第八話 縋る者
むかしむかし、あるところに、竜王がくらしていました。
竜王のおおきな口からは巨大な炎がふきだし、その口元にはするどい牙がいつも光かがやいていました。
そんな竜王のまわりにはいつも何もありません。
真っ暗な世界です。
永遠ともおもえるような長い時間を、竜王はひとりですごしてきました。
あるとき。
竜王の目の前に、一人のヒトが現れました。
ヒトは言いました。
あなたが私たちが求めていた全てです、と。
竜王は感激し、ヒトと共に生きようと決めました。
そんなとき、竜王のもとに一人のヒトがやってきました。
ヒトは美しく身を飾り、竜王の前にひざまづきました。
そして、どこからともなくもう一人ヒトがあらわれていいました。
『あなたさまの伴侶をつれてきました』と。
しかし、美しく着飾ったヒトは、恐怖からか震えてばかり。
竜王を見ようともしません。
悲しくなった竜王はついつい深いため息をついてしまいました。
竜王のため息はヒトからすると荒々しい風に感じ、またその風の温度は野を焼けつくすほど熱かったのです。
竜王が気付いたときには美しく着飾ったヒトはいなくなっていました。
それから何人もの美しく着飾ったヒトが竜王の元にやってきました。
竜王をおそれるもの、うやまうもの、媚をうるもの、色をうるもの。
そのどれもが竜王を悲しくさせました。
そして竜王のもとに六人目のヒトがやってきました。
そのヒトはみすぼらしい布切れ一枚で身を覆い、まっすぐ竜王の目を見て言いました。
『あなたの目はとてもやさしい目をしているのですね』
竜王は思いました。
目の前にいるヒトのほうが、やさしい目をしている、と。
それから竜王はやさしさをもったヒトと、末永く幸せに暮らしたのです。
そしてヒトを愛した竜王は、ヒトを守り、ヒトを愛し、ヒトを慈しんでいくことを生涯約束したのです。
めでたし、めでたし。
と、誰もが思ったことでしょう。
しかしヒトと竜が完璧に分かりあう事など、最初から無理なことだったのです。
「一体何が起こったと言うのですか?」
ダグラスに忙しい中呼び出され、始めは不機嫌そうにやってきたクリスであったが、美春の姿を確認し態度は一変した。意識を失ってはいないものの、ベッドの上で座っている美春の顔色は土気色になっていた。
「俺に分かっていることは、竜舎に美春様が入ったとたん、竜達が美春様に礼をしたと言う事実、それだけだ」
「竜達が礼を!?」
そんなこと有りえないとばかりにクリスは声を張り上げた。
竜はもともとプライドの高い生き物である。ペアとなった竜騎士を背に乗せることを躊躇う竜さえいると言うのだ。
ペア――竜は共に生きていくヒトを一人選ぶ。何を基準に選ぶのか、強さ、賢さ、優しさ、謙虚さ、様々な憶測があるが、結論は竜の好み、と言うことであった。ペアに選ばれた騎士はその竜と対等の立場になり、ともに闘い生きていくことになる。
毎年竜騎士になりたいものは、ペアのいない竜と面談し、その竜に選ばれると晴れて竜騎士見習いになる。そしてその後修行を積み、正式な竜騎士になれるのだ。
そういった事情からヒトから竜に対して敬意を払う事はあっても、その逆と言うのは見たことも聞いたこともなかった。
「あり得ないと思うだろうが、俺はこの目で見たんだ。リヒトも、その場にいた見習い達も見ている」
「本当なのですか、リヒト?」
クリスの問いかけに、リヒトは神妙に頷く。
「確かに竜達が美春様に向かって礼をしていました」
リヒトの言葉に、クリスはしばし考え込む。
異世界から呼ばれた后候補。
儀式のために必要であり、召喚が成功すると竜達の力が増し、繁殖が始まる。それがクリスの知っている六人目の后候補の全てであった。
しかし、命の水の儀式が竜の力や繁殖に深い関わりがあると知っているものは少ない。
力が増したことを竜は美春に感謝している、だから礼をした?
クリスは一つの仮説にたどり着いたが何故かしっくりこなかった。
六人目の后候補の過去の情報はあまりにも少なすぎるのだ。もう一度歴史を洗い直す必要があるのかもしれない。
「イノチビト……って言っていたんです、私の事」
今まで黙っていた美春と突然口を開く。
「多分竜の声だと思うんだけど、たくさんの声が頭の中に入ってきて、私なんだか気分が悪くなっちゃって。心配かけてごめんなさい」
殊勝に謝る美春にクリスは柔らかく微笑み首を横に振った。
「美春様いいのですよ。それよりも、声が聞こえたと言うのですか?」
「はい」
信じられないとその場にいた三人に男は顔を見合わせた。その様子に美春は不安になる。
「あの、普通は聞こえないんですか?」
ここは異世界。しゃべる竜がいてもおかしくないと美春は思っていたが、目の前の男たちは困惑している。
「美春様、ペアである竜の声でさえ、俺たちは聞こえないんです。ただ嬉しいとか、怒り、そういった単純な感情しか伝わってこないんです」
「中には竜の感情さえも伝わってこない者もいる」
「昔は、声を聞くこともできていたらしいのですが」
竜の国ドーニア、竜のいる最強の国。しかし、近年その名声に陰りが見え始めていた。徐々に失われていく竜の力。年々数も減り、竜の寿命は減っていく。そして竜の声を聴く者もいなくなった。竜族であるディートハルト達でさえ、竜化しないと竜の声が聞けないのだ。
「ダグラス、人払いをお願いします」
クリスはそのやわらかい表情からは信じられないほどの固い声をダグラスに告げた。
ダグラスは静かに首肯し、部屋の外で人払いを命じる。
「これでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
妙に緊迫した空気の流れている二人に、リヒトは躊躇いがちに声をかける。
「あの、俺もここにいてもいいのでしょうか?」
「……貴方が今からする話を他言しないと言うのならいいでしょう」
「俺、誰にも言ったりしません!」
「ええ、分かってます。それに、貴方は美春様の竜騎士。いずれ知ることになったことでしょう」
クリスは一息つくと、美春に視線を向ける。クリスの美しい深い青色の瞳に見つめられ、美春は緊張する。
「美春様、黙っていましたが六人目の后候補には重要な意味があるのです。竜達にとって」
「え……?」
ただの数合わせではなかったのかと、美春は目を瞬かせる。
「どういう仕組みになっているのか、恐らくは失われた魔法の力だとは思われるのですが……」
この世界で初めて聞く魔法、という言葉に美春は反応する。
魔法、それは異世界ならあってもおかしくないもの。しかし、この世界ではないものなのだと思っていた。
「大昔は魔法を使う事ができたのです。しかし、いつからかその力も失われました。何故失われたのか、多くの学者や神官が研究していますが、その頃の歴史は全てが曖昧で確証を得ることができていないのが現状です」
クリス自身も魔法が失われたと思われる時代、原初の時代を研究している一人であった。
「話を元に戻しますが、命の水が湧き始めると、竜種は繁殖することができるのです。これは一部の竜騎士と神官、そして竜族しか知らない事実です。命の水が湧いていない時、竜種は繁殖することができないのです」
代ごとに命の水の湧く時間は減り、それに伴い竜の繁殖時期も減った。僅かな繁殖時期に成功する竜は少なく、竜の数も劇的に減ってきていた。このままでは間違いなく竜は滅んでしまうだろう。
「そして、六人目の后を喚ぶことに成功すると命の水は成功しなかった時と比べ長く湧き続けると言われています。更に竜達の力も増してくると……」
「どうして、そんな仕組みに? まるで后を選ぶ儀式と言うより、竜のための儀式に思えるんですけど」
美春はクリスの言っていることが信じられなかった。
美春がこの世界で一番最初に接した命の水。あの水にそれほどの能力があるようには思えなかったのだ。
「信じられないのも無理はないでしょうね。全てはただの伝承だと私たちも思っていたのですから。……しかし実際に美春様、あなたがこの世界に来てから竜達は繁殖期に入りました。そして、ディートハルト様自身も感じるほど、竜の力が増してきているのです」
――命の水。
湧くことで竜種を繁殖期にすることができ、異界の魂を呼び出し肉体を生成する。生成に成功すると竜の力が増し、長い繁殖期に入ることができる。
美春は必死に頭の中でクリスの話を整理した。一気に説明され、正直訳が分からないことばかりであった。
ここは異世界。自分の常識とは違うのだとは分かっている、分かっているつもりだが。あまりにも現実とかけ離れていた。
「それと、美春様はなかなか鋭いですね」
「え?」
「后を選ぶと言うより竜のための儀式。まさにその通りなのです。命の水と異界からの召喚が竜に深く関わっていると言うこと。それを他国に知られないために、この儀式は始まったとされる説があるのです」
「異世界から呼び出した人を目立たなくするために?」
美春の問いにクリスは頷く。
「ええ、そうです。と言っても他国ではあまりこの后選びの儀式は知られていませんが。念には念を、と言う事が始まりだったそうです」
この儀式にそこまで深い意味があったことに美春は純粋に驚いた。それと同時に、ただの数合わせではなかったことを、少し、ほんの少し嬉しく思う自分もいた。
「ですが、イノチビト、と言う言葉は初めて聞きました。私はこの事をディートハルト様に報告し、イノチビトについて調べてみようと思っています。分かり次第美春様にお知らせしますね」
ディートハルトに報告、と言うところに引っかかりを覚えた美春だったが、クリスの有無を言わさぬ笑顔に負けてつい頷いてしまった。最初からクリスの中で否定、と言った意見は用意されていなかったのだろうが。
「私は仕事に戻ります。ダグラス、竜舎見学を止めて竜騎士の訓練見学にしてはどうですか? 美春様の体調がよければ、ですが」
「あ、私の体調は大丈夫です! 訓練見学よければ是非したいです」
「そうですかそうですか、では、ダグラスとリヒト、頼みましたよ」
「おいクリス、俺も仕事がたくさんあるん」
「では、失礼しますね」
途中でダグラスの言葉を遮ると、クリスは弾丸のようにその場から去って行った。
その後ろ姿にリヒトと美春は唖然とする。しかし、ダグラスはいつもの事、とばかりにため息をついただけであった。
「ったく、相変わらずの奴だな」
「やっぱりいつもあんな感じなの? クリス様って」
「ああ。あいつ天使みたいな顔してるけど、自分の事以外はどうでもいい最低野郎だからな」
「団長、そんなこと言っていると不敬罪に問われますよ」
自分についてのやりとりが行われているとは知らずに、クリスは廊下を速足で歩いていた。
――イノチビト。
知らないふりをついしてしまったが、本当は聞いたことがあった。
しかしそれは本当に伝承の伝承。古い古いおとぎ話、夢物語だと思っていたのだ。
イノチビト来たりし時、呪いは消え、竜は再生されるであろう。
馬鹿げている。
まさか、あの少女に呪いを解く力などあるはずがないのだ。あんな、何の変哲もない……。
しかし、もしそれが本当だとしたら。本当に呪いが解けるなら。
少女から生まれた一筋の希望。その希望に縋りたくなるのは、間違いではないだろう。
歴史は塗り替えられる。
幾度も交差するヒトの欲望により、儀式の本質も変わる。
歪に伝えられた歴史に惑い、また、歪んでいく。
そうして、己の首を絞めていくのだ。