女傭兵
女性の傭兵は男性に比べて数は圧倒的に少ないが、全く存在しない訳ではない。現にアルも見かけた事はあるが、片手で足りる程度しか目にした事はないし、あまり話題にも上らない。
そもそも、現在は協会により厳密に管理されある程度の地位や名声は得ているものの、本来傭兵というものは、腕に覚えのある者か、様々な事情により没落した者の成れの果てであった。
剣を嗜む男達は、その技術と引き換えに宿や食事を得る。剣を持つ習慣の無いやんごとなき女性達は、娼婦へと身を堕とすというのが定石であった。
実際、今でも協会に所属していない非認可の傭兵は、ならず者と変わりない。
今の彼等の存在は、協会の手腕とその徹底した実力主義により確立されている様なものなのだ。
勿論、女性でも剣を使える者もいたのだが、幼いころから確りと教育されてきた男と、只の興味本位で自衛程度にしか学んでいない女とでは雲泥の差がある。女性に本気で剣を学ばせる者は殆ど居ないからだ。
協会の尽力により傭兵に対して畏敬の念を覚える者が現れ始めた頃、漸くその自由な生き方に憧れ傭兵を目指す者や、修行の一環としてその業に就く者が現れ始めた。そして初めて、本気で剣を学ぶ女性も頭角を現して来たのだ。
故に彼女達の存在はまだまだ珍しく、そして何よりもアルが違和感を覚えたのは、彼女の様相だった。
アルの知る女性の傭兵は、男の格好をし粗雑な言葉を扱う男を模した紛い物か、その色香を武器とし、露出の多い服を着て媚を売る者が殆どであった。
アルはそれ自体を否定する気はなかった。「男に負けるか」と負けん気を発揮する事も、自分の実力を見せつける場を設けるために、己の容姿という武器を使う事も悪い事ではない。協会の人間に、易い色香に惑う者は居ない為、結局最後にものを言うのは実力なのだ。
しかし、今目の前に居る女性は、その何れとも違った。
整った顔立ちに、手入れの行き届いた美しい髪。ぴったりとした上衣は彼女の豊満な肉体を誇示していたが、それとは対照的に彼女の下衣には隠す様に幾重にも布が巻かれており、戦うには邪魔な様にも思えた。
下卑た所は1つもなく、寧ろ気品さえも感じさせる風格。
彼女は、良くも悪くも「女」であった。
「女の傭兵は珍しい?――それとも、似合わない名前だと思ってる?」
アルが黙り込んだ理由を察したのか、彼女は楽しげに問いかけてきた。
「女とか名前というよりは、お前の格好だな。」
アルの言葉を正確に理解した彼女は、楽しげに笑った。
「――まぁ、そうよね。私も昔は男の様な格好をしたものだけど……。」
懐かしげに目を細める。
「髪も短くてね。男の名前で登録して、言動も格好も男の様に振る舞っていたのよ。」
女というだけで軽んじられ、嘲笑を浴びせられるのは当然だった。男と同じ舞台に立とうと、女であることを捨て、男の様に生きる者も少なくない。彼女も、その1人だった。
「けどね、気付いてしまったのよ。それは負けを認めた事になるって……。」
男の格好をし男と張り合うのは、結局は「女は弱い」と認めた事になる。「女」を捨てた時点で、既に負けてしまっている。そんなのは本末転倒だ。
「男の格好をして男と張り合うのではなく、女として男と対等に渡り合おうって思ってね。
だから、女の名前で登録をし直して、1からやり直したのよ。」
可愛い名前でしょ、と悪戯っぽく微笑んだ。
「やるからには徹底的に、が信条でね。傭兵らしくない、とっても女の子らしくて可愛らしい名前を付けてみたのよ。」
そう言って魅力的な笑顔を向ける彼女に、矢張りアルは淡々と返した。
「どうでもいい。」
「まぁ、張り合いが無いわね。」
口から出てきたのは不満の言葉であったが、それに反して彼女の唇は楽しげに弧を描いていた。
「――それで、貴方の名前は?」
彼女に問われ、そこで初めて自分が名乗っていない事に気が付いた。
傭兵は実力さえあればそれでよく、素性も本名も問われる事はない。だが混乱を防ぐため、最初に登録をした名前を変更する事は出来ず、もし変えるのであれば、再び見習いから始める事となる。
しかし、登録した名前を変更する事は出来ないが、仕事ごとに違う名前を名乗る事は可能だ。登録名は傭兵を管理する為の名前であり、此処での――現場での名前は、飽く迄も個人を識別する為だけのものだからだ。
実際、依頼によっては協会側から名前を配布され、架空の人物を演じることもあるのだ。
(――俺に、お前に貰った名前を名乗る資格はない……。)
パノの死後、友に貰った名前を封じてきた。
友を護れず、約束も果たせず。
自分の無力が赦せなかった。
ふと、自分に最初の名前を与えた男の言葉が浮かんだ。
(――俺には、この名前が相応しい……。)
一拍の後、アルは口を開いた。
「――バド、だ。」
それは、友と出会う前、アルがずっと名乗っていた最初の名前だった。
『似合わない名前を名乗って居るんだね』
彼はそう言って、くりくりとした瞳を向けてきた。
名前は個人を識別する為の番号の様なものであり、似合う似合わないは関係ない。アルはずっとそう思っていたし、意味なんてどうでもよかった。
しかし彼にとってはそうではなかったらしく、自分の事でもないのに、気に食わないとばかりに頬を膨らませていた。
『そんなに気に食わないのなら、好きなように呼べばいい。』
単に面倒だったから、適当な事を口にしただけのつもりだった。
しかし彼は、待ってましたとばかりに瞳を輝かせ、最初からそのつもりだったのか、悩むことなくアルに新たな名前を付けたのだ。
名前なんてどうだっていいという意見は変わらないが、あの「してやったり」とでも言いたげな顔を見ていると、前言を撤回したくなったものだ。
以前使っていた名前に特別な愛着も嫌悪もないし、今でも名前の意味なんてどうでもいいと思っているが、それでも友の付けた名前だけは特別だった。
友に貰った。只その1点においてのみ、アルの特別足りえたのだ。
しかし、今の自分にそれを名乗る資格はない。自分は、友からの親愛の証を受け取れるような人間ではないのだから。
――あれから随分と刻が過ぎた筈なのに、今でも昨日の事の様に鮮明に思い出せる。
彼に名を聞かれ、自分は当時名乗っていた名前を告げる。そして彼は、不思議そうにこう言ったのだ。
「〝バド″ってひょっとして、〝バドルガ″のバド?」
友の声に記憶よりも幾分か高い声が重なり、思わずアルは目の前に立っている人物を凝視した。
不思議そうに覗き込んでくるのは、プリシッラと名乗った女だった。
友と初めて出会った時と同じ台詞に、アルには珍しく、呆けた顔をしてしまった。
しかしその表情を勘違いしたのか、プリシッラは幾分か申し訳なさそうに口を開いた。
「……違ったかしら?」
「――否、合っている。ただ、今まで気付いた人間があまりいなかったから驚いただけだ。」
「まぁ、それもそうよね。バドルガなんて、普通人に付ける様な名前じゃないわ。」
呆れた様に呟くと、悪戯っぽい光を宿した瞳で覗き込む。
「――でも、バドルガなんて、随分と似合わない名前を名乗って居るのね。」
『バドルガ?随分と似合わない名前を名乗って居るんだね。』
どきりとした。当時の友と同じ台詞を聞くとは思ってもいなかったからだ。
「会って間もない私がこう言うのも変だけど……貴方にはもっと強くて気品溢れる名前の方が合っている気がするわ。」
『君にはもっと君に相応しい名前が在る筈だよ。強くて、それでいて気品があって――』
何故こうも友の言葉と重なるのだろうか。そんな事、彼以外に言われた事はなかったのに……。
「――あら、ごめんなさい。気を悪くした?」
黙り込んでしまったアルの様子を誤解したらしく、彼女は謝罪を口にした。
「――否、昔同じ事を言った人間がいたなと思い出していただけだ。」
「まぁ、当然でしょうね。普通はバドルガなんて名前を付けようなんて思わないし、何よりやっぱり貴方には似合わないわ。」
アルが気を悪くした訳ではないと分かり、再びプリシッラの顔に笑みが戻る。
「――あいつも、そう言っていた。似合わないとか何とか……何でそう思うんだ?」
「そうねぇ……私はその人の事は知らないから、これは私の意見になるのだけれど、多分、その人も同じ意見だと思うわよ。」
にっこりと微笑むと、黒曜石を間近で覗き込む。
「貴方の瞳はとても澄んでいて――鋭い。野生の獣の様に、ね。なのに貴方からは野蛮さを感じない。どちらかというと、まるで猫の様に気高くしなやかで人に懐かない感じ、とでもいうのかしらね。」
喩えばそう、豹の様に。その言葉に、アルの肩はびくりと震えた。
『――例えるなら、黒豹……かな。』
この女は、何故こうも友と同じ言葉ばかりを口にするのだろうか。
アルの胸がざわめく。しかしそれを気取られぬようそっと息を洩らすと、努めて冷静に答えた。
「――そうか。あいつも、同じ事を言っていた。だが俺は泥鼠で充分だ。」
大切なもの1つ護れない弱い自分は、それ以下ではあっても、決してそれ以上の存在には成り得ないのだから。
バドルガ。それは一般的に「泥鼠」と言われている生物である。
身体は小さく、力もない。普通のネズミの様に鋭い牙や爪でさえも持ち合わせていない為に、外敵から身を護るどころか、己の力で食べ物を調達する事すら出来ないのだ。故に、生態系の最も下部に位置付けられてきた。
そこで身を護る術を持たぬ彼等は、泥に塗れることでその身を守った。毛は普通のネズミよりも長く、目や口がよく見えない。そしてその毛は泥のような色をしている為、泥の中に潜ってしまえば捕捉する事は困難である。泥の中を泳ぐとさえ言われているが、その真偽は定かではない。
他の生物の食べ残しを、それらが完全に立ち去った後で口にし命を繋ぐ。腐った肉を喰らい、湿った泥の中に身を置く所為で、陽の光を浴びる事は殆どなく、身体中は腐りきっており、その身を纏う異臭が他の生物を寄せ付けなかった。
だが、例外とてある。腹を空かせた獣が、飢え死ぬよりはと泥鼠を口にしたが、やがてその獣は苦しみ息絶えた。泥鼠を口にするどころか、近寄ろうとするものさえ殆ど居ない。だから、発見が遅れてしまったのだ。
泥鼠には強い毒性がある。
腐ったものを食べれば、腹を壊す。それは当然の摂理である。長い日陰生活による弊害であろうか。その身に纏った腐は既に、即死性のある強い毒と成り果てていたのだ。
生態系の最も下部に位置していた彼らはやがて、その生態系からも外された。
世界一弱く、醜く、役立たず。それが一般的な「泥鼠」の認識であった。
そしてそれは、スラムの人間に対する軽称としても使われていた。彼等を、侮蔑を込めて「泥鼠」と呼ぶ貴族も多い。
だが、いくら過分なまでに侮蔑が込められているからといって、個人に対して――名前として使用する者は居ない。
だからこそ、誰も「バド」がバドルガの意味であるとは気付かなかったのだ。
――気付いたのは、片手で足りる程度の人間だけであった。
「私は全然納得できないけど、貴方がそれを気に入って使っているというのなら、私には何の文句も言えないわ。」
「別に、気に入っている訳じゃないが……俺にはこの名が相応しいと思っただけだ……。
弱く、役立たずな――な……。」
自嘲気味に嗤うアルの耳に、悪戯っぽい声が届いた。
「――でも、とても綺麗だわ。泥鼠を名乗るには勿体ない美しさね。それに、傭兵の頂点に立つレルヴァが弱く役立たずなら、その下に位置する私達はどうなるのかしら?」
プリシッラは、くすくすと楽しげに微笑む。
「ね、協会から、私はレルヴァと組むって聞いて、どんな厳ついおじさんが来るのかと思ってどきどきしていたら、とっても綺麗な男の子だったんだもの。驚いちゃった。」
そしてアルの腕にするりと腕を絡ませると、僅かに艶の宿った瞳で見上げた。
「私の愛する人が、強くて美しくて優秀な人でよかったわ。ね、アナタ?」
その言動を訝しげな瞳で問いかけると、プリシッラは悪戯っぽく微笑んだ。
「あら、聞いていない?私達は恋人なのよ?今は、結婚の報告をする為に私の実家に帰る所なの。」
「ああ……それが今回の設定か。」
「そう言う事。私の名前、発音し辛いらしくてね。皆プリシラって呼ぶの。でも貴方の事気に入ったから、気易くシッラって呼んでくれて構わないわ。」
私の旦那様が、親子ほど年の離れた山賊の様な男じゃなくて良かったわ。くすくすと楽しげに微笑むプリシラを見て、ふと懐かしい笑顔を思い出した。
『――でも長くて面倒だから、――って呼んでね。』
悪戯っぽい笑顔。緊張感の欠片も感じられない、楽しげな言動……。
彼女の一挙一動は、大切な人を思い出させる。
(――まぁ、あそこまで酷くはないだろうがな……。)
流石に、あそこまで空気を読まず自由気ままなに我儘を貫く人間はそうは居まい。
くすり、と、自然に笑みが零れ落ちた。
プリシラの明るい性格は、闇く沈み込んだアルの心を、少しだけ軽くしてくれた。




