喜多方にて
喜多方は、会津盆地の北、チャーシューたっぷりの太麺の醤油ラーメンでおなじみの場所だ。磐梯山から見ると、その西に位置する。僕が拠点としている、あの洞窟は磐梯山の東側にあるので、ちょうど真逆の方向にある。
喜多方に向かうならば、南麓を回る街道が一番普通の道である。人がいるし、ちゃんと道がある。情報もある。でも――今回は、そっちじゃない。
「もっと面白いもの、拾ってきなよ」
ログアウト前、鷺沢が、軽い調子でそう言ったのを思い出す。
それから見る目。狩りとか、戦いじゃなくて――山そのものを見る目が少し変わった気がしている。だから僕は、猪苗代を北に抜け、裏磐梯から西へと向かうルートを選んだ。
道を外れた途端、空気が変わる。
足元の土の色。倒木の古さ。獣道の付き方。今までなら、全部まとめて「背景」だったものが、細かく分かれて見える。
……ああ。
ここ、薬草が多い。この斜面、鉱石が混じってる。この苔……たぶん、保存が効く。山は、戦う場所じゃない。拾う場所でもある。見方が変わると、いままで圧縮されていた意識が、拡張した気がする。ただ、移動自体は動きがより最適化されてきたからか、前よりも圧縮されている感があった。
しばらく進んで、桧原の集落が見えてきた。
――湖は、ない。
代わりに、なだらかな土地と、田畑、そして生活の気配があった。人が暮らしている。普通に。
――そりゃ、そうだ。
瀬戸から聞いていた。桧原湖ができるのは、ずっと後――江戸の時代のことのはず。今はまだ、山裾の静かな集落だ。
夕暮れ時、焚き火の匂いが流れてくる。子どもの声。家畜の気配。現代では、湖の底に沈んだ場所。その「前」の時間に、僕は立っている。
集落の端に、立派な社があった。
――大山祇神社。
たしか、この『大山祇』という神様は、八岐大蛇に生贄にされかかった姫のお爺さんだった気がする。で、その姫の名が櫛名田比売で、八岐大蛇を倒した須佐之男尊と結婚すると神話の授業で聞いたはず。その姫様の両親が、何だっけ……手長、足長? 記憶は曖昧だ。完全に圧縮されてる。
僕は、その夜、この神社の軒下に泊めさせてもらった。静かだった。何も起きなかったが、それが妙に重かった。
……この場所も、いずれ消える。
未来を知っているからこそ、少し胸の奥がざわつく。僕の中のあいつも、少しだけ動いた気がした。
翌朝、山に入る足取りが少し変わっていた。
塩原に差し掛かったとき、鼻に引っかかる匂いがした。
……塩?
温めの湧き水を舐めると、少しだけしょっぱい。山の中の塩。これはもしかしたら貴重かもしれない。
……金になるかな?
思わず、そんな考えと共に、鷺沢の顔が浮かぶ。
とにかく山は、まだまだ、何かを隠している。この道中で、そんなことがはっきり実感できた。
そうこう回り道を重ね、僕はようやく喜多方に辿り着いた。もう、昼過ぎだった。
祭りのときに会った若い娘のNPCを探す。歌を教えてくれた、あの尼の話を聞きたかった。
里の人に彼女の特徴を伝えて話を聞くと、すぐに再会することができた。そして、その歌を教えてくれた尼さんが住んでいたという場所に連れていってくれた。そこは、空き家だったが、今も綺麗に手入れされていた。
近所の人に聞く。
「……ああ、あのお方かい。村の者が体を悪くすると、皆、いつもあの尼さまに診てもらったものだ。不思議と、そうすると良くなる。歌もお上手で、愉快な方だった」
少し考えて、言う。
「十四、五年くらい前かな。ふっと、いなくなられてしまったのだよ」
……十四、五年? 三十年前じゃない?
三十年前から十四、五年前まで、いた? それとも、途中で出入りしていた?
時間が、合わない。
「どこへ行ったかは?」
「さあねえ……日本海のほうに戻るって話は、してた気がするがね。私たちも、いつ戻ってこられてもいいように、こうして家は管理しておるのです」
ここでも引っかかる。日本海の方に「戻る」。
……戻る?
最初から、日本海側にいた? そこから来て、また戻った?
今まで追ってきた経路と、つながらない。線が、途切れている。
――なんだ、これ……。
混乱する。ログアウトしていたのか。断続的に、この世界にいたのか。それとも――僕が、何かを見落としているだけか。わからないことだらけだ。
でも、一つだけ確かなことがある。日本海側に行くしかない。ちょうど、瀬戸も同じ予定だ。一人で先に行ったら、たぶん怒られる。
それに――一緒のほうが、いい。
その理由は、まだ言葉にならない。言葉にすれば、たぶん言い訳が先に出そうになる。
こうして僕は、次の目的地を、日本海に定めた。




