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第十二話 決壊2





「帰してよっ……!!」

 振り上げた拳は、ディートハルトの胸へとぶつけられる。

 二度、三度四度とぶってくる美春の手は、数を増すごとに力が抜けていく。崩れ落ちそうになる美春の手を、ディートハルトが力強く掴んだ。

 「竜族の問題を……竜族で解決できない苦しみが、お前に分かるの言うのかっ」

 思わず見上げたディートハルトの顔は、今までにないほど歪んでいた。美しい銀の瞳は揺らいでいる。涙さえ浮かべないその瞳には、暗い炎が宿っているように見えた。そして、ディートハルトの言葉に美春はハッとする。

 自分たちで呪いが解けないことに、一番苦しんできたのは誰なのか。

 そんなこと、考えるまでもないことだ。

 けれど、美春も苦しかった。この怒りを誰にぶつければいいのか分からない。

 始まりの呪いが悪いことには間違いがないだろう。

 しかし、誰が何のために呪いをかけたのか。それさえ分かれば、怒りの矛先が正しい方向へ向かうと言うのに、古い伝承は既に廃れているように思えた。

 二人の間に長い沈黙が降りる。

 掴んだままの美春の手をそっと離すと、ディートハルトは嘆息した。

 「だから俺は嫌だったのだ。あの儀式を行う事は」

 美春が呼び出された時、ディートハルトは恐ろしく不機嫌に見えた。そっけないと言う言葉ではすまされないほどの冷たい態度を美春は未だに覚えている。

「……俺は、あの儀式に関しては反対していた。お前のような者が出てきて当たり前だからだ。だから、最初に言ったのだ。お前は不幸な女だと。周りの貴族連中は竜族の繁栄のためと言って聞かなかった。まあ、どうせ儀式が成功するはずないと、形式だけでもすればいいかと思っていたのだが……お前は現れた」

 神官たちの驚いた顔を思い出す。

「私、やっぱり現れない方がよかったんだね」

 そう、おそらく最初は美春は現れなくても良い存在であった。現れたら竜の繁殖期が長引く恩恵は得られるが、それだけである。呪いを解く存在になることなど、あの時点で誰が想像できただろうか。

「……さあな。お前が本当に竜族に恩恵をもたらすなら、それは喜ばしい事だ。だが、お前にとってこの国がいいものなのかはお前が決めることだ」

「……」

 この国は、美春から元の世界を奪った。

 しかし、エナやリヒトに出逢えた事を不幸だ、とは言いたくない。コーネリアのように馬が合わない人もいるが、そういった類のものは元の世界にもいる。

「お前は、イノチビトになるのか?」

 不思議な質問だった。

 なれるのか、ではなく、なるのか。

 まるで美春の意志一つで全てが決まるような聞き方をする。

「私は……」

 竜の呪いを辿れば、元の世界への道筋も見えてくるだろうか。その答えが否と言う事は分かっている。帰っても、美春は死んでいるのだ。帰る意味などない。ならば、この世界でせめて幸せになりたい。元の世界の人々にいつか会えた時に胸を張って笑えるような、そんな日々を送らなければ、と思う。

 その日々がイノチビトになることで送れるようになるのだろうか。それは今は分からない。けれど、美春の目の前に見える道は一つしかないように思えた。

「……私、なるんじゃない。なってあげるの。貴方達のために、イノチビトになってあげる」

 自分で望んでなったりしない。可哀想な竜族のために仕方なくなってあげるのだ。

 完璧に割り切ることなどまだできないが、美春はディートハルトに向かってぎこちなくほほ笑んだ。その笑みにディートハルトは思わず目を細めた。

 瞬間、眩い光が部屋を包んだ。

「な、何なの!?」

「像だ、像が光っている」

「像?」

 光が薄れていく中、美春は机の上にあった竜の像に目を向けた。

 竜の像には無数の亀裂が走り、その割れ目から光が漏れ出している。石の破片がぱらぱらと剥がれ落ち、力強さを兼ね備えた優雅な翼が開かれた。

 なんて美しい生き物、美春は心の中で思わず感嘆した。

 それは、小さな竜であった。

 白に近い灰色の身躯には鱗が規則的に並んでおり、瞳はディートハルトと同じ尊厳な銀色をしている。


『訪れたか、イノチビトよ』


 小さな姿とは裏腹に、美春の頭に響いてくる声は老成していた。

「何か話しているのか?」

 ディートハルトの問いに美春は小さく頷いた。怪訝そうに眉を顰めるディートハルトを竜が一瞥する。

『竜の王でさえ声が聞こえなくなったか……この代で成功させなければ竜は獣に還ることになるであろうな』

「この代っていう事は以前にもイノチビトは現れたの?」

『それはお主が知ることではない。我はこの伝承の間でイノチビトに役目を伝える存在にすぎない。歴史を伝えるものではないのだよ』

「伝承の間ってここのこと? それにイノチビトの役目って?」

『そう急くではない』

 竜のたしなめる声に美春はぐっと押し黙る。

『まず、一つ目の質問だが伝承の間とはこの部屋のことである。ここで我はイノチビトが訪れ、そしてイノチビトになると言う意志が感じられた時のみ具現化することができる。そして二つ目の質問……イノチビトとは呪いを解くもの。弱体化し、知性を失っていく竜の力を取り戻すもの』

「どうやって呪いをとくの?」

『呪いの解き方を今ここで教えることは、解呪の阻害になってしまう。だが、今我が伝えるべきことは今のお主の力は一部にすぎないと言う事だ。竜の声がより鮮明に聞こえ、浅い夢が深い夢に代わる。そして真実を知った時、お主がとる行動が呪いを解くカギとなる』

「真実を……知る?」

『竜王と協力し、ねじ曲がった歴史を紐解いてほしい、と我は思っている』

 ディートハルトと協力なんてできるのだろうか。会話の流れがつかめないディートハルトは先ほどから困惑した表情を浮かべている。

「ねじ曲がった歴史ってどういうこと?」

『……我が話せる事はここまでだ、イノチビト』

 一方的に話を終わらせると、竜の姿は霧となりかき消えていく。

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 美春は必死に竜の方に手を伸ばすが、霧となった竜を掴むことはできず、小さな竜はあっけなく消えてしまった。

「なんなのよ、一体!!」

「それは俺のセリフだ。竜は何を話していた?」

 完全に蚊帳の外におかれていたディートハルトは不機嫌そうである。

「んー、よくわかんない。呪いの解き方は教えられないらしいよ」

「ではどうやって呪いを解くと言うのだ」

「さあ。でも歴史を紐解いて真実を知れ、みたいなことは言ってた」

「真実、だと?」

 うん、と美春が頷こうとしたとき、急に目の前の景色が歪み始め、波打ち始める。美しいディートハルトの顔が縦や横に伸ばされ、美春は船酔いした時のように頭がぐるぐると回り始める。

(気持ち悪い……)

「ディートハルト様! 美春様!」

 見知った誰かの声と喧騒。

 事態を把握しようと美春は重い瞼をこじ開けようとするが、瞼は言う事を聞かない。

 一度強く瞳を閉じ、美春は深呼吸した。そして、ゆっくりと目を開く。

 ディートハルトと美春を探していたであろう兵の姿に、リヒト、クリス、ダグラス、後ろの方にはエナが見える。周りは本棚に囲まれており、図書館に帰ってきたのだと知る。

 周囲の人間は矢継ぎ早に話し始める。突然消えた二人を探した事、図書館の隅々、果ては城外まで探し、ただ事ではないと図書館に人が集まり話し合おうか、と言うところだった、と言う事。事態を把握した途端、美春は一瞬目の前が真っ暗になった。ふらりと今にも倒れそうな美春をリヒトが慌てて掴む。そこにエナも駆け付け、反対側から美春を支えた。

「一体どこから現れたのです?」

 急に現れた美春とディートハルトに、静謐であった図書館は一転し慌ただしい足音が響き渡る。当惑したクリスの問いかけにディートハルトが何でもないと言う風に答える。

「少し、迷っていただけだ。大事はない」

 チラリと青ざめた美春を見やる。

「こいつは突然の転移に身体が驚いているだけだろう」

「転移ですって? それは古代の魔法ではないのですか?」

「詳しいことはあとで話す。このような場で話すことではない……この件は極秘に、と言ってもこの騒ぎでは無理な話だろうな。とにかく俺は無事だ。もう探す必要はない。皆、解散しろ」

 有無を言わさぬ雰囲気のディートハルトに、周囲の兵士たちはどうしたものかとクリスやダグラスに指示を仰いでいる。

 そんな兵の様子にダグラスは大きくため息をついた。

「ったく、おいお前ら、もういいと言ってるんだ。元々の持ち場に戻れ! リヒトは今日の訓練はもう出なくていい。美春様を護衛していろ」

 散れ散れ、と言いながらダグラスは追い払うように兵たちに手を振った。その様子を確認し、クリスは静かにディートハルトに近づく。

「この後じっくり説明してもらいますよ」

「ああ、分かっている」

 しかし、あの事態をどう説明すべきか、ディートハルトは未だ己の中でも整理ができていない。あの小さな竜は古代の魔法によるものだろうが、竜化しないと竜の言葉が分からないディートハルトでは何も聞くことができなかった。イノチビトに関する収穫はないに等しい。

 しかし、あの娘は生意気にもイノチビトになってやる、と宣言したのだ。未だ呪いの解き方は分からないが、協力体制がとれたことは大きな前進、なのだろうか。

 ディートハルトは自室へと連れて行かれる美春の背中を見つめる。


『イノチビトになってあげる』


 そう言ってほほ笑んだ美春の笑顔は引き攣ってはいたが、思わず目を細めてしまうほど眩しいものであった。

 ディートハルトの心の隅で、何かが弾ける音が聞こえた。しかしそれは本人にも到底聞こえそうにないほど小さなものであった。





「美春、大丈夫ですの?」

 翡翠色の目を心配そうに潤ませて、エナは美春の顔を覗き込んだ。美春はエナの心配をかき消すように笑う。

「大丈夫大丈夫、いっぱい人がいてびっくりしてちょっとよろけただけだから」

「それなら良いのですけれど……」

 エナとリヒトは美春に気を遣って説明を求めてこない。

 どこに行っていたの?

 そう聞かれると、美春も答えに困る。

 リヒトは美春がイノチビトである、と言う事を知っている。しかし、エナはまだ何も知らないのだ。

「ごめんね、心配かけたでしょ」

「美春様が無事だったので、それだけでよかったです」

 リヒトの言葉にエナはにんまりと口角をあげる。

「あら、美春がいなくなったと聞いたときのリヒト様の慌てっぷりといったら、今の落ち着き様からは想像もできないですわね」

「エナ!」

 それ以上言うな、とばかりに青ざめるリヒトに、エナは口元に手をあててとぼける。

「何か? 言ったら不都合でも?」

 身分としては竜騎士のリヒトが上だが、エナは実は貴族の娘である。嫁入り前に貴族の娘が箔をつけるために王城の女官となることは珍しい事ではなかった。

 そのためエナとリヒトの身分は拮抗していた。しかし、エナは女官と言う仕える立場。敬語は崩さずにリヒトをやりこめている。

「エナ、あんまりリヒトをいじめたら可哀想だよ」

「竜騎士様をいじめるなんて、そんなことするわけなくってよ」

「白々しい」

「そのような口のきき方は竜騎士様としてなっていなくてよ」

「あー、もう、お前と話してると疲れる!」

 美春の制止も虚しく、二人は漫才のようなやり取りを続けていく。

(いつまでじゃれ合うんだろ)

 結局二人の言い合いは美春の部屋に着くまで続いた。





 



 その日、美春とディートハルトが二人でいなくなったことは瞬く間に城内に広がった。

 噂には尾ひれがつき、二人は恋仲である、逢引していたのだ、美春が一方的にディートハルトを付け回した、いや違う、ディートハルトが美春に夢中なのだ、などなど人々の想像力は留まることを知らずに伝染していった。




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