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ラドゥガ王室恋愛譚  作者: ばいおれんじ
花盗人の愛は茉莉花に遂げられるか
5/8

近づいて、遠のいて

「アルファディート様、アルファディート様、アルファディート様……」


 何度もこの場にいない彼の名前を繰り返し口ずさむ。一人でひたすらぶつぶつ呟く姿は端から見れば異様でしょう、気がふれたと思われても仕方ありません。

 幸い現在この部屋にいるのは私一人。王の私室に入れる者は元より限られておりますが、今は彼女達にも扉の外に控えてもらっています。

 娘は陛下の執務中以外、乳母が預かるようになりました。おそらく閨が再開されたことから気遣われているのでしょう。

 私は至って平常です。いえやっていることが不気味なのはさすがに自分でもわかっております。こうしてアルファディート様……夫の名を呼ぶ練習をしているのも、正直妻としてどうなのかと思わなくもないです。

 ですが陛下と仲良くなりたいと相談した私に対して、名前で呼んでみてはいかがでしょうと返してくれたのは一緒になって悩んでくれた侍女達です。彼女達が真剣に考えて出してくれた答えである以上、真摯に取り組むべきでしょう。それにいつも仲の良い彼女達が言うからには真実味が増すというものです。

 ただ私はあまり名前で呼ぶ事に慣れておりません。王女という立場は自国の民には重く、ですが同じ王族でも他国に比べてはあまりに弱く、私は家族以外に親しい人を作ることができなかったのです。友人を得られなかった弊害がこんなところで影響するとは。

 そんな中、今では家族の分類にあるとはいえ、愛する方の名を呼ぶというのはなかなかハードルが高くて。けれどもう王妃となって一年も経つのです。いいかげん陛下との仲を改善する為にも動くべきでしょう。私はあの方をお慕いしているのですから!

 自分自身に言い聞かせながら意気込んでいた所、こんこんと扉が叩く音。思わず背が跳ねる。声が裏返ってしまいましたが、そのノックに向かって私は返事をぶつけました。


「おかえりなさいませ、アルファディート様!」


 先手必勝。その言葉を胸に、さっそく練習の成果をお披露目します。案ずるより産むが易しというものでしょうか、思っていたよりも滑らかに彼の名を口にすることができました。


「……」 


 でも失敗してしまったかもしれません。私の行動にアルファディート様は一瞬目を丸くして、それから顔をしかめられました。どうして美人が凄む表情というのはこんなにも迫力があるのでしょうか、威圧感が普段の五割増しです。

 私は決して彼を不愉快にさせたかったわけじゃないのに。どうして私はこうして要領が悪いのでしょうか。自分のふがいなさに、じわりと涙がにじむ。ああ、いけない、こんなみっともない姿を見せたいわけじゃないのに。


「……アル」

「え?」

「アルでいい。俺の名は普段呼ぶには些か不便だろう」


 この場から逃げ出してしまいたい、そう悲観に暮れていた私へ与えられた言葉は想像とは全く違うものでした。彼の口ぶりからして、それは愛称なのでしょう。

 ですが私は戸惑いました。提案してきたのがアルファディート様である以上、問題ないとは思うのです。けれど彼のお心を読み取ろうにも、いつもの表情のままからは何の感情も見えません。そのことが私を躊躇わせておりました。



 もし俺に羽が生えていたのなら間違いなく今頃、天井に頭をぶつけていたことだろう。あと魔力制御を死ぬほど鍛えておいて良かったとも思う。魔力は宿主の強い感情によって暴走することがあるのだが、今制御できていなかった場合、やっぱり天井に首ぐらいまでめり込むことになっていたに違いない。

 それほどまでに俺は浮かれていたのだ。だらしなく緩みそうな頬を必死に引き締め、リーチェの前で醜態を晒さぬよう平静を装う。感情が出にくい顔に感謝すると同時、明日表情筋が筋肉痛になるであろうことを覚悟した。

 リーチェが俺の名を呼んでくれた!夢かと思ってこっそりつねった手の甲がとても痛い、夢じゃない! 幾度か名乗ったはずなのに一回も呼ばれたことがないものだから、ひょっとして名前覚えられてない……? もっと短いやつに改名すべき……?と、真面目に考え始めていたのは杞憂だったらしい。

 最初怯えられていたことから考えると、大きく前進したのではないか。昨夜散々自分に言い聞かせておきながら、もしかしたらいずれ心が通じる日が来るのでは、なんて希望的観測もしてしまう。

 俺の名は占いに従って選ばれたらしいが、二十年近く付き合いがあっても口上のたび舌を噛みそうになっているくらいだ。それにどうせなら愛称で呼ばれたい、ほら、その、なんだ……リーチェは俺の、妃なのだから。

 ただ半分親切心、半分下心で言い出したのが悪かったのか。リーチェは眉を下げて明らかに困っている様子。やばい、踏み込みすぎたか。どうしよう、妃との適切な距離感がわからない。俺の希望としては密着するぐらい縮めたい。ハラハラしながら事の成り行きを見守る。


「……えっと……アル、様?」


 首を傾げた彼女が控えめに唇を開く。言い終えて一拍、ぽぽぽと彼女の顔に朱が混じっていく。彼女がその赤みを隠すように両手を頬へ当てた。

 そんな彼女の一連の動作にブラヴォー!と俺の頭の中の全部の俺がスタンディングオベーションし始める。ついでに謎のファンファーレがどこからか響いてきた。我ながら精神世界うるさすぎないか。

 それにしても……どうしよう、幸せすぎて涙出てきたんだが。いや、ここで満足しちゃいけない。これはきっと俺達の関係を深める大きなチャンスだ。今までの俺は嫌われることを恐れるあまり、せっかくの機会をふいにしていた。そんなだからアマンダからキングオブヘタレだなんて不名誉な呼称を食らうはめになっているんだ。たまには強気に行こう、現状を打破するためにも!


「アルでいいと言ったはずだが」

「へ、陛下を呼び捨てにするなど」

「リーチェ」


 名を紡げば彼女の新緑の瞳が大きく見開かれる。そういえば彼女が起きている時に名を口にできたのはこれが初めてか。

 今更だが名前を呼んでもらえなかったのは普通にそれが原因なのでは? ……ひとまず俺はこの件について深く追求するのを止めた。

 にしても妙に口の中が乾いている。声は震えていなかっただろうか。かなり気がかりだが、今となっては確かめる術はない。それにまだ続きがあるわけだし。

 思うより身を固くしている自分を落ち着かせる為にも一旦深呼吸を挟む。脈動が収まり始めたのを見計らって俺は彼女の目をまっすぐ見つめる。逸らすことはお互い許されない、そんな意気込みを含めて射貫く。


「呼べ」



アル様と口にした時、彼の唇が少し緩んだ気がして。それにほっとしたのも束の間、今の彼は普段よりも鋭い眼光を私に向けています。

 やっぱり陛下怒ってらっしゃるのでしょうか。目つきだけではありません、一段とトーンの下がった声もそう判断するには充分過ぎました。たった二文字の重圧が凄い。蛇に睨まれたカエルはきっと今の私のような気持ちなのでしょう。

 ですが今、私の中にある感情は恐怖だけではありません。喜んでいる私もいるのです。

 陛下が初めて私の名を呼んでくださった、そう私は気付くことができたから。ああ好きな方に自分の名を紡いでいただけるのがこんなにも嬉しいなんて!

 陛下の望みを叶えたい。その一心で己を奮い立たせる。照れも羞恥心を振り切り、彼を見つめ返して。ええ、ええ、女は度胸ですものね! ぎゅっと拳を握り込んで噤んでいた口をほどく。


「アル!」


 少し意気込みすぎたかもしれません。でもやりました、しっかり言い切れました!私が幼子であれば達成感にその場でぴょんぴょん飛び跳ねていたかもしれません。さすがにもう一児の母なので心の中だけに留めましたが。

 この時、やり遂げたと満足するあまり、私は気付いていなかったのです。陛下の腕がこちらへ伸びてきていたことに。


「ひゃっ」


 いつの間にか背に回されていた腕に引き寄せられ、思いっきり抱きしめられる。何が起きたのかしばらく理解できなくて、けれど体勢と密着具合に気付いてしまったなら固まるしかない。

 悲鳴にならない悲鳴をあげて真っ赤になっているだろう私などおかまいなしに陛下は耳元に唇を寄せてくる。熱い吐息に背が震えて。


「リーチェ」


 これはもう凶器ではないでしょうか。ご自身がどれほど魅力的な声をしているのか、彼は気付いていないのでしょうか。気付いてやっているならあまりにも意地悪です。

 おかげで不快とはまた別の意味で耳を塞ぎたいのですが、力強い腕は身じろぎ一つ許してくれません。


「……リーチェ」


 耳から蕩かされていきそうな声色に頭を振る。くらくらする、頭の中をぐちゃぐちゃにされる、もう何も考えられない。すっかり腰砕けになっている私は彼に身を預けるばかりで。

 ただ溶かされた思考の中である感情だけが消えなくて、むしろ強く主張してくる。やめて、誤解させないでと。勘違いしてしまう。貴方に愛されてるって、そんなわけないのに。

 私をしがらむこの腕を拒めれば良かった。でも私は彼のぬくもりからくる心地よさに逆らえず、抱かれたまま落とされる唇をいつも通り受け入れている。それにずきずきと胸が痛む。

 なんて自分は中途半端なんだろう。心からお慕いしております。臆病の虫を騒ぎたてて、その言葉を告げられずにいるくせに。夜の帳の中、ささめいた想いは形になる前に消えていった。

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