修正される物語
藤巻直人の手元にある報告書は、想像していたよりも早く回ってきた。正確には、「報告書が存在すること」だけが通知されたもの。閲覧権限は限定的で、全文ではない。要約のみだった。
ただ、それで十分だった。
【異常事象報告】
・禍津日神的精神干渉による一時的錯乱
・当該行動は個人責任に帰さず
・危険因子は環境側にあり
・備考 記録は監査用に保全、公開ログは修正
俺は、端末を閉じた。
……やはりな。
誰かがそう判断することは、最初から分かっていた。近衛恒一は、「処罰」されるには名家すぎるし、優秀すぎもした。
だから、例外処理。制度が一番得意なやつだ。事実は、残る。だが、見える事実は、消える。
禍津日神の影響。そして精神錯乱。一時的な判断能力の低下。便利な言葉だ。これほど都合よく、人間の尊厳と責任を同時に回収できる語彙はない。
満足燈彦。あの男は、記録に残らない選択をした。瀬戸澄佳も、同じだ。だから、記録に残る側が歪められる。
それが、この世界の仕組み。
俺は、一瞬だけ、自分のログを開いた。自分の判断。自分の提言。自分の沈黙。どれも、修正されていない。
……当然だ。
自分は、制度に従って動いた。正しく解析し、正しく見送り、正しく何もしなかった。
だから、消されない。
近衛は、数日後、多賀城に戻る。
表彰も受ける。傷は残るだろう。プライドも、自己像も。だが、「壊れた男」にはならない。
その代わり、禍根も残るだろう。今回の場合、近衛の恨みは個人にも多少は向くかもしれないが、基本的にはシステム、構造へ向かうはずだ。
俺は、そう予測はしてはいたが、確信はなかった。
……どう転ぶか、まだ、分からないな。
端末の隅に、ログが一つだけ残っている。満足と瀬戸の行動履歴だった。
そこには、瀬戸を連れ去った満足たちがたどり着いた場所、藤巻が山中でたどれている最後の座標だった。修験道に点在する、塚や祠、石仏が、観測ブイのような役割を果たし、二人分の行動軌跡がかすかに残っていた。
ただ、俺は、それを開こうとはしなかった。
「……歴史は」
誰にも聞こえない声で、呟く。
「いつも、きれいになる」
だからこそ、汚れを引き受ける者が必要になる。その役を、彼らは選んだ。
俺は、椅子から立ち上がった。次の実験フェーズが、もう始まっている。記録は、今日も静かに修正されていく。




