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第四話 銀の虚像





 美春は自分に向けられる視線の多さに、五分も持たずに辟易していた。その視線に含まれる感情は残念ながら心地良いものではなく、憎悪や嘲笑、敵意、お世辞にも素敵とは言えない類のものばかりだった。

 今、后候補たちのお茶会が城の中庭で行われていた。

 豪華な飾りのついた汚れ一つない真っ白な机の上には、濃厚な紅茶の入ったティーカップに、焼き菓子から生菓子まで、様々な菓子が並んでいる。どれもこれもが美味しそうで、美春は周囲の后候補と出来るだけ目を合わさずに黙々と口に菓子を運んだ。

 現在ここにいる后候補は美春を入れて五人。最有力候補であるアイリシアは今回は体調不良のため欠席らしい。

 后候補たちは皆それぞれ美しく、そして美春からみるとどの女性も気高く見えた。悪く言えば、わがままに映った。

「ちょっと、このお菓子砂糖をいれすぎじゃなくって?」

「紅茶が濃すぎるわ、淹れ直してきて」

「髪の毛が風で乱れたわ! 早く直しなさいよ!」

 ディートハルトがこの場に現れていないせいか、后候補たちは先ほどから女官に喚き散らしていた。特にその態度が際立っていたのはコーネリア、と言う女性であった。

 眩しく輝く豪華な金の巻き髪に、深い藍の瞳は猫のようにつり上がり、彼女の意志の強さの象徴とも思えた。ドレスは燃え上がる深紅色、体の線が一目で分かるデザインになっており、豊満な胸元を強調するかのように胸下部分できつく絞られていた。

 コーネリアはお茶会の前にエナが言っていた要注意人物の一人でもあった。

 竜族であるアイリシアに次ぎ、有力候補と言われる人物、それがコーネリアであった。竜族とは言えないものの、竜の血を引いており、その後ろ盾も大きい。コーネリアは六大貴族の中で最も勢力のあるトリキス家の長女であった。

 六大貴族とは、竜王、神官長の次に権力がある貴族達のことであり、国政に関する会議などは主にこの六大貴族、神官長、竜王で行われるのである。決定権は九割がた竜王と神官長にあると言っても過言ではないが、六大貴族中四人以上が政策に反対すると、その政策を行う事ができない。そのためいくら竜王と崇められていても、六大貴族を無下に扱う事などできないのであった。

 その中でもトリキス家は竜の血を濃く引いているため他の貴族に対する影響も強く、現在の家長、コーネリアの父親は政治的手腕にも優れており、人望も厚く、竜王からは一目置かれる存在である。

 世間では竜王の后になるのはアイリシアかコーネリアかのどちらかだろうと言われていた。アイリシアは竜族ではあるが体が弱く、子を産むと言う事に不安が感じられる。対してコーネリアは健康であり薔薇の様に人を一瞬で惹きつける華やかさがあった。よってコーネリアを后にと望む声も多いのである。実際、今日のお茶会をアイリシアは体調不良で欠席している。

 アイリシアを見ることが出来ると思っていた美春は少々がっかりしていた。加えて周囲からは敵意の嵐。美春は他の后候補と目を合わすと大変なことになりそうだと思い、下を向いて黙々と菓子を口に運んだ。最初は美味しく感じられた菓子も、今ではほとんど味が感じられなくなってきていた。

 ああ、早く部屋に戻りたい。

 美春の心がその思いで満たされた時、周囲の空気が変わった。

 先ほどまでざわめいていた后候補たちが突然静かになったのだ。皆、その頬は赤く染まっており、瞳には一人の男を映していた。


 ディートハルトだ。


 暗闇によく映えるであろう銀の短い髪に、氷のように透き通った銀の瞳。全身は黒で統一されており所々に銀の刺繍が施されている。腰には細身の、しかし実用的な剣が提げられていた。

 冷たい瞳をした男だ、と美春は思った。

 しかし、次の瞬間美春は驚愕する。

 ディートハルトは后候補たちを見つめ、柔らかく微笑んだのである。

 第一印象のあの剣幕からは想像できないほど暖かな笑みであった。もしこれが初対面であれば、美春は間違いなく恋に落ちたであろう。しかし残念なことにこれは初対面ではなかった。ゆえに美春は寒気がした。こんなにも作り笑いをするのが上手な人間がいたのだ、と。いや、正確には人間ではなく竜族なのだが、そこは気にしないでおく。

「皆、今日は楽しむとよい」

 短くそう告げると、ディートハルトは后候補一人一人に声をかけ始めた。一番最初はコーネリアであったが、その声は小さく聞き取りにくく、何を話しているのかは全く分からなかった。ただ先ほどまで高慢な態度だったコーネリアが頬を染めて、まるで少女のようにディートハルトと会話していたのは印象的であった。本当に好きなんだなー、と、コーネリアの姿を見て美春は思う。ここにいる后候補たちはおそらく嫌々候補になったのではないのだろう。むしろ、候補であることを誇りに思い、后になるべく争いあっているのだ。そこに自分がいることに違和感を感じざるを得ない美春であった。

 急に逃げ出したい衝動に駆られる。后候補など投げ出して、自分ひとりいなくなったところでこの世界は何も変わらないだろう、とも。けれど、今城の外に出て、一人で生きていく術を美春は持っていなかった。この城で半年、后候補として大人しく過ごすしかないのだろうか。

 先のことを考え始めると、不安しか見えなかった。美春はつい下を向いて、ディートハルトの存在など忘れてしまっていた。

「……暗い女だな」

 唐突に耳に飛び込んできた低く、魅惑的な声に美春は心臓が飛び出そうになった。しかしなんとか動揺を隠して、ディートハルトを見上げる。 

 美春の黒く大きな丸い目と、ディートハルトの銀色に輝く鋭い眼の視線が交差する。

 美春の世界では見ることのできない銀の瞳は近くで見ても美しく、思わず苦手意識も忘れて見入ってしまう。そしてディートハルトも何故か目線を逸らさないため、二人は周りから見ると熱く見つめあっているかのように見えていた。実際は熱など一切感じられないものであったが。

 何故か二人の間を緊迫した空気が漂う中、美春は必死で口を開いた。

「あなたは陰険ね」

 美春の言葉にディートハルトは美しい眉を一度僅かに歪ませた。

 ちょっと言い過ぎてしまったかと瞬刻後悔する美春だが、すぐに思いなおす。先に嫌なことを言ってきたのは向こうなのだ。竜族だろうが竜王だろうが、異世界の美春にとっては関係ないことだ。

 ディートハルトはそれから一言も発さず、同じく美春も一言も口に出すことはなかった。

 二人の二回目の対面は、最悪な印象のまま終わった。








 「ディートハルト様」

 廊下を歩いていたディートハルトに、クリスは声をかけ横に並んで歩き始めた。

 二人は実に対照的であった。ディートハルトの銀の短い髪に、クリスの長い金の髪、そして常に穏やかな雰囲気を身にまとうクリスに、常に感情を殺しているディートハルト。

 しかし、后候補たちに対しては優しくディートハルトは振舞っていた。

 后候補たちはどれも重要な人物の娘たちばかりである。嫌な印象をもたせるよりは良い印象をもたせておいた方がいい。元々はクリスが言い出したことであったが、ディートハルトも賛同し先ほどのお茶会で見せたように笑顔を振りまいていた。内心、馬鹿らしいと思いながら。

「何か用かクリス?」

「用と言う用はないんですけどね、先ほどのお茶会、熱く美春様と見つめ合っていた、という噂がもう飛び交っていますよ」

 天使のような微笑みを浮かべるクリスの言葉に、ディートハルトの眉間の皺が一層濃くなる。

「くだらない」

 確かにディートハルトと美春は見つめ合っていた。しかしそこに甘い感情などなく、目を逸らすと負けな気がして見つめ合うという結果になってしまっただけである。

 後ろ盾が何もない美春に対して、ディートハルトはどういった態度を取るべきかはかりかねていた。そして美春も他の后候補と違い、頬を赤らめることなく、むしろ青ざめた顔でディートハルトを見つめていた。その真っ直ぐな視線に好意、などと言った甘いものは一切見受けられなかった。むしろ陰険、などとディートハルトに対して毒を吐いてきたのである。

 今まで女性には好意ばかり抱かれていたディートハルトにとって、美春の存在は厄介なもので、それでいて新鮮でもあった。

「異世界からの后候補。一体どんな異形が現れるのかと思っていましたが、美しい方でよかったですね」

「見目など関係ないだろうが」

 そう言いながらもディートハルトは先ほどの美春を思い浮かべていた。鎖骨まで伸びる美しい髪の毛は、美春の白い肌を一層引き立たせ、黒曜石のように輝く瞳は確かに綺麗であった。

 あの、吸い込まれそうな黒い瞳。

 ここ、ニルア大陸では黒い髪の人種はいるが、黒い瞳をもつ人種は存在していなかった。それゆえか、美春の瞳はディートハルトから見ると気味が悪く、良く言えば神秘的に見えた。しかし、それだけである。美しいだけの女ならこの城に掃いて捨てるほどいる。

「大体、后はもう決まっているようなものだろうが」

 ディートハルトの言葉にクリスは苦笑する。

 確かにその通りであったのだ。竜の血が薄まりつつある今、ディートハルトに課せられた使命は竜の血を濃く残していくこと。竜の血が濃い者ほど、竜化する確率が高く、能力も高くなるのである。能力が高い者を後世に残すこと、それがこの国を守ることにもつながるのだ。

「しかしディートハルト様。おとぎ話では六人目に現れた女性が、后に選ばれているのですよ」

「あんなもの、夢物語だ。真実の物語をクリス、お前が知らないとは言わせないぞ」

 ドーニアで語り継がれる竜王の物語。その物語の真実と、そして続きがあることを知っているのは神官たちと、竜族だけであった。

「命の水、など馬鹿馬鹿しい。呪いの塊でしかない水だ」

「ですが今回は美春様を召喚できたおかげで、命の水が長く湧き続けています。早くも子を身ごもった竜も発見されていますし、命の水は呪いでもありますが、召喚が成功すると竜種に恵みをもたらしてます。ディートハルト様、あなたの竜の気も強くなってきているのでは?」

 クリスの言葉にディートハルトはしばし押し黙る。

 確かに美春が現れた夜から自分の竜の血が騒ぎ始めていた。しかしまだ美春が現れてから二日目。それが美春のもたらしたものだと言える確証などどこにもないのだ。

「確かに竜の気は強くなっているが、あの女がもたらしたものだと百パーセント言えるものではないだろう。それに、命の水などなくても竜族は繁殖できるはずだった……」

 ディートハルトの端正な顔に影が落ちる。気づけばもう日が暮れ始めていた。ディートハルトの銀色の髪が赤く染まっていく。

「大体本当にあの女は異界からやって来たのか? 今まで失敗していたものが、どうしてこの時代に成功する? 竜の力が弱まり、数も減りつつあるこの時代に。おかしいだろう。どこかの国が送りこんできた間諜ではないのか?」

「ディートハルト様、それは……貴方のお力が強いから召喚は成功したのです。自分が歴代稀に見る力を持つ竜族だと言う事をお忘れなく。それに、美春様が間諜なはずないでしょう。儀式前に命の間に誰も潜んでいないことを確認したのは、ディートハルト様、あなたでしょう?」

 クリスの的確な突っ込みに、ディートハルトは何も言えなくなり、わずかに目を伏せた。

「素直に喜べばいいのですよ。美春様が来たことによって、竜種の力が増すことに」

「……しかしまた、水は枯れる。呪いが始まる」

 ディートハルトはそう言い残すと、クリスの反論も待たずに足を速めた。クリスも無理に引き止めることはせず、夕陽の赤を背負うその後ろ姿を見つめる。そしてその背中が見えなくなったところで、クリスは小さくため息をこぼしたのであった。

 




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