褒章の場
多賀城の正殿は、いつもより人が多かった。
武官、文官、神職、そしてこの地に関わる貴族たち。そして、その視線の中心に立たされているのが、自分だという事実を、近衛恒一は冷静に受け止めていた。
――評価されている。
それは、間違いない。
功績が読み上げられる。山の異変への迅速な対応。民心の動揺を抑え、秩序を保った判断。拍手は控えめだが、確かにあった。それぞれの顔に浮かぶのは、称賛と安堵、そして少しの期待というところだろう。
「望みを申せ」
そう口にしたのは、平貞盛。
陸奥守、鎮守府将軍、『平将軍』の異名を持つ、この多賀城の主である。
位階は正五位下、昇殿を許されることもある貴族。藤原秀郷と共に、平将門討伐に大きな貢献があり、貴族になった。
成り上がりの武士ではあったが、成果を出し続け、昇進し続けていることからも、その手腕が伺える。今やその影響力は陸奥国のみならず、出羽国まで及び、実質的に現在の奥羽は、彼の手中にあるといっていい。NPCとはいえ、あまりに高位な存在。システム補正もあり、今の俺にはどうにもできない力を持っている。
上座から、静かな声が落ちる。形式的な言葉だが、ここでは意味が違う。
――褒章。
地位か、財か、名誉か。俺は、一瞬だけ目を伏せた。
……違う。
そのどれも、今の自分には足りない。いや、正確には役に立たない。
満足の姿が、脳裏に浮かぶ。影と共に現れ、理屈を無視して境界を越えてくる存在。そして、その存在に、自分は、負けた。
管理者としてではない。力の差で。
顔を上げた。
なるべく穏やかな表情で。貴族たちが好む、理性的で、誠実な武官の顔で。
「恐れながら」
低く、通る声で言う。
「私は、地位も栄誉も、望みません」
ざわり、と空気が揺れた。控えめな驚き。だが、すぐにそれは感心へと変わる。
「今回の件で、私は理解しました」
言葉を選ぶ。演じることを、忘れない。
「この地を守るためには、さらなる備えが必要です。力ではなく、覚悟の象徴が」
視線を、あえて少し下げる。謙虚さの演出。
「この城には――かつて、坂上田村麻呂将軍が納めたと伝わる剣があると聞き及んでおります」
一瞬、場が静まり返った。
……田村麻呂。征夷大将軍。蝦夷討伐の象徴。この地において、その名は特別だ。
「もちろん、真の神器でないことは承知しています」
すぐに続ける。
「写しで構いません。将軍の意志を受け継ぐ形を、現場に立つ者として預けていただきたい」
貴族の一人が、小さく息を吐いた。
「……なんと、殊勝な」
「さらなる奉仕を望むとは」
「名より責務を選ぶか」
称賛が、さざ波のように広がる。
俺は、深く頭を下げた。
――成功だ。
表向きは、忠義。公のために、力を求める武官。だが、その内側で、俺ははっきりと自覚していた。これは奉仕ではなく、対抗手段だということを。
満足に。禍津日に。あの、管理できていない力を、管理するための力が、俺自身に今、一番必要なのだということを。
しばしの沈黙の後、上座から声が下った。
「よかろう」
その一言で、勝負はついた。
後日、渡された太刀は、簡素な布に包まれていた。刃には、わずかに文様が刻まれている。
古い奉納庫、その奥の間の、空気が沈むように静まった場所に、それはあった。
――伝・坂上田村麻呂、奉納、『騒速剣』、写し。
本体と同じ属性。蝦夷を討伐し、怪異を成敗する剣。ただし、強度は当然、本物には届かない。脆い。使えば削れ、やがて失われる。そんな代物だった。
……ちょうどいい。
永続する力ではない。責任と共に、消耗する力。それを手にしたとき、俺の胸にあったのは、満足感ではなく、焦りでもなかった。ただ一つ、はっきりとした思いだけがあった。
……次は、負けない。必ず勝つ。
そう決意を固め、目を閉じると、瞼の裏に瀬戸の顔が、浮かぶ。
彼女には、当分、近づけないだろう。だが――見失うつもりもない。
その夜、俺は一つの品を手配した。勾玉を連ねた、巫女用の首飾り。守護の具。霊的耐性を高める、正当な装備を、官舎の払い下げ品に混ぜ込んだ。
――守るため。
そう、誰にでも説明できる理由。だが、自分にだけは、嘘をつかなかった。
……管理する。
彼女の選択権を奪わず、彼女に俺を選ばせるために。そのシナリオを作り出すための下準備だ。そして次は、失敗しない。
多賀城の夜は、静かに更けていく。
その静けさの底で、俺は、もう一度だけ剣の重みを確かめた。




