「まさか――」

 触手少女はチラチラと健のほうを見る。

 その視線が妙に熱を帯びていることに、健が気づけるはずはなかった。

「今日は、これでさよならね」

 触手少女はそう言うや、触手を一本だけ背中から出した。その一本を、工事現場の隣のビルへと伸ばす。ビルのどこかに巻き付けたのだろう、触手がピンと張った。

「また会いましょう」

 健に笑って言うと、彼女はビルの方へ後ろ向きに飛んでいった。触手を引き戻す力を利用して、ビルの壁面へ飛び移ったのだ。ビルの壁に足を付けると、そこからさらに触手を伸ばして、別のビルへと移動していく。

 あっという間に、暗闇の中に彼女の姿が消えた。

 健は残されたもう一人の少女のもとへ駆け寄る。

「大丈夫ですか? ケガは?」

「……平気よ」

 黒髪少女は地べたに尻餅をついた格好になっていた。

 よく見れば、その少女の制服は健の通う高校のものだった。いや、それどころか、少女そのものにも見覚えがあった。

「もしかして、御千髪(みちがみ)先輩ですか?」

「――! どうしてわたしのことを……あぁ、そう……同じ学校の生徒、ね」

 御千髪菊華(きっか)は苦い顔をする。

「御千髪先輩、さっきの子はなんだったんですか? それに、あの触手……」

「あなたには関係ないことよ」

 健の質問に応えず、菊華はそばに落ちていた日本刀の柄を握った。菊華の私物らしい。日本刀は鞘に入ったままだった。

 スカートについた土を手で払いながら、菊華は立ち上がった。

「ここで見たものは誰にも言ってはダメよ。そして、できれば忘れること。いいわね?」

 言って、菊華は日本刀を片手に、工事現場を走り去っていった。

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