魔術師ヴェレテンニコフの欲しいもの
『帰ってきたらリリーに伝えたいことがあるんだ。戻って最初のお茶会の時に話すから聞いてくれる?』
旅立つ前のニコとそんな約束をした。
どうやら例の問題が解決したらしくすっかりペカーッと言った感じのアホ面を晒すようになった部下へ、研究の待機中に雑談として話題に上げる。
彼女は良くも悪くも研究以外には興味が薄く、変に広めたりしないと分かっていたからだ。
「なんか物語とかだと死にそうな台詞ですね」
「上司権限で定時で帰らせるぞ」
「イヤッ!! この試験結果が出るまで帰らない!!!!!」
演技でもないことを言い出した彼女に苛ついて脅しをかければ即座に怯えた反応を見せてくる。
金には困ってないようなので残業代が欲しいとかじゃない。彼女は単に一秒でも多く研究がしたいだけだ。だから寝る間も帰る間も惜しいと。
わかるようなわからないような、いやさすがにいくら私もここまで極端じゃない。
「なんでこれが脅しになるんだ、この研究馬鹿め……」
「えーこれでもうちの家的に私まだマシな方ですよ。父親似なので、研究関係ないことも一応関心ありますし、会話が成立しますし」
「お前がマシって……」
彼女の興味がある研究で成果を出しているから覚えられているが、彼女は研究以外には本当に関心がない。他の研究員については長であるバルバストル様ぐらいしか名前も顔も覚えていないようだった。私より酷い。
なのでその発言を信じられないような目で見る私に彼女は続ける。
「私の母方の家は知恵の神の末裔とかなり貴重な血筋なんですが、その影響でもれなく血族全員、興味の対象がめっちゃ狭くて深いんですよ。国が介入しないと滅びかねないレベルで」
その話を聞いて彼女の極端な好奇心やら俗離れした性格に納得がいった。
人ならざるもの、特に神の血を引く者は強弱はあれど皆そういった傾向にある。ましてや知恵の神なんて特に古く等級の高い種族ならば、その特性は強く出るとされていた。
知恵の神の血は知識欲を満たすことだけを貪欲に求めるものらしい。
あとわりと奔放な他の神々と比べて、恋愛に対して潔癖気味だ。子孫にも当然その気質は適応される。ただその分のめり込んだ時の反動が凄まじいらしいが……。
「だから爵位持ってるのになかなか繁殖しないんですよ~。ま、うちの母親は生殖に関する研究してたから、めちゃくちゃ嫌がる父に無理矢理協力させて、私含め七人も産んでますけどね。産んだ後は死なない程度に放置されてましたけど。私の名前、母が付けたんですけど、由来たぶん世間的に見たら酷いですよ、生まれた日に雨降ってたからです」
「……」
「そんな中、望んだ子でなくても面倒見てくれた父が自分はわりと好きなので、溺愛してる弟くん見つかって良かったですよ」
腹違いの弟もいるらしいし、かなり複雑な家庭なんだろうなーとは思ってた。だがさすがに悪い意味で想像を越えている。壮絶すぎてなんてコメントしたらいいのかわからなかった。
幸い本人はまったく気にしていないようだが。うーん、ここまでの研究馬鹿がまさか良い方向に進むとは。
明確に愛情を注がれている異母弟に対する嫉妬も一切見られなかった。
「父は魔力量釣り合ってたから母の結婚相手に選ばれたんですけど、当時自害しようとするほど嫌がったらしいんですよね。母の研究からして種馬扱い決定ですし。本命さんから窘められて泣く泣く母と結婚しましたが」
「今更だけど、そんな他国の公爵家の家庭事情、赤裸々に聞いていいのか……?」
「うちの国では公然の秘密なんでいいんじゃないですか? 本命さんは魔力量少なかったんで、魔力量格差からなかなか父と子供ができなかったんですよね。で、ようやく産まれた一粒種がまさか公爵家歴代最高の魔力量だなんて遺伝子ってわけわかんなくておもしれーですよね~!」
めちゃくちゃ重い話からいきなり頭の悪そうな結論にぶっ飛んだな。
ただ彼女との会話はいつもこんな感じなので、もう慣れたけど。
「庭師くん、早く帰ってくるといいですねえ」
「……うん」
私の話を覚えて見合った答えを返す。何も知らなければごく一般的なコミュニケーションだ。
けれど血統故に研究にしか興味を持てない彼女が行ったそれは私が思う以上に特別な価値があるのだろう。
だからか、普段と違って私も憎まれ口ではなく素直に本心で答えるのであった。
◇
「じゃあ、もうしばらくはラドゥガにいるんだね」
「うん。引き受けた仕事を途中で投げ出すわけにはいかないから」
彼女とのやりとりの数日後、あの不穏な推測は当然外れ、ちゃんとニコは数日後にラドゥガへと戻ってきた。
出発前の宣言のせいで少しばかり緊張して挑んだお茶会だけども、今のところ普段通り和やかな雰囲気のままである。だから下手に急かすことなく、流れに任せるまま私は彼と雑談を交わしていた。
どうもニコは爵位を継いだものの、庭師の親方の腰が治るまではラドゥガに滞在するらしい。そのことに胸をなで下ろす。
ニコの仕事ぶりを見ている限り彼はマメだし、あと人との会話が楽しいようで。おそらく性格的に文通が苦にならないタイプだろう。
だから連絡手段さえあれば、今後も交流を続けられるに違いない。まあそうじゃなかったとしても私の王女という立場をフル活用して返信を書かせるが。
私はニコに恋しているが、彼が私をどう思ってるのかはわからない。少なくとも親しい友人のカテゴリーには入っているだろうけど。
彼の事情を聞いた限り、おそらくニコは貴族なのだろう。この恋が叶わずとも、せめて一生涯の友人ではありたいと思ってる。
でも互いの性別と身分と年齢を考えれば、私達が友として過ごせる時間はあと僅かしかない。
「それにさすがに本職もある中じゃ、一月も遠隔魔法は難しいしね」
「そうか……ん??」
ただ現状はそれ以前の問題なのだ。
だって私はニコのことを知らなすぎる。縁を繋いでいくにあたっての情報が圧倒的に足りない。だからこのままでは彼との縁は完全に切れてしまうだろう。
でも一月あるなら、いくらコミュニケーション能力の低い私でも、彼が母国に帰る前に準備できるだろう。
よかったとホッとしたのも束の間。いや、あれ? なんか今すごいことを聞き逃した気がする。
「リリー。出立前に言ってた聞いてほしい話なんだけど……」
聞き返そうとした矢先、ニコが真剣な面持ちで切り出したから咄嗟に口を噤んだ。
「当主になって日が経ってないせいか、まだ兄達の襲撃はない。でもそれが片付いてリリーに危害が及ばなくなったら、僕と――」
これまで閉じられていた彼のオッドアイがまっすぐ私を見つめる。その眼差しに心臓がひときわ強く高鳴った。
彼の紫色を見るのはこれで二度目か。見惚れるほど美しいと思うと同時、謎の既視感に襲われる。なんだ? この日常的によく見てきたような感じ……っていけない、ニコの話に集中しないと!
「おい貴様、この神聖な王宮で何をしている!」
静かな庭園に場違いな怒声が響く。
一番肝心なところで水を差され、スンと表情が抜け落ちるのが自分でもわかった。
私の機嫌が急転直下したのに気付いたのだろう。意気込みを邪魔されたにも関わらず、ニコ本人はあちゃーっと少しだけ困ったように眉を下げていた。
「平民風情が、リリエンタリア様から離れないか!」
いつもいつも終業時刻に出口で待ち構えていたこの不埒者。
これまでは細心の注意を払って撒いていたが、今日はやっとニコに会えると浮かれていたせいだろう。コイツが付けてきている可能性を失念していた。
いつだってコイツの顔なんて見たくないが、この場所だけは絶対に侵されたくなったのに。警戒を怠っていた自分がひどく恨めしい。
私の機嫌を著しく損ねていることに気付いていないのか。ニコを指差した阿呆は正義面で鼻息を荒くしている。その指へし折ってやろうか。
ただ上級貴族が来襲してきた挙げ句、いちゃもんを付けられたにも関わらず、ニコはまったく動じていない。
しかも明らかに睨み付けられているというのに、彼は姿勢を正すと笑顔で来襲者と対峙していた。
「私的なものですので、ささやかにはなりますが茶会を催しております。ハーヴィッド令息も共にいかがでしょうか?」
更には一切敵意のない声色でニコは脳足りんを誘う。
いくらなんでも肝が据わりすぎじゃないか。そのニコの態度に再びデジャヴを覚える。このペースの崩されよう、やっぱり頻繁に体験してる気がする。
たわけもまんまとニコの空気に飲まれたようでうろたえていた。
私のような引きこもりはともかく、侯爵家ともあれば社交に長けているものだが……それでも予想外過ぎたのだろう。
この馬鹿は元より典型的な貴族主義だ。権力を振りかざし、常に自分より低い身分の者を見下している。
だからコイツからすれば自分が脅したというのに、ニコがこれまでの虐げてきた者達のように怯えることも反抗してくる気配すらないのが理解できないのだろう。
……あれ? そういえばつい流してしまったが、何故ニコがコイツのこと知ってるんだ?
いくら王宮で庭師をするとしても勤め人全ての顔や名前を覚える必要はない。
それにコイツはこれでも高位貴族だ。ラドゥガでも低位貴族ならば顔を合わせる機会は殆どない。ましてや他国出身とならばなおさら。
まあ攻撃魔法の名手ではあるから、その方面では多少名が知られているようだが。
私からニコに話した覚えもないし、この様子からして面識もなさそうだ。だから不思議でしょうがない。
しいて言うなら、えっと……なんだっけ、あの首のヒラヒラ……。前にビアンカ姉様に教えてもらったんだけどな。シャモ?だったかな……。
とにかく、せいぜいあの男の正体を判別する手がかりは付け襟に留まるハーヴィッドの紋章が刻まれた装飾品ぐらいだ。
一応貴族名鑑にならば載っているが、他国の貴族まで把握しているとなれば、よほどの……。
「ふんっ! そのようなみすぼらしい行いに高貴な私が参加するはずがなかろう! それよりもだな」
「もういい。ニコ、行こう」
「お、お待ちください!」
我に返った戯け者がぐだぐだ吐き捨てているが、もう一秒たりとも相手をしたくない。
なので無視を決め込んだ私はニコの手を引いてその場から立ち去ろうとした。つい、どさくさに紛れてとんでもないことをしてることには気付かないフリをする。
だがその前にニコの足下へとボンクラが外した手袋が投げつけられた。
「平民、貴様に決闘を申し込む! リリー様を賭けて、正々堂々と」
「フェルナン・フォン・ハーヴィッド。二度も言わせるな、貴様に愛称はおろか名を許した覚えはない。慎め無礼者が」
「ひっ、姫様、申し訳ございません……! ですが……!」
改めて睨み付ければ、愚か者はヒュッと喉を鳴らして唇を空ぶらせていた。
冷え切った声、殺意じみた視線。それでもまだぬるいか。男が気絶する可能性も考慮せず、怒りのまま多量の魔力を纏わせ威嚇する。
だが小者は怯えきって足を震わせてこそいたが、立ち去ろうとしない。無駄にしぶとい奴め。
もういっそ力尽くで排除するか。その選択肢が頭を過ぎり始めた直後、この殺伐とした空気の中、ひょいっとニコは落ちていた手袋を拾った。
ニコのまさかの行動に今度は私が青ざめる番だった。
親切な彼のことだ。投げつけられたのではなく、落としたものだと勘違いしてしまったに違いない。
だが、たとえ知らずとも関係ない。これでニコは決闘の申し込みを受諾したことになる。条件を突き詰めていく中で破綻させるという手はあるが、受諾した側からの破棄は基本的に許されないというのに……。
「これで成立か、ハーヴィッド令息。内容は魔術による戦闘で頼む。だが身分が異なる場合の決闘は無効になるのではなかったか?」
って知ってるんかい!!
驚きに内心の叫びは口調が崩れていた。ニコもニコで整う方向で変わってるけど。
この間セラ姉様が挑まれてたから調べたのだが、決闘のルールは多岐に渡るが規模やら環境等で細かく別れる。確かに今回の条件ならニコが言う通りだった。
そこについて、まさか指摘されると思っていなかったのだろう。私以上に奴は面食らっていた。たぶん動揺してるのはそれだけが理由じゃないだろうが。
返答するやいなや、奴へと向けられたニコの双眸は変わらず綺麗だった。
「は、え? 紫眼の異色虹彩……? あ、ああ、いや! 次期侯爵としてではなく、この私フェルナン・フォン・ハーヴィッド個人として申し込む! ならば身分は関係ないだろう!」
「承知した。ならば私もヴェレテンニコフとして挑ませていただこう」
「ふ、ふんっ! その物わかりの良さだけは認めてやろう!」
というか、ニコって本名じゃなかったのか……。見かけによらずゴツいな本名。正直似合ってない。
たぶんニコ本人もそれを自覚してるんだろうなと思う。というのも通常であれば、彼の愛称は頭を取ってヴェリーが妥当だ。それをわざわざ後ろから抜いて、やわらかな響きのニコを選んでるのだ。
家出してたらしいから追われないよう大幅に変えていたという可能性もあるけど、この予想はあながち間違っていないと思う。
ん? ヴェリー……? あれ、なんか最近どこかで聞いたような……?
「……では、そのように」
「大々的に発表する以上、逃げられると思うなよ! せいぜい首を洗って待っているがいい!」
色々ごたごた考えているうちに二人の間で話がまとまっていたようだ。
気付いた時にはアイツの姿は消えていた。目の前のニコはさっきの仰々しい立ち振る舞いからが嘘のように、いつもの雰囲気に戻っていた。
「やっぱり慣れない口調は疲れるなあ……そうも言ってられないけど」
「……ニコは攻撃魔法、得意なの?」
「うーん、剪定とか倒木や害獣の処理には使ってるけど、人相手には躊躇しちゃうだろうなあ」
魔法というのは使用者の性質に強く依存する。
たとえば慈悲深い者は回復魔法が得意な傾向にあり、好戦的な性格ならば攻撃魔法に適性がある……といった感じだ。
だから聞かずともわかっていた。私と違って穏やかなニコが戦いに向いていないことくらい。
だというのに「あ、決闘だけど一週間後だって」とニコは呑気に口にしていた。瞬間、怒りが沸騰する。
「バカッ!!! お前は何を考えてるんだ、戦えないくせにどうしてこんな……! なんでそんな落ち着いてるんだ、バカ! バカ! バカ!」
「……リリー」
「アイツはあれでも攻撃魔法だけ見れば私よりも上だ! 今すぐ撤回してこい、私が代わりにやる!!」
「リリー、心配させてごめんね。泣かないで」
「泣いてない!!」
泣いてないというのにニコは私の顔をハンカチで拭う。
それを振り払って、アイツに交渉を持ちかけに行こうとするもニコが私の手首を掴んで引き留めてきた。
緩く握られているだけなのにまったく振りほどけない。見かけによらずニコは意外と力強かった。それもそうか、毎日のように重たい肥料やらなんやら運んでるんだから。この力があるのに、なんで腕っ節で戦おうとしなかったんだ。魔法さえなければアイツただのモヤシなのに。
「僕、リリーが好きだよ。いずれお嫁さんになってほしいと思ってる」
「……へ? えっ、な、ななな、なんだ急に!!」
「さっき君に伝えようとしたことだよ。兄達とのゴタゴタが収まったらって。その為に僕はヴェレテンニコフに戻ったんだ」
突然の告白に気が動転する。
話を聞く姿勢を取れば、逃げる心配がなくなったからか。私の手首を掴んでいたニコの手が離れた。
「正直に言うと、この決闘は僕としては好都合なんだ。今回の件がなければ僕の方から申し込むつもりだったし」
「……どういうこと?」
「君を望もうとて今の僕は魔術師としての実績がない。そのくせ優れた魔術師であるリリエンタリア姫を貰い受けるなんて通用しないだろう? でも他国にも名が知られているハーヴィッド令息に戦闘で勝利したとなれば箔が付く……君に相応しい魔術師になれる」
真剣な表情でニコは語る。
バカじゃないか。ウィーニは竜に嫁いでいるし、ビアンカ姉様は殆ど平民に近い男を婿に取ろうとしている。ご先祖様だって身分関係なく好いた者と婚姻を結んでいるのだ。
だから私が欲しかったとしても、こんな危険を冒す必要なんてないのに。
「私が好きなのはニコだ。功績なんていらない。ニコが何者だって私はかまわないのに」
「うん。だから結局のところ、僕のワガママなんだよね。君のことを好きな男が君に近づくのが嫌だ。だから負けた方は金輪際リリーに近づかないって約束するぐらい」
さっきの話を聞いて察した。うそつき、私の為だろう。
私が今まで散々アイツに付きまとわれて困るって愚痴ってたから。ニコはそういう人だ。だから、私は。
「……勝算はあるんだろうな」
「うん。だいぶ力業だけどね」
「負けたら私がアイツに決闘申し込んで接近禁止撤回させるからな」
「あはは、手厳しいなあ……大丈夫だよ、僕を信じて」
ニコの両手で私の手をぎゅうと握り込む。
不安がないとは言えない。だとしてもニコの覚悟を無為にするのは憚られた。だから「わかった」と頷く私にニコは優しく微笑むのだった。




