戻ってきた場所
目を開けた瞬間、世界は静かだった。静かすぎた。ただ音は、ちゃんと音として聞こえる。風。水。遠くの鳥。喧噪がない世界、いつだったかこんな場所にいた気がする。いつだったっけ……。
……戻ってる。
最初に浮かんだのは、その感覚だった。
体が、重くない。胸の奥で暴れていたものが、今はいない。いない、というより奥に押し戻されている感じ。それが、少し気味が悪かった。
「……」
起き上がろうとして、すぐにやめる。自分の状態が、分からなかった。視線を横にやると、瀬戸がいた。すぐそばで、ただ座っている。見張るでもなく、看病するでもなく。ただ、そこにいる。
「……ここは」
声が、思ったより普通に出た。それが、ちょっと怖かった。
「今、僕は……?」
瀬戸は、少しだけ考えてから答えた。
「……戻ってる」
同じ言葉。でも、彼女の言い方は断定じゃない。
「完全じゃないけど、暴走は、してない」
僕は、自分の手を見る。震えていない。少し前までの自分が、嘘みたいだ。
「……どうやって」
聞かなくても、分かっている。それでも、聞かずにはいられなかった。瀬戸は、目を逸らさなかった。
「私も、やっと自分で選んだよ」
その言葉、意味はよくわからなかったけど、素直に胸に落ちる。守った、でも、助けた、でもない。――選んだ。
その決断は、彼女にとって大切なことだということはわかった。
「……重くない?」
僕は、ぽつりと言った。
「重い、ようやく私にもわかった」
上下も、主従も、救世主も、被害者もない。ただ、選択の結果として二人がここにいた。
「……ありがとう」
そう言うのは、違う気がした。
「……ごめん」
それも、違う。
僕は、しばらく考えて、結局こう言った。
「……これから、どうする」
彼女は、その問いを待っていたように、すぐに答えた。
「一緒に考えたい。勝手に決めないし、勝手に背負わない。私も、逃げないから」
僕は、小さく笑った。
「……わかった、僕も一緒に考えるよ。いつかのグループワークのときみたいに、瀬戸さんに任せきりじゃなくて」
「なによ、今さら」
彼女は、そういうと少しだけ過去をとがめ、そして新たな約束、そしてこの先に続く未来を見つめ笑った。そして、宣言した。
「私は守られるだけの立場じゃない。あなたも、全部一人でやれるわけじゃない」
正しい。痛いほど。僕は、深く息を吐いた。
「……じゃあ」
顔を上げる。
「頼む。また何かあったら、完全じゃなくていい。壊れる前に、止めてくれ」
瀬戸は、一瞬だけ目を閉じて、それから頷いた。
「その代わり」
条件が出た。僕は、少し身構える。
「次に暴れたら、一人で突っ込んだら。私も、本気で止める。殴るかもしれない」
僕は、吹き出しそうになって、こらえた。
「……それは、ご褒美ですか?」
「違う」
真顔で即答される。
「私の責任」
山の奥で、風が向きを変える。僕は、立ち上がった。
「行こうか」
彼女も、同時に立ちあがる。そして並ぶ。
初めて、並んだ。鬼でも、巫女でもなく。この先を選んだ、二人として。
眼下に望む猪苗代の湖面は、登りかけた太陽に輝いていた。




