偽りの終焉
「本当に、大丈夫か……?」
「……もう少し……傷が癒えるまで、居ても構いませんが?」
「いえ、大丈夫です。お世話になりました。」
気遣う2人の言葉を、青年はやんわりと制す。
「――それに、屹度父たちも心配しておりますし……。」
続く言葉に、アルはそっと目を伏せた。
父――それは、2人で急遽作った設定であった。
彼は父と、そして数名の仲間と共に行商をしており、ぬかるみに足を取られた矢先、嵐に襲われこの村に流れ着いたのだと。
彼が手配中の人間であることを団長は知っているが、村長には言っていない。あの人の良い村長には黙っていた方が得策であると、2人の意見は一致した。
勿論、青年とアルの関係については、団長も知らない。目が覚めていることさえも知らせず、彼がある程度回復するのを待ってから報告したのだ。
「……アルさん……も、お世話になりました。お元気で。」
なんとも白々しい科白を吐くものだと内心呆れたものの、彼の言わんとしている事は理解できた。
もう2度と会うことはないだろうと、彼はそう告げていた。
――それは永遠の決別。
しかし、それを惜しむ気持ちすら湧いてこない。
彼が1度も振り返ることなく立ち去っても、それを寂しいと思う気持ちすら湧かなかった。
彼はこの村を出て行った。帝国兵は来なかった。
ならば、アルが急いで村を出ていく理由もない。
しかし、何れは出ていかなければならない。
――では、その「何れ」とは何時の事であろうか――?
このまま後回しにしても構わない。だが、この村に残る理由もない。アルはどうすべきかを決めあぐねていた。
しかし、意外な人間の何気ない一言が、彼の心を決めた。
「じゃあ……俺たちも帰るか……。」
その瞬間、アルの視界が一気に開けた。
村長は村へと帰って行った。団長の帰る場所も、この村にある。
――しかし、アルの帰る場所は、此処にはない。
此処は確かに居心地がよく、予定よりも長く滞在していたのも事実だ。
だが、どれほど居心地が良かろうとも、この村を己の還るべき場所と定めることは終ぞ無かった。
己の還るべき場所は、此処にはない。
「仲間」のもとにもない。
――この世の何所にも。
ならば、還らなければいい。
ずっとずっと、歩き続ければいい。
――簡単な 事だったのだ。
ある程度の仕事の引き継ぎはした。寄って、己のこの村での責務は全うした事になる。だから、自分が出て行こうと、誰にも止める権利などないのだ。
「……そうか……。」
男は小さく呟いた。
――そして、彼女も。
薄暗い室の中、アルは身じろぎをすることもなくただひっそりと座っていた。どれほどそうしていたのだろうか。やがて、ぱたぱたと聞きなれた足音が耳に届いた。
それを確認すると、アルはゆっくりと立ち上がり上着を脱ぐ。
そして、扉に手をかける気配がした瞬間、髪へと手を伸ばし、そのまま引き下ろした。
「アル――……。」
扉を開けた格好のまま、パノは凍りついた。
そこに立っていたのは、見慣れた稲穂色の髪をした少年ではない。
その鋭い瞳と同様、全身に闇色を纏った男だった。
※ ※ ※
「……パノか……。」
アルに名を呼ばれ、パノははっと我に返る。
「……アル……?その髪……。」
呆然と呟く。
闇色の瞳に同色の髪。暗闇の中、明かりも灯さずただ立ち尽くす姿は、まるで闇の世界の主のようで――
彼の抜き身の刃の様な雰囲気といい、いつものように声をかける事さえ躊躇ってしまう。
――怖い。
ただ純粋に、そう思った。
「――パノ、どうした……?」
「……えっ……あの……。」
パノの視線が、足元に落ちた稲穂と己の髪を行き来している事を確認したアルは、今気付いたとばかりに髪に触れる。
「……これが、気になるのか?」
「え……いや、あの……。」
パノの予想通りの反応に小さく口の端を上げると、アルは淡々と語りだした。
「……なぁ――俺の今のこの姿を見て、どう思う――?」
「どう……って……?」
「黒髪黒目は帝国人の特徴だ。」
「……あ――っ!」
パノは目を見開いた。
帝国人の特徴は、黒髪黒目に黒い肌。その特徴故か、彼らの事を黒い悪魔と呼ぶものは多い。
「……俺の肌は白い。だから帝国人でないことは一目瞭然だ。
――だが、黒髪黒目の人間に、アドリアの民は優しくない。」
黒髪黒目の人間は、アドリアにも存在する。――そして、肌の黒い者も――。
特に、様々な国の――大陸の者が集うセルディア国には珍しくない。
しかし、人々の苦い記憶はそれを赦さない。
黒髪だけなら、まだいい。
黒い瞳なら、まだいい。
だがそれらが被ってしまえば、それは迫害の対象となってしまう。
帝国人を連想させてしまうその者に、アドリアの民は親しくなど出来ないのだ。
「俺は傭兵だ。依頼人とのいらぬ軋轢を避けるために、髪の色を変えているんだ。」
「……そう……だったんだ……。」
小さく呟くパノに、アルは更にトドメの一言を放つ。
「俺は、2・3日中にこの村を出ていく……。」
――不思議な感覚だった。
あれ程躊躇っていた言葉が、嘘のようにあっさりと出てくるのだから。
「ど……どうして……?」
彼女の瞳が潤み、不安に揺れ動く。
しかし、アルの心が動くことはない。
「どうしても何も……俺は傭兵だ。しばらくの休息を取っていたが、そろそろ仕事に出なければならない。――それだけだ。」
「そ……そんなっ!!……急に……。」
「今まで世話になった。――感謝する。」
その、あまりにも淡々とした様子に、説得は無意味なのだと悟る。
「……そっか……。」
パノは泣きそうに顔を歪ませると、俯いて、小さく呟いた。
 




