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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【九日目】

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如蔵尼の庵

 庵の中は、相変わらず静かだった。外の山の気配が嘘のように遮られ、低く、一定の調子で経が流れている。

 瀬戸澄佳は、如蔵尼の前に座り、両手を膝の上で重ねた。


「……飽海嶽へ向かうことになりました」


 言葉にすると、少しだけ覚悟が固まる気がした。


「山の神のお使い、ですね」


 如蔵尼は、経を止め、ゆっくりと目を開いた。その視線は、問いでも評価でもなく、ただ事実を受け止めるものだった。


「はい。まだ、何が起きているのか、すべては分かりません。でも……行かねばならないとは思っています。私の役目だと」


 如蔵尼は、小さく息を吐き、微笑んだ。


「そうでしょうね」


 その一言に、私の胸が、わずかに緩む。

 しばらく沈黙が流れたあと、如蔵尼は、ぽつりと語り出した。


「……あなた、私の名の由来を知っていますか」


「いえ……」


 私は、首を振る。


「私は、もともと滝という名でした。どこにでもある、普通の名です」


 如蔵尼は、自分の胸に手を当てる。


「若い頃に、大病をしました。もう助からないだろうと、皆に言われて……そのとき、ただ一心に、地蔵菩薩にすがったのです」


 声は、淡々としていた。だが、そこに重みがあるのは、私にも分かった。


「不思議なことに、命はつながりました。それ以来、私は地蔵菩薩を崇め、経を唱え続けています」


 私は、息をひそめて聞いていた。


「人々が、いつしか私を地蔵の如き者――如蔵と呼ぶようになりました」


 如蔵尼は、少し困ったように笑う。


「恐れ多い話です。私は、救う側の人間ではない。ただ、救われた一人にすぎません」


 その言葉が、私の胸に、深く沈んだ。


「でも……」


 如蔵尼は、私をまっすぐに見た。


「それで救われる人も、いるようなのです。名があることで、祈れる人がいる。立ち上がれる人がいる」


 静かに、しかし確かに。


「だから私は、ここにいるのだと思います。自分を救ってくれた地蔵菩薩のように、誰かの足元を、少しだけ照らせたらと」


 その視線が、私に重なる。


「あなたも、同じですね」


 はっとして顔を上げた。


「……私、ですか」


「ええ。山の神の巫女と呼ばれるのは、恐れ多いでしょう」


 私の胸が、きゅっと締まる。


「でも、あなたは、自分にできることをしようとしている。それだけで、十分なのだと思います」


 その言葉に、堪えていたものが、ふいに溢れた。


「……そんなふうに言ってもらえたの、初めてです」


 声が、わずかに震える。如蔵尼は、何も言わず、ただ静かに頷いた。


 しばらくして、私は涙を拭い、改めて口を開く。


「……それで、飽海嶽へ向かいます。日本海を北へ行く道です」


「阿賀野川を下るのですね」


 如蔵尼は、すぐに理解した。


「その流域は、実質、慧日寺の影響下です。船の手配もできます」


 私は、驚いて顔を上げる。


「そんな……」


「その代わり、と言っては何ですが」


 如蔵尼は、文机に向かい、一通の手紙を書き始めた。筆運びは迷いがなく、すぐに書き終える。


「羽黒山に、寄ってくれませんか。こちらから行くなら、飽海嶽の少し手前。そこまで遠回りにはならないと思います」


 差し出された手紙を、私は両手で受け取る。


「そこにある、ある品を受け取ってきてほしいのです」


「……品、ですか」


「ええ。父の形見です」


 その言葉に、私は息を呑んだ。


「そ、そんな大切なもの……私なんかがお預かりするのは、責任が重すぎます」


 即座に、首を振る。如蔵尼は、くすりと笑った。


「大丈夫ですよ。たいしたものではありません」


「……でも」


「ただの、小さなものさしです」


 私は、言葉を失った。


……ものさし?


 あまりにも、普通の物で拍子抜けした。ただ、彼女にとっては大切な形見、思い出の品なのだろう。


「これを見せれば、向こうの方が出してくれるはずです」


 如蔵尼は、静かに言った。


「あなたなら安心。そう思えたから、お願いしたのです」


 私は、手紙を胸に抱いた。


「……必ず、お届けします」


 その声には、もう迷いはなかった。

 庵の外で、風が、ゆっくりと山を渡っていった。

明日も、二本投稿いたします。6時と16時です。

よろしくお願い致します。

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