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平安京エイリアンズ  作者: 岬口大鴉
【八日目】

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選ぶということ

 山は、まだ息を荒くしていた。怒りが収まったわけではない。ただ、爆ぜるのを思いとどまっている。

それが、瀬戸澄佳には分かった。


 満足は、少し離れたところで横たわっている。呼吸はある。けれど、安らかではない。彼の体には、外殻のように固まった影が、今もしっかりとへばりついている。


――異形。


 あのとき見た姿が、何度も頭に浮かぶ。人の形をしていながら、人ではなかった。正直に言えば、怖かった。助けられた瞬間も、連れ去られた瞬間も、ずっと。

 近衛に捕らえられても、なお対等に向き合おうとした自分。あの判断が正しかったのか、今も分からない。けれど、彼の意をくんで、「守られる」ふりをしていたら、私は――私でなくなっていた。


……だから。


 だから、私はここにいる。


「出てきてください」


 声に出したつもりはなかった。でも、山は応えた。

 低く、深く。男と女が重なったような、二重の声。


『久しいな』

『戻ったか』


 姿は見えない。けれど、確かにそこにいる。この山の神。磐梯山の神。夫婦神。この山そのものだ。


 私は、膝をついた。


「……申し訳ありません」


『お前のことではない』


 声は、私ではなく、彼のほうを向いていた。


『穢れを、連れてきたな』


 胸が、締めつけられる。


「……はい」


 否定しない。否定できない。


『責めてはいない』


 山の気配が、少しだけ、和らぐ。


『お前には、そいつの穢れを祓い、流す力がある』


 息を、呑んだ。


「……私に?」


『最初から、備わっていた』

『だが、まだ弱い』


『『だから、力を貸してやろう』』


 その瞬間、空気が震えた。そして、私の身体の奥で、何かが開く。熱ではない。光でもない。流れだった。

 川から流れた水が、大きな湖へ、そして最後には海に注がれる。そんな感覚。


「……消せる、のですか」


 私が口にした問いは、切実だった。穢れに飲まれたままであれば、帰ってこられなくなる。その可能性はかつてないほど高まっていた。私は、そう問いながらも、その答えを効くのが、怖くて仕方なかった。


『消せはしない』


 はっきりと、告げられる。ただ、そこに絶望的な雰囲気はなかった。


『そいつには、これからも穢れが溜まり続ける』


『人を斬る』

『獣を狩る』


『怒る』

『抗う』


『生きる限り、避けられぬ』


 私には、神が何を伝えたいのか、もうわかっていた。


「……それでも、……流すことは?」


『できる』

『だが、それはお前が引き受けるということだ』


『祓いとは、捨てることではない』

『通すことだ。流すことだ』


 胸が、重くなる。

 つまり、彼が背負う穢れは、私を通って、山を流れ、海原へと至る。


 磐梯山から流れ出た水は、猪苗代湖に注ぎ、それは日本海にそそぐ。それは、一時的な力でも、奇跡でもない。いつも、そして絶え間なく起きている、ただの現象だった。


「……私を通せば、流せるということですね」


 山は、答えない。答えないことが、答えだった。


 私は、倒れている彼を見る。眠っているようで、眠っていない。あの人は、これからも背負い込む。いろいろなものを。そして、ときに傷つけ、傷つき、誰かが当たり前だと思っていた何かを、壊し続ける。そして、その代償として、自分も壊れていく。それを、私は知ってしまった。


……それでも。


 それでも、私は彼から目を逸らしたくなかった。そして彼のそんな意志を、選択を信じていた。あのとき、鬼のような姿で、私の腕を掴んだときも。一度も、私を傷つけなかった。乱暴だった。強引だった。でも、私は壊されなかった。


「……やります」


 声が、自然に出た。


「私が、彼の、罪と穢れを、選びます」


 山が、低く鳴る。


『よい』


 私は、満足のそばに膝をつく。

 そして彼の手を取り、自分の胸に当てる。

 教わった作法などない。ただ、流す。それだけを思った。私の中を通って、それが山から湧出で、川へ流れる。自然の理へと、戻す。

 影が伸び、私の体に巻き付いてくる。穢れが、重く、冷たく、絡みつきながら、中にまで流れ込んでくる。苦しさはある。でも、耐えられないほどじゃない。これが、彼が背負っていた、抱えていた、穢れであり罪、その重みだと思うと、それに触れられることは嫌ではなかった。

 そして満足の呼吸が、少しずつ、整っていく。影が、柔らかくなり、次第に薄くなる。そして輪郭が、人に戻る。


「……っ」


 彼が、小さく息を吸った。

 私は、一瞬だけ目を閉じて、そして思った。


……私は、……もう、守られる側じゃない。


 私は選んだ。逃げることも、預けることも、できたかもしれないけど、私が選んだのは引き受けることだった。

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