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緋き死神と亡国の英雄  作者: 水瀬紫苑
第二章 定住
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マチアカリ

 彼と初めて会ったのは、地獄の中、絶望の淵に立たされていた時だった。


 目の前で村の男たちが殺されていき、辺りは血色に染められていった。生臭さが鼻から侵入し、脳も、身体も、全てが侵食され、悲鳴を上げることさえも忘れ、ただ茫然と目の前の光景を見詰め続けていた。

 ふと腕と頬に痛みを感じた瞬間、自分が腕を掴まれて引き摺られているのだと気付いた。

 目の前で友達が殴られているのを目にして、漸く頬の痛みは自分も殴られた所為なのだと気付く。


 ああ、弟は――ピトは無事なのだろうか……。

 ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 慌てて草叢へ突き飛ばした事までは覚えている。あのままじっとしていれば見つかることはないだろう。

 恐怖のあまり感覚が麻痺してしまったのだろうか。弟の安否は気になっても、己のこれからについては何も考えられなかった。


 男たちの会話から、女は商品として売り飛ばす事になっているらしいと知った。ならば、自分も売り飛ばされるのだろう。

 商品に傷を付けるわけにもいかず、自分達は放って置かれた。だから命の危機を感じることもなく、咽返るほどの酒の臭いと男たちの下卑た笑い声、そして、日に日に濃くなっていく血臭さえ我慢すればよかった。


 しかし、1人の男の言動が 自分達の命運を分けた。

「少しくらい遊んだって罰はあたらねぇんじゃねえの?」

 その瞬間、飢えた獣のギラギラとした瞳が自分達に向けられた。


 ――それからは、地獄だった。


 女は1人ずつ男たちの慰みものにされていった。

 あまり商品に手をつけるわけにもいかないということと、次は自分の番かと怯える女の表情を楽しみたかったらしい。そして確かにその目論見は外れなかった。


 玩具にされるかつての友を目の前に、確かに少女たちは狂っていった。


 最初に目を付けられた少女は使い物にならなくなり、殺された。

 次に選ばれた少女は自ら舌を噛み、その身を守った。

 3番目の少女も、既に自我を失った。

 残ったもう1人は、恐怖のあまり発狂してしまった。

 連れ去られた5人のうち、無事といえるのは最早パノ1人になってしまった。

 ――否、本当に自分は無事なのだろうか?

 自分が正気なのか、既に狂っているのかさえも分からない。只、目の前の光景をぼんやりと見つめ続けていた。


 狂ってしまえれば、どんなに楽なことだろう。


 自ら死を選べば、どんなに楽なことだろう。


 何度も脳裏を過ぎった考えだった。しかし、パノはそれらを選べなかった。

 全てを諦め瞳を閉じたとき、瞼に浮かぶのは、弟の姿。まだ幼い弟を独りにするわけにはいかない。

 それだけが、パノの支えだった。 


 しかし、それももう終わり。男たちはこの余興を楽しむことに夢中になり、最早売り飛ばすことさえ忘れたらしい。最後に残ったパノに手をかけようとしていた。


 もう、終わりだ。そう思った瞬間――

「何だ?何事だ!?」

 男達が慌てて外へと駆け出して行った。

 一体どうしたのだろうか。先程から、外が騒がしかった気がする。しかし、それが何なのかパノには分からなかったし、どうでもよかった。

 最早まともな思考力は残っていなかったのだ。


 どれくらいそうしていたのだろうか。気が付いたら目の前に人影があり、自分を見下ろしていた。

「――お前の名は?」

 耳に届いた音は、下卑た男達の不快な声ではなかった。その声は僅かに幼く、しかしとても心地よく響いた。

 呆然とその人影を見上げると、そのままパノの全てが凍りついた。


 ――ああ なんて


 なんて、美しいのだろうか――


 一分の狂いもなく整った容姿。見る者全ての心を射抜く、鋭い切れ長の瞳。天上の調べのように心地よく響く声。溢れ出る気品。この世の全てから隔絶された様な、孤高の存在――。


 そしてパノは理解した。今目の前に居る美しい存在は、屹度、自分を死の世界へと導くために現れた、神の御遣いなのだと。

 ただ陶然と見つめていると、目の前の天使は、その容姿に似つかわしくない荒々しい言葉使いで声をかけてきた。

「ピトに頼まれた。姉を助けてくれと。――ピトを、知ってるな?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。しかし今確かに、「ピト」と聞こえた気がした。

「ピト……に……?」

 愛する弟の名を聞いた瞬間、少女の瞳に光が宿る。徐々に思考が覚醒していく。

「お前はパノ……か?」

 その問いかけに、少女は確りと頷いた。



 彼は、神の御遣い等ではなかった。自分と近しい年頃の、ただの人間だった。

 驚いた。アダよりも美しい人間なんて、初めて目にしたから――それも、男だというのだから、尚のこと。

 その美しい容姿に、誰もが夢中になった。村で1番美人なアダも、村で1番可愛いカーチャも。

 あの2人に心奪われない男なんて居なかった。だから、きっとアルもそうなのだと思うと悲しくなった。

 しかし、アルは2人を気にも止めなかった。可愛いカーチャより、妖艶なアダより、自分の方がアルと親しいのだと思うと嬉しくてたまらなかった。

 彼の美しい容姿を目にするたび、彼の声を聞くたび、自分の心がどんどん彼で満たされていくのが分かった。ずっと弟の事ばかりを考えてきたのが嘘のように、彼の事ばかりを考えるようになった。

 だから、ずっと怖かった。――彼が、出て行ってしまうことが……。

 なんとか村に引き留めようと、色々と画策をしてはみたものの、彼の心を動かす事なんて微塵も出来やしなかった。


 そして、ついにその日はやってきた。

「俺は、2・3日中にこの村を出ていく」

 その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。


 ――出て行く。でていく。デテイク……


 アルが、出て行ってしまう。もう、2度と会えなくなってしまう。

 嵐の間のたった数日間会えなかっただけで、この世から色彩が消えてしまったかのようだったのに、この先ずっと会えないというのなら、自分はどうなってしまうのだろうか。


 目の前が真っ暗で、何も見えない。

 胸が苦しくて、息が出来ない。

 このままだと、自分は死んでしまう。

 ――そう思えるほどに、辛くて、苦しかった。


 自分は一生、アルの事を忘れない。

 しかし、アルは違う。彼がこの村を出て行けば、自分のことなど思い出す事もないのだろう。

 それが、悲しくて、悲しくて、仕方がなかった。


  ※ ※ ※


 背中に灼熱が奔る。身体に力が入らない。いつもと違う視界に、自分は倒れているのかもしれないと思った。多分、切られたのだろう。

 しかし、痛みを感じないのは何故だろうか。痛くはないが、背中が熱くて熱くて仕方がない。

 ああ、ピトは無事だろうか。

 ぼんやりと考えていた時――


「パノ―――――――っ!!」

 自分が求めてやまない声が聞こえた気がした。

(――まだ、私の名前を呼んでくれるんだね……)

 幻聴でも構わない。彼の声が聞こえたのだから。


 パノの唇が弧を描く。それと同時に、アルの姿が目に入った。

 その瞬間、パノの胸が幸福で満たされた。アルが、自分を見ているのだ。

 何処か遠くではない。真っ直ぐに、自分だけを。


 多分、傷は深い。自分が助からないことくらい、分かっている。しかし、パノは幸せだった。アルがこの村を――自分のもとを去っていく姿を見ずに済んだのだ。



 死の世界へ赴こうとしている自分の前に現れたのは、この世の何よりも美しい、神の御遣い。


 自分が最後に目にするのは、誰よりも愛おしい人で


 最後に聞くのは何よりも求めた声で。


 自分は、アルに――大好きな人に看取られて逝くのだ。


 その、なんと幸せな事だろう――


 あれ程何よりも大切だったピトではなく、アルの事ばかりを考えて死ぬ自分は、薄情なのだろうか――?

 でも、それでも構わないと思った。


 ――ねぇ……アル……


「……大好き……」


 幸福に包まれたまま、パノの意識は遠のいていった。


パノ嬢のご退場で御座います。

パノ視点だと少女漫画ちっくでなんかむずむずするよね。というお話。

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