新たな現実
ログアウト直後の会議室は、いつもより静かだった。
近衛が出席していないからだろうか。あいつの存在感はいつもすごいものがある。彼らグループも、藤巻と国分は会話もせず、三好と鷺沢は一緒に眠そうに座っている。
僕は、彼らとは離れた位置で、珍しく前の方に座った。授業のときは後ろの方ばかり座っているので少し慣れないが、彼らとは少し距離を取りたい。すると、しばらくして瀬戸が僕の斜め前の席に座る。
椅子に腰を下ろすと、現実の重さが戻ってくる感覚があった。体は椅子に沈んでいるのに、意識の一部だけが、まだ山に引っかかっている。時間の感覚が、うまく戻らない。
……まだ、続いてる気がする。
そんな感覚のまま、正面を見る。久世は、いつも通りの、少し硬めの表情だ。
「じゃあ、始めます」
短く、はっきりした声。
「まず、現状の整理から」
そう言って、久世は資料を表示する。
「今回のフェーズで、いくつか想定以上の没入傾向が確認されました。それ自体は異常ではありません。ただ――想定以上の時間圧縮と、心理負荷が確認されています」
一瞬、こちらを見る。視線は鋭いが、責めるものではない。
「しかしながら、本日の試験は、概ね順調に進んだと考えています」
誰も口を挟まない。近衛はいない。それが、余計に空気を重くしていた。
しかし、座席の後ろの方から、その空気をかえる声がする。
「てかさ、没入しすぎじゃない?」
笑いを含んだ調子。
「いや、できるのはそれで才能だろ」
「普通、そこまで行かねえよ」
そのやりとりが、耳に残る。
……あれ?
今まで、こういう声は聞こえていなかった。いや、聞こえていたのに、拾えていなかっただけか。
視線を向ける。後の列、少し斜め。三人組。特別な雰囲気もない。ただ、妙に慣れている感じだ。
「でもさ、感情引きずると、判断鈍るぞ、ゲームなんだから」
隣の男子が即答する。
「効率落ちたら、意味ないしな」
「まあ、俺は楽しけりゃいいけど」
完全に、ゲーマーの会話だった。
そのとき、静かな声が割り込んだ。
「榊原くん」
白石の声だ。
「会議室では、私語は控えてください」
名指し。榊原と呼ばれた男は、一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに軽く頭を下げた。
「すみません、つい、癖で」
悪びれた様子はない。でも、反抗もない。
白石は、それ以上触れない。三人組は口を閉じる。だが、空気は変わった。
仕切り直しになる。前方に立つのは久世。
隣に、増田と白石。
「あらためて、現状の共有から行います」
久世の声は落ち着いている。
「今回のフェーズで、各プレイヤーの行動ログに偏りが出ました。そのため、フォローアップの環境にも偏りが生じました」
淡々と、事実だけ。
「それを、こちらで検証した結果、ここまでのプレイ経過を考慮して、運営側のプレイヤー担当の再配置を行います」
一瞬、空気が動く。
「私、久世が担当していた七名のうち、二名、瀬戸さんと満足くんは、白石先生に引き継ぎます」
……ああ、やっぱりか。
どこかで予想していた。だから驚きはない。ただ、胸の奥が少しだけ重くなる。
「これは懲罰ではありません」
久世は、はっきりと言った。
「負荷の分散と、観測の精度を上げるためです。引き続き、私は全体の経過も見ています」
責任から逃げない言い方が、「なんか久世先生らしい」そんな気がした。
白石は、一歩だけ前に出る。
「白石です。担当が変わる方もいますが。基本方針は同じです。安全管理と、記録。それ以上のことはしません」
それだけ言って、下がる。
――本当に、それだけ。
誘導も、示唆も一切表面に出てこない。
「質問はありますか」
久世が尋ねる。
誰も手を挙げない。
「では、今日はここまでです。各自、休養を優先してください」
解散。
その瞬間、空気がふっと緩んだ。
椅子が引かれる音。小さな咳払い。そして、私語が滲み出す。後方にいた彼らだ。
……ああ。この人たち、最初からここにいたんだ。
初日の説明会にも。同じVR世界にも。ただ、僕の視界が、今までそこまで届いていなかっただけ。
会議室を出るとき、榊原がふと、こちらを見た。目が合う。
「どうも」
それだけ。距離を詰めるでもなく、名乗るでもなく。すれ違いざまの、ただの挨拶。でも、その輪郭は、はっきりしていた。
……なるほどな。
誰かが混ぜられたわけじゃない。線を引かれたわけでもない。
同じ場所にいて、同じゲームをしていて、今になって、やっと見えるようになった。それだけのことだった。
明日も、二本投稿いたします。6時と16時です。
よろしくお願い致します。




