倒錯(前編)
届いたダンボールを開けると、そこに入っていたのはセーラー服。
コスプレ用の安い物で、貧相な生地がテカテカと光っている。尤も、今はそれで十分。
待ち切れんばかりに袖に身を通す。スカートを履き、ファスナーを上げる。
鏡の前へと歩き、自分の姿を眺めて感嘆。そこには一人の女子生徒が映っていた。
少しボーイッシュな髪型ではあったが、環状の光を反射していた事から髪質の良さが伺える。
平坦な胸はマニア心を擽り、膝まで覆ったスカートは清楚さを漂わせていた。
スカートから伸びる脚もまた絶品。華奢な対の棒は嗜虐心をくすぐられ、折ってしまいたいと思える程。
そんな自身の姿を見、「彼」は悦びの笑みを浮かべた。鏡の中の「少女」も同様に笑みを浮かべる。
なんと美しい事だろう、なんと可愛らしい事だろう。彼は自身に欲情した。スカートには本来有り得ないテントが立つ。
そして、ガラス一枚を隔てて「少女」と唇を重ねる。冷たく、透き通った味がした。
次いで、スカートをたくし上げ、顔を覗かせた怒張を擦る、擦る、幾度も。
ガラスの向こうには恍惚の表情を浮かべた「少女」。それが一層彼の興奮を誘う。
ややあって、彼と少女は共に果てた。飛び散った白濁がガラス越しに彼女を汚した。
それを彼は丹念に舐め取る。鏡には舌が這った跡が残った。ガラスの向こうの少女も蕩けた表情で舌を這わせる。
初恋の、味がした。
朝、彼は普段通り学校へ向かう。言うまでも無いが、彼の服装は至って普通の男子用制服である。
足取りは重い。彼にとって学び舎は拷問会場でしかなかったからだ。
休むなどと言う事はしない。良く言えば従順、悪く言えば自主性が無い彼は、この年頃の少年に有りがちな「反抗」という事をしなかった。
親が学校に行けと言う。それだけでも彼を機械的に学校に向かわせるには十分だった。
そして、彼は一人通学路を歩む。根暗な彼に友人など存在しなかった。
庇ってくれる人も居ない。頼れる人も居ない。言ってしまえば裸のまま戦場に向かうような物だ。
そんな気持ちで、彼は学校へ通っていた。
そうこうしている内に到着してしまった。死刑囚が13階段を登る気持ちで、彼は校門を潜った。
「オウ、いつも通り暗い顔してんな?このオカマ野郎!」
言い掛かりを飛ばしてきたのは諸悪の権現。平たく言うと、不良である。
顔立ちが少し女っぽくて暗い性格。これだけの要素さえあれば、多感な時期の青少年にとっては十分「ストレス発散」の対象となりうるのだ。
荷物を取り上げられ、財布から紙幣を取られる。今日も昼食抜き確定。
そのまま人気の無い所へ連れて行かれ、殴られる。顔を殴ると跡が残る、という理由から、攻められるのはいつも決まって腹部。
衝撃で倒れ込むと共に、腹の奥から酸っぱい物が込み上げ……そして嘔吐。これが不良たちの嗜虐心を擽ったのか、背中を、腹を何度も蹴られる。
吐き出す物は全て吐き出し、胃液すら枯渇した頃に彼等は去って行った。
いつもそう。何かと因縁を付けられ、暴行を受けるだけの毎日。仕返しも、担任への報告も、意味を為さない。「報復」と称した暴行が待っているだけ。
教室の誰も助けてくれない。朝一番に嘔吐してしまうので臭いは酷く、女子生徒は耳打ちしながらヒソヒソと陰口を言う。
そんな鬱屈した毎日。そんな中で見出だした清涼剤こそが女装であった。
女装している時は自分が自分でないように感じられる。自己からの解放。正に至福の時。
自身の生活が鬱屈したものだからこそ、彼の倒錯は一層進んだのだろう。
だが、そんな二重生活を送る彼に、この日は転機が訪れた。
その日は文化祭の出し物を決める会議が為された。水が滔々と流れるかの如く会議は進み、出し物は劇、題目は「白雪姫(原作に忠実)」という所まで決まった。今は配役を決めている。
「さて、小人と女王様までは決まった訳ですが……肝心の主役が中々決まらないのはどういう事ですか……。」
委員長は首を傾げる。配役に関して、脇役は次々と埋まったようだが、どうも白雪姫は女子達が牽制し合っている為だろう、中々決まらない。
――これは、チャンスではないだろうか?
――ここでボクに決まれば、認められるのでは?
――公然と「第二の自分」、いや、「偽りの無い本当の自分」でいられるのでは?
彼はやや思考を巡らせた後、スッと手を挙げた。真っ直ぐ伸びた手に迷いは欠片とて見られなかった。
「……ボ、ボクが、白雪姫をします。」
教室内に一瞬の静寂。後に大爆笑。
「オイ、吉村が?ヒロイン?ギガワロスwwwwwwwwwww」
「キモッ」
「あんな事して恥ずかしくないのかな?」
「死ねば良いのに」
罵声と嘲笑の嵐。予想はしていたものの、やはり実際に言われると心が剣山の上で躍らされているかの如く痛む。
「あ、それ採用。なんか面白そう。」
そんな中、委員長の一声で決まった。彼女は更にこんな提案までする。
「この際だから王子役も性別反転させるか。という訳で、王子役やりたい女子はいませんかー?」
「嫌な役」の押し付け、もとい推薦が為された結果、「それなら私がやる」と委員長が立候補して配役決めは無事終了した。
その日から暫くの間、「オカマ吉村」という仇名が付くと共に虐め強化月間へと突入した。
同時に、彼の倒錯も一層進んだのだった。
実際に衣装を着付けたその時から、学校に彼の「居場所」は出来た。
出来上がった衣装を纏い、ウィッグを被った彼の姿は文字通り美少女。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と言う言葉が似合い、アニメなどでは背景にキラキラしたエフェクトが描かれる所だろう。
彼の姿に男子生徒は唾を飲み込んだ。こんな「美少女」を前にして「もう男でも良い」と思った者も幾人かいるだろう。
彼の姿に女子生徒は嘆息を漏らした。「男」に美貌で劣ったのである。歴然なる差を前に、多くの女性は負けを悟った。
「やっぱりね。私の目に狂いは無かったみたい。」
委員長は眼鏡をクイと上げながら言う。そう言う彼女の男装も大したもので、「麗」という字がよく似合う出で立ちであった。
「それでは、お嬢様。少し散歩にでも出かけませんか?」
彼女……否、「彼」にスッと腕を差し出された。彼、というより「彼女」はその手を取り、「彼」について廊下を練り歩く。
突き刺さる視線、視線。だが、いつも浴びるものとは違って柔らかいそれに、「彼女」は安堵を覚えた。
あくまで、そこに存在するのは「美少年」と「美少女」。花と花が揺れながら歩くような様に誰もが心を奪われた。
何処のクラスも文化祭の準備を進めていたが、皆作業の手が止まっていた。ただただ、光り輝くかの如き二人を見ていたのだった。
後に、クラスのお喋りな子が他のクラスに「美少年」と「美少女」の正体を言い触らした。
ごく少数は依然として女っぽい見た目の彼を忌避したものの、多くの人は彼の「魅力」に気付き、彼を認めた。
中には「もう女装したまま学校生活を送れば良いんじゃないの?」と言い出す者まで出る始末。
最終的には「まだ男の姿のままなの?」という雰囲気に全体が包まれた。
彼は喜んでその流れを汲み取り、その次の日からは女子の制服で通学する事にした。
以前は突っ掛かって来た不良達も、下手をすると生徒の大多数を敵に回す事になりかねない、と手を出す事を止めた。
こうして、彼には安息の場が出来上がったのだった。
実は途中まで主人公の名前を決めてなかったのです。
ですから私の好きな苗字と、名前は作中では殆ど出てこない=読みを気にする必要がない→じゃあ読めない例の名前にでも……という流れで適当に名前を決めました。後編でフルネーム分かります。