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ラドゥガ王室恋愛譚  作者: ばいおれんじ
花盗人の愛は茉莉花に遂げられるか
6/10

勘違いはまだ続く

 リーチェが俺を名前で呼んでくれるようになった。

 そして未だにぎこちないというか、正直なところ毎回声が震えてる気がするが、俺もまた彼女を呼べるようになった。

 この件についてだが、これまでの経緯を考えれば、かなり進歩したのではないだろうか。となればきっと俺のことだ。今日この日を祝日とする!!ぐらいの勢いで浮かれるとばかり思っていたのだが、むしろ俺の気分は落ち込むばかり。


 というのもここ最近、リーチェの元気がない。

 あの日、つまりアル♡ リーチェ♡と呼び合うようになった日以降、彼女はオレの顔を見ると一瞬、悲しそうな顔を浮かべるのだ。すぐ笑顔を取り繕おうとしているが、それも無理して笑っているのが丸わかりで。

 最初の状況に逆戻りしてる。いや、それ以上に酷いことになってないか、これ。原因はあれか……? あれなのか!?

 厭う男に馴れ馴れしく名を呼ばれたのが、俺の名をまるで親しみを抱いているかのように呼ぶのが、心底苦痛だったのか……?

 覚えがないとは言い切れない。何故ならあの時呼び捨てにされたいあまり、かなり強引に行ったのは事実だ。彼女を脅迫したつもりはないが、そう取られても仕方なかったのかもしれない。

 考えれば考えるほど、思考が後ろ向きへと全力疾走していく。アマンダが聞いたらウジウジうっとおしいわね、この顔だけドヘタレナンバーワン!とまた罵倒されることだろう。でもしょうがないだろ!? 嫌われた状態からスタートしてるんだぞ!!


 彼女が憂う原因で思い当たる節といえば、それしかないのだが。

 この場合、俺ができることと言えば、なんとか嫌悪感を除くように動くことしか打つ手はないだろう。

 嫌いな相手にされたことは何でも嫌なんじゃないかと思う心もあるが。それでも、今より酷い状況になることはない……はず。もう明らかに嫌がってたらさすがにやめる。

 リーチェが喜ぶことをしたい。思わず笑顔になってしまうような、彼女の心を晴らすことを。

 だが俺はまったくと言って良いほど女心がわからない。アマンダという異性の親友はいるが、アイツは特殊個体だ。アイツとリーチェを一緒に考えてはいけない。あんなの参考になるわけないだろう。

 国を治めるにあたって様々な困難に立ち向かってきたが、これほど頭を悩ませたのは初めてだ。大体のことはこの身に宿る魔力のおかげで力尽くで解決できたからな……。

 (既に別世界を支配した)魔王を名乗るなんか強いのを叩きのめすより、(単身で)属国の内乱を収めることより、大地震を起こそうとする精霊の怒り(と意識)を鎮めるより、愛する人を笑顔にすることの方がよほど難しいのだな。


「……仕方あるまい」


 気は向かないが、今回の件に関して適任の者がいる。本当にできることなら頼りたくはないのだが……!

 諦めて、内密の話があると目当ての男を執務室へ呼びつけた。



「女の気を引きたい、良い手はないか」


 護衛達を下がらせ、人払いが完了したのを見計らい、早速話を切り出す。

 俺が今回の件で相談相手に選んだのはアマンダの父であり、大臣を務める男だった。実のところ、アマンダやら他にも俺が苦手なタイプの外戚を結婚相手にごり押ししてきたことから、個人的感情でいえばこの男が俺は苦手である。

 彼の一族にとっては王家に取り入ることが積年の悲願らしい。だが何故か友人や臣下としてならばともかく、婚姻関係となるとうちの血族は致命的に合わないのだ。俺もまた例に違わずその一人であった。


 ともあれ、この男、今は禿げ……頭皮の方が散々なことになっているが、その昔は社交界を大いに騒がせた美貌のプレイボーイだった。

 女癖は死んでも直らないだろうと確信するほど悪いが、仕事はできる。それに人妻には手を出さないので傍に置いていた。そうじゃなかったら、もう百回は鉱山送りにしてたことだろう。

 現在も正妻の他、妾を何人も囲う色ボケじじ……精力的で女を喜ばせることに長けている以上、俺と違って女心を大いに理解しているに違いない。

 そう考えて話を持ちかけることにしたのだが……なんでコイツはこんなにも驚いているんだ?



「陛下、どなたか気になる女性がいらっしゃるのですか?」

「だったらなんだ」

「い、いえ……まさか陛下がそのようなことを仰るとは思っておらず、あまりにも意外でしたので」


 怪訝そうな表情を見せる陛下に対し、大臣は内心でほくそ笑みました。

 陛下は忘れて、否、知らなかったのです。言葉足らずが過ぎるあまり、自身が誤解を招きやすい性質であることを。

 よって、この時大いなる誤解が生まれ、大臣の胸にはある企みが抱かれておりました。


 先程も言われていた通り、大臣は陛下がリーチェを娶る前、自分の娘や親類を王妃にしようと目論んでいた者の一人です。

 そして長らく王家に仕えてきた一族であるが故に、王家の気質を知り尽くしておりました。

 自分が選んだ伴侶以外には絶対なびかない。なので他の女に惑わされることなく、金や地位にも固執せず、伴侶と共に国の繁栄に尽くす者達。どんなにこっちが堕落させようにも付けいる隙すらない鉄壁の堅物、クソッ賢王の鑑め!と言った感じに。


 今代はアマンダを親友枠に置くことこそ成功しましたが、それ以上、関係性の発展は見込めませんでした。他の女に至っては存在を認識され、避けられるだけに終わりました。

 大臣は婚姻においては王族と相性が悪いことも、その原因もわかっていました。大臣の血筋は好色の気がある為、本能的に避けられているのだろうと。

 ですが特殊個体ことアマンダに関しては珍しく一途というか執着するタイプなので、今度こそ……と思っていたのですが。

 彼女の口から「わたくし、殿下みたいな綺麗どころより可愛らしい方が好きですの。あどけなく素直な方は愛でたいし、わたくしを利用して成り上がろうとする年下の童顔で腹黒くて生意気だけど詰めの甘い殿方を付けあがらせ有頂天になったところで心もプライドもバッキバキになるようわからせたいですわ♡♡」と聞いて、一旦諦めました。

 決して幼い娘のこじれまくってるギンギンに尖った性癖に怯えて屈したわけではありません。具体的な犠牲者(ターゲット)が出てくるまで保留にしただけです。


 そうこうしているうちに陛下がリーチェと婚姻を結び、また陛下がリーチェを寵愛しているのはわかりきっていたので、側室に娘達を送り込むのは控えておりました。王族の一途さと同時に本気で怒らせた時の容赦のなさも理解していたので。

 でも先程の陛下の相談に大臣は思ったのです。陛下は別に囲いたい娘ができたのだと。これまでの傾向からして二度とないチャンスでしょう、事実であれば。

 0から1にするのは難しい。けれど一人でも側室を貰い受けたならば、どさくさに紛れて二人目以降を増やすことは用意なのです。

 と、挙げてはみたものの、大臣のそれはぬか喜びでしかないのですが。


 これまで語った通り、現在進行形で陛下の心はリーチェ一筋。ましてや古代竜の性質マシマシの陛下ですから、天変地異が起ころうとも彼女への想いは変わることはありません。

 万が一、彼女を犠牲にすれば世界が救われるなんて事態になった暁には世界を滅ぼすぐらいのことは平気でやります。一応、言い出しっぺの神とかそういうのを抹殺しても尚、どうしようもなかったらの話ですが。世界の管理者だった初代が泣くぞ。


 絶好のチャンス(チャンスではない)に目が眩んだ大臣は陛下の機微を悟っていません。

 そのため一人盛り上がっているのです。後の祭りならぬ先の祭り、まあ開催すらできないんですが。

 陛下に悟られぬよう、大臣は頭の中で様々な策略を巡らせます。その頭脳と行動力を持って、大臣はすぐに動き始めることでしょう。

 それにより陛下とリーチェの関係は大きく変わることになるのですが……。

 このことについてはまた後ほど語るとして、元の話に戻るといたしましょう。



「ならば贈り物はいかがでしょうか?」

「贈り物か……」

「私が贔屓にしている商人をお呼びいたします。きっと陛下の愛しの君に相応しい品が見つかるかと」

「頼む」


 定番だが、良い案だと思った。やはりこの男に相談したのは間違いじゃなかった。

 ただ妙に喜色満面なのは気になるが……。お前が喜ぶような要素あったか? 何か企んでるのでは?と疑いの眼差しを向けるが、男はニコニコとまるで善良ぶった笑みを崩さない。俺が女性ならともかく男の俺にその笑みは意味がわからん、気色悪いな。

 まあいい。今はリーチェが気に入る品を見付けるのが最優先だ。


 女性向けの商品となると鉄板は香水だが……香水はあまり好みではない気がする。祖国で花々の芳香に包まれて育ってきた彼女はいかにも人工的な匂いや強すぎる香りは苦手なのだと。

 それに香りの好みというのは人によって振り幅が大きい。贈り物初心者が手を出すべきではない。

 ドレスも一から作るならともかく、既製品からというのはなかなか選びづらい。デザインがよくてもサイズを誤ってる可能性があるからな。同じ理由で靴も却下。

 となると、ラインナップを見てからになるだろうが、やはり装飾品が手堅いだろうな。


 祖国の財政難に伴い、リーチェは殆どの装飾品を売り払っていた。

 だが我が国の王妃となる以上、必要になるだろうと彼女に買い揃えるように命じたのだ。そうして呼びつけた商人からリーチェが選ぶ場に俺は同席していた。

 王妃が身に付けるとなれば、相応の質が求められる。彼女も王族なのである程度の審美眼は身に付けているだろうが、念には念を。商人が下手な物を勧めぬよう圧力をかける為だ。致し方なかったとはいえ商人を必要以上に萎縮させてしまったのは悪く思ってる。

 話を元に戻そう。そこで彼女は華美な物より優美なデザインを好むのだと知った。髪と瞳は鮮明な色味だが、楚々とした雰囲気の彼女によく似合うものばかりで。どれも俺が好ましく思った品、つまり趣味が同じだった。

 なので他の物よりかは彼女が喜ぶ品を選べる自信がある。

 彼女が気に入る品が見つかることを願いながら、商人がやってくるその日を心待ちにしていた。



「この度はお招きいただき誠に光栄です、陛下」


 訪れた商人はなんとも人の良さそうな男だ。柔和な笑みを浮かべる中、瞳からは理知的な光を感じる。

 威圧しているつもりはない。けれど俺の魔力に当てられ、一介の商人では一言も喋れなくなる者も少なくないのだが、男はただただ優雅に礼を決めている。この様子からして相当な手練れだろうな。

 これなら期待できそうだ。紹介してくれたアイツには相応の礼をしなければな。


「北の果てから足を運んできたそうだな。遠いところから大義であった」

「かのラドゥガ王に求めていただけたのです。この程度、なんてことはございません。それで、今日は女性への贈り物と伺っておりますが……」

「装飾品を見せてもらおうか。色は控え目かつ、たおやかな女性に似合うものを」

「かしこまりました。それではこういった物はいかがでしょうか?」


 相づちを打った商人は持ってきた鞄から様々な品を取り出して、机の上へと並べる。

 指輪、耳飾り、ペンダント……彼が紹介した品はどれも俺の希望をそのまま反映させたかのようだった。

 こういった色味を控えめにしたデザインはどれも地味になりがちだが、こまやかな細工によってどれも品の良さが際立っている。材質もそうだが、それ以上に職人の腕が良い。

 ふと端にあったブローチに目が奪われる。確か、カメオだったか。プラチナの台座におそらく貝殻から作られたであろうレリーフが嵌まっている。

 手に取って、レリーフの小さな花の浮き彫りをじっくりと眺めていれば、商人が口を開く。


「そういえば……ジャスミンは王妃様の祖国の国花でいらっしゃいますね」


 瞼を閉じて思い返す。ああ、そうだ。あの日、彼女の一番傍で咲き誇っていた花だ。そういえば、かの国の庭園の至る所に植えられていたな。

 可憐な姿から漂ってきた、夢見心地にさせる甘い芳香が蘇る。初めて彼女を抱いた時も同じ香りがした。

 彼女の兄から聞いた話ではリーチェが一番好んでいた花らしい。だから俺の腕に収められる前にあの香りに縋っていたのかもしれない。

 俺はあの花をリーチェのようだと重ねていたけれど、彼女にとっては日常の象徴だっただろうから。ならば、これは異国で慣れない生活を送るリーチェの心の拠り所になるのではないだろうか。


 間違いなく彼の一押しはこの商品なのだと思う。商人は情報が命だと聞いている。ならば我が王家の性質からして俺が誰に贈るかなんてわかりきっていただろう。

 だというのに肝心の俺は例の商品を長らく表情を変えず、無言で見つめるばかり。おそらく今の俺は買うか買うまいか悩んでいるように見えるのだろう。

 だが彼は何も言わず、微笑みのまま俺の様子を見守っていた。大体の商人はここで押してくるのだけれど……最初に感じた印象は間違っていなかったようだ。

 冷やかす気などない。けれど強引に促されると途端に買う気が失せるのだ。だから彼の対応は非常にありがたい。


「……これを」


 自然と唇が緩む。そんな俺に少し驚いた顔を見せつつ、商人は快く手続きを始めた。



「……様、王妃様!」

「え?」


 侍女の呼びかける声で、ふと我に返ります。私の顔を覗き込む彼女は心配そうな表情を浮かべておりました。

 どうやら物思いに耽るうちに深く入り込んでしまったみたいです。この様子からして何度も呼びかけてくれていたのでしょう。

 すっかり慣れてしまった作り笑いを貼り付けて、具合が悪いのかと尋ねる彼女に問題ないと伝えます。それに一応引いてくれたものの、納得いかない様子でした。


 でも本当に体はどこも悪くないのです。ただ気分が落ち込んでいるだけで。本当はそうやって悩むことすらおこがましいのに。

 アルは……陛下は、お優しい方です。私のような至らぬ女にも心を砕いてくださる。

 けれどその優しさは私が妃だから向けられたものじゃない。彼は皆にその情けを振る舞っているのでしょう。王たる者、己が治める全ての生きとし生ける民を愛し慈しんで当然ですもの。

 だから、勘違いしてはいけない。自分が特別などと。彼が求めているのは私ではなく、我が子でしかない。私はただの。

 そう、わかっていたはずなのです。なのに身勝手にも陛下に心惹かれている。叶うはずがないのに期待して苦しんで。


(……ばかみたい)


 そんな私のなんと醜く愚かなこと。



 静かに二回、いつも通り扉が叩かれます。ああ、もうそんな時間だったのですね。

 嬉しいはずのその合図が、今は恐ろしくてたまりません。この後、必ず心をかき乱されるとわかっておりますから。

 それでもこのまま無視するわけにはいきません。はい、と扉に返事を投げかけました。


「……おかえりなさいませ、アル」


 入ってきたその人に笑みを向けます。生まれながらの王族だったというのに、私はすぐ感情が顔に出てしまいます。けれど今はきっと上達していることでしょう。

 陛下がやってきたことで、侍女は一礼して部屋を出て行きました。

 ですから、朝が来るまでこの部屋は私と陛下の二人きりになります。


 近づいてきた陛下が机を挟んだ向かい側の椅子へと腰掛ける。彼が椅子を動かした時の音がいやに大きく聞こえたのは何故でしょうか。

 どくどくと心臓が落ちつきなく脈打ちます。口の中が乾いて、喉もからからになったような感覚に襲われました。彼を前にするとこの症状がでしゃばってくるのです。

 最近特に酷くなっていることも合わせて、理由はわかっております。明確に。

 散々抱かれ、子を成した今ですら私は彼の存在に緊張しているのです。そして同時に彼への恋心を強制的に意識させられて。


「貴方は装飾品が好きか」


 座るやいなや、脈絡もなしに彼はそう口にしました。

 驚いたあまり私は思わず硬直します。唐突だったこともありますが、今まで陛下から会話が始まることは殆どなかったものですから。そもそも陛下は口数が多くありません。いつも私が一方的に語っていたように思います。


「は、はい……」


 もしかして話のきっかけを作って下さったのでしょうか。

 そう考えながらも良い返しが浮かばず、簡素な答えとなってしまいました。ですが陛下が気分を悪くした様子はございません。

 むしろ少し嬉しそうな顔をしていらっしゃいます。陛下はあまり感情が顔に出にくいタイプのようですが、最近なんとなくわかるようになった気がします。おそらく陛下の様子を前より窺うようになったからなのでしょう。


「ならば、これを」


 陛下の喜びの理由を考えてた最中に、すっと陛下が私に向かって小さな箱を差し出しました。

 視線に促されるまま、私はそれを持ち上げて蓋を開けます。

 そうして私の目に飛び込んできたものは。


「……これ、は」

「貴方の好きにしてくれ」


 美しいカメオがはめ込まれたブローチでした。

 それに刻まれているのはこの国の象徴たる薔薇ではなく、私の祖国の花であるジャスミンです。私の、一番好きな花でした。

 ジャスミンはあまりこういったモチーフに選ばれることはありません。造詣がシンプルですから、どうしても他の花に比べると華やかさに欠けるからでしょう。

 この花の可憐な繊細さを活かすとなると相応のデザインセンスが求められる為、非常に珍しいのです。

 ですから偶然手にしたものとは到底考えられません。陛下、アル、わざわざ選んでくださったのですか……私の為に。



 変な汗が背中を伝う。掌もじわじわ湿ってきて気持ち悪い。続く沈黙に空気が重く感じた。

 ブローチを見つめたまま、リーチェは動かない。

 あいにく女性に贈り物をしたのはこれが初めてだ。だからこの反応は良いのか、悪いのか、さっぱりわからん。

 今まで無碍にしてきたが、押し売りしてきた商人の気持ちが今更わかった。こんな風に無言が続くのは確かに耐えがたいことだろう。だからといって、強引に来るならこれからも買うつもりはないが。


 情けない話、机の下で膝がガクガク震えている。無理矢理手で押さえつけて悟られないようにしているが……この行動に出るのに数秒かかったので、机があって本当によかった。いくらなんでもかっこ悪すぎるだろう。

 かつて敵対した自分の背丈を優に超える怪物相手にすら、こんなに臆した覚えはないのだが。

 か弱い乙女である彼女の一挙一動に怯えてしまっている自分の情けない事といったら。腹立たしいが、これではヘタレと言われてもしょうがないな。


 それにしてもこの無言の空気しんどいな……。ここは感想とか聞いてみるべきなんだろうか。いやいやいや、気を遣わせるのはよくない。

 考えてみろ。自分で言ってて悲しくなるが、俺相手に世辞使わないで済むと思うか? 彼女の立場からして、俺の機嫌損ねたら生命の危機と思われてもしょうがないだろう。実際は彼女の反応次第で俺の心の方が死ぬんだが。

 話題を変えようにもどうしたらいいのか。どうしよう、どうする、どうすれば、どうしたもんだ。四段活用とかやってる場合じゃないのはわかっているが、全く打開策が見えず、ひたすら悩み続けていたその時だった。


「?!」


 彼女の美しい瞳からぽろぽろ雫が落ちる。それに俺は内心で声にならない悲鳴をあげた。助けてくれ!!!!!

 その間も流れる涙は次第に増していき、微かに嗚咽が漏れる。こんな号泣させるなんて……な、何した、俺、何したんだ?!

 ひとまず自分の服のあらゆるところまさぐるが、こんな時に限ってハンカチを持ち合わせていなかった。なんで俺はこう肝心な時に決まらない星の下に生まれたんだ馬鹿野郎。


「泣くな」


 やむを得ず、濡れそぼった彼女の頬を袖で拭う。上質な素材だから、おそらく彼女の肌が痛むようなことにはならないだろう。

 ぬぐった端から涙がこぼれる。一向に彼女が泣き止む気配はない。本当に俺は何をしでかしてしまったんだ……?

 リーチェから出てくるのは涙ばかりで、声は極力殺そうしているものだから理由は全く判明しないままだ。もう俺も泣きたい。


「贈るのも許せぬほど、俺が憎いか」


 精神的に極限まで追い詰められた結果、俺はうっかり秘めていた疑問を口にしてしまっていた。彼女の回答次第では再起不能になるであろうそれを。

 まずいまずいまずい、サーッと血の気と体温が一気に下がるのを感じる。後悔したところで時既に遅し。

 俯いていた彼女がゆっくり顔を上げる。その瞳に宿っていたのは明らかな戸惑いだった。


「違い、ます」


 リーチェは俺の目を見つめながら、ふるふると小さく頭を左右に振る。

 ならどうして泣いてるんだ。そう聞き返したいのにうまく声が出ない。心臓がばくばくと早まって息が上がる。自身の内側で喚く鼓動がうるさい。

 すっかり硬直した俺と視線を合わせたまま、彼女の唇が控えめに動く。


「うれ、しくて。陛下が、私の為に選んでくれたのが……すごく、うれしい」

「……そうか」


 彼女が浮かべた、あどけない微笑みに思わず見惚れる。

 俺も嬉しい。少し幼げな口調がたまらなくかわいい。また陛下呼びに戻っていることがどうでもよくなる。嘘だ、やっぱり愛称で呼んでほしい。

 ただ感極まっていることには変わらず、ちょっと気を抜いたらおかしなテンションで対応してしまいそうだ。今までの俺の態度からして、ここでリーチェ好きだああああ!とかいきなり叫びだしたら、かなりホラーだろ。

 ニヤニヤと下品な口元にならないよう自分を戒めつつ唇を緩める。今の俺はちゃんとうまく笑えているだろうか。明日、表情筋が攣ってることを祈ろう。それが判断基準なのは自分でもよくないと思う。

 最後に彼女の頬を拭えば、リーチェは気持ちよさそうに目を閉じる。ムラッと騒いだ何かを押さえるように自分の懐を殴った。空気を読んでくれ。


「大切にします」


 両手で持ち上げたブローチを彼女は胸元で抱きしめる。綻ぶ花のような笑みだった。

 最初泣かれた時はどうなることかと思ったが、こんなにも嬉しそうな表情を見ることができたのだ。贈って本当によかった。

 結局、彼女が落ち込んでいた理由はわからずじまいだが、本心からの笑顔を見せてくれるようになったリーチェの姿にもう大丈夫だとなんとなく感じた。

 俺は今日というこの日をきっと生涯忘れることはないだろう。


 なんたって、彼女が俺を嫌いではないとわかったのだから……!

 こうなったらいつの日か彼女の心を手に入れてみせる。最初の誓い? そんな都合の悪いことは忘れた!! ただ命に代えても絶対に幸せにするから許せ!!!

 密かに拳を握りしめ、俺は強く決意をするのだった。



 陛下と王妃が深く愛し合っていることは周知の事実でした。

 侍女に始まり、他国の商人に至るまで、皆が「今代もお熱いことで……」と悟りきっておりました。

 ですので、それに気付いていないのはこの世でただ二人。当の本人達だけが気付いていないのです。とうの昔に二人の恋は成就していることを。

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