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緋き死神と亡国の英雄  作者: 水瀬紫苑
 一章 放浪
6/36

依頼

男は淡々と話を続ける。流石に場数を踏んだ協会の人間だ。立ち直りも早かった。


「先程も申し上げました通り、今回の依頼は内密に、迅速かつ確実に行わなければなりません。故、相手側に決して悟られないように、幾つかの部隊に分けて向って頂きたい」


そう言うと、脇に抱えていた大きな紙筒を机に広げた。机の周りに男達が集まってくる。男はとんとんと地図を叩きながら説明をしていった。


「この村からであれば、恐らく半日もあれば辿り着けるでしょう」


そう言うと、つつと指を滑らせ、村から伸びた一本の線をなぞる。


「報告によると、街道から離れたこの山林に、少しばかりですが身を隠す場所があったそうです」


一拍の後、とんとんと一点を叩く。


「山の麓には小さな村が御座います。――その村の村長には話を通してありますので、幾つかの宿は確保しておりますが……」


指の先には、「アルゴ村」と書かれていた。


「これらは、我々の放った密偵からの報告です。この情報をどう利用されるかは、貴方がたに一任致します。――ですが、全員で動かれましたら、相手に気取られる可能性が御座います。各個人で動かれるか、数名に分かれるか……どちらにせよ、決して相手側に悟られぬようにお願い致したい」


そしてぴたりと1点を指す。


「山賊が根城としておりますのは、この山の中腹で御座います。アジトの場所も特定しておりますので、後ほど詳細地図をご覧ください。

人数は40人前後。正確な人数までは分かりかねますが、その程度と思って頂きたい。」


そう言うと、男は二枚目の紙を広げた。それは一枚目よりも範囲が狭く、幾つかの書き込みがしてあった。ぐるぐると円で囲んである場所、バツ印をつけている場所。小さな点を打っている場所。


男は再びとんとんと地図を叩き始めた。


「このバツ印は、実際に被害に遭われた場所で御座います。この小さな点は、山賊らしき者達が目撃された場所――そして……」


男は円へと指を滑らせる。


「略奪を終えた連中は、この場所へと入って行ったそうです」



しんと静まり返る室内。


誰も口を挟むことなく、視線は一点に集中され、全員が男の話に耳を傾けていた。


「以上が我々が提示できる情報の全てで御座います」


そう言うと、男は一歩下がった。


「先程も申し上げましたが、此処にお集まり頂きました皆様は全員がルガイ以上の経験豊かな方々で御座います。故に、我々が余計な口を挟みますよりも、皆様が各人で判断された方が確実かと思われますので、皆様で意見を出し合い、この場で作戦の詳細を話し合って頂きたい。

僭越ながら、私はここで、依頼内容に反していないかを見定めさせて頂きます」


ああ、それと。男は全員を見渡して言った。


「最低でもルガイ、ということは、当然ルガイ以上の位を持つ方もいらっしゃいます。どのような作戦を立てられるかは存じませんが、作戦指揮はルガイ以上の方に執って頂いた方が宜しいかと。各部隊長も務めて頂きたい」


そう言うと、男は口を噤んだ。宣言通り、口を挟むつもりはないらしい。さあどうぞ、と云わんばかりに周りを見渡す。


辺りは静まり返ったまま。その場に集まった猛者たちは、戸惑いの表情を浮かべ、ただ眼を見交わしていた。その中でただ一人、睨むようにして地図を凝視している男がいた。


アルと呼ばれた美貌の少年。彼は狼狽する周りに目もくれず、何かを考えるようにただただ地図を凝視していた。


 ※ ※ ※


男たちは戸惑っていた。しかし、彼らは何れも経験豊かな猛者たちである。ぽつりぽつりと意見が出始め、直ぐに議論が開始された。


その口火を切ったのは、リュートに絡んでいった男だった。確か、ガディルと名乗っていた筈である。歳は30後半から40前半。筋骨隆々とした、立派な体躯。短く刈り上げた茶髪。瞳の色は焦げ茶色。その目元に小さな傷があり、眼光は鋭く、傷と相俟って恐ろしく近寄りがたい印象を与えている。眼元だけではなく、男の体中に傷があり、幾多もの修羅場を経験してきた事を物語っている。その強面からか、支配者としての威厳か。反発する者もなく、自然と彼を中心に据え始めた。


「先ず人数だが、待機組を多くした方がいいと思う」


とんとんと地図を叩く。


「見たところ、此処と、此処と、此処……後、ここもいけるかもしれない

身を隠すにはうってつけだ」


彼の意見に、皆首肯する。


「役割も決めておいた方がいいだろう。体力的に、ここから直接向う奴が一番体力を消耗している」


まあ最も、俺にとっては準備運動にもならんがな。ふんと鼻を鳴らし、自慢気に胸を反らす。その台詞に、室内に笑いが起こる。俺だって、と名乗りを上げる人間もいた。


僅かに和んだその空間で、更に話し合いは続く。


「先ず大きく分けて3つ。一つは囮だ。隊商を装って奴らをおびき寄せる。

もう一つはアジトまで乗り込んでって一網打尽にすることだ。

最後に……要領は悪いが、鼠狩りだ。出会い頭片っ端から切り捨てる」


まあ最も、最後のは隠密とは言い難い。依頼内容に反するがな。そう言って締めくくる。


「一番いいのは、奇襲だな。アジトの場所が割れてんだ。奴らは袋の鼠……一か所に集めて殺りゃあ早ぇ」


再び地図に視線を落とすと、そこから議論が交わされ始めた。人数、待機場所、開始時間。各自意見を出し合って、なんとか話し合いの形は保っている。


しかし、参加していない人間もいた。リュートと名乗った青年は、皮肉気に笑いながら、遠巻きにその光景を見ていた。ルファと名乗った少年は、自分なんかが、とでも言いたげに、居心地悪そうにしていた。そして、アルと名乗った美貌の少年。彼は一言も発することなく、なおも睨みつけるようにして地図を見つめていた。



リュートはその光景を遠巻きに見ていた。そのつもりはないのだが、どうしても皮肉な笑みが零れてしまう。男たちが顔を寄せ合い話し合うその姿を、むさ苦しい、とつい嗤ってしまう。


しかし、理由はそれだけではない。彼らは一様にして、自己主張が激しい。先程から聞いていると、我が我がと随分自分を押し出している。自分なら大丈夫。自分なら出来る。自分なら余裕だ。自分はこれ以上のことをしたことがある………。


これで本当に大丈夫なのかと問いたくなる。本来なら、冷静に自分の能力、経験を考慮しなければならない。己を過大評価しすぎると、それが命取りになってしまう。しかし、全員がルガイ――つまり、普段は人の上に立っている人間である。その自信は当然なのかもしれないが。


こいつらと一緒で大丈夫なのだろうか……。


心配になると同時に、皮肉な笑みが零れてしまうのは当然である。


己を過大評価して、他者を見下し連携がとれず、個々で動き 自滅する――


(俺は御免だね。そんなの――)


リュートには手に取るように分かっていた。今後の運命、彼らの辿るべき末路が。



ガディルと名乗った男に視線をやる。恐らく彼は数少ない例外――ルガイ以上だ。


彼が上手く連中をまとめ上げてくれれば勝機はある――が。ルガイ以上は彼だけではない。そいつらを従わせることが出来るか……。



再び視線を移動させる。恐らく彼もルガイ以上だ。先程から一言も発せず地図を睨みつけている少年。


アル。


改めて彼を観察し、自分なりに分析してみた。年齢は十代後半。二十歳には達していないだろう。色素の薄い稲穂色の髪は襟足まで伸び、前髪は目にかかっている。此処まで随分と長旅をしてきたのか、服は薄汚れ、ところどころ破れている。頬も埃で汚れ、随分とみずぼらしい格好をしているが、その美貌を損なうこともなく。何処となく高貴な雰囲気を持っており、きっと飾り立てれば貴族の子弟で通ることだろう。


その肢体はほっそりとしており、この場にいる筋肉自慢の男達の半分しかないのではないかと思うほどだ。きめ細やかな白磁の肌。大きな瞳を覆う長い睫毛。形の良い唇。その女性的な容貌と細い身体、そして年齢を併せれば、彼を戦力として扱うことは難しい。


しかしながら、彼にはそう簡単に切り捨てることの出来ない何かがあった。その姿と相反する彼の堂々とした立ち振る舞い。ただ立っているだけのように見えても、彼の四肢全てに神経が行きわたっており、動きに無駄がない。じっと佇む姿はとても洗練されており、まるで絵画のように美しいにも関わらず、他人を屈服させる何かがあった。


そして何より、その眼だ。長い睫毛に縁取られたその瞳は、女性的な繊細さを持つ美しい容姿に似合わず鋭利だ。まるで闇の中で生きてきたような闇い瞳。しかし何故か眼を逸らせないほどに引力がある。



(――まるで死神卿だな――)


彼の亡国の英雄も、このような感じだったのだろうか――?



その形の良い唇に、ふと嗤いが浮かぶ。そうだ。年齢など瑣末なことだ。


何故なら――噂通りなら彼の英雄は――



「では配置だが、希望はあるか?」


その低い声に一気に現実に引き戻される。どうやら粗方作戦は決まったらしい。配置について希望を出し合っていた。聞き取れぬほどの小さな声で、隣の少年に問いかける。


「結局、どうなったんだ?」


「何人かを見張りに置いて、残りメンバーでアジトに攻め込むみたいです。……っていうか聞いていなかったんですか?」


責めるような視線を向けられ、爽やかな笑顔で返す。諦めたのか、ルファは小さなため息をついて、もういいですと呟く。


そんなルファの様子を無視して、再び思案する。


(まぁ、妥当な線だな――)


情報量の少ない現時点では、それが一番いい手段だと思われる。力量的に自分は攻め込む方に回った方がいいのかもしれないが……


ちらりと前方に視線をやれば、予想通り、血の気の多い男たちがこぞって攻め込みたがっていた。


(まぁ、やる気のある奴に任せた方がいいよねぇ……)


自分は楽な見張りがいいかなぁ……。呆とそんなことを考えていたら、妙な沈黙が落ちた。


男たちの視線が一点に集中する。辿るまでもない。その視線の先にいたのは、未だ沈黙を貫き地図を睨みつけていた美貌の少年。


部屋が奇妙な沈黙に支配され、えもいわれぬ緊張感が満たす中、少年は顔を上げ、初めてその口を開いた。


「……詳細地図はあるか?」


視線の先にいた男――仲介人は、まさか話しかけられるとは思っていなかったらしく、動揺してしどろもどろになっていた。


「え…ええと……地図、ですか?」


「ああ。その山の詳細地図だ」


そう言って顎をしゃくり、机の上の地図を指す。


「い……いいえ。私が頂いたのはそこにある地図のみで御座います」


慌てて答えると、「そうか」と一言返ってきた。そして再び沈黙がおちる。思案を再開し始めた彼の瞳には、目の前の屈強な男たちは映っていないようだった。


無視された事に憤りを感じた男たちは、思わず食ってかかる。


「おい!!そこの餓鬼!!」


「無視してんじゃねぇぞくらぁ!!」


「いい加減にしろよ!!餓鬼のお遊びじゃないんだ!!」


喧喧囂囂と文句を垂れる男たち。一気に不穏な空気が流れ始めるが、少年は意に介した様子もなく、鋭い瞳で黙考していた。


「――っ!!てめぇ!!」


一色即発の張り詰めた空気が頂点に達したとき、1人の屈強な男が前に進み出た。彼らの中心にいた男、ガディルである。


彼は鋭い瞳でアルを睨みつける。その恐ろしさに、周りの男たちですら気圧されていた。何度目になるか分からない沈黙が部屋を満たす。迸る殺気に、恐怖にも似た思いが支配する。しかし、屈強な男たちでさえ怯えるその視線を一身に受けながら、アルは矢張り平然としていた。


その態度が気に入らなかったらしい。ガディルは、更に凄味を増すと、地の底から響いてくるような低い声で問い詰める。


「いい加減にしろよ糞餓鬼がぁ!!」


凄みの効いた大音量が、びりびりと空気を震わせる。


「いいか!!これは仕事だ!!餓鬼のお遊びじゃあねぇ!!

何の手違いで紛れ込んだか知れねぇが、てめぇみてぇなお譲ちゃんが来る場所じゃあねぇんだよ!!!」


その少女めいた容貌に対する皮肉に、周りから失笑が漏れ聞こえてくる。しかしアルは微塵も動じることなく、平然と答えた。


「……手違い?子供が簡単に紛れ込めるような確認方法しかとっていないのなら、随分と安い仕事だな」


その言葉にかっとなり、頬を朱に染める。


この仕事は、数年に一度訪れるか分からない大仕事だ。ルガイの中でも、特に選りすぐりの精鋭たちを集めたと仲介人にも言われている。少数精鋭。その少数に選ばれた、という彼らの矜持を刺激したのだ。ガディルだけではない。怒りは周りに伝播し、辺りは一瞬にして殺気立つ。


(あ~あ。そんな言い方したら、敵作るだけだろう?)


馬鹿だねぇ、と心の中で呟く。ルファが聞いたらきっと、己の言動を棚上げしてよくもまあ、と呆れるに違いない。


「てめぇ!!」


ガディルはアルの胸座を掴み、力任せに引き寄せる。息がかかるほど近くに恐ろしい顔が近付いても、彼は矢張り表情を変えることはない。


「俺は傭兵協会から正式な依頼を受けて来た。それはこの場にいることで既に証明されている。――この依頼の条件は何だ?」


彼は怜悧な瞳で淡々と続ける。


「この場に集った人間は皆、条件は同じだ。協会側で、この依頼を受けるに相応しい能力を有していると判じたからこそこの場にいる筈だ。ならば上も下もない。同等の発言権はある筈だが?」


その物怖じしない態度に、寧ろガディルの方が気圧されていた。しかし、彼は数十年に亘り人の上に立ち、誰よりも強く在った。こんな年端もいかぬ小僧に――しかも、女みたいな貧弱な子供に気圧されるなど、あってはならないことだった。


彼は己の優位を示さんと、更に声を荒げる。


「条件が同じ?同等の発言権?……はっ!!ふざけんな!!」


更に顔を近づけ、凄みを効かせる。


「てめぇみてぇな餓鬼と一緒にすんじゃねぇ。確かに条件は一緒だなぁ?ルガイでさえあればいいんだ。けどなぁ、ルガイっつっても経験や位が違ぇんだよ!!てめぇみてぇなケツの青いひよっこと俺様が同等な発言権を持つ訳ねぇだろ!!」


一気に捲し立てると、突き飛ばすようにしてアルを離す。


「いいか!!餓鬼に発言権なんてねぇ!!てめぇは大人しく俺らに従ってればいいんだよ!!」


びりびりと空気を震わせるほどの一括。その迫力に、失笑していた男たちですら気圧され、いつしか部屋には沈黙が降りていた。男たちは、怯えを含んだ瞳でただ成り行きを見守っていた。


そんな緊迫した雰囲気が流れる中、ぷっと吹き出す声が聞こえてきた。自然と視線がそちらへ集まる。その視線の先、肩を震わせ笑っていたのは、蜂蜜色の髪をした軽薄そうな男。リュートだった。


隣の少年、ルファが慌てて袖を引くも、彼は嗤いを収めることもなく、ただ肩を震わせていた。


「んだぁ~?てめぇ……」


ガディルが低い声で凄んでも、彼は怯えることもなく、軽薄な笑みを浮かべ言葉を紡ぐ。


「一緒にするな……ねぇ?」


へらへらと笑いながら、まるで挑発するように続ける。


「まぁ、確かに一緒にはされたくないなぁ?こぉんなムサイ連中と一緒じゃあ女の子にモテないしねぇ?」


「んだとぉ!?おるぁあ!!」


アルよりは年上とはいえ、恐らくは20代前半。リュートもかなりの「若造」だった。格下の子供に馬鹿にされ、ガディルの怒りは頂点に達していた。しかし当のリュートは怒りの矛先を向けられても、軽薄そうな笑いを収めることはない。


「お~。怖い怖い。そんなに怖い顔で睨まれたら俺、ビビっちゃうじゃん」


あ~夢に見そう、と呟きながら腕をさする。射殺しそうな視線を受けながらも、彼は怯えた様子を見せない。


「経験……位……ねぇ?まぁ、ルガイの中でも上中下はあるし、当然ルガイ以上も混じってるけどさ?彼もその若さでルガイになったんだよ?相当な実力があると踏んでもいいんじゃないかい?きっと、戦力になるよ?」


あまり決めつけるのもねぇ。そう言って肩を竦めるリュートを睨みつけ、ガディルは怒鳴りつける。


「ざけんな!!餓鬼を恃むほど落ちぶれちゃいねぇんだよ!!このくそがきゃあ!!」


空気を揺らすほどの大声に、眉を顰め、耳を塞ぐ仕草をする。


「年齢は関係ないってば。そんなに歳を気にするなら、件の死神卿はどうなるんだい?」


その言葉に、ガディルの言葉が詰まる。



それはとても有名な噂で、ほぼ真実に近いとされていた。帝国に最も恐れられた男。今は亡き救国の英雄。


その鬼神の如き強さから死神の異名で呼ばれていた彼が、未だ幼い子供であったことを――


 ※ ※ ※


何処までが本当なのかはわからない。噂とは常に虚構を含むものである。真実に大仰という装飾を施し派手に飾られたその姿からは、本質というものは見えなくなってしまう。


しかし、火のない所に煙は立たぬという。喩えどのような噂であろうと、その芯の部分には必ず真が隠れているものである。


「彼」に対する噂も例に漏れない。


死神卿、緋き死神、緋の英雄、クレイスの死神・英雄――


様々な呼ばれ方をしている、彼。噂は一人歩きをし、大仰に虚飾されていった。


しかし全てにおいて共通の噂があった。血のように赤い髪。闇のように黒い瞳。見るもの全てを魅了する美しい容貌。鬼神の如き強さ――そして、年端もいかぬ幼い子供であるということ。



人々は嗤った。そんなはずはないと。アドリア中の、どんな正規軍も勝つことが出来なかった帝国の将を次々と打ち取り、帝国人の屍で山を築いたといわれる英雄が、ただの子供であるはずがないと。


しかし、数多の証言があることも事実。十を幾つも超えていない、まだあどけなさの残る少年が、戦場を風のように駆け抜け、次々と帝国軍を打ち取って行く姿を目に焼き付けた人々は多い。


そもそも、中心となっていたクレイス国第二王子イクスレイムも、まだまだ少年――16歳であった。それ故、当初はお子様軍、ままごと軍と嘲笑われていた。王子はただの飾り。本当に指揮を執っているのは、クレイス最強の軍人と謳われたオスマン卿であるとも。


しかし彼は――彼等は、回を重ねる毎に人々の口を閉口させ、常識も概念も全てを吹き飛ばし、実力を認めさせた。


最早彼らを疑う者はいない。



 ※ ※ ※


「つまりさ、アンタの言うとおり餓鬼は使えないってなら、彼の亡国の英雄、死神卿はどうなるんだい?」


ガディルは口を噤むしかない。彼の英雄譚は彼も知っている。その全てが真実であるとは思っていないが、少なくとも幼い容姿と小柄な体躯であったことは間違いないのだ。


「もし死神卿が生きていれば、彼か、この少年くらいの年齢だろう?」


そう言って、傍らにいたルファの頭にぽんと手をやる。


いきなり矛先を向けられてしまったルファは、ぎょっとしてリュートを見上げるが、彼は気にせずに続ける。


「彼が極端に童顔、小柄だったと仮定しても、大体上限は俺位だろう?……そもそも、金の王子だって当時彼くらいの年齢だったはずだし」


そう言って、アルを指す。言い返せずに、悔しげに唇を噛みしめていたガディルだったが、苛立ちまぎれに怒鳴り散らす。


「だから何だってんだ!!今そいつらは関係ねぇだろう!!」


その台詞に肩を竦める。


「うん。まぁ彼等は関係ないけどさ?ただ、年齢は関係ないんじゃないかって話。お子様でも強い人間だっているっていう、ただの喩え話さ」


だから彼の実力も知らないのに使えねぇって決めつけるのもよくないんじゃないかってことさ。そう言って締めくくる。


「それに、彼を否定するってことは、彼を推薦した協会をも否定するってことでしょ」と、飽くまでも飄々と続ける。そんなリュートの態度に、怒り沸点に達したガディルは詰め寄る。


「さっきから何が言いてぇんだてめぇはっ!!」


ガディルの面相がどれほど恐ろしく歪もうとも、リュートは軽薄な笑いを納めない。


「え……だから、彼がさっきから何を気にしているのかが気になってさ。更に詳細な地図を欲しがってたし、何か気になることがあるんなら意見を聴きたいかなって」


あんたたち聞く耳持ってなさそうだったしねぇ。そう言って肩を竦める。


ガディルの肩が怒りで小刻みに震えている。それに気付いているはずなのに、リュートはさぁどうぞとアルに主導権を渡す。


(……酷い……)


ルファは思わず同情してしまう。今更土下座したところで収められないほどに怒りを煽るだけ煽って、あとは丸投げしたのだ。自分だったら依頼など放っておいて全力で逃げているところだ。正直、現段階で既に逃げ出したい。同情と怯えを含んだ眼差しでアルを見つめる。


しかしその瞬間、ルファは瞠目した。彼は全く動じていなかったのだ。相変わらずの無表情で、泰然と構えていた。


いやそれよりも、今までの会話を聞いていたのか、唇に手を当て、何かを黙考している。その我関せずな態度に思わず感心してしまう。自分が話題にされているにも関わらず、会話に耳を傾けることもなく自身の内に籠っていたのだ。


先程より少しばかり表情が険しくはなっていたが、変わらず彼は地図を睨みつけている。その態度に更に怒りを煽られたガディルは、部屋中が揺れる程大声で怒鳴る。


「聞いてんのかこのくそがきゃぁ!!!」


あまりの大音量に脳みそが揺さぶられ、ルファはバランスを崩す。くらくらとしながらも成り行きを見守っていると、アルは漸くガディルに視線を移すが、その瞳には微塵の興味も移ってはいなかった。


「何がだ」


静かな問いかけに、ルファの頭上から聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「え……だから、そんなに怖い顔をして、何を考えているんだい?何か気になることでも?」


口を開きかけた瞬間に台詞を奪われ、ガディルの中には行き場のない怒りが積もっていく。それを感じたルファは、お願いだからもうやめてくれと懇願の視線をリュートに向けるが、彼は矢張りへらへらと笑うだけだった。


ガディルの射殺しそうな視線を感じ、ルファは生きた心地がしなかった。早く終わって欲しいと切に願っていると、アルの視線がこちらに向いた。正確にいえば、彼の斜め上――リュートに定められていた。


「地図の有無を聞いていたよね?何か不備でもあったのかい?」


その台詞に、じいと探るような、値踏みするような視線を向けるが、ふいと視線を机へと滑らせる。


「その地図には載っていない。だから他の地図が必要だった」


「載っていないって何が?」


その興味深そうな声に、再度視線を移す。一瞬の沈黙の後、アルは口を開いた。


「抜け道だ。」


「……へ?抜け道?」


眼を丸くしてきょとんとしているリュートを一瞥して、アルはつかつかと歩き出す。アルが歩を進めるたび、人々が後退し、道が開けてゆく。


そんな周りに頓着せず、彼は口を開いた。


「アジトへの抜け道、もしくは宝物庫……だ」


まるで呟くように無造作に紡がれる声。しかし何故かその声は部屋中に凛と響く。


「まるで確信してるみたいな言いかただねぇ」


「ある。それを地図が証明している」


机の前で立ち止まり、とんと地図を叩く。


「ここだ」


その一言に、ひょいと地図を覗き込む。アルが指さしていたのは、一つのバツ印。


「場所がおかしい」


「……これが……?」


「ああ。この周りにあるものは何だ?」


「何って山…………ああ、そうか」


納得したように呟く。その反応を確かめた後、アルはつつと指を下に滑らせる。


「奴らの根城はここだ」


次に指を右に滑らせる。


「村へ通ずる橋はここ。なら、どうしてこんなところにいる?」


アルの指差したバツ印――つまり、賊の目撃された場所は、山の中だった。


「この地図で見る限り、奴らが根城にしている洞窟の入口はここ……反対方向だ。村を、通行人を襲うなら、この橋の付近を見張ればいい。こんな山奥まで分け入ってくる人間なんて、ほとんどいない。金目のものを持ち合わせていない、狩人や薬草とりくらいだ」


ならば、獲物のいない、入口とは反対方向の山奥にいた理由は何だ?


アルの鋭い視線に射抜かれ居心地の悪い思いをしながらも、それを表には出さずリュートは口を開く。


「アジトへの秘密の抜け道、若しくは戦利品をしまいこむ第二のアジトがある可能性が無きにしも非ずってことかい?」


無言の首肯。リュートの頬を冷たいものが流れる。


(おいおい。たったこれだけの資料でそこまで読み取ったのかよ)


他の連中は、攻め込むことしか考えていなかった。地図を、潜伏場所の決定程度にしか見ていなかった。


――まるで、格の違いを見せつけられたようだった。


現に彼は、最早部屋を見ていはいない。彼の意識は賊の住まう山、もしくはその先――他のものへと移動していた。こんな瑣末な依頼など、どうだっていいと。気合を入れてかかるような大事ではないとでもいうかの様だった。


「……だから、場所を特定したかったわけね……」


呆然と呟く。アルは再び視線を動かす。


「アルゴ村へ行けば、手に入るか?」


蚊帳の外にいた仲介人は、慌てて答えた。


「は……はい。確証はありませんが。あの山はアルゴの食糧庫……薬草や山菜が大量に取れますので、山賊が蔓延る前は村人たちもよく出入りしていたと伺っております」


地図くらい……と続ける仲介人から漸く男たちに視線を移す。


「と、言うことだ。希望だったな。俺は今からアルゴへ向かう。そこで山の地図を確認したい」


淡々と言い放つ。しんと静まり返る室内。徐々に喧騒が広がって行くが、最早聞きなれた怒鳴り声が男たちの声をかき消した。


「ふざけるなあぁ!!糞餓鬼どもがぁ!!!!」


顔を真っ赤にしたガディルが体中から湯気を吹きだしながら立っていた。


「さっきから聞いてりゃ勝手なことばかりぬかしやがって!!」


ガディルはぜいぜいと肩で息をする。そんな様子にもまるで関心がないかの様に、アルは冷めた視線を向ける。その視線に少しばかりたじろぐが、先ほどから溢れだしている怒りはそれを許さなかった。


「話を聞いてなかったのかよ?アルゴ隊は特攻部隊なんだよ!!てめぇらみてぇなガキどもはお呼びじゃねぇんだよ!!」


アルは先程の話し合いを思い出す。確か、アルゴ村から向かう部隊は1番体力が有り余っている為、1番危険な役目を担う。つまり、アジトへ乗り込むことになっていた筈だ。


そして待機組は、アルゴ隊が賊をアジトに足止めをしている間に集結、合流する手はずになっている。ここから直接向かう人間は体力の消耗が激しいため、各ポイントの見張りをする――と言っていた気がする。


――ならば。


「それなら見張り場所を1つ追加するだけだ。大したことじゃない。アジトへ乗り込む人間が1人減るくらい何でもないんだろう?……1人でも大丈夫だったな?」


その言葉に、男たちは思わず俯いて口を噤む。先程から男たちは、作戦会議なのか自慢大会なのか分からない会話を繰り返していた。


俺なら5人は大丈夫だ。


否、俺は10人。


俺は1人だって充分だ。


俺は


俺は


俺は……。


腕自慢の男たちは、こぞって大言壮語をまき散らしていた。


――よもや嘘ではあるまいな?


アルの瞳はそう問いかけていた。



「ぷはっ」


吹き出す声が聞こえた。


「あっはは。確かに。言ってた言ってた」


けらけらと笑い転げるのは、やはり彼だった。


「いいんじゃん?1人くらいさ。抜け道云々以前に目撃情報がある以上、無視もできないっしょ」


彼の言い分にも一理ある。しかし怒り沸点に達したガディルには、とても認めることなど出来なかった。


「餓鬼は黙ってろっつってんのが分かんねぇのかっ!!」


彼は長きにわたり、荒くれ者達を束ね、その頂点に君臨してきた――自分と同等の位を持つ傭兵になど出会ったことがなかった。畏敬、畏怖。そんな視線を受け、彼は愉悦に浸っていた。人々が彼に向ける視線はいつだって彼を満足させてきた。


稀に生意気な人間が反抗的な態度をとることもあったが、彼が一睨みすればすごすごと引き下がる。それが、こんな年端もいかぬ子供たちに馬鹿にされ続けるなどとは。


現に周りの男たちは自分を恐れている。しかし目の前の子供二人だけは自分を恐れない。


あってはならない事だった。


有り得ない 事だった。


怒りで目の前が真っ赤に染まる。しかし、鬼のような形相になったガディルを見ても、リュートはへらへらと軽薄な笑いを浮かべ続ける。


「だから、年齢は関係ないってば」


そして、手をぱんぱんと打つと、にやりと不敵に笑う。


「なら、あんたの言う、実力ってやつで決めようじゃないか」


「実力だぁ~?」


「そうさ。要は、餓鬼は弱っちくて頼りになんないって言いたいんだろ?だったら、実は頼れる男だってことを見せりゃ文句ないよねぇ?」


そう言って懐に手を入れる。


「さっき、仲介人様はなんて仰ったかね?指揮を執るのはより位の高い人間。意見が割れたら偉い人を立てましょう」



そして、懐から取り出したものは――


しゃらり、と澄んだ音が室内に響く。



「これが、俺の傭兵の証だよ……」



かしゃんと乾いた音を立て、何かが机の上に置かれた。その細い指から見えた物に、辺りは騒然とした。


リュートはそれから手をどける。その顔には、勝ち誇ったような不敵な笑みが浮かんでいた。


机に置かれたものは、腕環だった。傭兵証――試験をクリアして、正式に協会側の人間として認められた者に贈られる腕輪。薄い、平たい銀色の腕環の外側に、細い4色の腕輪が装飾されているかのようにつけられている。


銀の腕輪は傭兵の証。細い腕輪はその者の階位を表す。


「あっ……アメジストっ!!」


誰かが驚愕を露わに叫ぶ。



イーシャ、レート、ルガイ。そのた三種の位の上に更にウェールと呼ばれる階位がある。ウェールは、ルガイの中でも百人に一人現れるか否かと呼ばれるほど貴重な存在である。アメジストの腕輪は、ウェールの位を表わす。


事実上最高峰と呼ばれる位――


それを、たかだか20を少し過ぎた様な青年が持っているのだ。驚くな、という方が無理な話である。


ざわざわ揺れる周りを見渡し、リュートは勝ち誇った笑みを浮かべていた。最低でもルガイだと、仲介人は言った。ルガイ以上がいるとも。


しかし、数は多くない筈だ。あまり多く入れると反発しあい、騒乱のもとになってしまうからだ。


数名――片手の数で足りるほどの小数を入れることで、下の者――ルガイを上手くまとめ、素早く依頼をこなすことが出来るのだ。


この場のリーダー格であるガディルも、おそらくはウェールであると踏んでいる。本当は、彼の態度から更に上であることも考慮に入れていた。しかし、昇級には能力だけでなく人柄も見られる。あんなに短気な人間が認められる訳がない、と判じた。


ガディルもウェール、自分もウェール。――そして、アル。彼もウェールなら、自分たちに利がある。彼がルガイであるはずがないと確信している。


――勝った


そう思った。


現に、ガディルも驚いて目を見開いている。しかし、彼の思惑は外れてしまった。驚愕から立ち直ったガディルは、今迄の怒りを忘れたかのように、勝ち誇った顔をしていた。


「ほう――?確かに、生意気を言うだけはある。その年でウェールとは大した餓鬼だ。

おめぇの言うとおり、ジツリョクってやつを認めてやってもいい。」


その落ち着き払った態度に、リュートの顔色が変わる。


まさか、と思った。そんなはずはないと。


顔色の変ったリュートを満足そうに眺め、その顔が醜悪に歪む。


「なら、俺の位も見せてやんねぇとなぁ……」


彼が懐から出したそれは――


「コール石……。」


絶望的な声が漏れる。


それはウェールの更に上――レルヴァを示していた。



幻の珍獣レルヴァ。その生態は謎に包まれている。成長によって、体格も生態もまるで別の生物のように変わってしまう。故に、成長段階によって違う名前が付けられているのだ。


イーシャ、レート、ルガイ。鼠程度だった身体が兎位に成長し、最終的には狼のように大きくなってしまう。草食から肉食へ。大人しい性質から獰猛な獣へ。まさに別の生き物としか思えない。



しかし、ルガイにまで成長すると、更に大きな変革を遂げる。それがウェール。象のように大きな体躯。性質は大人しいと言われているが、詳しくは不明だ。本当に数が少なく、目撃例はほとんどない。


そして、レルヴァ。最終形態だと言われているが、やはり不明とされている。それはウェール以上に目撃例が少なく、何十年かに1度、見かける事があるかないかといわれている程の幻の珍獣。聖獣と呼ばれ、崇められている地方もある。


大きさはウェールとあまり変わらないが、1番分かりやすいのは、その背に生えた大きな翼。空を飛ぶ姿が、僅かではあるが目撃されている。口から火を吐くとも言われているが、噂が独り歩きしている感が否めない。それだけ謎に包まれた生物なのだ。


幻の生物に例えられるだけあって、レルヴァを名乗る傭兵の数は少ない。


協会長や幹部クラスは全員レルヴァだと言われているが、現役で活躍している人間でレルヴァを名乗る人間は目撃されていない。噂だけは聞くものの、滅多にない上にその殆んどが眉唾物なのだ。故に、事実上最高位はウェールだと言われている。実際の最高位であるレルヴァがいないのだから致し方ないことではあるが。


その幻の階位、レルヴァの証が目の前にあるのだ。辺りは静まり返り、全員がその白色の腕輪を見つめていた。


ガディルは愉悦に浸っていた。あの生意気な子供を黙らせることが出来たのだ。


確かに、あの子供がウェールを示すアメジストの腕輪を持っていたことには驚かされた。しかし、自分は奴よりも上なのだ。


長い間、自分と同等の階位を持つ人間を見ることがなかった。当然だ。レルヴァは最高位――しかも、幻といわれるほどに数が少ない。


驚愕に眼を見開くリュートを見下し、僅かにガディルの溜飲は下がった。そしてもう1人の生意気な子供――アルへと視線を向ける。


そこには、矢張り何の興味もなさ気に腕輪を見ている少年の姿があった。だから何だ、とでも言いたげな無表情。


ガディルの中にふつふつと苛立ちがこみ上げる。


――もっと驚け


――もっと恐れろ


――もっと敬え


ガディルの中にどろどろとした感情が沸き上がる。


「おい、がきゃあ……。てめぇの証も出せやぁ~……。」


地の底を這いずる様な、低い声。ガディルは、もっと自分との差を見せつけたかった。貴様と俺とではこんなにも実力に差があるのだと。


その意図に気付いたのか否か。アルは一つ溜息をつくと、懐に手を入れ、ぽいと投げやりに腕輪を放る。


――勝ったと思った。実力の差を見せつけられ、諦めているのだと――


そして空を飛ぶ腕輪を見つめる。そこから発せられる6色の光。


その中でも特に強く惹きつけられる、その色は――


ガディルは瞠目した。


その瞳に映るのは、白色の光――


「……コール石……」


呻くように発せられた言葉は、自分のものだったのか――



からんと乾いた音をさせ、腕環が机の上に着地した。



空を切る腕輪を、ただ呆然と見ていた。言葉を発する人間は、誰一人としていなかった。腕輪が机の上に着地した後も、まるで言葉を忘れてしまったかの様に静まり返っていた。そして、この場にいる人間全ての視線が一点に集中されている。


何度見直しても、変わることのない事実。その腕輪からは、6色の光が発せられていた。



基盤となる銀。


見習い――イーシャを示す水晶。


一人前と認められたレートを示すガーネット。


優秀さを買われた、この場にいる全員が持っているラピスラズリ。


先程見たばかりのアメジスト。


そして 腕輪の完成形――アドリア最硬といわれるコール石が示すのは、実在しないとまで言われた幻のレルヴァ。


未だかつて誰も目にしたことのないと言われた証が、今 目の前に2つもあるのだ。誰もが目を疑ってしまうのも無理はない。



漏れ聞こえてくる呻き声は、誰のものなのか。


「……嘘だろ……」


永遠にも等しい沈黙が過ぎた後、ぽつりと呟かれた言葉は、その場にいた全員の心を表していた。当然だ。滅多にお目にかかれない証が2つ。うち1つは、少女と見紛う様な少年なのだから。


もう1つの証の持ち主、ガディルでさえ驚愕に目を見開いていた。あり得ない、と。しかし、偽物である筈がないのだ。それは自分がよく知っている。


コール石はアドリア最硬と謳われ、高値で取引されている。腕輪に使われている量だけでも、売れば一生遊んでいける程の一財産が築ける。


一般人にはなかなか手が出せない値段である上に、殆ど流通していない。「複製不可能」であるが故に、レルヴァを示すに値するのだ。


それを偽物と断じるということは、己の証をも疑うということ。ガディルは、苛立ち混じりに声を荒げることすら出来なかった。


言いだしっぺであるはずのリュートも、零れ落ちんばかりに目を見開いていた。


確かに、彼がルガイである筈がないと確信があった。しかしまさかレルヴァであるなんて、誰が想像しただろう。


予想以上の結果に、思考がついていかない。


頭のどこかで、「今だ」と囁く声が聞こえる。しかし、何を言っていいのか分からない。一気にたたみかけるチャンスなのに、それに相応しい言葉が出てこない。


衝撃冷めやまぬ今、ただ阿呆のように目を見開き、口をパクパクと開閉させるしか出来なかった。


しかし、誰もが予想外だと驚く中、その事実を知っている人物もいた。


1人は当然ながら仲介人である。協会の人間である彼には、事前に個体情報は知らされている。


そしてもう1人は、意外というべきか。最年少の少年、ルファである。


彼は故あって、早くからカウンターに座り、イルティアを注文する人間を観察していた。そして、フードを被ったアルが、「ソテー」と口にするところも聞いてしまったのである。


幻のレルヴァを名乗る人間がいることに驚いた。しかし、先ほどアルがフードを外したとき、更なる衝撃がルファを襲った。レルヴァを名乗ったフードの男が、自分とさして年の変わらぬ少年であったから――


ルファは悩んでいた。ソテーを名乗れる人間なんている筈がないと。ただの聞き間違いだと思っていた。しかし、今目の前にある腕輪は、彼の空耳でなかったことを示している。


静まり返った室内。時の止まったその場で、口を開く人間はいなかった。



「で、どうするんだ?」


沈黙を破るは少年の声。


「俺の証は見せたぞ。これで見張り場所をひとつ増やしてもらえるんだろうな」


凛と響く美声は、思わず聞き惚れてしまうほどに美しく。


「何も、計画を変えろと言っているわけじゃない。人が2人抜けるだけだ。たいして支障はないだろう」


その言葉に、いち早く我に返ったリュートが尋ねる。


「ふ……2人……?」


しかし、完全に立ち直っていないのか、その声に力はなく、彼の顔からは軽薄さが抜け落ち、ただ呆然とアルの顔を見つめていた。


「ああ。俺と、あと1人連絡用に欲しい。……明らかに戦闘に向かない人間だ。これもまた、計画に支障はないはずだ。」


その言葉から、彼が相方に選んだ人間は既に決まっているようだった。無意識にそこまで考えると、脳を働かせた所為か、徐々に意識が覚醒してくる。


「へぇ……?その口ぶりからすると、もう相方は決めてあるようだね?」


リュートの口調に軽薄さが宿る。まだ僅かに声は硬いが、いつもの調子を取り戻しつつあった。それを感じたアルは、誰にも分らぬほど小さく、唇の端を上げる。


「ああ。本人の意志さえあれば……だがな」


そう言って、視線を1点に固定させる。その、視線の先にいたのは――


「え……ぼ、僕ですか?」


予期せぬ指名に、少年――ルファは驚きで目を見開いていた。


「いや……でも…あの……うぇっ……うぁ……」


当の本人は、最早単語にすらなっていない意味のなさぬ言葉を発しつつ、ただ狼狽してあたふたと動き回っている。リュートはその様子を眺めながら、呆れの混じった声で問いかける。


「本当にこれでいいのかい?頼りになる人間はもっといるだろうに、どうしてこの子なんだい?」


これはこれで面白いけど、と心の中で呟く。


「ああ。さっきも言ったが、戦闘力は関係ない。戦いになれば俺がやる。」


大事なのは、そんなことじゃない。アルの淡々とした声が室内に響く。別段大声を出している訳でもなく、呟くように小さな声で語っているにも拘らず、その声は朗々としていて、どこか心地よい。いつの間にか、その場にいる全ての人間が彼の言葉に耳を傾けていた。


「そいつは、天恵者だろう」


その言葉に、ひゅうと口笛を吹く。


「へぇ……?どうしてそう思うんだい?」


「足さばきだ」


リュートの問いに、アルは迷うことなく淡々と語っていく。


「先程お前に駆け寄って行った時の踏み込み。……あれは、瞬歩だ」


リュートとルファの肩がピクリと動く。


「しかもあれは、流れるような無駄のない動きじゃない。溜めも構えもない、あれは修練を積んだ動きではない。息を吸うのに等しく自然な動きだった。……つまり、生まれつきのものであるということだ」


それに、そいつ自信が「条件付き」だと言っていたことだしな。淡々と語るアルの言葉を聞き、リュートの頬を汗が一筋伝い落ちる。


(おいおい。そんなとこまで見てたのかよ)


リュートの背筋に、冷たいものが奔った。あの一瞬でそこまで読み取った洞察力、照らし合わせる知識、そしてそれらを組み合わせた思考力。


確かに、その歳でレルヴァを名乗るくらいだ。人より優れているのは当然だ。



――しかし


リュートは確信した。


――同じなんかじゃない。


喩え位は同じでも、実力は、それこそイーシャとレルヴァ程にあるかも知れない。ガディルの実力は知らない。でも、これだけは言える。


アルは、ガディルの遥か上をいく実力者である――と。



言葉を失ってしまったリュートから視線を外し、アルは視線をひたと定める。吸いこまれそうな程深い宵闇の視線を向けられ、ガディルは居心地悪そうに身じろぎをする。その瞳は空虚で、何も移してはいなかった。


――感情さえも


しかしどこか澄んでいて、神秘的で。見つめられると、己の全てを見透かされているような居心地の悪さがある。そんなガディルの狼狽に気付いていないのか、アルは淡々と続ける。


「何も、俺に従えと言っている訳じゃない。使えない子供が二人ほど減るだけだ。そちら側には何の痛手にもならない筈だが?」


――それに、ただとは言わない。懐に手を入れると、薄汚れた革袋を出した。それはずしりと重量があり、見るからに重たいものが詰まっているとわかる。


「俺達の報酬はいらない。お前たちで分け合えばいい」


ざわりと揺れる室内。その中で、「ええっ」と甲高い声が小さく上がる。思わず巻き添えを食らってしまったルファは、しょぼんと項垂れる。


――が、次の言葉に思い切り頭を上げた。


「お前、幾らで雇われた?」


「え……」


顔を上げた瞬間、黒いものが自分めがけて飛んできた。慌てて受け止めるが、予想外の重さにとり落してしまう。


拾おうと思い床に視線を落とすと、ルファは瞠目して固まった。目的すら忘れ、ただそれに視線を定めたまま立ちすくんでいた。思考力を奪われてしまったルファは、しかし頭の何所かで冷静に状況を見ている自分がいることに気づく。


その物体が、先程アルが取り出した革袋であるとわかった。しかし床に落ちた振動で、中身が少しだけこぼれていた。


――その、中身とは――


「嘘だろおい……」


何処からか、呻くような声が聞こえてきた。アルが無造作に放ってよこした、薄汚れた革袋――その中に入っていたのは、今回の依頼料どころか、自分たちが一生かかってもお目にかかれないほど大量の金貨だった。


間違っても、無造作に放っていいものではない。それは本来なら、誰にも見せず、気付かれぬように必死に抱え込まなければならないもので。


ルファの思考力は戻らぬまま。周りの男たちも呆気にとられていた。


「その中から好きなだけ取れ」


アルの言葉に我に返る。


「――ふぇ?」


間の抜けた声が出てしまうのも無理はない。しかし、状況についていけていないルファを更に置き去りにして、アルは飽くまでも淡々と続ける。


「――なんなら、全部持っていっても構わない。今回の依頼キャンセル料と、俺からの依頼料、それらを含めた迷惑料――それだけあれば、釣りがくるだろう」


あっさりと告げたアルに、ルファは目を剥いた。


(お釣りどころか、一生分の依頼料の3倍はあるよ――!!)


拾おうともしないルファを無視して、ガディルに視線を戻す。


「分かったな。俺は依頼料はいらん。こいつの分も俺が出す。――だから、俺たちは行動を別にする。俺らの分の依頼料はお前らで山分けすればいい」


言葉を失うガディルに、尚もたたみ掛ける。


「お前が指揮官だろう。お前が是と言えばそれで済む話だ。――悪い話ではないはずだ。足手まといの子供を二人外せて、依頼料が増えるんだ。決してお前の仕事の邪魔はしない。但し――」


一度言葉を区切ると、全ての者を凍らせてしまうような、冷やかな声で 告げた。


「お前らも 俺の邪魔はするな――」


その場が一気に凍りつく。何かを口にしようにも、喉に張り付いて、声が出ない。


しんと静まり返る室内。静寂を打ち破ったのは、最早聞きなれてしまった 軽薄な声。


「――わっかんないねぇ?どうしてそこまでするんだい?」


ついと視線を滑らせる。リュートは軽薄な笑顔を張りつかせたまま。しかしその仮面は剥がれかけていた。顔は僅かに引き攣り、声は震えを帯びていた。


それでも止めないのは、彼の矜持と 好奇心――


リュートは、このアルという少年に、並々ならぬ興味を抱いてしまったのだ。恐ろしいもの見たさとでもいうのだろうか。彼を恐ろしいと思いながらも、それと比例するかのように、ふつふつと湧き上がる好奇心。


彼の瞳――その底なしの闇に、引きずりこまれてしまったのかもしれない。



――知りたい


強く、そう思った。


何故ここまで気になってしまうのか、自分でも分からない。


あの瞳に――底なしの闇に呑まれてしまったのか


彼の美しい容貌に魅せられたのか


他とは隔絶された、彼の圧倒的な存在感に気圧されてしまったのか



明確な理由は分からない。それでも、彼が人を惹き付けてしまうことは確かで。だからこそ、ガディルも必要以上に彼に反発してしまうのだろう。


彼のような自尊心の高い人間は、人の上に立ちたがる。自分が常に優位に立っていないと気が済まないのだ。


――故に、アルに惹かれている自分が許せない。他人に、しかも、年端もいかぬ若造に気圧されてしまう――見とれてしまう自分が認められず、彼を否定することで、自分を盛りたてたかった。彼の圧倒的存在感には従わざるを得ない何かがあり、彼を必要以上に否定してまうのだろう。


ふ、と笑みを浮かべる。


――そうだ。理由なんてどうでもいい。


ただ、知りたいのだ。理由なんて、それで充分。



「それだけの金を惜しげもなく出すって事は、金に困ってる訳でもない。……自己顕示欲?――否、アンタはそんなもんに興味あるようには見えない……」


リュートは自問自答を繰り返しながら、挑むように、笑む。


その視線を受けても、アルは未だ表情を変えず。アルの無表情を眺めながら、リュートは続ける。


「ならば、考えられるのはひとつ……」


恐ろしくないわけではない。彼からは、他人を拒絶するオーラが出ていた。不用意に踏み込めば、容赦なく切り捨てるという鋭利な刃のような――



それでも、知りたかった。


彼を動かすものが何なのか。



「……正義感?人々を脅かすならず者は許せない――困っている人を放ってはおけないと?」


口にした後、リュートを激しい嫌悪感が襲う。彼に、そんな安っぽい正義感は似合わない。彼の口から、そんなクダラナイ台詞は聞きたくなかった。



――手前勝手な理想を押し付けてしまう程、彼に惹かれてしまっていることには気づかぬまま


どこか侮蔑を含んだ笑みを浮かべながら、アルの返答を待った。


――しかし、彼の口から発せられた台詞はリュートの予想の範疇を超えていて


驚愕に、目を見開く。


リュートの問いを受けたアルは、目を閉じ、何かを堪える様に苦しげな表情を見せた。しかしそれは一瞬のことで、彼の表情の変化を読み取れない人間には分からなかったかもしれない。


「……理由?そんなの 決まってる……」


緩やかに開かれた瞼から現れた暗闇に映るのは、激しい憎悪。その射抜くような鋭い視線を受け、リュートは恐怖で震える。今まで幾多もの修羅場を潜ってきたが、こんなにも何かを恐ろしいと思ったことはない。


そんなリュートの様子に気づいていないのか――アルはゆっくりと口を開き、苦々しげに吐き捨てた。


「……帝国が絡んでいるからに決まってる……」


その、思いもよらない単語に、リュートの思考力は奪われる。


「……帝国?」


聴き慣れた、単語だった。ここ数年で耳にしない日はない程に。しかし、まさかこの場で聞く羽目になろうとは思わなかった。


ちらりと視線を彷徨わせれば、同じ気持ちなのか、周りの男たちもざわめいていた。


「……どういうことだ?帝国が絡んでるって……」


口に出すことで、冷静さが戻ってくる。リュートの脳内を、高速で駆け巡る世界情勢。


ああ、そうか。


――帝国は


「成程ね……」


ぽつりと呟かれた一言。しかしその一言で、この軽薄な男が自分の言わんとしていることを理解したのだと悟ると、アルは僅かに唇の端を上げた。


勘は 鋭い。


洞察力 良。


知識も ある。


――昔、このような人間を知っていた。


深い知識、鋭い勘と洞察力。卓越した剣技。優秀だった彼は、軽薄という仮面の下に、その能力を隠した。


『ばっか。意外性があったほうが女の子にモテるんだよ。それに、アイツ意外とやるなって方が格好いいじゃん』


彼は、へらへらと笑いながら言った。何処までが冗談で、何処までが本気なのか。真実を、彼は決して見せはしなかった。仮面を外すことなく、被り続けた。決して本気を見せない。それが彼の矜持。


目の前の男からは、彼と同じ匂いがした。――だからだろうか。


あまり突き放す気になれないのは。


どこか親近感を持ってしまうのは。


「根拠は?」


リュートの言葉に我に返る。とたんに湧き上がる、憎しみ。僅かに温かみの宿った瞳に、再び闇が訪れる。


そっと目を伏せる。沈黙は一瞬。その形のよい唇が開かれた。




光が没して数年――


全国に帝国の支配が行き渡り、アドリアは絶望に彩られた。


人々に重くのしかかる、帝国の圧政。混乱に乗じて、各地に賊が蔓延った。軍の武装も限られているため、喩え要請が来ても、軍を動かせない。


天敵のいなくなったならず者たちは悪辣さを増し、ここ数年で、賊の数は増加の一途を辿る。しかし、一番の理由は他にあった。


帝国が、後押しをしたのだ。


帝国は賊を黙認し、尚且つ手を組むものまで現れた。その国の軍部を抑える代わりに、戦利品の幾らかを横流しさせる。若しくは、身を偽り、賊と共に略取を行う。


どちらにせよ、悪辣なことに変わりない。


各国の政府は、当然抗議をした。しかしながら、帝国側は知らぬ存ぜぬを貫き通した。そんなはずはないとしつこく食い下がっても、圧力をかけられるだけである。忍を切らし、強硬手段と軍を動かせば、叛意ありと攻め込まれる理由を与えるだけである。


結果、政府は手を拱いて見ていることしか出来ない。


――そこで重宝されたのが、傭兵だった。


護衛は古来より重宝されてきた自衛手段。要人であれば私兵を用い、貧しいものは腕の立つ知人に恃み、そうして今日まで継がれてきた。傭兵という専門家が現れてもそれは変わらない。


傭兵は個人によって雇われる。個人の護衛然り、商隊の護衛然り。


よって、政府に圧力をかけようとも意味は成さない。特に、商人などには欠かせない存在であるが故に、帝国側も容認している。



「ここまで大がかりな掃討作戦は滅多にない」


アルの感情の読めない、淡々とした声が響く。


「賊の殲滅――まぁ、ないことはない。実際俺も何度か参加した。だが、依頼の条件にもあっただろう?絶対に失敗は許されないと……」


室内の男たち全ての視線が集中する。誰も、彼の言を妨げるものはいない。


「これだけの戦力を養えるだけの資産を持った奴は、限られている。喩えならず者とはいえ、あまり一点に戦力を集中しすぎると、帝国に目を付けられる。だから、気付かれる前に早急に片づけたいという気持ちはわかる。――だが……」


そこで言葉を区切ると、問うような視線を向けた。


「賊の討伐……それだけで、ここまで大がかりなことをするか?ルガイ以上の者という条件、依頼に入る前の念入りな少数行動――何より、失敗は許されないというのはおかしい。仕事である以上、それは当然のことだ。今更念を押すようなことじゃない」


ごくりと生唾を飲み込む音がする。誰もが、黙って彼の次の言葉を待つ。痛いくらいの視線の嵐を浴び、アルはゆっくりと口を開く。


「そこから導き出される答えは、ある程度限られる。その賊が帝国と関わり合いがある、ということだ」


その続きを、リュートが引き継いだ。


「成程ねぇ?奴らに帝国との関わりがあるのなら、その行動は全て筒抜け。私財を投じて戦力をかき集めたことが知られてしまえば、我が身が危ないってことかい」


「ああ。だから感付かれる前に叩く。今回の念入りな作戦はそのためなのだと思えば、全て得心がいく」


ちらりと視線を滑らせれば、驚愕に目を見開いた仲介人の姿が映った。その狼狽した顔を見れば、アルの推測が正しいことが分かる。


(――まいったねぇ、こりゃ……)


彼は、とんでもない爆弾を落してくれた。


男たちの顔に動揺が奔る。只の自己顕示欲を満たす為にのこのことやってきたら、猛獣の住処だった。


――驚かない筈がない。


視線をアルに戻すと、騒然とした室内の様子を気にも留めず、相変わらずの無表情を貫いている。


(――成程ね……。)



『帝国が関わっているから』


彼は、そう言った。ならば、理由は限られてくる。


彼の「動機」が見えた気がした。


「アンタも帝国に奪われたクチかい?」


リュートは、僅かにアルの肩が揺れたのを見逃さなかった。


「……まぁ、このご時世、帝国に恨みを持たない人間の方が少ないけどねぇ……」


 復 讐


彼の動機はそのようなものだろう。誰かを殺され、何かを奪われ、そうして帝国に一矢報いてやろうとこの依頼を受けた。


そう考えると、非常にしっくりする。


――彼の陰惨な瞳には、安っぽい正義感なんて似合わない。


大義を掲げ、光のなかを歩くよりも、私怨で帝国に噛み付き、闇の奥の、更に奥底を歩いている方が、らしい、と思うのだ。


「恋人、親、家族、物……一体アンタを動かすのはどれなのかねぇ……」


彼は、あまり何かに執着する人間には見えない。その彼を突き動かすものが何なのか、非常に興味があった。


僅かに滲んだ苦悶の表情。それを押し殺すかのように、アルはそっと目を伏せた。



色あせない、記憶。


目を閉じれば、鮮明に描かれる彼の姿。


温かい笑顔、優しい声。


克明に刻まれた、彼の思い出――



『君と友達になりたいんだ』



アルの唇が、ゆっくりと開かれる。


「友……だ……」


押し出すかのように紡がれる言葉。


「唯一無二の……親友……」



『行こう!』


差し伸ばされた手


「……そして、何より……俺にとっては光そのものだった……」


今でも色鮮やかに甦る思い出


――そして、行きつく先は、いつも1つ。



彼の 鮮やかな笑顔。


『君は生きるんだ。』


残酷な 言葉。



「……あいつを殺した奴を……絶対に……許さない……」


地の底を這ような、低い声。その場にいた全ての人間が、恐怖に震えた。リュートも、そして、ガディルさえも。


この場にいる全ての人間が、揃って同じ体験をすることとなる。こんな仕事をしていれば、少しでも腕に自信があり、ある程度の修羅場を潜っていれば、なかなか出来なくなってしまう体験――恐怖で体が動かなくなる、という経験を。


アルから迸る怒り、殺気は、彼らの体の自由を奪った。そして、全ての者を射抜く鋭い瞳で、それにも負けない鋭利な声で、告げた。



「俺は帝国を、絶対に許さない」



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