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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【九日目】

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阿賀野川へ漕ぎだす

 川船は、思っていたよりずっと大きかった。

 山で見かける筏や小舟とは違う。腹の広い船体で、中央がふくらみ、そこに木箱や俵がぎっしり積まれている。最も幅のある場所なら、横に三人――詰めれば四人、肩を並べて座れそうだ。長さもある。十歩ほど歩いて、ようやく船首に届く。

 前と後ろに、漕ぎ手と船頭が一人ずついた。船首は、しゃがみ込んで水面を睨み、棒で川底を探っている。船尾の男は舵に手をかけ、流れに合わせて、ほんの少しずつ船の向きを調整していた。二人の息が合っていないと、この船はたぶん、簡単に座礁する。


 僕たちは、その二人のあいだに座った。

 中央の物資を挟むように、前に二人、後ろに三人。運ぶのは、米俵、干物、塩の袋。山で集めた毛皮や薬草、布に包まれた小さな仏像。写経した経文の箱もある。どれも、ただの荷ではない。濡らせないし、奪われても困る。

 だから――というわけでもないが、船頭が、何気ない調子で言った。


「最近な、このあたり、よくない噂があってな」


 水面から目を離さずに。


「川は穏やかだが、浅瀬と中州は厄介だ。流れが止まるところほど、人も寄ってくる」


 人、という言い方が、妙に引っかかった。


「山賊、ですか」


 相原が、さらりと聞き返す。紙片に何か書き留めながら。


「噂だ。だが、噂はだいたい、後から本当になる」


「またか」


 室田が肩をすくめた。


「この手の噂、どこ行っても聞くっすよ」


「イベント来たな」


 榊原は、少し声を弾ませて言った。

 その温度差を、僕は黙って聞いていた。


 船が動き出す。櫂の音。水を切る低い響き。川幅は広く、流れは穏やかだ。両岸には田畑が続き、ところどころに寺や小さな集落が見える。渡し場もある。人の生活が、川に沿って並んでいる。

 山とは、まるで違う。山ならば、立ち止まれば戻れた。危なければ、横に逸れればよかった。だが川では、そうはいかない。流れに乗ったら、前に進むしかない。逃げ場は、水の中か、岸しかない。

 瀬戸は、船の縁に手を置き、小さく祝詞を唱えていた。声はほとんど聞こえない。ただ、唇が動いているのがわかる。祈りは、船のためなのか、川のためなのか、それとも僕たちのためなのか。


 昼のあいだは、何事もなかった。

 船はゆっくりと進み、会津平野を抜けていく。川面は陽を反射し、風は穏やかだ。榊原と室田は、前後を入れ替わりながら座り、物資の様子を確かめていた。相原は、景色と人の配置を、淡々と記録している。

 僕は、船の揺れを体で覚えようとしていた。足場。重心。何かあったとき、どこに動けるか。どこが死角になるか。そんなことばかり考えてしまう。


 夕方、船は岸に寄せられた。

 野営だ。川沿いの少し開けた場所。焚き火を起こし、簡単な食事をとる。川の音は、昼よりも大きく聞こえた。暗くなると、水はただの黒い流れになる。


「なあ」


 船頭の一人が、火を見つめながら言った。


「今夜は交代で見張りを頼めるか」


 誰も異議を唱えなかった。

 噂は、ただの噂だ。そう思いたい。けれど、川の真ん中で止められたら、逃げ場はない。それは、誰もがわかっている。

 瀬戸は火のそばで、膝を抱えて座っていた。昼の祈りとは違い、今は何もしていない。ただ、炎を見ている。

 榊原は、刀の手入れをしている。楽しそうですらある。相原は、今日一日のことを、静かに書き留めていた。室田は、見張りの順番を確認しながら、あくびを噛み殺している。


 僕は、川の音を聞いていた。

 穏やかだ。だが、止まる場所がある。浅くなる場所がある。人が寄ってくる場所がある。

 船は無事だ。けれど、流れ出した船は、もう行きつくとこまで行くしかない。


 二日目の朝、船頭に、瀬戸が告げた。


「船に、結界を張らせてもらってもいいでしょうか」


「結界……ねえ」


 怪訝そうな表情で船頭が言う。


「邪魔にはなりません。ただ、何かあったときに、災いを流す。避ける。そんなまじないのようなものだと思ってください」


「そりゃ、そうできるならありがたいが……」


 言葉を濁す。どうも歯切れが悪い。

 そこで、相原が口を挟む。


「別に、追加で料金を請求したりはしません。護衛の一環としての備えの一つです。そうよね、瀬戸さん?」


「ええ、その通りです」


「ああ、そういうことなら、ぜひともお願いしますわ」


 こうして、瀬戸の結界が張られた船が出航する。

 会津を抜けると少しして、阿賀野川の顔が突然変わった。

 目で見て、すぐにわかる。川幅が、昨日よりも狭い。両岸が近く、流れが一気に締まっている。水の色も、少し濃い。深いところと浅いところの差がはっきりしてきた。


「来るぞ、ここから」


 船首の船頭が、低く声を出す。

 櫂が、水を叩く音が増えた。昨日は、流れに乗せるだけだった動きが、今日は違う。細かく、せわしない。舵を取る船尾の男も、ほとんど休みなく声を返している。


「右、浅いぞ」


「瀬だ、中央寄せろ」


「そこで流れを切るな!」


 船は、きし、と音を立てた。腹の下を、水が速く抜けていく感触が、足裏から伝わってくる。

 瀬が増えていた。

 川底の石が、ところどころ白く見える。浅瀬を避けるため、船は蛇行する。物資が、わずかに揺れる。箱がぶつからないよう、室田が体で支えた。


「思ってたより、荒いっすね」


 室田が言うと、榊原が即座に返す。


「この感じだと、ここじゃ来ないな」


「……来ない?」


 相原が顔を上げる。


「山賊ですよ。ここで襲ったら、もらえるものも貰えない」


 榊原は、川面を見ながら続けた。


「流れが速すぎる。船頭を落としたら、船ごと座礁か転覆だ。物資が沈んだら、割に合わない」


 言い方が、あまりにも即物的だった。自分も状況判断はするが、榊原ほど上手くは言語化できない。

 この世界では、人の命と物資が、同じ天秤に乗ることがある。榊原は、それをためらいなく口にする。良し悪しではない。ただ、価値基準が僕とは少し違う。

 瀬戸は、船縁を掴み、揺れに耐えていた。昨日よりも表情が引き締まっている。祈りは、していない。ただ、目は川を追っている。


 昼を過ぎても、緊張は解けなかった。

 船頭たちの声は減らない。櫂を持つ腕に、疲れが見え始める。だが、ここで休むわけにはいかない。流れが速い分、止まる場所が少ない。

 やがて、川は少しずつ落ち着きを取り戻した。

 流れが緩み、岸が開ける。


 ただ、それでも緊張は解けなかった。

 瀬は少しずつ減っていったが、そのぶん川は長く、だらだらと続く区間に入った。流れは緩い。だが、決して楽ではない。水深が読みにくく、底が砂と石で入り混じっている。


「……今日は、ここまでだな」


 船首の船頭が、そう言った。

 前方に見えるのは、なだらかな川原。岸が低く、木立が近い。舟を寄せるには悪くないが、設備は何もない。人の気配も薄い。


「津川までは、まだ半日以上かかる。日暮れ前に無理すると、座礁する」


 船尾の男も、同意するように頷いた。

 舟を浅瀬に寄せ、慎重に物資をまとめる。今日は、ここで野営だ。

 火を起こしながら、榊原が小さく笑った。


「ここ、ちょうどいいな」


「何が?」


「襲う側にとって、って意味で」


 冗談のような口調だったが、誰も笑わなかった。

 相原が、川の上流と下流を見比べる。


「設備も人もない。でも、流れは落ち着いてる。舟も止まってる」


「しかも、明日は早出だろ」


 室田が肩をすくめる。


「船頭さんたち、夜明けと同時に出たいって顔してる」


 つまり――動き出す瞬間がある。

 火のそばで、瀬戸は静かに座っていた。祈りはしていない。ただ、周囲をよく見ている。川も、森も、人も。

 僕は、焚き火の向こうを見つめながら考えていた。

 津川という名前が、頭の中で重く響く。人が集まり、情報が交差する場所。ここを越えた、その先。夜が、ゆっくりと降りてきた。

 川は穏やかだ。虫の声もする。対岸は、山桜が満開だった。それでも、空気のどこかに、張りつめた糸のようなものが残っている。


 二日目は、何も起きなかった。だからこそ――明日の朝が、嫌な時間になる。

 その予感だけが、はっきりと胸に残っていた。

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