関係者ミーティング
会議が始まる前から、久世理沙はどうも嫌な予感がしていた。理由は単純だった。この場に、必要以上に重い人間が出席していたからだ。
……システムの時間感覚調整を行った、というだけで出てくる人じゃない。何かあるか……。
その人物は、正面のモニターに映し出された久流須弦であった。運営統括、今回の試験の最終判断権を持つ人物。現場を知らないわけではないが、感情で判断しない。――言い換えれば、切るときは迷わない上司であった。
その右に、増田嗣利。三十代前半でこの学園の准教授、先端情報システム分野では名が通っている。理論屋で、VRを「人の認識拡張装置」として捉えている節がある。現場感覚は薄いが、実験は重視している。結果を数字に置き換え、データと論理で殴ってくるタイプだ。
そして、白石由梨。学園の非常勤講師で、博士課程の途中。専攻は心理学。臨床寄りで、VR依存・没入障害の論文を何本も書いている。増田とは対称的な現場タイプで、カウンセリング対応の実績も多い。人を扱うことに慣れすぎているのが逆に怖い。穏やかな口調の裏で、踏み込むときは一線を越える人間だ。
……これは、穏便に終わる会じゃないな。
私は、そう腹を括って席に着いた。
「では、始めましょう」
久流須が淡々と切り出す。
「8日目終了時点の総括です。久世先生、概要を」
早速、ご指名が来た。私は、軽く頷いて資料を映す。
「はい、全体として、システムは安定しています。時間感覚の調整、圧縮も事前の想定範囲内の影響で収まっています。ただし、特定のプレイヤーに関しては……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「没入の深度が、想定より早く進行しています」
誰のことか、言わなくても分かる。増田が、すぐに食いついた。
「早いというのは、どの程度?」
「……境界反応が出ています」
その瞬間、空気が少し締まった。久流須は、静かに続きを促す。
「具体名を」
私は、息を吸って答えた。
「満足燈彦と、瀬戸澄佳です」
白石が、わずかに目を伏せる。
増田は、腕を組んだ。
「……なるほど、ただ、正直に言うと、想定内ではある」
……それは、机上ではな。
増田に対して、そう言い返したくなるのを、ぐっと堪える。
「ただ」
増田が続ける。
「この進行速度は、担当の負荷とも関係しているのでは?」
私は、黙った。
久流須が、そこで初めて、私を見る。
「久世先生、今、君は何名を見ている?」
「……7名です」
即答した。当然、誤魔化す気はない。
「本来の基準は?」
「2〜4名、です」
久流須は、ため息をつかない。責める声色にもならない。ただ、淡々と言った。
「負担が大きすぎですね」
胸の奥が、きしんだ。
……分かってる。
分かっている。が、それでも――。
「……ただ」
私は、思わず口を挟んだ。
「彼らは、私が声をかけた学生です。軽い気持ちで誘ったわけではありませんが……、それでも、面白そうだから来ないかと言ったのは、私です」
一瞬、会議室が静まる。
「途中で手を離すのは、正直……、責任放棄に近いと、思っています」
増田が、眉をひそめた。
「久世さん、感情論は危険です」
「承知しています」
それでも、引かなかった。
「ですが、現場で起きているのは、数字だけじゃない。彼らは、ちゃんと人として反応しています」
「……改めて確認しますが」
久流須が、淡々と資料を切り替える。
「現在、久世先生の担当は七名。通常想定の二倍以上です」
画面に一覧が表示される。
満足、瀬戸、近衛、藤巻、三好、国分、鷺沢。
一瞬、空気が止まった。
「やはり……多いですね」
口を開いたのは、増田だった。口調は軽いが、視線は数字から離れない。
「試験とはいえ、あり得ない人数です」
増田は、少しだけ間を置いてから続けた。
「だから、ああいう歪みが起きたのではないですか」
主語は、ない。名前も、出ない。
だが、誰のことを指しているかは、全員が分かっていた。
私は、一瞬、唇を結んだ。
「……近衛くんについては」
言いかけて、止める。代わりに、はっきりと言葉を選んだ。
「彼の精神的ケアと、今回の行動に関する責任は、私が引き受けます」
即答だった。
「試験担当としても、個人的にも。距離を取るべき部分と、放置してはいけない部分を、私が判断します」
久流須は、否定も肯定もせず、ただ頷いた。
「それでいいでしょう。久世先生は、彼を切るタイプではない」
その言葉には、あえて、わずかな信頼感を滲ませているようだった。
「では」
久流須は、次の資料を表示した。
「境界への侵入が継続している一名並びに、本日、これまでとは違う値を示したもう一名について……」
――満足と瀬戸。
「こちらは、白石先生に引き継ぎます」
白石は、小さく息を吸った。
「承知しました。治療というより、介入と観察になりますね」
「ええ」
久流須は、即答する。
「彼らは現状、当試験の問題児になりつつありますが、同時に試験の中核でもある。扱いを誤れば、全体が壊れる可能性があります。くれぐれも、見誤らないように」
私は、視線を落とした。
——手放す、というより、託す。
そんな感覚だった。
「……お願いします、白石先生」
白石は、静かに頷いた。
「できる限りのことはします」
その一言で、会議は次の議題へ進んだ。
近衛の名は、以降、最後まで出なかった。だが、その存在だけが、ずっと会議室に残っていた。
「久世先生、君は引き続き、フォローは頼むよ」
完全に切られるわけじゃない。だが、中心ではなくなる。
「……分かりました」
そう答えるのが、精一杯だった。
会議が終わる。誰も悪者じゃない。判断としては、正しい。それでも……。
……あいつら、大丈夫かな。
軽口で誘った。面白そうだと思った。研究としても、価値があると思った。その結果が、これだ。
私は、ログに映る二人の名前を、もう一度だけ見つめた。
……せめて、最後まで無関係にはならない。
それだけは、心に決めていた。
明日は6時と16時に、それぞれ一話、投稿いたします。




