想いが詰まった贈り物
瀬戸澄佳が庵で目を覚ました時、最初に戻ってきたのは音だった。
風が木々を撫でる音。遠くで流れる水の気配。鳥の声が、朝の空気を割る。目を開く前に、もうここが「向こう側」だと分かる。現実よりも、少しだけ世界が近い。近すぎるくらいに。
ゆっくりと息を吸う。身体は軽い。昨日までの疲れは、確かに残っているはずなのに、実感としては表に出てこない。歩ける。動ける。役目を続けられる。
体を起こし、畳んであった新しい装備を手に取る。
袖を通し、紐を結び、足元を確かめる。
その一つ一つの動作が、いつのまにか儀式のようになっていることに気づく。誰に教わったわけでもない。ただ、自然とそうなった。
そして、杖を手に取る。榊の香りが、わずかに残っている。
昨日、これをもらったときのことが、脳裏をよぎる。
**
庵から麓へ下り、猪苗代湖西南の湖畔を歩いた。里山の麓にある『守屋』という社を訪れたのは、磐椅神社での春祭りの準備が始まる少し前だった。
鳥居は低く、社殿も小さい。だが、境内の空気は澄んでいる。人の手が入りすぎていない場所の匂いだった。
社の前で声をかけると、ほどなくして年配の宮司が姿を現した。白髪交じりだが背筋は伸び、目は穏やかで、よくこちらを見ている。
「……磐椅神社の巫女さんだね」
確認するような口調だったが、疑ってはいない。私は一礼して名を名乗った。
「山のほうは、大変だったね」
心配されてしまったが、私は多くを語らなかった。こういう人は、説明を必要としない。
「今の山は、大丈夫です」
そういうと、宮司は境内の奥、山の方角を一瞥してから言った。
「あんたのおかげだ。ありがとう」
それは事実とは違ったが、私は何も答えられず、ただ頷いた。
少し間があって、宮司は社務所の中へ入ると、一本の杖を持って戻ってきた。削り出しただけの木の杖。飾り気はないが、先端には小さな鉄鐸が一つ、そして榊の葉が結わえられている。
「持っていきなさい」
差し出されたそれを、私は一瞬、受け取るのをためらった。
「……武器、でしょうか」
宮司は小さく笑った。
「違うよ、見た通り、杖だよ。武器ではない。きっと支えてくれる。頼りすぎは駄目だがね」
そう言ってから、続ける。
「ただ、道を歩くにはあった方がいい。山道は足を取るし、人は弱る」
杖を手に取ると、思っていたより軽かった。けれど、不思議と手に馴染む。
「榊は、人と神の間に立つ木だ」
宮司は、私の手元を見ながら言う。
「祈る側、裁く側。その間に立つ。忘れなければ、それでいい」
私は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
宮司は頷き、それから、少し言いにくそうに言葉を続けた。
「一つ、頼みがある」
胸が、わずかに強く脈打つ。
「今度の春祭りで、神楽を奉納するんだろう」
「はい」
「うちの小さな社でも、夏には祭りがある。ぜひ、お前さんの神楽を奉納してほしい」
一瞬、息を呑んだ。
「正式な神楽でなくてもいい。里の者に見せるためのものだ」
宮司は、こちらの反応を確かめるように、間を置いた。
「だが、里の者にも言葉を届けるには……私のような者より、お前さんのような巫女がいい」
私は、視線を落とした。
「……私で、務まるでしょうか」
宮司は笑っていった。
「務まるさ。お前さんがそう選ぶのならばな」
静かな声だったが、その言葉は胸の奥に残る。
私は、榊の杖を握り直し、ゆっくりと顔を上げた。
「……お引き受けします」
宮司は、ようやく満足そうに微笑んだ。
「そうか」
それだけ言うと、空を見上げる。
「このまま何もなく、世の中、続いてほしいものだなあ――」
言葉は続かなかった。風が境内を抜け、榊の葉が、かすかに揺れた。
私は、その足で磐椅神社に向かった。すると、境内では鷺沢里穂が待っていた。こちらを見つけると笑顔で手を振る。
社所の一室。広げられた布の上に並べられていたのは、新しい巫女装束。ただ、私が見慣れた巫女装束ではなかった。
「……巫女装束、ですよね?」
確認するように口にすると、鷺沢は胸を張った。
「そう。ちゃんと巫女。でも、強い巫女用、とりあえず、着てみた方がいいね」
そういうと、鷺沢さんはナチュラルに私の着物を脱がしにかかる。
「自分でやります」
「そう? じゃあ、まずこれね」
そう言って、手渡されたのは、上下の下着だった。
「鷺沢さん……、どういうことですか、これは……」
つい声が低くなる。私の詰問に対して、彼女は少し驚いたようなリアクションをしたが、すぐに真顔で言った。
「大丈夫、まずこれを選んだ理由と、その性能を聞いてよ。それでも嫌なら、もちろん着けなくていいから」
そうまでいうならば、聞くだけは聞いてみることにした。
「まず、こっちね」
そういって、ヌーブラ風の下着を手に取る。
「瀬戸さん、あのさらし、苦しくない?」
そう指摘されれば、その通りだった。しかしながら、さらしを巻くのは着物では基本である。西洋風の服のように、体のラインを出さないのが和服では大事だ。ただ、苦しくないといえば噓になる。
「まあ、確かに……」
「でしょ、でしょ! で、これはね、その苦しさから解放される、画期的な仕掛けがあるのですよ。なんと、ワイヤレスなのに重さを軽減するのです」
とても信じられない。しかし、もし本当ならばかなり欲しいアイテムでもあった。
「一応、……試着してみます」
「じゃあ、装束も一式着てみてよ。はい、これも」
そう言って手渡されたのは、下の下着、Tバックである。これも、何か仕掛けがあるのだろうか。とりあえず、一式受け取り、足元に座り込んでいる鷺沢を見る。
「では、着替えますので、少し部屋の外で待っていてください」
「ええ、いいじゃん女同士だし、一緒にお風呂に入った仲じゃん」
「それでも、恥ずかしいんです」
私がそういうと、鷺沢はしぶしぶ部屋から出ていった。
「もういいですよ」
私が声をかけると、襖が開いた。そして、鷺沢は私を見るなり大声で叫ぶ。
「いいじゃん、こちらの想像を軽く超えてるよお、めっちゃ似合っている!」
「そうでしょうか……」
褒められはしたが、着慣れた巫女装束とはやはり違う。どうも、少し落ち着かない。
まず、上着。白を基調としているが、布地が違う。光の加減で、うっすらと文様が浮かび上がる――霊符を織り込んだ生地だった。
「上着は、穢れ耐性、常時アップ。毒と瘴気は、だいぶ弾くよ」
袖は、振が少し小さく、長さも従来品よりも少し短い。だがその分、内側に薄い護符布が重ねられている。身八つ口が、普通の着物よりもかなり大きいのが少し気になる。
「腕、動かしやすいでしょ?」
試しに振ると、確かに軽い。
「着物ってどうしても動きにくいでしょ。それを、徹底的に改善したデザインにしたの。あと、多分、着心地というか快適さも上がってると思う」
次に、袴……ではあるが、前後で構造が違う。歩くとき、足さばきが異様に楽だ。
「スリット入れてる。見えない位置だけど、走るときに効く」
スリットという言葉に、私はドキッとしたが、鷺沢は平然としている。
「隠れポイントだし普段はわからないよ。意識すればわかるけど、それは意識して見る人が悪い」
さらに、細帯。
普通の帯に見えるが、内側にはエンチャントが施されている。
「千沙の薬の効果はこっちに、定着させたよ。やっぱり色を抜くのは難しかったから、見えないところにね」
正直、性能面では文句のつけどころがない。見た目も少し奇抜だが、そこまで気にするところはない。
ただ、まだ下着の性能を聞いていない。正直、現状では何の効果も感じられなかった。
「それで、……下着の効果は、……今のところよくわからないのだけど」
そう正直に告げると、鷺沢は忘れてたとばかりに口を開く。
「そうそう、あれはスキルを使って、初めて効果を発揮するのですよ。瀬戸さん、水系のスキル、使えるでしょ?」
水を使ったスキルは、巫女の基礎だ。治療はもちろん、穢れを流す、雨乞いをするといった、すべての巫女スキルに派生する根源スキルである。もちろん、私も使えた。
私が頷くと、鷺沢は続ける。
「それを、あのブラに流してみて、少しでいいよ。自分がちょうどいいと思うくらいで」
私は彼女に言われた通りにしてみる。すると、胸の重さが明らかに変化する。どんどん軽くなっていく。
「信じられない……、すごく楽……」
そう感想を口にすると、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「でしょ」
「じゃあ、あの下の方は……」
そう尋ねると、彼女は真っすぐこちらを見ていう。
「趣味」
大きなため息が出た。
「それに千沙も履いてるし、着物ではラインが出ないように着けるのが基本だって」
確かにそういう意味で履く人はいる。しかしながら、それは浴衣などの薄手の着物の場合に限る。袴では、下着のラインは正直気にならない。
「私も履いてるけど、気合入るよ」
そんな人口が多いとは知らなかった。やはり私は保守的なのかもしれない。
「まあ、こちらは考えておきます……」
そう告げると、彼女も納得した様子だった。
そして最後に、鷺沢は小さな箱を開けた。
「で、これ」
中に収まっていたのは、首飾りだった。
白い紐に、勾玉が三つ。それぞれ色が違う。
「かなり強力な巫女用の首飾り。今回の目玉だね。官舎経由で、たまたま安く出たのを拾った、名が落ちてる分だけ値が下がってた。かなりの掘り出し物」
「これの効果は?」
「この説明書によると、基礎ステータスの底上げだね。体力、霊感、集中力。どれも派手じゃないけど、積み重なるタイプで、身に着けているほどいいみたい」
私は、そっと首元に当ててみる。手に取ると軽いが、身に着けると不思議と少し重さを感じる。
「ありがとうございます」
すべての装備を身に着けた私は、鷺沢が掲げてくれた鏡の前に立つ。
一見すると、少し変わった巫女装束。だが、目を凝らすと――いろいろな工夫が凝らされている。装備という面では、今までの普通のものよりはるかに強い。ただ、やはり違和感は少しある。
「……私、この服で、巫女をしていいんでしょうか」
ぽつりと漏らすと、鷺沢は即答した。
「いいに決まってる」
少しだけ声を落とす。
「新しい道を選ぶ人の服だよ、それ」
私は、胸元に手を添えた。
新しい巫女装束は、少し慣れないところもあるけれど、いろいろなものが込められている気がした。この装束は、守るためのものではない。祈るだけのものでもない。――進む巫女のための服だった。
**
私は、無意識に装束の生地を確かめるように手を伸ばしていた。ひやりとした感触。私は、この先、この服と共に旅することになるのだろう。新たな相棒だ。そう思いながら、榊の杖を手にして立ち上がると、今後について思いを巡らせる。
出羽・飽海嶽に向かうことは決まっている。まずは、その準備だ。経路、移動手段の手配、物資の補給など、やらなければならないことがたくさんある。
満足とも、合流する。それは特別な約束というより、私たちにとって自然な流れの中にある出来事に感じられる。
「勝手はしないし、一人で行くつもりはない。もちろん、一人でも行かせない」
彼は、私にそう宣言した。
その言葉は少し気恥ずかしかったけれども、安心したのも確かだった。私が進む道行きは、一人では続かない。その意味が、少しずつ実感になっている。
私は、朝の空気に向かって静かに一礼した。そして歩き出す。同じ九日目でも、昨日とは違う一歩で。
今日も、道は続いている。
明日は、二本投稿いたします。6時と16時です。
よろしくお願い致します。




