婚約破棄されたけど呪いの指輪が強すぎた件について
俺、平民出身の騎士見習いこと黒崎雫は、今日という日が来るのをずっと前から薄々予感していた。
公爵令嬢・セレスティア・ヴァン・エルドランドとの婚約なんて、最初から破綻してる関係だ。身分の壁が厚すぎるし、彼女の視線は俺をただの便利な駒か、一過性の遊び相手としか映してなかった。
それでも俺は彼女に惹かれていた。馬鹿みたいに。一方通行の感情だとわかっていても、だからこそ諦めきれなくて、王宮の花嫁修業という名目でここまで付きまとってきた。
でも今日がついにその日。
大広間の中央に立たされ、周りを貴族たちに囲まれながら、俺はただ静かに息を吐いた。セレスティアが氷のような瞳で俺を見下ろし、ゆっくりと口を開く。
「黒崎零。貴方との婚約は、ここに破棄します」
会場が一瞬ざわついて、すぐに静まり返った。予想通りの言葉。拍手喝采まであと一歩という空気。俺は首を振って、苦笑を浮かべた。
「……わかってるよ。最初からわかってた」
セレスティアの眉がわずかに動いた。意外だったらしい。彼女は声を低くして続ける。
「ならば何故、黙って従わなかったのですか」
「従う義理なんてないだろ。俺はお前が好きだっただけだ。お前は俺を便利な駒としか見てなかった。それだけのこと」
周囲の貴族たちが息を飲むのがわかった。令嬢を前にしてこの物言い。破局が確定した今、もうどうでもいい。セレスティアが一歩踏み出して、左手の薬指から指輪を外し、俺の掌に叩きつけるように置いた。
「これも返却します。貴方の家門に相応しくない品です」
黒い金属に赤い宝石が埋まった、見た目は安っぽい指輪。俺が十歳の頃、廃墟の奥深くで拾ったものだ。装備すると「死の予知」が見える。でも回避しようとすると、別の誰かが死ぬように運命がねじ曲がる。
超・鬼畜仕様の呪い。今までずっと隠し通してきた。口にしたら即座に処刑されるだろうから。でも今日、婚約破棄の宣告を受けた瞬間――指輪が勝手に俺の薬指に吸い付いた。
ズキン、と鋭い痛みが走り、視界が一瞬歪む。文字が浮かび上がった。『セレスティア・ヴァン・エルドランドは、婚約破棄の直後、王太子に毒殺される』
「……は?」
俺の呟きが広間に響き、みんなが俺を振り返った。セレスティアが怪訝な顔をする。俺は慌てて首を振った。
「いや……別に」
嘘だ。本当は心臓がバクバクしてる。この指輪、予知を無視すると今度は俺が死ぬ。回避するには――誰かを犠牲にしないといけない。脳内に選択肢が浮かぶ。
一.セレスティアを助けて、自分が毒殺される。 二.セレスティアを見捨てて、自分だけ生き残る。
最悪だ。どっちも嫌すぎる。俺はこれまで何度も似たような選択を繰り返してきた。仲間を切り捨て、記憶が少しずつぼやけ、それでも生き延びてきた。
でも今、目の前にいるのがセレスティアだ。俺が本気で好きだった、唯一の相手。ため息をついて、俺は口を開いた。彼女がわずかに身を固くする。
「なんでしょう?」
俺は周囲の視線を無視して、静かに続けた。
「今から言うこと、信じられるか知らないけど――お前、今日死ぬぞ」
会場が凍りついた。セレスティアの瞳が揺れる。初めて見た、動揺した表情で「何を……」と言った。
俺は淡々と説明する。
「王太子が毒を盛る。ワインに。婚約破棄の祝杯ってやつで。信じたくなかったら飲めばいい。死にたくなければ――俺を信じろ」
長い沈黙が流れた。セレスティアの唇が震え、彼女は視線を落とした。貴族たちがざわつき始める中、彼女はようやく小さく頷いた。
「……わかりました。黒崎零。貴方の言う通りにします」
その瞬間、指輪が光った。視界に新しい予知が浮かぶ。『セレスティア・ヴァン・エルドランドは、黒崎零によって救われ、王太子の陰謀が露見する』俺は苦笑した。結局、俺はまた誰かを切り捨てたわけじゃない。ただ運命を少しだけずらしただけだ。
祝杯の時間。王太子が優雅にグラスを差し出す。セレスティアは俺の方を一瞬見てから、静かにグラスを床に叩き落とした。ガシャン、と鋭い音が響き、赤い液体が大理石の床に広がる。王太子の顔が引きつる。
「これは……何のつもりだ、セレスティア!」
「毒が入っていると聞きました。王太子殿下」
会場が騒然となる。衛兵が駆け寄り、王太子のグラスを調べる。案の定、猛毒反応。貴族たちの間で非難の声が上がり、王太子は顔を青ざめさせた。後日、王太子は拘束され、陰謀の全貌が明らかになった。
毒は王太子の側近が調合したもので、セレスティアを排除し、公爵家を乗っ取るための計画だった。すべてが明るみに出て、王太子は牢獄へ。セレスティアは俺の前に立って、手を取った。
「黒崎零。……もう一度、婚約してくれますか?」
俺は指輪を見下ろした。赤い宝石が、静かに脈打っている。
「……考えるよ。けどさ、セレスティア」
「はい?」
俺は小さく笑って言った。
「次はお前が俺を捨てないって、約束しろよ」
セレスティアは頰を染めて、深く頷いた。俺は内心で呟いた。この指輪……いつか俺を殺すんだろうな。でも今は、まだいい。少しだけ、未来が変わった気がするから。少しだけ、温かさが残ってるから。
※※※
数日後、王宮の庭で俺たちは並んで歩いていた。セレスティアが俺の袖をそっと掴む。
「零……本当にありがとう。あの時、信じてよかった」
「信じてくれたのはお前の方だろ。俺なんか、ただ予知を見せただけだ」
「違うわ。あの瞬間、あなたの目が……本気だった。死ぬかもしれないのに、私を助けようとしてくれた」
「助けたくて助けたわけじゃない。指輪がそうさせただけだ。回避しなきゃ俺が死ぬから」
「それでも……ありがとう」
俺は彼女の頭を軽く撫でた。
「まあ、いいさ。結果的に助かったんだから」
でも本当は、心のどこかでわかっていた。この指輪の呪いは、決して終わらない。次に予知が来たら、また同じ選択を迫られる。誰かを犠牲にするか、自分が死ぬか。記憶がぼやけ、過去が薄れていく。それでも今、この瞬間だけは、セレスティアの手の温もりがリアルだった。
俺たちは庭のベンチに座り、夕陽を見ていた。彼女が静かに言う。
「零。これからは、私が守るわ。あなたを」
「お前みたいな令嬢に守られるなんて、俺のプライドが許さないな」
「なら、一緒に守り合いましょう」
指輪がまた、かすかに光った。新しい予知か? 俺はそっと目を閉じた。まだ見たくない。まだ、この温かさを味わっていたい。だけど、わかっている。運命は変わらない。変えられるのは、少しだけ先延ばしにするだけだ。それでもいい。今は、それでいい。
セレスティアが俺の肩に頭を預ける。俺は彼女を抱き寄せた。指輪の赤い光が、夕陽に溶けていく。いつか、この光が俺を飲み込む日が来るだろう。でも今は、まだ。少しだけ、未来が優しく見えるから。




