第三話 竜騎士
足首まで届く長い白いドレスは、歩くたびに柔らかな布が揺れ、裾のレースも細かく気品のあるものであった。首元は大きく開き、青い宝石のネックレスが胸元を飾っている。大きく開いた胸元からは白磁のような肌が見え、何とも言えない色気を漂わせていた。耳元にはネックレスと揃いの青のイヤリング、黒く艶のある長い髪の毛はアップにしており、白い花の髪飾りをつけていた。おそらく十人中十人が振り返る美しい女性に、今の美春は見えた。
美春の目の前にいる岩のように固く緊張した騎士もそう思っていることであろう。
尖った短い金髪に、紫色の瞳をしたまだ年若い騎士であった。
若い騎士は美春が目に入った瞬間から顔を紅潮させ、未だその赤みは引いていない。しかし美春はそれに気付かず、目の前の騎士は具合が悪いのか、それとも護衛を嫌がっているのかどちらかなのだろう、と的はずれのことを思っていた。
「わ、私、竜騎士リヒトは美春様をいかなる時も守り、自分の命に代えてでも御身をお守りすることを誓います」
リヒトは緊張で声を震わせながらも、誓いの言葉を言いきると同時に自分の剣を美春へと差し出した。しかしその剣を差し出した手も震えていた。
美春は剣を受け取るのを逡巡したが、ここで受け取らなかったらいろいろと面倒なことになりそうだと思い、リヒトから剣を受け取った。そして銀色に輝く刃の部分に軽く唇を落とし、剣をひっくり返しリヒトへと差し出した。リヒトは震える手で剣を受け取り、深く一礼をし、剣を腰に下げていた鞘に戻す。美春はそれを見届けて儀式前に言われたとおりにその場から退出する。美春の後を付き添い騎士のリヒトも同じように退出する。これで儀式が終わりである。
扉から外に出ると、新鮮な空気が美春の髪を舞わせ、思わず隣にリヒトがいるのも忘れて一息ついてしまう。儀式の場所は城の庭の一角にある小さな神殿で行われていた。いつもこう言った小さな儀式の時に使われる場所らしい。
「美春様、これからどうぞよろしくお願いします」
リヒトは改めて美春に対し一礼をする。その表情は緊張のため強張っていたが、美春はそうは捉えなかった。
「あの、もしかして嫌々護衛に任命されたんじゃない?」
美春の言葉にリヒトは勢いよく顔をあげ、全力で首を横に振った。
「嫌々なんてとんでもありません! 美春様は異世界から来られた大事な方です。それに、とても、その」
美しいお方、とリヒトは続けたかったのだが、もともと初心な性格のためどうしてもそれだけは言う事ができなかった。しかしリヒトの嫌ではないという気持ちは美春には伝わったようだった。顔を真っ赤にさせているリヒトを見て、小さく美春は笑みをこぼしたのだ。
「ならよかった! あと、様とか敬語とかはできるだけやめてほしいな。私そんな偉い人じゃないし。たまたまここに連れてこられただけだから」
エナを同じように受け入れてくれるものと思い美春はリヒトに笑いかけたが、リヒトの反応は美春の予想とは違い、大きく首を横に振った。
「そんなこと無理です!」
無理、絶対無理、と何度も繰り返すリヒトを見ると、強要することもできず、美春は諦めたのであった。
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「あれが異世界から召喚された六人目の后候補……?」
「はい、美春、と言うそうです」
女と男の二人組は城の二階の窓から、美春とリヒトの様子を見下ろしていた。初々しい騎士に、見た目だけみると深窓の令嬢の美春はとても似合いの二人に見えた。
しかし、窓から美春たちを見ていた者の印象は違った。
「まだ新米の騎士を護衛に与えられたのね。ディートハルト様はそこまであの娘を気にかけてはいない、と言うことかしら」
「ですがリヒトは今年の期待株と言われている騎士です。まあ、私よりは格段に弱いですが」
「でも新米は新米よ。けれど、一応気をつけておく必要があるのかしら。見た目は私ほどではないものの、不細工ではないものね」
「不細工ではないだけです。特別美しい訳ではないでしょう」
男の言葉に、女は嬉しそうに笑みをこぼす。
「けれど要注意人物なのは確かね。よく動向を見張っておいてちょうだい」
「仰せのままに」
男は深く女に向かい一礼をし、その手の甲に口づけを落とした。女は唇を片方だけつり上げ笑みを作り、美春とリヒトをもう一度窓から見下ろした。
「お茶会が、楽しみね」
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「ねえ、リヒトは竜騎士なんでしょう?」
儀式が終わった後、美春とリヒト、そしてエナは美春の部屋へと戻っていた。儀式後の予定としてまずドレス合わせがあり、美春の服のサイズを測り、ドレスを作る作業らしい。エナは美春のドレス合わせを行うために慌ただしく準備を行っていた。
エナや助っ人に呼び出された他の女官が慌ただしく動き回る中、美春はリヒトと椅子に座り、会話を楽しんでいた。リヒトは美春と同じ年齢だと言う事が分かり、美春は自然体でリヒトと話すことができていた。リヒトの方はそうもいかないようだったが、最初の時よりはどもることも少なくなっていた。
「はい、俺、じゃなくて私は竜騎士です」
リヒトの口調に、美春は大きくため息をつく。
「別に俺でもいいよ。敬語が無理で様のけも無理なら、せめて自分の事くらい私、じゃなくて、俺、って言ってほしいよ」
美春の呆れた口調に主の不興を買ってしまったのかと勘違いしたリヒトは、美春の言葉に今度は素直に頷いた。そんなリヒトの態度の美春は満足したかのように頬笑み、話を続ける。
「じゃあリヒト専用の竜もいるの?」
「はい、まだ若い竜ですが竜舎の方で待機させています」
「へー。……ねえ、それって私も見に行く事とかできるの?」
単純に美春は竜が見たかった。何故なら美春のいた世界では、どんな技術を使ったとしても生きている架空の生物に会う事などできないのだから。それに、美春の思っている竜と、ここの竜が同じものなのかも確認しておきたかった。もしかして竜と呼ばれる馬だった、なんて分かればとんだ笑い草である。
「もちろんできますけど、何も面白いものなどないですよ」
「いいの、見たいだけなんだから」
「なら美春様のお時間の良い時をエナに聞いて予定を組みましょうか」
「本当に! すごく楽しみ!」
美春は周囲を輝かせる笑顔を浮かべ、その瞳は喜びで輝いていた。異世界にやってきてやっと一つ楽しみができたのである。もともと動物が大好きな美春は、竜に会えることを今からとても楽しみにしていた。そんな美春の様子にリヒトは戸惑いながらも、主を喜ばすことができたことに満足していた。
「美春様、楽しいお話の最中申し訳ないのですけれど、ドレス合わせの方を始めたいと思いますわ」
エナは今からが至福の時だと言うばかりに笑みを浮かべ、美春を急きたてる。対して美春の顔は青ざめていた。
「リヒト様は部屋の外で護衛していてくださいね」
「あ、ああ」
女官もたくさんおり、美春の部屋は城の三階、窓から忍び込むのもこの昼間には難しいだろうと判断し、リヒトはこの部屋唯一の出入り口の扉前で待機することにした。部屋から出て行くリヒトを羨ましげに見つめる美春に気づかぬふりをして、エナはドレス合わせを開始した。
昼食の時間、美春は朝よりもぐったりとした面持ちでスープを口に運んでいた。温かいスープは美春の荒んだ心までも満たしてくれる。
ドレス合わせは地獄であった。体のサイズを測られ、次から次へとドレスを着せられサイズ直し。普通の女の子なら幸せなことなのかもしれないが、元々服に興味のない美春にとっては拷問でしかなかった。それに今着ている服もウエスト周りをコルセットで締め付けられ、窮屈でたまらない。何より動きづらく利便性は皆無であった。
「エナ、私ズボンがはきたい」
美春がぽつりと漏らした本音にエナは苦笑する。
「ズボンは男性が着るものですわ」
「私のいた世界では、女もズボンをはくのよ。それにこの服動きづらい。緊急時に走れないじゃない」
「緊急時にはリヒト様が美春を守ってくれますわ、ね、リヒト様」
「あ、はい。美春様は俺が守るので、安心してください」
「でも四六時中リヒトはそばにいないでしょ? 竜騎士の仕事って私の護衛だけじゃないんじゃないの?」
「それはそうですが、俺がいないときは竜騎士ではない騎士達が美春様につくので大丈夫ですよ」
「けど、ただ守られるだけっていうのも嫌だな、私」
元々動くことが好きな美春は、ただ自分がここにいればいい、と言う環境に今は耐えられても、これから先耐えられそうになかった。何か仕事でもあればいいのだが、エナに言うと全否定されるのは目に見えていた。
「美春は今はディートハルト様のことを落とすことに集中すべきですわ」
「んー」
正直興味全く興味なかった。美春の中でディートハルトはただかっこいいだけの男で、恋愛対象、とはまた違った。そもそも今まで美春は恋をしたことがないのだ。いきなり異世界に連れてこられて、そんなにすぐに恋愛できる余裕なんてあるはずがなかった。
「この後のお茶会にはディートハルト様もお姿を見せるそうですわ。自分の存在を精一杯アピールしてきてくださいませ」
「う~ん」
エナの翡翠色の目は本物の宝石のように期待で輝きを放っていた。美春は残念ながらその期待に応える気は全くないため、曖昧に笑って誤魔化しておく。そして最後のパンの一欠けらを口に放り込み、エナの視線から逃げるように下を向いたまま美春は咀嚼したのであった。